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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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102話 二人のしるべ

「本当にいいのか、スピー」


 チャドリーの黄泉送りに着いてくると言ってきかなかったスピーを振り返り、十兵衛は確認の意味も込めて問いかけた。

 いやみな程に晴れ渡った空の下で、スピーは深くフードを被ったまま肯定するように頷く。


「チャドリーさんにありがとうって伝えられる、最後のチャンスなんです。……僕はもう、選択を間違えたくないから」

「……分かった」

「――今日は良い天気だ。きっと魂も迷いなく逝けるだろう」


 タリスマンを握りながら優しく告げたガラドルフに、十兵衛は「そうだな」と目を細めた。


 アンデッドやレイスは、輪廻転生の流れから外れた存在だ。肉体が死に、魂が現世に留まり続ける事で発生する彼らは、魔物として生まれた者達と違って死んでも魔石が生まれない。そもそも死という概念から離れた彼らはもう死ねないのだ。だからこそ、アンデッドやレイスへの対応は神官や神殿騎士達に一任されている。

 ――奇跡の力で浄化し、黄泉に送ること。それだけが彼らが星に還る事が出来る唯一の道だった。

 括りは魔物と同じであっても、迎えたはずの死をもう一度与えることへの慈悲がそこにはあった。


 他の家々と同じ白塗りの壁に、青い屋根。そんな中でも扉だけは各家の特徴が出ているのか、家並びを見るとその違いが目に付いた。

 深い色合いの木の扉や、丸い小窓のついた明るい茶色の扉。チャドリー夫妻の家だと事前に聞いていた家の扉は、橙色のグラデーションがついたすりガラスの小窓が、逆三角形の形でついていた。

 その先に下がった「アルモ」の表札には、可愛らしい絵柄のパイプを吹かせた釣り人が描かれている。

 この扉の前で幾度も交わされただろう帰宅時のやりとりを思い浮かべながら、十兵衛は控えめに扉を叩いた。


「朝早くにすまない、昨日依頼を請け負った八剣十兵衛だ。リッシュ殿はご在宅だろうか」


 扉の向こうに人の気配を感じる。慌てたように響いた物音はやがて静かになり、一人分の足音が近づいて来た。

 一歩下がった十兵衛に、扉を開いて現れたリッシュがにっこりと微笑んだ。


「やぁ十兵衛さん! 昨日ぶりだね。何かうちにご用かい?」

「……受けた依頼の件でこちらに伺ったんだ。……その、」


 なんと言えばいいものか、と言い淀んだ十兵衛を、リッシュは不思議そうに見つめる。だが、その後ろに立つ者の存在に気づき、目に留めるやあんぐりと口を開いた。


「が、ガラドルフ様――!」


 昨日と違い、戦闘の可能性も加味して今日のガラドルフはフル装備の姿だった。それは、一般市民が郵便大鷲新聞(ポスグルプレス)の写真でよく見る姿でもあった。

 だからこそ彼が聖騎士のガラドルフ・クレムだとすぐに理解したリッシュは、扉を閉めようと握っていたドアノブを大急ぎで引く。

 ――のを、ガラドルフの大きな手が扉ごと止めた。

 掴まれた扉はびくともせず、渾身の力でドアノブを引こうとしたリッシュは勢いあまって尻もちをついてしまった。


「リッシュ殿!」


 咄嗟に助け起こそうと室内に入った十兵衛は、リッシュ以外の気配を感じて反射的に目を向ける。

 視線の先にいたのは、首元にスカーフを巻かれてぼんやりと椅子に座るチャドリーだった。

 息を呑んで固まった十兵衛をリッシュは強い視線で睨みつけると、二人の間に阻むように立つ。


「依頼をしたばっかだってのに、悪いね十兵衛さん。あの後すぐにうちの人が戻ってきたんだ。でも依頼費用はちゃんと冒険者ギルドを通して払っておくから、今日はこれでお引き取り願えるかい」

「…………」


 言葉尻が、震えていた。リッシュは一切の注意を自分に向けさせるように、十兵衛から視線を逸らさない。

 外界とチャドリーを隔てる最後の壁としてその身で遮ってみせた彼女を前にして、十兵衛達は理解した。

 ――リッシュが全てを分かった上で、チャドリーと居る事を。


「リッシュ・アルモ」


 扉に手をかけたまま、ガラドルフが穏やかに声をかける。


「我が輩が来た事で不安がらせたな、――すまん。だが、お前が思うような無体は働かぬ」

「……ガラドルフ様……」

「賢明な奥方を持って、チャドリーも幸せだったろう。どうか我が輩達に、大切な御主人を黄泉へ送る手伝いをさせてくれんか」


 その言葉に、リッシュはカッと顔を赤くした。血の気が上ったのか、目を見開き唇を震わせながら両腕を大きく広げる。

 チャドリーを守るように立ちはだかったリッシュに、ガラドルフは痛々しいものを見る様な目を向けた。


「……リッシュ、」

「い、いくらガラドルフ様でも、その申し出は受け入れられません」

「リッシュ。分かっているのであろう? チャドリーは、もう――」

「分かってますよ!」


 リッシュの目から涙が零れた。耐え難い痛みを堪えて吐き出すような叫びと共に、その身を大きく震わせる。


「分かってますよ、私だって! でも! でもまだこの人にちゃんと言われてないんだ!」

「リッシュ……」

「ただいまって! 言われてないんだよ!!」


 アンデッドに無茶な事を、などと言う言葉は、この場にいる誰の口からも零れなかった。奇跡の再会を遂げた夫婦の間に結ばれた約束を、軽んじる者もいなかった。

 リッシュの心からの叫びを受け止め、ガラドルフは沈黙する。

 聖騎士として、魔物を討つ定めのガラドルフにとってチャドリーは見過ごせない存在だ。死の概念からかけ離れた彼を黄泉に送る事も、彼の為すべき使命であった。けれど、リッシュの願いがその行いの全てを止める。彼女の願いを出来る限りの形で叶えてやりたいと、どうしてもそう考えてしまうのだ。


「……この人の首に、絞首痕を見ました。きっと、チャドリーは何か罪を負ったのでしょう?」

「…………」

「だから誰も教えてくれなかった。漁師仲間の冷たい対応だって、今なら分かる。でももうこの人は罪を()()()後です。だったら自由じゃないんですか。この人が帰るべき家にいる事の何が悪いというんですか――!」

「チャドリーさんは!」


 それまで口を噤んでいたスピーが声を上げた。被っていたフードを取り払い、長く飛び出た耳を表に出して目を見開いたリッシュの前に出る。


「僕らを助けてくれたんです! だから罪を負った!」

「あ、亜人――!?」

「スピー!」


 止めるように肩を抑えた十兵衛を振り切って、スピーは言葉を重ねる。


「一人でだってあの人は逃げられたけれど、そうしたら貴女が危ない。だからこのエレンツィアまで戻ってきたんです! こうなる未来を分かっていて!」

「――っ!」

「もし今理性を失って貴女を傷つけてしまったら、チャドリーさんはもっと自分を嫌いになる。だから、だからどうかチャドリーさんに貴女を傷つけさせないで! アンデッドはもう人じゃない、魔物なんです! 僕達はチャドリーさんが大切に思う貴女を守りたくてここに来たんだ!」


 大粒の涙を流しながら、スピーはそっとリッシュの袖を引く。

 震える指が、爪が、彼女の肌を傷つけないように細心の注意を払って。


「……怒りも憎しみも、向けるならどうか僕に。ガラドルフ様も十兵衛様も、チャドリーさんの思いを守りたいだけなんです」


 そう言って、スピーは顔を伏せた。涙が止まらずにぼたぼたと落ちるのを目にしながら、リッシュの痛罵(つうば)を待つように。

 スピーの激白を受けて呆然としていたリッシュだったが、その事実を受け入れがたいのか何度も首を横に振りながら「どうして、亜人なんかを……」とぽつりと呟く。

 それを受けてスピーは自嘲するように口を歪め、同意を込めて頷いた。


「本当に、僕もそう思――」

「生まれてはいけない命があるのか」


 卑下する言葉を遮ったのは、ガラドルフだった。

 険しい顔でスピーとリッシュを見据えながら、静かに告げる。


「子は親を選べん。出自の貴賤(きせん)(おの)が価値を定められたら、子はどうやって生きればいい」

「……ガラドルフ……」

「なぁリッシュ。チャドリーはただ命を大事に思ったのだ。それだけなのだ。我が輩は漁師仲間に囲まれながらも、その選択肢を選べたチャドリーを心から尊敬しておる」

「…………」

()()()()()()()()()のは、とても勇気がいる事だからのう」


 自身の経験も混じったのか、傷を負った過去を滲ませながら苦笑してみせたガラドルフの言葉を、リッシュは唇を引き結んで受け止める。そうして顔を伏せた視線の先で、震える狐耳の少年をおもむろに見つめた。

 黙し、優しく袖を握る手に、おそるおそる自分の手を重ねてみる。



 ――チャドリーが守った命は、温かかった。



 はっと顔を上げたスピーと目が合い、涙を湛えた大きな瞳に自身を映す。

 そこにいたのは同じように目尻に涙を滲ませる自分で。

 どうしようない程同じ思いを抱いていた事に気が付いたリッシュは、胸の内から沸き上がった感情に素直に従い、顔をくしゃくしゃにして笑った。


「……あんた、そんなにチャドリーの事が好きだったのかい」

「……っ! はい! とっても、とっても大好きでした……!」

「フフ、奇遇だね。でも私は、もっともっとあの人の事を愛していたよ」


 そう言って、リッシュは膝をついてスピーをぎゅっと抱きしめる。全身で感じた小さな命は震えていて、温かくて、切ない程に愛おしかった。

 チャドリーが守った命だ。それを大事に思う自分の心の変化に、少しの違和感も感じなかった。

 リッシュの唐突な行動に、スピーは目を白黒させる。けれど、やがてそれが彼女が受け入れてくれた証だと気づくや、再びぼろぼろと涙を流してぎゅっとしがみついた。

 チャドリーの事が大好きだという共通点を見つけた二人に、もはや種族の壁は存在しなかった。



 二人の様子を見守りながら、十兵衛は目を細める。

 どうすればリッシュを傷つけないように出来るかと考えていた全てを覆したスピーに驚きはしたものの、この結果に繋がった奇跡を感じ入るように微笑んだ。

 人同士でも違いはある。けれど、たった一つでも共通点が見つかれば、歩み寄る()()()が出来る。自身がハーデスに歩み寄りを見せた日を思い返しながら、チャドリーを大切に思う二人の意に出来る限り沿うようにしたいと強く願った。


 ――その時だ。


 晴れ渡っていたはずの空から、遠雷の音が聞こえた。

 まだ外に半身が出ていたガラドルフが、おもむろに空を見上げる。――が、その空模様を目にするや驚愕に目を見開いた。


「馬鹿な――!」


 焦りの滲んだ声を上げたガラドルフに、十兵衛が「どうした」と声をかけながら外に出る。

 だが、釣られるようにして見上げた空の有様に、同じように驚き、目を瞠った。


「なんだ、この空は……!」


 黄金に光り輝く雲が、凄まじい速度でエレンツィアに立ち込め始めていた。遠雷の音を広く響き渡らせ、真白い稲光が何本も空に走る。

 ここまで急速に変わる天候など、十兵衛は見た事がない。こんな色の空だってそうだ。だから、ガラドルフが「神罰が下るというのか!」と口にした言葉の意図する所に思わず眉をしかめた。


「ど、どういうことだガラドルフ! スイ殿はそれを防ぐためにヴィオラ神官の資格を剥奪に行ったのだろう!?」

「我が輩とてその認識だ! だがこれは間違いなく(さば)きの(いかづち)の予兆だ! だとすれば、資格が剥奪できなかった事に他ならん!」

「――っ!」


 ガラドルフの言葉が指し示す所はつまり、ヴィオラ神官が祈りを込めた冒険者のお守りが神の意に反し、資格の剥奪が間に合わず、かつ神罰が下る者が外に出た事と同義だった。

 その事実に気が付いた十兵衛は、そこでふとスイの言葉を思い出す。




 ――私は神官です。人のために生きる者です。だから、もし死に行く人がいたとしても私だけは最後まで諦めない


 ――最期のその瞬間まで、私の言葉が、行為が、誰かの運命を変える助けになれると信じて諦めません


 ――私のおかげなんて思って貰わなくていい。これは高位神官としての義務であり、エゴであり、信念です!





 ――もし。もしヴィオラが、承知の上で外に出たというのなら。もし、自ら死を選んで神罰を受けるというのなら。

 

 ――きっとスイは、止めるだろう。――その信念を貫いて。



 ぞわりと背筋に悪寒が走り、十兵衛は「スイ殿が、危ない――!」と焦りの滲んだ声を上げた。

 その言葉を聞いて、ガラドルフも十兵衛が至った考えに気づく。


「確かに、ヴィオラが自ら死を望んでもあのお嬢は諦めん! だが裁きの雷は人を必ず死に至らしめる特大の落雷だぞ! 早めに避難させんと――」

「俺が何とかする!」


 そう言うやいなや、十兵衛は心内で名も知らぬ老婆に謝罪を告げて、全身に次元優位を取り戻す。

 そうして家の中にいたスピーとリッシュ、チャドリーを振り返り、決意を秘めた眼差しを向けた。


「すまない。チャドリー殿の黄泉送りには必ず戻る」

「十兵衛さん……」


 リッシュはぐっと唇を噛み締めると、十兵衛の示すその未来を受け入れるように頷いた。


「分かった。あんたにも守らなければならない命があるんだろう。――行っておいで!」

「――恩に着る!」


 その言葉を背に、十兵衛は走り出した。

 リッシュも、スピーも、ガラドルフでさえ驚愕に目を見開くようなスピードで。

 次元優位を取り戻したその身は、()()()()()()()が違う。


 現時点において破格の存在になった侍は、守るべき命のためにエデン教会へとひた走るのだった。

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