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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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114話 独りよがりの贖い

 両手でなければ扱えないはずの大剣――バスターソードを軽々と片手で持ち、力のこもる太腕には赤黒い血管が浮いている。身の丈は三ミールにも達し、二ミールは優に超えているガラドルフよりも高い。先ほどまでぶら下がるだけだった左腕も動くようになったのか、感覚を確かめるように手を握ったり開いたりしてみせた。

 両頬に四つずつ、正位置に二つある合計十の目がぎょろりと動き、眼前に立つ二人の男を見つめる。

 高位アンデッドから合成魔獣(キメラ)へと姿を変えたトランジット・マロウは、身の内で渦巻く様々な声を一喝して黙らせた。基礎として作られた己の魂が、一番力があるのだ。キメラ化においてただの力として変えられた者達の声など、邪魔以外のなにものでもなかった。

 きっと人間の時の自分ならこうは思わなかっただろう、とトランジットは思う。嫌になる程人間への憎悪にまみれ、酷薄な感情ばかりが募る。己が己じゃなくなったみたいだという考えに至り、苦く笑った。エルミナに殺されたあの時に、もうトランジット・マロウという存在は亡くなっているのだ。その残滓が何をほざくと嘆息し、こちらから目を離さないガラドルフに相対した。


「師匠。最期の手合わせをお願いしても?」

「……十兵衛、」


 言葉少なに、ガラドルフが隣に立つ剣士に伺う。

 圧倒的にガラドルフ達が不利な戦いにおいて求められるのは、即時性だ。速攻戦法で敵将を討ち、いち早く戦いを終わらせることを仲間達から願われている。トランジットの提案は戦いを長引かせる悪手であり、到底受け入れられないものであるはずだった。

 ――だが、とトランジットは薄く笑う。

 ガラドルフも、この剣士――八剣十兵衛という男も。トランジットと同じ()()()()()()だ。だからこそ断れない、と確信する。

 その考え通り、十兵衛はガラドルフの意志を汲んで頷き、得物を鞘に収めて距離を取った。最期の師弟対決をしたいという願いを尊重するように。

 馬鹿だなぁ、とトランジットは思う。その甘さを、もう人間ではない自分が許すはずもないのだ。

 ガラドルフが大盾から十兵衛に繋がれた鎖を外し、その先がばしゃりと海に沈んだ瞬間。トランジットは隠密で海中に忍ばせていた腰から伸びる蛇の尾で、鎖を渾身の力で引っ張った。


「なっ……!」

「十兵衛!」


 ガラドルフが慌てて手を伸ばす先で、あと一歩の所で届かず十兵衛が海中に消える。

 彼を蛇の尾で引きずり込んだトランジットは、そのまま己の身ごと海へと沈んだ。




 ***




 リンのかけた【水上歩行(アクアウォーカー)】のおかげで、身体から水は弾かれる。だが、だからといって空気まで付随するわけではない。

 海中に沈んだ瞬間、水は口に入らずとも一切の空気が無くなった事に十兵衛は混乱した。それまで普通に出来ていた呼吸が急に出来なくなったのだ。


「っ……!」


 慌てて口を閉じ、腰に巻かれた鎖を解こうと躍起になる。この鎖の先を蛇が掴んで海底へと引っ張っているからだ。急な潜水のせいで肺には大した空気をためられておらず、もはや一刻の猶予もなかった。

 ――だが、その行為を止める魔の手が伸びる。


「がっ……あ……!」


 遅れて海中に飛び込んだトランジットが、十兵衛の首を掴んだのだ。本体が追いついたことにより蛇は鎖を離し、もがこうとする十兵衛の身体をその長い胴で縛り上げる。

 接近することで十兵衛の身にかかっている【水上歩行(アクアウォーカー)】の行使範囲内に入ったトランジットは、わずかに残っていた空気さえも吸い上げてにんまりと笑った。


「お前だけは死んでもらわないと困るんだよ、八剣十兵衛」

「ぐ、うっ……!」

「わけのわからん切れ味の武器も、重力魔法を受けてなお死んでないその身体の強さも。そりゃあ脅威だが、お前は人だろう? だったら空気がなければどうなるって話だ」

「……! ……っ、」

「エルミナ……様、の読みは当たったようだな。ま、悪く思うな」


 意識の混濁により集中が途切れ、淡く緑色の光を放って存在していた次元優位が明滅し、やがてふっつりと無くなった。十兵衛の首を掴んでいたトランジットは、それまで全然食い込みもしなかった指がまるで普通の人間の首を掴んでいるような柔らかな感触に変わったことに気が付き、徐々に力を込める。

 酸欠で完全に意識が飛びかけていた十兵衛は、ふと、「ああ、これが入水というものなのか」という結論に思い至った。

 息が出来ず、苦しく、これほどまでに空気を求めているのに与えられない。早く意識が飛んでしまえば終われるのに、望む瞬間がずっとずっと来ない。


 ――入水した所で死なんから、ずっと苦しいだけだぞ


 かの日、ハーデスが不機嫌そうに言っていた言葉が脳裏をよぎる。彼が地下水路で「呪いだ」と懺悔していた、寿命まで死なないようにとかけられた術が今、発動していたのだ。

 本当に苦しいな、と十兵衛は永遠とも思える苦痛の中でうっすらと笑う。だが、今の状態の自分にどこか胸がすく思いもしていた。

 加地達に死んでいないことを詰られ、恨まれる夢を見た。なれば死んだ方がましだと思えるような苦痛を負っていれば許されるような、彼らの怨嗟に贖えるような気がしてならなかったのだ。


 ――今の俺なら、加地達の前に堂々と立てるだろうか


 そんな風に、内心で自嘲した時だ。



「どいつもこいつも、馬鹿者共が!」



 聞きなれた声による罵倒と共に、十兵衛の身体が急速に浮き上がった。




 ***




可視化の転移門(ヴィジブルゲート)】を海底へと向かうトランジットの進行先に設置したハーデスが、転移魔法を発動させる。

 海底へ向かっていたはずなのに、大量の海水と共に海上上空へと急に移動したトランジットは、思わず目を白黒とさせた。

 そんな彼の視線の先で、怒気溢れる白髪赤目の男が射殺さんばかりの強い眼差しでトランジットを睨みつけていた。あまりの気迫に、キメラ化した身ですらぞくりと背筋が震える。

 と、同時に重力に従って落ち始めていたトランジットの手から、十兵衛の姿が消えた。対象を座標とした転移魔法で移動させられたのだ。彼の身体は瞬きの内にハーデスによって抱えられていた。

 急に呼吸が出来る領域に連れてこられた十兵衛は、咳き込むように喘ぐ。


「十兵衛! ハーデス!」


 海上でガラドルフが声を上げた。その声に応じるように転移したハーデスは、朦朧としたまま崩れ落ちる十兵衛をガラドルフに任せる。


「死ななかったとはいえ、相当身体にダメージは負っている。奇跡で治してやってくれ」

「時間魔法じゃなくていいのか」

「脳ごと時間を戻せばあのふざけた考えを糾弾できないだろうが。絶対にやるものか」

「……?」


 ハーデスの言葉の意味は分からないまでも、苦しむ十兵衛を放っておく理由もない。すぐに回復の奇跡をかけてやったガラドルフは、海上に戻ったトランジットと目を瞠るエルミナの前に立つ男の背をじっと見つめた。


「ハーデスって……! ヴァルメロが言ってた死の王の名を騙る不届き者の名前じゃない!」

「不届き者は貴様だろう、エルミナ。何故魂の合成をお前が」

「しかもその恰好! 見たことあると思ったら!」


 ハーデスの言葉を遮るように、エルミナが怒りも露わに怒鳴りつける。



「クロイス・オーウェンと一緒に私の風呂を覗いたクソ野郎が! まさかあんただったとはね!」



「絶対に殺す!」と息巻くエルミナに、ガラドルフは彼女が何を言っているのか理解出来ずに、ただただ目を丸くした。

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