109話 公爵令嬢の譲歩
風魔法を使って速度を出しているにも関わらず、エルミナ率いる幽霊船団との距離は思ったよりも開かない。
目前に迫るエレンツィアの街を確認しながらも、キッドは「これじゃエルミナの接近を伝えた所で市民を逃がせるかどうか……!」と歯噛みした。だが、エレンツィアに向かわないという選択肢もないのだ。
近海の漁船用に設置されている港の桟橋に向かって船を動かしていたキッドは、そこでふとあることに気が付いた。視界に見える道という道に、角材や土嚢によるバリケードが張られていたのだ。
「な、なんだ? なんでバリケードが……!?」
「それよりキッド! あれ!」
「赤狼騎士団じゃないか!?」
「はぁ!?」
射手であるバンビは誰よりも目がいい。そんな彼が、街の中央に掲げられた旗印を目にして声をあげる。
獰猛な狼を形どったその紋様は、何度も郵便大鷲新聞で目にしたことがあった。ウェルリアード大陸とガデリアナ大陸の間で唯一陸続きになっているトルメリア平野。そこで魔族の侵攻を防ぐために奮戦している、王国最強の剣士ギルベルト・アンバー率いる赤狼騎士団の旗印は、知る人ぞ知る英雄の証だった。
なんで最前線で戦う騎士団がこんな所に!? と思うのもつかの間、接岸寸前に走り寄ってきた赤い鎧の騎士達がキッド達に槍を向けた。
敵意むき出しの有様に、キッドは目線だけで仲間達に促し両手を上げる。
「俺達は冒険者チームの【スキャンプ】だ! エルミナ率いるレイスの軍団から逃げてきた!」
「まずは【看破】をお願いしたい! 話はそれからで構わない!」
ニノの言葉に一人の騎士が了承したように頷き、小舟に乗る全員に【看破】をかける。そうして彼らがエルミナの術にかかっていないことを確認すると、仲間達に槍を下ろさせた。
「よく無事だったな」
「運が良かっただけだ……です。あほみたいに冒険者のお守りを投げまくってるクソ神官がいたので、隙をついて逃げました」
「冒険者のお守りを? もしやそいつはグスタフ・モルドーか?」
「た、たぶんそうです! 船員の方が『グスタフ主教』と言っていたのを耳にしました!」
乗り合わせていた若い男が、肯定するように声を上げる。その答えに騎士は思案げに顎に手をやると、「アンバー将軍閣下に報告だ」と他の騎士に指示を飛ばした。
走り去っていく騎士を見送りながら、キッド達は驚きに目を瞠る。
「あ、アンバー将軍って……ギルベルト・アンバー将軍ですか!?」
「なんでエレンツィアに!?」
「ていうか本当に皆さん赤狼騎士団なんですか!?」
「疑問はごもっともだが、まずは後ろにいる一般市民の彼らを避難させよう。【スキャンプ】の君達には協力を要請したい。道中経緯を話すから、そちらが持っている情報を全て教えてくれ」
キッド達に同行を促したのは、ギルベルトの右腕であるレッキス・エルポート副団長だった。
エルミナのエレンツィアへの接近情報はキッド達よりも早く知る手段があったらしく、エレンツィアの住民達は避難を開始しているという話だった。身体の弱い老人や子供はリンドブルム行きの遊覧船に乗せられて順次出航しており、救援を求められないか郵便大鷲による緊急要請も近隣各地の街へと出されている。
その他の市民達は浮き馬車や徒歩でパルメア大運河沿いを歩き、遅々とした速度なれど民の大移動がもう行われ始めているという情報を聞いたキッド達は、思わずあっけに取られた。
一体誰が俺達よりも先に――という言葉を飲み込んで、少しでも早く情報がいったことに内心安堵する。
「我々がここにいるのは捜査のためだ。それに関わる重要参考人がグスタフ・モルドーだったのだが、君達の話から考えるに、もう死亡していると考えてもよさそうだな」
「はい。エルミナに対して明確に敵対していたので……」
「分かった。しかし、まさかあの主教が七閃将と繋がりがあったとは……」
「副団長、こうなってくると主教だけではなくあの武器商人共も」
「可能性は高い。戦闘の最中に口封じで殺されないよう、そちらにも気を配れ」
「御意」
別の方向へ走っていく騎士を見送りながら、バンビは身を震わせる。
「い、一体エレンツィアで何が起こってたんですか……!」
「総じてよくない事だ。なにせ我々が派遣されるぐらいだからな。まぁ現時点でここに居合わせて正解かどうかは――自信が無い所だが」
「天下の赤狼騎士団が弱気になるほどなんですか!?」
剣士のニノにとって、赤狼騎士団は憧れである。そんな騎士団の副団長が苦笑いを零す現状に思わず冷や汗を垂らした。
「我々は神殿騎士ではないからな。これが対魔物であれば無双の働きを約束するが、アンデッドは戦闘不能にできてもレイスは、な……」
「団長が交渉してましたけど、まとまったんすかね」
「さぁ。俺達があそこを出る前のあの感じでは無理そうだったが」
「交渉?」
きょとんと目を瞬かせるキッドに、レッキスは肩を竦めながら話題に出た交渉の話を語った。
***
「納得できないって言ってんだろ!」
「納得ができなかろうが無理なものは無理だ」
エレンツィア防衛戦における総司令部に定められた冒険者ギルドで、二人の男が一触即発の状態で相対していた。ギルベルトとハーデスだ。
チャドリーからもたらされた決死の情報はガラドルフを経由してギルベルトに伝えられ、即座に防衛戦のためのバリケードの設置と一般市民の避難が決定した。
それについて、ギルベルトはハーデスがオデット伯爵邸に開いたルナマリア神殿行きの【転移門】を利用しようと思っていたのだが、提案を受ける前にハーデスが閉じたのである。
それを部下から知らされたギルベルトはハーデスに食って掛かったが、暖簾に腕押しの状態で取り合ってもらえず、ついには一触即発の状態になったのだった。
「あの転移門はスイの覚悟に譲歩したものだ。今回の件とは関係ない」
「関係あろうがなかろうが、アレがあればより多くの民を救えるだろうが! そんな単純な理由が何故分からん!」
「いくら言われても私はお前の指示には従わん」
「てめぇ!」
ハーデスの胸倉を掴み上げたギルベルトを、側にいた十兵衛が止めるように割り入る。
「待てギルベルト、こっちにも事情が――」
「事情事情ってな、聞いてる暇は無いんだぞ! 事は刻一刻を争う。その判断の遅さが多くの命を落とす結果に繋がるんだ!」
「アンバー将軍閣下。この件に関しましては、私もオーウェン公爵令嬢として許可できません」
「なっ……!?」
まさかの発言に、ギルベルトは目を剝いた。驚いたのは十兵衛も同じだ。この中で誰よりも人の為を思うスイが、多くの民を救える道を却下したのだ。
唖然とする二人の前で、スイは真摯な目で語る。
「あの事件の時とは違い、今回はより多くの民の避難となります。それを直接リンドブルムの中心街に位置するルナマリア神殿に送るのは、私が許しません」
「な、何故です!」
「通常、リンドブルムの中心街へ入るには検閲所での検閲が必要です。あの転移門での避難となるとそれが順守できない」
「緊急事態なんですよ!?」
「『オーウェン領の領民を危険にさらす可能性を受け入れることは出来ない』と、申し上げているのが分かりませんか」
その言葉に、十兵衛ははっとした。スイはオーウェン領の領主の娘なのだ。
いくら人の為に生きる神官とはいえ、彼女にも優先するべき命というのは立場上存在する。それを明確に口にした――否、させてしまった事態に、苦虫を嚙み潰したような顔で俯いた。
「……せめて、カガイ神官長へ連絡を、」
「彼も同様に、オーウェン領の領民です」
「――っ! だが! オデット領民もオーウェン領民も同じレヴィアルディア王国の民だ! それが分からない貴女じゃないでしょう!」
王国騎士として戦うギルベルトの、心からの叫びだった。場に居合わせた冒険者やオデット領の騎士、赤狼騎士団も言葉を失い、しん、と静まり返る。
そんな血を吐くような思いの籠った言葉を、スイは背筋を正して真正面から受け止めていた。
「ええ、存じ上げています」
「だったら――!」
「等しく、守るべき人であると。だから、私はここに残ります」
「……は、」
「スイ・オーウェン高位神官として、最善を尽くすことを約束しましょう。宜しいですね、ハーデスさん」
クロイスとの約束を守ると誓ったハーデスの言葉を、スイは覚えている。
それを交渉の引き合いに出されたことに気が付いたハーデスは、唖然と口を開け、がりがりと頭を掻きむしって大きく溜め息を吐いた。
「お前、このっ……難しいことを……!」
「お力添え、期待しております」
「そういう意地悪な所、師匠のカガイにそっくりだぞスイ!」
「一緒にしないでください!」
「イー!」とそれまでの調子を崩して怒るように歯を見せたスイに、十兵衛は目を瞬かせる。
スイが自らを引き合いに出した意味に、気が付かないわけがなかった。スイを守ると、十兵衛もハーデスもクロイスに約束したからだ。
ハーデスがどれ程の事をクロイスから言われたのかは知らないが、彼女の身の安全を頼まれた手前、スイがここに残るというなら自分達も残ることになる。
それが彼女がオーウェン公爵令嬢として出せる最大の手札であることをギルベルトに示して見せたスイに、十兵衛は苦笑した。「上に立つ者らしい」と、容赦なく仲間の命を交渉のテーブルに乗せてみせた彼女の覚悟と豪胆さに、畏敬の念すら抱く。
だから、申し訳なさそうにちらりと横目でこちらを見てきたスイに、気にするなと伝えるべく優しく微笑んでみせた。
ギルベルトはというと、スイの言葉の意図に気が付き顔を青くしていた。
彼女は公爵令嬢であり、要人だ。先のオデット公爵邸事件の折に、十兵衛に「要人こそ先に逃げるべき」と語った己の発言を思い出し、背中に冷たい汗が伝った。
ハーデスの所業に視野狭窄になっていたが、そもそもこのエレンツィア防衛戦にスイが残る必要は無いのだ。立場的に一番真っ先に逃がさなければいけない人物である。そして、その場合彼女を護衛するすべての者が引き上げる結果に繋がることも理解した。
――その中にはもちろん、師匠であるガラドルフも含まれる。
当然のように共に戦ってくれるという思い込みをしていたギルベルトは、己の発言がどれほど危ういものだったかに気が付き、そして譲歩を見せてくれたスイに深く感謝した。
スイに向かって深々と頭を下げ、「オーウェン高位神官と護衛の皆様のご協力を賜り、感謝の言葉もございません」と最上の感謝と謝意を告げる。
それを首肯することで受け取ったスイは、「これより戦場を共にする戦友です。ギルベルトさんも皆さんも、気軽にスイと呼んでくださいね」と笑うのだった。
***
「レッキスです! ただいま帰還しました!」
「ご苦労。それが先に報告があった冒険者か」
エレンツィアの地図を片手に持ちながら、ギルベルトが近づいてくる。
キッドもバンビもニノも、憧れの騎士が目の前にいる僥倖に感激に身を震わせ、……――震わせ、
「あ」
「あ、」
「あっ」
「あーっ! あの時の魔法使い!」
ギルベルトの後ろから現れた十兵衛を目にした瞬間、改めて恐怖に身を震わせるのだった。