119話 優先する命
「オーウェン高位神官! 容体が急変した患者が!」
「今向かいます!」
奇跡の使用を絞り、ギリギリの所で命を繋いだとはいえそれが確実である保証はない。
完治させない限り危ない状態であることには変わりなく、駆け付けたスイの目前で息を引き取った患者に、非情にもハーデスの黄泉送りが実行された。
茫然とした表情で、煌めく魂が星へと還っていくのを見送る。
祈りを捧げる間も無かった。ハーデスの即時の黄泉送りはこの戦場において重要かつ必須の事項だが、死を見送る側としては残酷なものでもあった。心の準備もままならないからだ。
スイは涙を堪え、唇を震わせて踵を返す。立ち止まっている暇はないのだ。己の背に負っている命は、まだ懸命に生きている。
言葉を失って立ち尽くす神官に、「次の患者の元へ向かいます!」と端的に声をかけ、スイはすぐさま重傷患者の元へと向かった。
――その時だ。
「スイ様!」
アレンがスイに駆け寄る。こちらには近づかないようにと厳命していたにも関わらず走ってきたアレンに、足を止めないながらも「なんですか」と問いかけた。彼が意味も無く現場を離れるはずがないと信頼していたからだ。
「リンの水魔法を使った、アンデッド一掃作戦があるんだ!」
目を瞠ったスイに、アレンは真剣な顔で言い募る。
「これ以上怪我人も死人も出さないためには、一刻も早く戦いを終わらせるしかない。そのための起死回生の一撃に、協力して欲しいんだ!」
「聖水の霧ですか」
患者の治療を施しながら、スイはアレンに作戦の概要を聞く。
「うん。さっきリンが使った【聖なる弾丸】は敵味方入り乱れる戦場には撃てないけど、水蒸気なら大丈夫でしょ?」
「確かに、霧ならアンデッドもレイスも覆い尽くせますし、身体の表面積の十割も覆えば浄化も可能ですね……」
「そこにハーデス様の黄泉送りも加わればもう完璧!」
「よくそんな作戦を思いつきましたね!」
心の底から賞賛してみせたスイに、アレンは「へへっ!」と鼻をこする。
「どう? 出来そうかな」
「祈りであれば大丈夫です。すぐに神官達と情報を共有しましょう。……ただ、スピー君やチャドリーさんを守らないと」
「そこは助っ人をお願いしようと思ってるんだ」
「助っ人?」
アレンはそう言うと、友人が駆け去って行った方向に目線を向けて口角を上げた。
「霧だけ発生させたって、しっかり当てなきゃ意味がない。今度は遊覧船じゃなく、敵に向かってやってもらおうと思ってさ!」
***
「僕から離れないで下さいね、ヴィオラさん!」
手を引いて走るスピーに、ヴィオラが頷く。向かっている先は、エレンツィア防衛戦でも後方で戦う弓兵と魔法使いの部隊の元だ。
アレンとスピーの作戦には、風魔法が必須だった。高台にあるエデン教会で発生させた聖水の霧を、無駄なく戦場へと送るための送風が肝なのだ。そしてそれが出来る魔法使いを、アレンは知っていた。
「腹立つけど、キッド兄ちゃんの力が必要なんだ」と眉間に皺を寄せていた友人を思い出し、スピーは内心笑う。
足が速く、亜人の第六感で危険地帯を避けて通れるスピーがキッドを連れてくる役に名乗りを上げたが、それを止めたのがヴィオラだった。
エレンツィアは亜人の差別が根深い。知り合ったばかりのヴィオラでさえ、献身的に働くスピーの姿を見なければ信じられなかった程だ。戦場で間違って殺されかねない現状から、顔の広いヴィオラが彼の行動に着いていく事となった。
大通りに比べると、まばらなサイズの石畳が並ぶ裏通りは走り辛い。けれども、スピーが鼻を利かせ、耳をそばだてて選ぶ安全な道はこういう道しかなかった。
上空で飛び交う矢や魔法を視界に入れながら、スピーはヴィオラの手を引いて最善の道を行く。
そんな時だ。
「スピー君、待って!」
ヴィオラが急に立ち止まった。つんのめりかけたスピーだったが、なんとか耐えて振り向く。何事かと見やれば、ヴィオラがとある方向を見て目を見開いていた。
そちらに視線を合わせると、街中を通る水路の側に短い黒髪の男が倒れていた。ずぶ濡れの神官服を纏い、ぐったりとした様子だが呼吸をしているようにゆっくりと背が上下している。
ヴィオラはスピーの手を解いて走り出した。生きているなら救わねばならない。エデン教会は今深刻な人手不足だ。神官一人の復活でどれ程の怪我人が救えることかと即座に判断し、救助に向かった。――が。
「近づいちゃ駄目ですヴィオラさん! そいつはアンデッドです!」
スピーは騙されなかった。呼吸を必要としないアンデッドが偽装でゆっくりと背を動かしていても、妖狐と人間のハーフであるスピーの鼻は誤魔化せない。
その声にはっと立ち止まったヴィオラの前で、倒れ伏せていた男から舌打ちが響いた。
「とんだ犬がいたものだ……」
「なっ……グスタフ、主教……!?」
ゆっくりと立ち上がったアンデッド――グスタフ・モルドーに、ヴィオラは息を呑んだ。
顔の半分が爛れ、白目のはずの眼球は真っ黒に染まり、瞳孔は赤い。一見グスタフと分からない程の変化だったが、その背格好と髪型、そして見慣れた血晶石のタリスマン――色は勿論失っていたが――でヴィオラは判別した。
爛れのせいでもう存在しない眉を上げながら、グスタフはくつくつと喉の奥で笑う。
「救助に紛れてあの忌々しいご令嬢を殺してやろうと思ったのに、まさか出会うのがお前とはな、ヴィオラ」
「っ!」
「亜人の奴隷なぞを連れて一体全体どうしたんだ?」
ヴィオラを庇うように立ったスピーに、グスタフは目を細める。見慣れた亜人の首輪が心底忌々しかった。
そもそもヴィオラがもっとしっかり強い奇跡を込めていれば、自分がこんな姿になることもなかったのだ。エルミナを仕留め、本来の目的は果たせずとも人として生きる事は出来たはずだった。だが、あの弱々しい冒険者のお守りのせいで大したダメージも与えられず、こんな現状に至った原因に怒りが募る。
そんな風に考えて憎悪の視線でヴィオラを見たグスタフは、ある事に気が付いた。
「……? ヴィオラ、血晶石のタリスマンはどうした」
「それは……!」
「……あぁ、あぁ、そうか! そういうことかワハハハハハ!」
グスタフは腹の底から大声を上げて笑った。
「神官の資格を剥奪されたのか! ハハハハハ! ざまぁない!」
「――っ!」
「そりゃあそうだ、あんなに冒険者のお守りを量産して犯罪に使っていたのだものな! 全部ばれたんだろう、あの女のせいで! ハハハ!」
「剥奪したのはオーウェン高位神官じゃない! 女神レナ様だ!」
「はぁ? 神罰が下ったというのか? だとしたら何故生きている」
馬鹿なことを、と鼻で笑うグスタフに、ヴィオラは唇を噛み締める。
「まぁいい。奇跡が使えないのは好都合だ。せっかくわざと爛れさせていたというのに、見抜かれたなら殺さないとな」
「っ! ヴィオラさん下がって!」
「死ね!」
懐から短剣を取り出したグスタフが、凄まじいスピードで襲い掛かってきた。前に立っていたスピーはその鋭敏な六感を十分に発揮して見切り躱しつつも、ヴィオラに攻撃がいかないよう配慮する。
短剣を刺そうとして伸びた腕に掌底をくらわせ狙いをずらし、ぐらついたグスタフに向かって素早く身体を回転させて二度蹴りをかました。
「ぐっ!」
「【狐火】!」
飛び退って距離を取ったグスタフを逃がすまいと、スピーが青白い炎を飛ばす。狙いは見事に命中し、狐火はグスタフの頭に燃え移って炎上した。
「ぎゃあああ!」
狐火は普通の炎魔法とは違い、妖狐が生まれながらにして持つ特別な魔法だ。濡れていようが関係なく狙った場所に燃え移り、術者が定めた時間の間で確実に炎上する。長い時を定めればおいそれとは消えやしない、持続力のある炎魔法だった。
炎を消そうと必死になって、グスタフが大地に倒れて転げまわる。それを険しい目で見つめながら、スピーはヴィオラにもっと距離を取るように告げた。
「スピー君、でも!」
「貴方は人間で、僕は亜人です! 身体の丈夫さが取柄ですから!」
「それはアンデッドも一緒なんだなぁ」
――転げまわっていたはずのグスタフの手が、いつの間にかスピーの足を掴んでいた。
油断などしていなかったのに、とスピーが瞠目する前に、中位アンデッドとなったグスタフの剛腕で細身の少年の身体が持ち上がり、容赦なく大地に叩きつけられる。
「っあ……!」
「スピー君!」
宙づりにされた状態で、二度三度と振り回すように叩き落とされた。普通の人間であれば頭が割れて即死している強さだ。
亜人の丈夫さ故に耐えられていたスピーも、余りのダメージに意識が朦朧とする。
「ぐ、うっ……!」
「宣言通り丈夫だなぁ、お前」
額から血を流しぐったりとしたスピーの胸倉を掴むように持ち替えて、グスタフは燃えた頭のままスピーと視線を合わせる。
「でもお前は痛いだろう? 私は痛くないんだ。アンデッドだからなぁ」
「っ……!」
「痛さ比べでもするか? ん? せっかくここに貰った炎があるから、頬ずりでもして競争するか?」
「グスタフ主教!」
怒りに震えた声で名を呼ぶヴィオラに、グスタフは肩を竦めてみせる。
「一般人が威勢よくほざくな。後でしっかり殺してやるとも」
「このっ――!」
ヴィオラは射殺さんばかりの視線でグスタフを睨みつける。だが、グスタフの言う通り奇跡を失くした身ではアンデッドを止める決定打がない。
武器も魔法もない自分の力の無さに、ヴィオラは悔しそうに歯噛みした。そんな彼の耳に、小さな声が届く。
「……って……」
「スピー君……?」
呆然としたヴィオラの耳に聞こえたのは、「祈って」という言葉だった。
それの意図する所と、彼の首についた物を目にしたヴィオラはある結論に至り、あまりのことに顔が真っ青になる。
だが、すでに覚悟を決めていたスピーはグスタフの腕を渾身の力で掴み抱えた。
「おいおい、なんの真似だ」
「神に祈って! ヴィオラさん!」
「っ馬鹿を言わないでくれ! 君の身が――!」
「今ここで僕と貴方が死んだら、もっとたくさんの人が死ぬんです!」
一刻も早くキッドを連れてエデン教会に行くこと。それが二人の使命だった。その重要性を誰よりも理解しているスピーが、額から流れる血も構わず強い瞳でヴィオラを振り返って睨む。
「大丈夫! 僕は亜人ですよ! 人と魔物のハーフだから、死にはしません!」
「あぁ、冒険者のお守りを使いたいのか。おいヴィオラ、嘘だぞ。なんのための首輪だと思ってる。ここから奇跡が発動するから抑止力の意味があるんだ」
「それこそ嘘です! さぁ、早く!」
脂汗をかくヴィオラに対し、スピーが究極の選択を突き付ける。一人か大勢か。そんな命の選択を迫られることなど、これまでの人生で一度も無かった。
だが、スピーの言う通りここで二人とも死ねば作戦が破綻する。もうエデン教会には伝令に走れるような人材は残っていないのだ。スピーの命を犠牲に冒険者のお守りを発動させてグスタフを殺すこと。それが最善だとヴィオラは分かっていた。――分かっていたのだ。
「……ヴィオラさん……!」
分かっていたが、出来なかった。嫌がるように何度も首を横に振り、後ずさりながら唇を戦慄かせる。
「で、出来ない……! だって僕は、人のためにある神官で……!」
「元、だろう!? ハハハ! お前にとっては亜人も人なのか嘆かわしい!」
「グスタフ――!」
「まぁでもこいつは確かに邪魔だな」
言うや否や、グスタフがスピーの首を掴み上げる。苦しそうに呻くスピーに、グスタフは口角を上げた。
「私は優しいからな。首の骨を折って即死で済ませてやろう」
「このッ……!」
「死体は後で拾いに行けよ? ヴィオラ。ま、お前も生きていたらの話だが」
「スピー君!」
もはや絶体絶命だった。
スピーが最期に請うように、「祈って……!」と掠れた声で言葉を紡いだ時だ。
――スピーの耳に、聞き慣れた馬蹄の音が聞こえた。