幕間4-2 忘れない光景
「六十二人だったんだと」
ギルベルトの案内の元、広場から先の焼け野原となっている戦場跡地にハーデスはやってきていた。
騎士達が黙々と遺体を積み上げている中で呟かれた言葉に、ハーデスは何を問うまでもなく頷く。
――それは、エレンツィア防衛戦で亡くなった死者の数だった。
「一万二千対、千五百だぜ? しかもこっちの手勢はトルメリア平野でドンパチやってる奴らじゃなく、領地の騎士団と冒険者、うちんとこの百人の混合部隊だ。ありえない戦果だ」
「そうか」
「……実際の所、途中で負傷者は過半数を超えていた。怪我を負ったらすぐに下がれと言い聞かせておいたが、それにしたって出来すぎだ。スイ様には頭が上がらねぇよ」
「本人は全然嬉しそうじゃなかったけどな」と頭を掻くギルベルトに、ハーデスは目を伏せる。
スイは、その信念の元全てを救いたいと願う神官だ。ギルベルトの常識ではめでたいと思える戦果であっても、彼女にとっては受け入れがたいものであったのだろう。
それでも気丈にエデン教会で治療を続けるスイを思い、ハーデスは心から敬意を表した。
「素晴らしい神官だ」
「あぁ。まったくだ」
美しい白亜の街並みを誇っていたエレンツィアは、今やまっ更に失われていた。レイスの魔法攻撃や赤狼騎士団の爆炎魔法を受け、そこここに戦火の痕を残している。
海に近い区画程瓦礫の山に変わっており、そこから掘り出される遺体もまたほとんどが欠損していた。
焦げた臭いは果たしてどこからのものなのか。血臭と共に漂うそれを肺いっぱいに吸い込みながら、ハーデスは遺体を運び続ける騎士達を見つめる。
「……恨まれるだろうな、俺は」
「ギルベルトが?」
それを共に見つめていたギルベルトが、苦く笑った。不思議そうに問いかけるハーデスに、「そりゃそうさ」と肩を竦める。
「死霊術師との戦闘は、死した仲間が敵に変わるってのが一番恐ろしいんだ。だから、俺は死んだとみた仲間の遺体は絶対に爆炎魔法で吹き飛ばす」
「…………」
「例え蘇っても、まともに戦えないように。今を生きる仲間を傷つけさせないように。死者より生きてる奴が大事だから、俺は必ずそうしてる。……でもさ、遺族はそうは思わないだろう?」
「ギルベルト……」
「戦い抜いた大切な友の、家族の死に顔を、最後に見たい。そうして気持ちを整理して、黄泉に送り出したい。そんな願いを、全部爆破して回ってるんだ。恨まれて当然さ」
それでも、ギルベルトは真っ直ぐに前を見据えていた。遺族の思いを自覚してなお、己の信念を貫くと言わんばかりに背を正して。
そんな彼を横目で見つめていたハーデスは一つ嘆息すると、指を軽く鳴らした。発動したのは、ある物に座標を定めた転移魔法だった。
彼の意志に沿い転移させた物が、ギルベルトの前に突如として表れる。
焦げ付き、血にまみれ、歪んでいる銅板。――それは、全ての人に等しく与えられる、身元証明書の首飾りだった。
数十どころではない。数百に至るその銅板を前にしたギルベルトが、目を瞠って膝を着く。
「これは……!」
「亜人は分からないが、戦友だけではなく、アンデッドと化した人間達の物も集めた。遺族に返してやるといい」
「――っ!」
「遺体はこれより私が全て解くからな。恨みなら私が負おう。これらは、此度の総大将であるお前が返すのが理にかなっているはずだ」
ハーデスの言葉に、ギルベルトの目に涙が浮かぶ。彼が集めた銅板の山の一番上には、見慣れた名前があった。
――アマート、ジャン、ミルコ。赤狼騎士団の、騎士達のものだ。
百人の内、その三人が星に還っていた。報告では聞いていたが、未だ遺体は見つかっていなかったため、彼にとってはこの銅板が全ての証明となったのだ。
ギルベルトは震える手で三つの銅板を掬い上げ、両手でぎゅっと握りしめる。
「……ありがとう、ハーデス」
「…………」
「俺にとって、何よりの救いだよ」
拳を額に押し当てるようにして涙を流すギルベルトに、ハーデスは「あぁ」と静かな声色で答えた。
そうして、遺体を運んでいる騎士達に作業を止めるように告げ、時間魔法で還す事を伝える。
「ハーデスさん、レムリア海にもまだ……」
「大丈夫だ。全てを還すと約束しよう」
魂の合成を解くために張っていた【賢者の兵棋】は、未だ顕在だった。それを補助に使いつつ遺体の座標を特定したハーデスが、ぱん、と両手を合わせる。
黄泉送りの時とは違い、乳白色の細かな粒子が空を舞った。夕焼けの日の光を浴びて煌めくそれは、踊るようにして橙色の空に溶ける。
肉体だけではなくその装備や装飾品ごと時間魔法で還したハーデスは、彼らの残滓が海風に乗って消えゆくのを、騎士達と共に長い時をかけてじっと見つめるのだった。
「すんごい魔法を行使して貰った後で恐縮なんだが」
「なんだ、なんでも言え」
ハーデスが遺体の全てを還してしばし。頃合いを見計らっていたギルベルトが、もじもじとした様子で問いかける。
「その、この街の修繕なんだが、どれぐらいかかりそうだ……?」
街の修繕、と言われてハーデスがぐるりと焼け野原のエレンツィアを見渡した。戦が始まる前にハーデスが時間魔法を使えると知ったギルベルトが、「じゃ、じゃあもし街が壊れても時間魔法で戻せるんだな!?」と頼み込んでいた事を思い出し、得心する。
何も心配せずとも、と思いつつ、ハーデスは安心させるように頷いた。
「約束したからな。すぐに可能だ」
「そうか、ありがとう……ってすぐ!? すぐに!? 一区画!?」
「一区画? 全部だが」
「全部!?」
唖然とするギルベルトと騎士達に、ハーデスはけろりとした顔で目を瞬かせる。
「そういう約束だっただろう」
「いやそうだけど! 魔力量も考えたらそんなの不可能って思うだろ!?」
「だが可能なのだから仕方ないだろう。さぁ、戻すからエデン教会に行くといい」
「え、えぇ~~!?」
「早く行け。壁にめり込みたいのか」
「それは困る!」と声を上げたギルベルトに続いて、騎士達がすたこらさっさとエデン教会に走っていく。宙に浮いてそれを見送り、周辺一帯に人の気配がない事を確認してから時間魔法を行使しかけたハーデスだったが、そこで行使範囲内に走り込んで来る人間を見つけた。
――マリベルだった。
ギルベルト達とは逆にエデン教会からこちらに走ってくるマリベルは、肩で息をしながら「ハーデスさん!」と大きな声を上げる。
「待って! 待ってください!」
「なんだ? 再建にディーオデット家の裁決が必要なのか?」
「い、いえ、そうではないのですが……!」
空から降りてきたハーデスの前に、マリベルが立つ。息を整えながら、「お手間を取らせて恐縮なのですが、」と口を開く。
「ハーデスさんと共に、エレンツィアの再建風景を見せて頂けないでしょうか」
***
高度が上がると、空気が冷たい。
抱き上げてくれているハーデスに身を寄せているとはいえ、ぶるりと肩を震わせたマリベルは、焼け野原となっているエレンツィアを見下ろしながらぎゅっと唇を噛み締めた。
ハーデスは、これからこの全てを時間魔法で直すという。まるでここで戦争など起きなかったかのように、昨日までのエレンツィアに戻るのだ。
それは、リンドブルムへ向かう民達が難民とならないための大切な魔法でもあった。だが、同時にここで戦い死んでいった者達の思いや痕跡さえ消してしまうことに繋がらないかと、マリベルは思ったのだ。
――だから、マリベルは記憶することにした。ディーオデット家の娘として、罪深い父とグスタフの業の結果を、その目に焼き付けるために。
過不足なく神官を迎え入れていれば、エルミナに上陸を決断させるような結果には至らなかったはずだとマリベルは思う。レムリア海を大きく超えてわざわざ襲おうなどと考えなかっただろう、と。死霊術師の天敵である神官が山ほどいる街に来る意味がないからだ。
血臭が漂い煙の上がる街を、マリベルは脳裏に刻み付けるようにその光景を見つめる。空の飛べないマリベルは今まで地上からしかエレンツィアを見て来なかったが、ハーデスと共に見下ろすその広大な街の姿を目にし、瞳を震わせた。
「エレンツィアには、本当にたくさんの人が住んでいたのですね」
「…………」
「人の営みが続き、愛し愛され、思いあう日々がここにはあった」
「過去形にするな。これからも続くだろう?」
ハーデスの言葉に、マリベルは頷く。
「そうですね。……そして私は、それを守るために存在する」
「……重いか?」
己の生まれを思うマリベルに、ハーデスが気遣うように伺う。その慮った言葉にマリベルは微笑むと、「重いですね!」と素直に口にした。
「とっても重いです! でも、それを難なく背負ってみせるのが、伯爵令嬢としての責務です」
「……そうか」
「そうです。……たくさんの贅沢も、優しい言葉も、私はずっと頂いてきました。だから、今度は返していかないと。――尊敬する友人が、当たり前のようにそう在るのですから」
マリベルとハーデスは、今もエデン教会で己の責務を果たし続けるスイを思う。公爵令嬢としても高位神官としても信念を貫いてみせたスイは、二人の大切な友人だ。
それを分かっているからこそ、マリベルはハーデスと目を合わせ、楽しそうに微笑んだ。
「お時間を取って頂き、ありがとうございました。もう大丈夫です。どうか、時間魔法を」
「分かった」
マリベルを抱き上げたまま、ハーデスがぱちんと指を鳴らす。
緑色の暖かな光が街一体を覆い、崩れ落ちた瓦礫が色を取り戻し、みるみるうちに白亜の街へと戻っていった。
色とりどりの大通りの石畳に、統一された明るく青い丸屋根。
真白の漆喰で塗り固められた壁が立ち上がるように組み立てられ、ガラス窓も家々に係る物干しロープもベランダに並んだ植木鉢も何もかもが元の姿を取り戻した。
「花は、また植えるといい」
命の宿るものは戻せないと語ったハーデスの話を、マリベルは覚えている。
だからこそ彼の告げた言葉に素直に頷き、愛しい白亜のエレンツィアを見つめて眦を潤ませた。
「たくさん、たくさん植えます。今度は、花の都のエレンツィアとでも呼んでもらおうかしら」