127話 お福分けが繋ぐもの
「連絡をよこしたくせに随分待たせると思えば……」
放心しているエルミナの背に、ヴァルメロが掌を添えて喝を入れる。瞬間、十兵衛の殺気によって動けなくなっていたエルミナが、はっと我に返った。
「ヴァルメロ! なんで……!」
「定時連絡が途絶えれば、確かめに来るのは当然だろう。まさかこいつらとやり合っていたとはな」
八剣十兵衛が生きているとは思わなかった、と内心舌打ちを零す。死体は確認しておくべきだったかと思いつつ、されどクロイス・オーウェンの邪魔が入った時点であれ以上の追撃は出来なかったと、当時の自分の判断を後悔することはしなかった。
どうあれここで仕留めればいいことだ、とヴァルメロは再度手を翳す。
エルミナの肩越しに飛ばした【重力砲】は、彼女の身に当たらないよう配慮したサイズだった。が、庇いだてるように前に立った今や、その必要はない。
「肉片も残さず消し去って」
彼の後ろから、エルミナが憎悪に震える声でそう告げる。
「あのハーデスという男が、ハル姉を殺したの」
「――!」
ヴァルメロは目を見開いた。彼にとってもハイネリア・ルルは重要な人物であり、大恩ある存在だった。そんな彼女を屠った相手が目の前の男だと聞いて、冷静でいられるはずもない。
腹の底から沸き上がった怒気が、目に見える形で周囲に漆黒の炎となって纏われる。
「無論、そのつもりだ」
仇敵を前に、遠慮はしない。
ヴァルメロの手の先で、リンドブルムを破壊しようとした時と同じ大きさの重力球が、全てを滅さんが如く恐ろしい速さで放たれた。
「受けるなって……! 俺は寿命が来るまで死なないんだろう!? 庇わなくたって――!」
「死よりも辛い痛みを、これ以上お前に負わせたくない」
前に出ようとする十兵衛を、ハーデスがふらつく身体で留めるように一歩足を進める。
その姿に、十兵衛は泣き出しそうに瞳を震わせた。
――旨い旨いと飯を食う度言うような味覚があるなら、痛覚だってあると思うだろう。それとも俺の勘違いか?
――いや? あっている。
エレンツィアに到着したあの日。牢獄の中で再会したぼろぼろのハーデスに、十兵衛はそう質問した。その時確かに、ハーデスは痛みがあると明言したのだ。だから今、左腕を肩から丸ごと失い、胸部に至るまでごっそりと抉られた状態の彼に痛覚があるとするならば、それは想像を絶するものであるはずで。
それを思い、唇を戦慄かせ、十兵衛は声を張り上げる。
「お前だって、痛いって言っていたじゃないか!」
そんな血を吐くような叫びに、ハーデスは驚いたように言葉を失った。
だが、やがて小さく笑い、肩越しに振り向き、――悲しげな声で呟く。
「その優しさを、どうして己に向けられん――?」
その言葉に、十兵衛は目を見開いた。
ヴァルメロから放たれた重力球が目前に迫る。
例えハーデスが【死の律】で不死の存在と言えど、彼の負う痛みを思えば見過ごせるはずもない。
声にならない声で、十兵衛が彼の名を呼ぶ寸前。
――全ての時が、止まった。
「……え……?」
音が消えた。
潮騒も、魔法の鳴動も、息遣いも。
十兵衛の目前で重力球に飲まれかけたハーデスはまだその場に在り、当の本人も驚いたように目を丸くしている。
と、そこで指を弾く音が空間に鳴り響いた。
瞬間、ハーデスの身体が五体満足の姿に戻る。髪の乱れや汚れすらも遡るようなその有様に、十兵衛はあんぐりと口を開く。
「やァ、マーレは一体何をしているんだイ?」
そこに、聞き覚えの無い声が上空から聞こえた。弾かれるように顔を上げると、そこには見目麗しい少年がこちらを見降ろすようにして浮いていた。
金色の癖のない肩程までの長さの髪に、人の目にしては不可思議な程の発光がある、髪と同じ色の瞳。
丈の長い無地の白服を身に纏ったその少年は、微笑みながらも苛立ちを隠そうともしない態度で仕方なさそうにそう告げた。
「【時の】――!」
ハーデスの声に、まさか、と十兵衛は息を呑む。
【死の律】である彼が【時の】と呼ぶ存在と言えば、一つしかない。
「【時の律】!?」
「御名答。お初ニー? 八剣十兵衛くン。……それで【死の】、これは一体どういうことだイ。管理者の仕事の邪魔が入らないようにするのハ、星の役目だろウ?」
「…………」
「はー……そウ。まさか本当に手を出さないとはネ。思わず介入しちゃったヨ。感謝しナ? 【死の】」
「ありがとう」
「宜しイ」
フフン、と笑って【時の律】が再度指を鳴らす。
すると、再び時が動き出したのか先ほどまで耳にしていたものと同じものが十兵衛の耳に届いた。
足元の波は揺れ、遠くに見えるヴァルメロとエルミナが目を見開いているのが見える。彼が放ったはずの【重力砲】は、【時の律】の権能で無かった事にされていた。
彼らにとっては理解し難い事だらけだ。重力球は消え去り、ハーデスの身は元に戻り、さらには見知らぬ少年が突然現れていたのである。その全てが瞬きの間に行われた一瞬のもので、ヴァルメロとエルミナは息を呑んで言葉を失った。
「一体、何が……!」
「……まさか、時魔法を使ったとでもいうのか」
ヴァルメロの言葉に、エルミナが驚愕する。時魔法は神でないと到達出来ないと言われる、究極魔法の一つだ。
だが、その言葉に少年は肩を竦めると、「一緒にしないで欲しいネ」と嘆息する。
「時魔法って言ってもサ、出来るのは一つの時の操作だけだロ? 【死の】だってそうだけド」
「そうなのか?」
十兵衛の問いに、ハーデスは頷く。
ハーデスは現在、すでに時魔法の履行中だ。合成された魂を元に戻すために時魔法を使っている彼が、自分の怪我を治せなかったのもそこに起因する。
「でも僕はいくらだって操作出来ル。時の乗算だって可能サ。――だからねぇ、【死の】」
【時の律】が、うっそりと笑った。
それに呼応したかのように、空を覆うように数多の形の時計が現界する。
「お優しい君のやり方を尊重して、お手伝いをしてあげよウ。お代はすでに頂いてる事だしネ」
***
別次元だ、とギルベルトは思った。
高位アンデッドはその丈夫さもさることながら、生前使用していた魔法を使えるようになる個体もいる。とにかく手強いのだ。剣の腕が立つ者がいた場合、当時と同等か筋力増強のおかげでそれ以上の手練れとなってくる。
それを、シュバルツ以下ルナマリア神殿の神殿騎士団は、まったく物ともせずに戦い続けていたのである。
「【聖なる波動】!」
アンデッドの一撃をシールドバッシュで弾き飛ばし、空いた隙を狙って首を切り落とす。即座に放たれた奇跡は浄化を施し、同時に周囲にいたアンデッドに対しても大きなダメージを与えた。
神官とは違い、神殿騎士は神より賜った人体の知識を治癒ではなく攻撃の手段として活用する。神官を守るという役目もあるが、元を辿れば彼らの技はこうした人が変じるアンデッドを倒す目的として使われていた。
姿かたちが人とは大きく変わる魔物とは違い、アンデッドやレイスは元が人のため、戦い方も人の域を出ない。そうした相手は小手先が利く分、なかなか厄介でもあった。
強大な個よりも集団が手強いとはよくある話で、そうした場合でも人ならざる人の殲滅において神殿騎士の右に出るものはいない。
王国最強の剣士であるギルベルトは対人も対魔物も随一の腕を持っているが、それでもシュバルツ達の戦い方は目を瞠るものがあった。一撃一撃が、アンデッド達にとって致命の一撃となるのだ。
魂の合成によって高位の存在へと変えられた彼らは、合成魔獣と同じくもはやその身すら残らない。魔物のような消え方をして魂だけの存在となり、ハーデスの権能によって星に還される事も蘇生を受ける事も無く、空に浮かんだままその場に留められていた。
アンデッド達の消え方を不思議に思いつつ、ギルベルトも奮闘する。空高く飛ぶレイスは奇跡の範囲外に逃げられやすく、神殿騎士でもなかなか仕留めきれなかったものの、それでもなんとか巻き返せるのではと思った矢先。――宙を飛んでいたレイスの目が、再びエデン教会の方に向いている事に気が付いた。
はっと振り向き視線をやれば、エデン教会に何某かの光魔法がかかっていたのか、不自然な明滅と共に光のベールが解かれる。
そこにあったのは、未だかつて見た事が無いほどの巨大な水球だった。
「……聖水球……」
側にいたシュバルツから、ぽつりと信じがたい言葉が零れる。
それにギルベルトは驚き、理解し、腹の底から大笑すると、再び「【照準】!」と精神汚染の魔法を唱え、出来得る限りの敵の視線を集めた。
まさかこのエレンツィア防衛戦における完全勝利を目論む者が、自分以外にもいたとは思わなかったのだ。
「水の散弾か、大波か。……構うもんか! 全力でぶちかませ、竜姫リン!」