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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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101話 神官と高位神官

「た・だ・い・ま」

「ただ、いま」

「そう! それを私がおかえりって言った後に言うんだ。――おかえり、チャドリー」

「おかえ、り」

「……チャドリー……」


 椅子に座ったままぼんやりと言葉を繰り返したチャドリーに、リッシュは深く嘆息した。

 

 ――昨日の夕方の事だ。冒険者ギルドで八剣十兵衛に依頼を頼んだ帰り道で、リッシュはずぶ濡れ姿のチャドリーを見つけた。

 髪も髭も伸びっぱなしで、送り出した時よりも随分やせ細った姿だった。だが、リッシュとチャドリーは夫婦になってかれこれ十年以上の付き合いだ。見紛うはずがないと駆け寄ったリッシュは、それが本当に夫のチャドリーだったことに驚き、涙を流して再会を喜んだ。

 漁師仲間達は「行方不明だ」「きっと死んでる」と言ってきかなかったが、一縷の望みにかけていたリッシュにとってそれは奇跡そのものだった。港の方から点々と続く濡れた足跡を見つけた時は、チャドリーは船から落ちたものの泳いで帰ってきたのだろうとすんなり納得した。泳ぎが得意な旦那の事だ、遠路はるばる自力で海を渡ってきたのだ、と。

 ――例えそれが、船の帰還から遡って()()()()()()()()()()()()()ものであっても。


 目を細めて、チャドリーの首にそっと優しく触れる。

 そこには、絞首痕が痛々しい色合いでずっと残っていた。

 ――何があったのかは分からない。ただ、これがチャドリーが()()()()()()()である事だけはうすうす感じ始めていた。

 言葉を繰り返すことしか出来ないチャドリーをそれでも愛おしそうに見つめながら、リッシュは儚げに笑う。


「ねぇ、あんた。そんな姿になっても、約束を守りに帰ってきてくれたんだねぇ」


「でもまだ、ただいまの挨拶はちゃんと出来ないね」とだけ言って、リッシュはチャドリーの前に座り込んだまま静かに目を伏せるのだった。

 そこに、控えめに扉を叩く音が響いた。リッシュははっと玄関に目線を向け、息を呑んだ。

 昨日家に帰って来てからずっと締め切っていたカーテンのせいで、部屋の中はほの暗い。そんな中でも、小さなすりガラスの小窓が着いている玄関の扉から、唯一僅かな光が漏れていた。そこにちらちらと映る影が、来訪者の存在を告げる。


「朝早くにすまない、昨日依頼を請け負った八剣十兵衛だ。リッシュ殿はご在宅だろうか」


 優しげな声が、扉の向こうから聞こえる。リッシュは急いでチャドリーの首にスカーフを巻き付けると、決意を秘めて立ち上がった。


「大丈夫だよチャドリー。頑張って帰って来てくれたんだもの。あんたはずっと、ここに居ていいんだからね」




 ***




 ヴィオラは、どこか落ち着かない様子で教会の窓から外を眺めていた。

 昨晩、王国でも名高い赤狼騎士団の騎士達がエデン教会にやってきた。「何故赤狼騎士団がエレンツィアに!?」と神官仲間達と一緒におしゃべりに花を咲かせたが、彼らはヴィオラだけを教会に残し他の面々をどこかへ連れて行ってしまった。

 神官だけでなくグスタフ主教も教会に帰って来ないのを不安に思っていたヴィオラは、騎士達に一体何が起こっているのかと相談したが、彼らは伝令だけをどこかに飛ばすと一切の外出を禁じてきた。


「貴方の身に関わる事です。少なくとも明日の夜まで、ここで待機して頂きます」


 そう言ってエデン教会にヴィオラを閉じ込めた騎士達は、一歩も外に出さないと言わんばかりに出入り口の全てを封鎖し、監視に立った。グスタフ主教の不在と赤狼騎士団の占拠に不安ばかりが募り、昨晩は教会の仮眠室で休んだものの大した休息は得られなかった。

 グスタフ主教が外出したのは、昼過ぎにオーウェン高位神官が来てからだ。高位神官が来た時はいつも一緒に業務に着いていきサポートや学びを得るのに、オーウェン高位神官が療養所へ向かう時はただ見送っていた。そこになんとはなしに疑問を感じていたヴィオラだったが、その認識は正しかったようだ。


「あの、グスタフ主教や他の神官は……」

「ご心配なく。そのまま待機して頂ければと」


 心配で不安だから聞いているのだけれど、とは思ったものの、ヴィオラはそれ以上を聞けなかった。きっと聞いても答えて貰えない、そんな風にも感じるそっけなさだった。

 そんなヴィオラの元に、日も上がりきらない早朝、来訪者があった。マリベル・ディーオデットと、騎士のフェルマンという男だった。二人はとても顔色が悪く、出迎えたヴィオラが「奇跡をおかけしましょうか」と申し出たが首を横に振って断った。

 それよりも、とヴィオラの手を握ったマリベルが、希う表情で瞳を揺らす。


「おそらく、後程とある方より貴方にお話があるはずです。戸惑われるでしょうが、どうか受け入れて欲しい」

「お、オデット伯爵令嬢……?」

「これより先、貴方が不安に思う事全てを私が支えます。だから、だから貴方はどうか貴方の事を一番に考えて……!」


 いつも配下の者達にきつい言葉を投げかけていた苛烈なマリベルとは思えない様相に、ヴィオラは目を白黒させた。彼女をそこまで変えるに至った何かが、きっとあるのだ。

 そしてそれに自分も巻き込まれているのだろうと思いつつ、ヴィオラはちょっとだけ思案するように目を伏せると、ヴィオラを元気づけるように笑ってみせた。


「それでは、不躾ながら不安を一つ、オデット伯爵令嬢に解消して頂きたいんです」

「な、なんなりと!」

「教会に咲くビオラの花達に、水やりをお願いできませんか? 外出を禁じられてしまいまして、日課の水やりが出来なくて困っていたのです」


「水を与えないと彼らは死んでしまいますから」とそう言ったヴィオラに、マリベルは目を丸くする。だが、途端に目尻いっぱいの涙を湛えるとぼろぼろと零し、あっという間に泣き崩れてしまった。

 慌てたヴィオラに取り縋るように、マリベルは泣きじゃくりながら震える声で言葉を紡ぐ。

「貴方の日常を奪う私を、許して下さい」と懺悔するマリベルに、ヴィオラは訳も分からずただただ慰めてやるのだった。




 朝日が昇り、昨日と同様に晴れ渡った空の下、エデン教会の扉を叩く訪問者があった。取り次いだ騎士から、「オーウェン高位神官がいらっしゃいました」と教えられ、手持ち無沙汰に掃除をしていたヴィオラは大急ぎで出迎えた。

 昨日ぶりにあったスイは、ハーデスの他に角の生えた少女を連れてきていた。亜人が教会に入って大丈夫なのかとぎょっとしたヴィオラに、その反応から察するものがあったのか少女の方から「ドラクレイドの竜姫、リンだ。かような格好をしておるが亜人ではないぞ」と告げられた。

 そういえばリンドブルム方面からそんな噂話がきていたなと思い出し目を輝かせたヴィオラは、「ようこそエレンツィアへ!」と嬉しそうに微笑む。


「昨日いらっしゃった……ええと、十兵衛さんは、今日はこちらには?」

「……彼には、別の用件を担当して頂いておりまして、今回はこの二人で」

「承知しました! グスタフ主教も他の神官もその、今不在で。僕じゃオーウェン高位神官のお仕事の助けになれるか分からないんですけど……あ! その前にお茶を!」

「いいえ、大丈夫です。ひとまず応接室にだけご案内頂けますでしょうか」

「は、はい!」


「ではこちらへ!」と明るい声色で先導するヴィオラの後ろで、スイは爪の痕が残るほどに強く拳を握りしめるのだった。




 ◆◆



 

 ――茫然自失だった。

 息を呑んで固まってしまったヴィオラを前に、スイは淡々と宣告する。


「――以上が、グスタフ主教の罪です。勿論、ひたに冒険者のためにお守りを作り続けた貴方に罪は一切ありません。ただ、グスタフ主教の手にある冒険者のお守りや亜人につけられた首輪による奇跡の発動が、貴方の命を脅かすかもしれない」

「……だから僕の、神官の資格を剥奪すると……」

「はい」


 震える手で胸元にある血晶石のタリスマンに手をやるヴィオラを、真摯な目で見つめる。

 齢十九の彼のこれまでを、スイは知らない。けれども「冒険者ギルドで先生と呼ばれていた」と述べた十兵衛の話から察するに、彼はとても良い神官だったのだろうと察する事は出来た。

「神官様」と一括りにされるのではなく、親しげに名前と共に先生と呼ばれる程だ。グスタフ主教の元ではなく、カガイ神官長の元で彼が修行を積んだなら間違いなく高位神官になれた器だろうと思いつつ、その上で彼の未来を閉ざす選択肢を突き付ける自分の使命が、どうしようもなく辛かった。


「で、でも、もしかしたら大丈夫かもしれないじゃないですか! い、今までだってこうして無事で……!」

「グスタフ主教は昨日貴方が納品した冒険者のお守りも持って逃亡しました。貴方に神罰が下る事を知った上で。――もはや彼は、人に徒成す人なのですよ」

「――っ!」

「そして私は……いいえ、神官は、()()()()()()()()です。だからこそ、貴方の命を最優先にしたい」


「それが例え、貴方のこれまでの全てを奪うものだとしても」


 そう言って、スイは手を差し伸べた。それの示す先は、ヴィオラの持つタリスマンだ。

 神官の奇跡は血晶石のタリスマンがある事で発動する。つまり、タリスマンを奪われると奇跡が使えなくなるのだ。そして剥奪というのはタリスマンを奪う事だけに他ならず、資格の剥奪も意味する。

 以降、一生神官には戻れない。それの意味する所を、神官であるヴィオラは痛い程理解していた。


「……僕のタリスマンを、破壊するのですね」

「えぇ」


 神と己を繋ぐ、()()()()()()()。それを一方的に断つために、神官資格の剥奪は血晶石のタリスマンの破壊と同義だった。

 当事者よりも高位の神官が神に伺いを立て、繋がりを断つ。そうして資格を剥奪された神官は、例えその後新たなタリスマンを得たとて一生神とは繋がらないのだ。

 肌身離さず持ってきた神との繋がりを断たれる事に、ヴィオラは強い拒否感を感じた。ヴィオラは何も悪い事をしていないのだ。何故、どうしてという戸惑いと怒りがふつふつと沸き上がり、その行く先は目の前で平然と資格の剥奪を言ってのけたスイへ向いた。


「よく、よくもそんな簡単に言えますね!」

「……貴方のためを思って言っているのです」

「本当に僕のためを思うなら捕まえてくださいよ、グスタフ主教を!」

「捕まえても、もう貴方の祈りを込めた冒険者のお守りが私達の知らない所に渡ってしまっているかもしれないでしょう。貴方は一生この教会から出ないというのですか」

「それでも、それでもいい! だって僕は神官です! 教会にずっといるなんて当たり前で」

「ヴィオラ・ヴィオーレ神官!」


 叱りつけるようにスイが大声を上げる。ヴィオラが見つめた先のスイは、泣き出すのを堪える表情で唇をわななかせていた。


「神罰の可能性を孕んだ神官が、まともな奇跡を発現出来ると思うのですか!」

「――!」

「奇跡がうまく発現できなければ、貴方を頼ってやってきた患者を死なせてしまうかもしれないのですよ! 神官は人のために在る! その教えを(たが)うことは、それこそ神への裏切りに繋がります!」

「でも僕がずっと人のために在った事を、レナ様は見ておられる!」


 スイの言葉を遮るように、ヴィオラは立ち上がって叫んだ。


「だって僕はずっと冒険者の方々の無事を祈って! エレンツィアの民の平和を祈って! そうして日々を生きてきた! オーウェン高位神官が見てない僕をレナ様はずっと見守っておられた!」

「ヴィオラ神官――!」

「貴女みたいな、リンドブルムという大都市の神殿育ちでぬくぬくと育ってきた人と! 僕は違うんだ!」


 ――その瞬間、スイの顔から表情が抜け落ちた。


 側で見守っていたハーデスもリンも、相対していたヴィオラでさえ息を呑む程の変化だった。

 スイは俯きその身を震わせると、怒りを孕んだ瞳でヴィオラを睨みつける。


「……貴方は知っているのですか。目の前であっけなく命が落ちていく現実を」

「……なに、を……」

「出来るというのですか。生かせる命の選択を。助けてくれと叫ぶ声を無視する事を! 何百人もの患者を前にしてその全てを救えない非力さを! 貴方は味わった事があるというのですか!」


「高位神官を! なめんじゃないですよ!」


 ――絶叫だった。

 スイ・オーウェンという少女が経てきた神官の歴史を、叩きつけるような激白だった。

 その迫力に全員が絶句した時、余りに騒がしかったせいか応接室に騎士が「失礼、」と告げて入室する。ハーデスとリンが側にいるとはいえ、ギルベルトから「暴力沙汰になりかけた時は止めろ」と命令を受けていたのだ。


「オーウェン高位神官、ヴィオラ神官、お二人とも大丈夫ですか」

「――っ!」

「ヴィオラ神官!」


 その時だった。一瞬の隙をついてヴィオラが逃げ出す。まさかそう来るとは思いもしなかった騎士が、慌てて声を上げる。


「ヴィオラ神官が逃げた! 扉を固めろ!」


 その声を受けて騎士達が扉に集まった――のを尻目に、ヴィオラは教会の壁にあるステンドグラスに飛び込んだ。窓からの脱出を図ったのだ。


「あいつ――!」


 舌打ちをしたリンが後を追う。遅れてスイも走り出しながら、「ハーデスさん!」と後ろにいたハーデスの名を呼んだ。

 ハーデスには転移魔法がある。それがあればすぐに連れ戻せると踏んだスイは、しかし、彼の表情を見てこめかみに一筋の汗を流した。


「……ハーデス、さん……」

「――あれの寿命は、定まった。もう、私は手を出せない」

「そんな……!」


 愕然とするスイと同様に、外に出ていたリンも驚愕に目を見開く。


「なんだこれは……!」


 先ほどまで晴天だった空が、凄まじい速度でその空模様を変えていた。

 黄金に光り輝く雲がみるみるうちにエレンツィアに立ち込め、遠雷の音を広く響き渡らせる。

 マリベルが水を撒いてくれたおかげで水滴を湛え輝いていたビオラの花畑の中央で、ヴィオラ・ヴィオーレ神官は両手を広げて空を仰いだ。



「神よ! おお、神よ! 僕の行いを貴女はずっと見ておいででしょう! どうか我が身の潔白を示したまえ!」

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