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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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129話 いつか、きっと

 エルミナは、感知した信じられない事態に茫然とした様子で硬直した。

 エレンツィアで戦っていた兵どころか、パルメア大運河方面に送った三千の兵まで、時を同じくして殲滅したのである。

 震える声で「嘘……」と呟いたエルミナにただならぬ様子を感じたのか、瞬時に十兵衛から距離を取ったヴァルメロが「どうした」と問いかける。


「殲滅された」

「何……?」

「九千の兵が、全部……! 高位化まで施したのに、一瞬で――!」


 目を見開くヴァルメロに対し、エルミナが憎悪の滲む瞳で宙に浮く少年を睨みつける。トキノの放った魔法のせいだと思ったのだ。

 だが、その視線を受けたトキノは「僕じゃないヨ」と肩を竦めた。


「嘘よ!」

「嘘じゃなイ。僕がやったのは、【死の】の術の執行を時の乗算で速めてあげただけサ。ご丁寧に全ての魂への負担がないよう、ここのルールでちんたらやってるんだもン。守ってくれてる十兵衛くンが可哀そうじゃなイ」

「だったら誰があんな……!」

「引くぞエルミナ」


 ヴァルメロの判断は早かった。黒剣を背に収め、ヨルムンガンドに繋がる【転移門(ゲート)】を即時で開く。

 それを見たエルミナが「ヴァルメロ!」と止めかけたが、有無を言わさず彼女の身体を片腕で抱えた。


「どうして! 目の前にハル姉の仇がいるのに!」

「引き際を見極めろ。高位アンデッドを広範囲かつ一瞬で屠れる相手を前に、無策で挑むのは馬鹿のすることだ」

「嫌よ! 嫌! 離して! 絶対にあいつを殺――!」


 叫び暴れるエルミナにヴァルメロが手を翳す。すると、びくんと身体を震わせるや一瞬でエルミナの意識が失われた。

 だらりと両腕を伸ばして脱力した彼女の身体を抱えながら、隙無くこちらを見据える十兵衛と視線を交わす。


「また会おう。我に傷をつけた稀なる剣士――否、()()

「俺も、覚えておく。()()()()()()()()お前のことを」


 フン、と鼻で笑って、ヴァルメロが【転移門(ゲート)】の中に姿を消した。

 不自然に開いた黒い門は元よりそこには無かったかのようにあっけなく消え去り、エレンツィア沖の海上に静寂が訪れる。


「……エルミナを捕えなくて良かったのか? ハーデス」

「後からいくらでも連れて来れる。それよりお前の手当てだ!」


 いつも通りに魔法を使えるようになったハーデスが、指を弾いて十兵衛の身体を自分達の方へ転移させた。

 限界だったのか、転移を受けるや倒れ込むようにして崩れ落ちた十兵衛を支え、風穴の開いている腹から夥しい程に溢れる血に眉を顰める。膝下に至るまでぐっしょりと血で濡れそぼっており、普通なら死んでいてもおかしくない出血量だった。

 それでも生きている彼の有り様にハーデスは歯噛みし、時を戻そうと指を合わせかけた所を十兵衛が制した。


「やめろ」

「何を言って――!」

「お前、俺が負った痛みの記憶ごと、無くそうとする気だろう」


 考えを見抜かれた事に驚いたハーデスに、「そらみたことか」と十兵衛は嘆息する。


「ガラドルフ、治療を頼めるか?」

「構わんが……しばらくかかるぞ? ハーデスの時間魔法の方がいいのではないか?」

「嫌だ。こいつのは過保護がすぎる」

「十兵衛、お前な!」


「私はお前のためを思って――!」と怒りに震えるハーデスを気にしつつ、ガラドルフが【慈愛の息吹】で治療に入る。

 徐々に塞がり始める傷に十兵衛は安堵の息を漏らしながら、「お前、分かってないな」といつかの台詞を口にした。


「生きてたって、いい事ばかりじゃないんだ」

「っ……!」

「苦しいことも、痛みを負うことも、生きていたら当たり前にあるんだ。そういった全ての先に、今の俺がある」


 その言葉を聞くや、ハーデスの頭にカッと血が上った。十兵衛が窒息で死にかけた時に、心内で呟いていた言葉を思い出したのだ。

 治療を受けている十兵衛の胸倉を掴み上げ、慌てるガラドルフも差し置いて声を荒げる。


「お前だって何も分かっていないだろうが! 独りよがりの贖いなど、何の意味もないのだと!」

「――!」

「ああ、ああ! 記憶を消さなくて正解だったな! まったくもって正解だった! お前は友の何を見てきた! 何を学んできた!」





「お前の良き友が! 仲間が! 今を懸命に生きるお前を、恨むはずがないだろうが!」





 ――ハーデスには、見えている。


 十兵衛のハイリオーレの輝きが。彼に向けた好意や憧憬、尊敬を抱いた人々の尊き(えにし)が。


 その全てが伝えていた。彼の善き生を望んでいた。

 幾久しく健やかであるよう、ただ、幸せを願われていた。そんな思いを向ける者達が、一人生き延びた彼に怨嗟を向ける事などあろうはずがなかったのだ。

 茫然と目を丸くした十兵衛の眦に、大粒の涙が滲む。

 満ちる先から零れ落ち、頬を滑ってレムリア海へと沈んでいった。


「……懺悔の思いで、歪めるな」

「……ハーデス……」


 痛みを堪えるような表情で、ハーデスは言葉を紡ぐ。


「死した友を、歪めるな。記憶にある彼らは、そんな者ではなかったろう?」

「~~~っ! でも、でも俺はっ――!」

「今、受け入れずともいい。この言葉が、届かなくとも構わない。……ただ、覚えていろ」




「お前の牢乎たるハイリオーレは、確かに輝いているのだと」




 止まらぬ涙が呼吸を乱し、横隔膜が痙攣する。

 声を出すまいと唇を噛み締めつつ、それでもしゃくり上げるように泣いてしまった十兵衛の頭を、ハーデスが労わるようにそっと撫でた。

 そうして彼をガラドルフに任せたハーデスは、二人の元から離れてエレンツィアの方へと向き直る。

 西に沈んでいく夕日が、眩しかった。太陽の下で光り輝くエレンツィアは、まさしく二つ名の通りの白亜に染まっている。


「命の限り、実によく生きた。次の命も、諸君らの良き生に繋がるよう」


 低く優しい声色で、賞賛するようにハーデスは一つ一つの命を讃える。

 細めた目は慈しみに満ちており、戦いを強いられ痛みを負わされた彼らを労わるような暖かさがあった。



「どうか、よい旅を」



 ぱん、と、ハーデスの手が合わせられる。



 ――次の瞬間、夕空に流星が走った。



 空から大地に注ぐのではなく、大地から空に飛び去るような、光の軌跡。

 それは幾百、幾千の輝きで夕空を彩り、虹をくぐって星に還っていく。


 留められていた魂達は、【死の律】の権能によって亜人も人も関係なく、等しく黄泉に送られた。

 過ぎたるも及ばざる事もなく、己として在る今を保ったままで。


 彼らの新たな生への旅路を、ハーデスは心から祝福するのだった。





 ***





 エデン教会の真上に広がる夜空には、星々が瞬いていた。

 眠るチャドリーの側に、ハーデスが屈みこむ。目を伏せ、頷き、彼の魂と会話を交わしたハーデスは、控えていたスイを含めた四人の高位神官に合図を出した。


「送って欲しいと、そう願っている」


 その言葉に頷いた四人が、彼を囲むように並ぶ。

 跪き、祈りを捧げるようにして願われた奇跡は、【女神の抱擁】だ。四人が意識を揃えて行ったそれは一対の大きな女神の手を顕現させ、チャドリーを暖かく包み込む。

 破格の浄化を受けたチャドリーは、ほろほろとその身を光と共に解いて行き、やがて魂だけの存在へと変わった。


 ――そんな彼に、【死の律】がささやかな術を施す。


 ホログラムのような生前のチャドリーの姿が、見守る人々の前に現れたのだ。

 息を呑んだリッシュが、よろよろと彼の前に足を進める。

 ゆっくりと瞼が上がり、チャドリーの夕日のような橙色の瞳と、リッシュの目がついに合った。


「……チャドリー、おかえり……!」

「ただいま、リッシュ」


 リッシュの震える手が、チャドリーの頬に添えられる。だが、身体を失った彼に触れられるはずもない。

 けれども、確かに触っているのだと見えるように、チャドリーが頬をすり寄せた。


「ごめんな、俺……」

「いいんだ。全部、十兵衛さんやスピーに聞いたから」


 その言葉を受け、チャドリーがリッシュの後ろへと視線をやる。

 そこには、牢獄で会った総髪の男と、亜人の里へと送ったはずの狐耳の少年が立っていた。


「その名前でいいのかい? スピー」

「いいんです。嬉しい気持ちも、思い出せるから」

「そうかい。……十兵衛さん、スピー、ありがとう」


 目を細めて笑うチャドリーに、スピーが耐え切れずに大粒の涙を流す。

 何度も何度も首を横に振って、「僕、僕の方こそ――!」と声を張る。


「たくさん、たくさんありがとう、チャドリーさん! 大好きです!」

「おや、抜け駆けしてくれるじゃないかスピー! 私は愛してるよチャドリー。世界で一番愛してる!」


 二人からめいっぱい心の籠った言葉を受けて、チャドリーのハイリオーレが大きく輝く。

 それに慈しむように目を細めたハーデスが、やおら「心残りはないか?」と問いかけた。

 その言葉に、チャドリーが涙を流しながら頷く。「約束を、果たさせてくれてありがとう」と述べ、リッシュとスピーに歯を見せて笑った。


「ありがとう、二人とも。生まれ変わったその先で、また会えるって信じてる!」


 振り向いたチャドリーが、ハーデスの前に歩み寄る。

 決意を秘めたその瞳にハーデスは頷くと、彼の頭に手を翳した。


「命の限り、実によく生きた。次の命も、お前の良き生に繋がるよう」


「どうか、よい旅を」


【死の律】の祝福を受けて、チャドリーの魂が星へと還る。


 眩い程の光の軌跡を残しながら、エレンツィアの民を救った一人の英雄が、新たな生へと旅立っていくのだった。








「……馬鹿だねぇ」


 愛しい夫を見送りながら、涙ぐんだリッシュがぽつりと呟く。


「生きてりゃ、いつかまた、自分を好きになれる時が来たかもしれないのにさ……」


 そんな彼女の言葉を一人耳にした十兵衛は、固く目を閉じ、俯いた。


 リッシュの言葉が、暗く塞いだ十兵衛の胸に、ほのかな熱を灯すかのようだった。

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