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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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108話 名も知らぬ神官へ

「はい、りおーれ……?」


 聞きなれない単語を繰り返し声に出した案内役の男に、グスタフは鼻で笑うように「より人として立派になりなさいということですよ」と告げた。

 だが、そんなグスタフの言に対し、エルミナは胡乱な目を向ける。


「立派って貴方、人に言う割には随分希薄なものじゃない。高位神官にもなれていないようだし」

「っ! こ、これは――!」


 痛い所を突かれたように、グスタフは口ごもる。

 オデット伯爵を唆し、ウロボロスとの仲を取り持って亜人の首輪の商売を始めたのも、全ては神殿へ寄進する事で神殿付きの神官となるための布石だった。神殿付きの神官は往々にして高位神官が多い。最短で高位神官になるべく策略を巡らしていたグスタフだったが、結果的にまだその域に達せていなかった。

 だというのにあのスイ・オーウェンは――と昨日の憎悪が呼び起こされ、唇を噛み締めて悔しげに眉根を寄せる。

 そんなグスタフを呆れたように見ていたエルミナだったが、やがて哀れむように嘆息した。


「存外慕われていないのね。ハイリオーレの輝きが薄いもの」

「なっ……!?」

「上辺だけのものなんてすぐにボロが出るわ。私も見る目が無かったのかしら」

「な、な、何を仰るんです! わ、私はこれでも主教で――!」

「いくらご立派な肩書きがあった所で、中身が伴ってなければ無意味よ」


 そこまで言うと、エルミナが軽く指を鳴らした。途端に、近くまでやってきていた幽霊船から百を超えるレイスが船を取り囲む。


「レムリア海のレイスもいいけれど、やっぱり肉体付のアンデッドも欲しいのよ。アンデッドには強い装備を着せてあげられるもの」

「え、エルミナ様……?」

「喜びなさいグスタフ。望み通り、貴方を私の配下にしてあげるわ」


「ずっと願っていたものね」と少女のような笑みを浮かべたエルミナに、グスタフは顔色を失った。

 高位神官ではないままアンデッドになれば、それは通常のアンデッドと変わらない。肉体はいつか腐り落ち爛れ、骨すら失っていずれレイスへと変わる。そんな未来など、グスタフはこれっぽっちも望んでいなかった。

 エルミナのように今の肉体を保持したまま人間性を保った魔物になり、女神レナでさえ授けられなかった永遠の命を賜る。その計画が覆されたのだ。グスタフは言葉を失い、怖れ、憎み、憤怒した。これまでの全てが無駄だったなどと、微塵も思いたく無かった。

 グスタフは大きく後ろに跳躍してエルミナから距離を取ると、トランクケースを開いて大量の冒険者のお守りを取り出した。


「貴様らこれを受け取れ!」

「グスタフ主教!?」

「こ、これは――冒険者のお守り!?」


 遠洋に出る際必ず賜っていた冒険者のお守りをばらまかれるようにして投げ渡された船員達は、驚愕に目を瞠った。目にする機会は多々あれど、彼らは一度も使った事がなかったのだ。

 なにせ、これは冒険者のみが使用することを許される。遠洋に行く際に渡されるのも、同行する冒険者宛だ。その冒険者達でさえ滅多に使わないことから、よほどの代物なのだという認識は彼らにもあった。

 だが、そんなアイテムがグスタフのトランクケースから次から次へと出てくる。混乱する彼らの前で、グスタフは手本を示すように冒険者のお守りを握りしめ、「神よ! 願いを聞き届けたまえ!」と祈りを込めて船を取り囲むレイスに向かって放り投げた。

 瞬間、眩い閃光が辺りを照らす。発動した奇跡、【(せい)なる波動(はどう)】がレイスを浄化したのだ。

 十体程のレイスを消し去ったその効力に、船員達は希望を見出したかのように目を輝かせる。

 彼らはグスタフに倣うように冒険者のお守りを掲げ、次から次へとレイスに向かって投げ始めた。


「か、神よ!」

「願いを聞き届けたまえ!」


 エルミナの手先だったグスタフからのアイテムとはいえ、この窮状から逃れられるなら使わない手はない。呆気に取られて目を丸くするエルミナの前で、グスタフと船員達は何度も何度も冒険者のお守りを使い、船を囲むレイス達を祓おうと躍起になった。

 ――その時だ。


「ばっか野郎! やめろお前ら!」


 一人の青年が船室に繋がる扉から出て叫んだ。

 甲板にいる面々が視線を向けた先にいたのは、魔法使いらしい魔導服を身に纏った、灰色の短い髪に青い目をした男だった。

 後ろにいた仲間から「キッド!」と呼ばれた青年――風の魔法使いキッド・ロンドは、激怒するように青筋を立てながらグスタフのトランクケースを奪おうとする。


「貴様! 何をする!」

「こっちのセリフだ馬鹿野郎! なんって使い方してんだ!」

「緊急事態だぞ! 目の前の現状が理解できんのか!」

「てめぇよりは理解してるよ冒険者だぞ! だから怒ってるのがまだ分からねぇのか!」


「このアイテムには! 神官の命がかかってんだぞ!」


 冒険者であるキッドは知っている。この冒険者のお守りが悲劇の歴史を経た上で完成した、神官と冒険者の絆のアイテムであることを。神官との信頼でなりたつこの品を、軽々しく使われる事は我慢ならなかったのだ。――何より、それを神官であるグスタフが知らないわけがない。

「だってのにこいつは――!」と怒り狂ったキッドがグスタフの頬を殴り飛ばそうとしたが、それよりも先にグスタフが【拒絶の障壁】を発動した。


「キッド!」


 吹き飛ばされたキッドが、甲板から海へと放り出される。真っ青になった二人の仲間が、「仲間が落ちた! 手を貸してくれ!」と近くにいた一般人に声をかけ、大急ぎで船の後方にある小舟を下ろそうと走って行った。

 それを見やりながら、グスタフは片手にいくつもの冒険者のお守りを握って唾を吐く。


「ヴィオラのようなカス神官一人の命がなんだというんだ。今使わずしていつ使う! これで大勢の人を助けられる。だったら神官として本望だろうが!」

「なるほど。輝きが薄いのも納得ね」


 歪んだ笑みを浮かべていたグスタフの背後に、エルミナが音も無く立った。急に耳元で囁かれたため、ぞっとしたグスタフの動きが完全に止まる。

 周囲にいた船員達も一瞬冒険者のお守りを投げる手を止め、彼の行く末を見守ってしまった。


「え、え、エルミナ……!」

「『様』はどうしたのかしら、グスタフ。配下になると言ったでしょう?」

「や、約束を破るお前に敬称など――!」

「破ったとしたら貴方でしょう。どれほど私を待たせたのかしら。……そもそも貴方、」


「保つべき人間性なんて、もうどこにもないじゃない」


 咄嗟にタリスマンを握り奇跡を使おうとしたグスタフの額を、一瞬の間髪も入れず美しい爪が貫く。

 白目を剥き血と共に泡を吹いて昏倒した頭を、エルミナは藤色のヒールの先で容赦なく踏んだ。


「これが神の従僕ねぇ。女神も堕ちたものだこと。……さて貴方達、寝ていないで起きなさい」


 レイスの包囲網が欠けた所に、エルミナは手を翳す。すると、冒険者のお守りから発せられた奇跡によって消滅したはずのレイスが、たちまち時が巻き戻るように復活した。

 あまりの事態に言葉を失った船員達に、エルミナはうっそりと笑う。


「ヨルムンガンドは人手不足なの。私の下で、よく働いて頂戴ね」




 ***




「い、いいのかあんた! このまま逃げて……!」


 キッドを助けるべく手伝いを申し出た一般人の男が、船べりにしがみつきながら背後を振り向く。

 仲間の手によって小舟に引き上げられたキッドが、船の後方に回って魔法陣を張るや猛スピードで帆船を置いて逃げたのだ。

 それに幸運とはいえ乗り合わせた男が、罪悪感を堪えながら何度も後ろとキッドを見やって困ったように眉尻を下げた。

 ずぶ濡れの髪を手櫛でかき上げたキッドは、「嫌なら一人で降りるんだな!」と冷酷に告げる。


「あの船の護衛は俺達の仕事じゃねぇ。そもそも他の冒険者の姿も見当たらなかった。あの神官が同行するとなって船長が急遽依頼を断ったのかもしんねぇが、だったらその役目はあの主教がやるべきだ」

「だ、だが相手はエルミナで――!」

「そうだエルミナだ! だから俺達は大急ぎでエレンツィアへ戻ってそれを伝えなきゃなんねぇ!」

「っ!」

「領分ってもんを弁えてんだよ、冒険者はなぁ!」

「キッド! 後ろからレイスが来てる!」


 男との会話を遮るように、仲間の射手が声を上げる。はっと息を呑んで振り向いたキッドの視線の先には、レイスが三十体ほど追いすがるように迫ってきていた。

 それを目にしたキッドは、大きく舌打ちをする。


「クソッ! こちとら冒険者のお守りなんて持ってねぇってのによ――!」

「そ、それならここに!」


 その声に、乗り合わせていた若い男が懐に手を忍ばせて冒険者のお守りを取り出した。


「な、なんでお前が!」

「さっきあの主教がばらまいてたのを拾ったんだ! つ、使えるかもしれないと思って」

「馬鹿野郎! このアイテムは――!」

「分かってる! あんたが怒ってるのも聞いた! だからこれをあんたに託す!」


 はっと目を見開いたキッドに、若い男は全てを承知しているように頷く。


「冒険者のあんたに、託すから……!」

「……分かったよ! バンビ! 撃てるか!」

「元よりそのつもりだ!」


 男から手渡された冒険者のお守りを、キッドは大切に受け取った。

 そんな最中で、キッドに名を呼ばれた仲間の射手――バンビ・リートが、弓を構えて矢をつがえる。

 矢じりの先にあるのは魔石片だ。そこに、キッドが船を走らせる片手間に魔法をかける。


「ニノは!」

「ロンソは勘弁な! ダガーならあるぜ!」

「オッケー! だがロンソにもかける!」

「ひでぇ!」


 ニノと呼ばれた剣士――ニノ・ブルースが、悪態を吐きつつも結局ダガー二本とロングソードをキッドに差し出した。魔石片を窪みにはめ込み、そこにキッドが風魔法を仕込んでいる所で、先んじて準備を終えていたバンビが後方に迫るレイスに向かって第一矢を放つ。


「【暴風の矢(ストーム・アロー)】!」


 キッドの風魔法をまとった矢が、凄まじいスピードでレイスの群れを貫いた。

 レイスは魂を含むエーテルの集合体だ。奇跡と違って浄化のような完全消滅は出来ないものの、大きな魔力の衝突で存在を一時霧散させることはできる。

 バンビの思惑通り何体かが霧散した所に、ダガーのエンチャントが終わったニノが渾身の力で振り抜いた。


「風の! やいばぁ!」

「それやめろって言ってんだろ毎回!」


 キッドのツッコミを受けつつ飛ばされた二本のダガーは、狙い通りにさらに二体のレイスを霧散させる。

 だがそれでもまだ二十体近くのレイスが残っていた。その全てを討つべくバンビが矢を飛ばし、ギリギリ届く距離に来るまでニノがロングソードを構える。

 そんな彼らのやり方を、冒険者のお守りを渡した男は焦った声色で苦言を呈した。


「そ、そんなことしなくてもいいだろ! 魔法じゃレイスを消せないんだぞ! どうして冒険者のお守りを使わな……」

「使う! だが今じゃない!」


 目を丸くする男に、キッドは背後を注視しながら冷静に告げる。


「俺達がこれを使うのは己が考えうる全てを尽くしてからだ」

「な、なんで……!」

「あいにく女神様は厳しくてよぉ。人事を尽くして天命を待つぐらいしてみせにゃあ、お許しにならないんだと!」


 キッドを助けるべくたまたま乗り合わせた一般人の客五名は、その言葉に身を震わせる。そんなギリギリまでこのアイテムを使う事が許されていないなど、思ってもみなかったからだ。

 そして、そうしないとこのアイテムを作った神官の命に関わるという厳しさに、ごくりと生唾を飲み込む。


「じゃ、じゃあさっきの使い方は……」

「最悪も最悪だ。どこの神官が作ったもんか知らねぇが、神罰が下ってもおかしくねぇ」

「――!」

「そうこうする内にやっこさん方やってきたな! あと何体だ!」

「十五! さっきの効果を察するに十までは減らしたい!」


 バンビの声に被せるように、「十二だ!」と風魔法を纏ったロングソードでレイスを仕留めたニノが情報を更新する。


「あと二体は俺がやる! バンビ、祈りは任せた!」

「了解!」


 キッドから冒険者のお守りを手渡されたバンビは、空になった矢筒の隣に弓をしまい、冒険者のお守りを手で握り込んだ。

 船の真後ろまで迫ったレイスに、一瞬魔法陣から手を離したキッドが両手を向ける。


「【暴虐の風(エアロ・ブラスト)】」


 瞬間、キッドの掌の先から三日月のような緑色の風が現出した。それはまるで空中を切り裂くように真っ直ぐレイスに向かって走り抜け、その身を切り裂き当たった途端につむじ風へと変わる。二体どころか五体は仕留めた所で、追いついた残りの七体が船尾へと迫った。

 だが、レイスの行動をバンビは許さない。握りしめた冒険者のお守りに強く祈りを込め、投げる事無く胸に抱いた。


「神よ! 為すべきを為し、果たすべきを果たした我らに、どうかその慈悲を!」


 その願いに応えるべく、冒険者のお守りが光を放った。強烈な真白い閃光とともに、秘められていた【聖なる波動】が発動する。それを受けたレイスの全てが身を焼かれ、浄化されるように跡形も無く消え去った。

 間一髪の有り様に、船に乗っていた全員から安堵の溜息が零れる。だが、キッドは油断をせずに再び魔法陣に手をあてて凄まじい速さで船を走らせる。

 レイスを振り切った所で、親玉であるエルミナは残っているのだ。生き残るための礎となってくれた名も知らぬ神官に感謝を捧げながら、キッドは真剣な目でエレンツィア方面を見つめるのだった。

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