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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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100話 変えられないもの

 アレン達とは離れたところにある席で、チャドリー夫妻が食事を取っている。食事を前にしてチャドリーはスプーンもフォークも取らずぼうっとしており、妻が甲斐甲斐しく口に運んでやるのをぼんやりと咀嚼していた。

 それを目にしながら、スピーが「あれが、リッシュさん……」と口にする。


「奥さんの名前?」

「……うん。船に乗ってた亜人の一人が、僕達を助けてくれたチャドリーさんの奥さんに似てたんだ。その話の折に、『リッシュって名前なんだ』って教えてもらった」

「そっか。でも、本当はチャドリーって人はもう……」

「…………」


 目を伏せて俯いたスピーの背を、アレンが気遣うようにさする。

 同様にガラドルフも労わるような眼差しで見つめ、悩ましげに嘆息した。


「しかし……疑問が残るな。アンデッドであれば、我が輩のエーテルを察する事が出来るはずだ。この距離で逃げ出さないのは明らかにおかしい」

「ガルのおっちゃん聖騎士だもんね。天敵じゃん」

「うむ。なにより、このケースで逃げ出さないアンデッドとなると少々厄介だ」

「なんで?」


 きょとんと眼を丸くする少年二人に、ガラドルフは片眉を上げて軽い口調でこう告げる。


「チャドリーが我が輩よりも強い魔物かもしれない、ということだな」

「……え……」


 ぼんやりしているチャドリーと筋骨隆々のガラドルフを何度も見比べて、アレンはあんぐりと口を開けた。あまりにも信じられない話だったからだ。

 魔物は人が身に纏うエーテルが見える。魔法使いや神官達の前に魔物がなかなか姿を現さないのは、彼我の実力差を察する事が出来るからだ。その前提の上で姿を現したということはすなわち、魔物が魔法使い達の実力よりも上回っているという証左でもあった。

 嘘だと否定したくても、百戦錬磨のガラドルフがそう言うのなら事実に他ならない。こんなすぐ側にガラドルフを越える魔物がいるという現状は受け入れがたく、しかし万一の場合を想像してぞっとしたアレンはぶるりと身体を震わせた。

 そんなアレンの様子を見て、ガラドルフは「何、そう怖れることはない!」と頭を撫でる。


「そういう魔物達とも我が輩は戦ってきた。先日の影の竜だってそうだ!」

「そ、そっか……!」

「何よりアレン、お前は友の大事な息子だ。我が輩がその名にかけて守ると誓ったからには、必ず約束は果たすとも」


 ガラドルフの力強い宣言を聞いて、アレンは不安を拭われたのかほっと息を吐いた。


「あとはその、もう一つ僕からも……」

「なんだ? スピー」


 おずおずと手を上げたスピーが、真剣な目でガラドルフを見つめる。


「チャドリーさんではなく、ガラドルフ様を越える魔物がチャドリーさんを操っている、という可能性もあります」

「……そりゃ大物が出てきたもんだ」

「死霊術師ですごい奴がいるってこと……? そ、そんなの、七閃将しか……!」


 アレンの言葉に、ガラドルフもスピーも肯定するように頷いた。

 二人とも共通の認識だったのだ。その答えを受けて、今度こそアレンは顔を真っ青にする。


「さすがにこれは十兵衛達に連絡を取らんといかんが……アレから目が離せんな。そこいらで金を握らせて遣いでも拾うか」

「そ、それなら足の速い僕が……」

「待って、今のスピーはぱっと見亜人に見えないけど、もしバレたら一人でいるのってヤバイじゃん! だったら俺が――!」

「馬鹿もん。お前ら二人とも我が輩の側におれ。アレンもスピーも一人では行かせられんし、二人で行かせるのも駄目だ。この町に、チャドリー以外のアンデッドがおらんとも限らん」

「…………」

「何、幸い兜はここにある。聖騎士の肩書きはこういう時にも役立つぞ?」


 膝の上に置いていた兜をポン、と叩きながら、ガラドルフは闊達に笑った。




 ***




「……あー……その、すまんが一人ずつ喋ってくれるか」


「俺は厩戸皇子(うまやどのおうじ)じゃないんだ」と困り果てながら、十兵衛は宿の外にたむろする冒険者達から話を聞こうと努力した。

 伯爵邸から帰ってきた矢先の事だ。明日の相談も兼ねてギルベルトを連れて戻ってきた十兵衛達は、部屋を取っている宿の前に大勢の冒険者達が集まっているのを見て目を丸くした。十兵衛を見つけるやわっと囲んでやいのやいのと言い募る彼らを、どうにか落ち着かせて今に至る。


「ガラドルフ様からの伝言です! チャドリーが居たと十兵衛さんに伝えてくれと!」

「という話を俺が直接ガラドルフ様から聞いて遣いを頼まれました!」

「いいや、お前は又聞きの又聞きだろ!」

「お前だって!」

「……とりあえず分かった、ありがとう。十分伝わったので解散してくれ」


「他の客に迷惑だ」と十兵衛はさっさと冒険者達を散らせた。

 どうやらガラドルフに遣いを頼まれた通りがかりの冒険者が、「俺、ガラドルフ様にお遣い頼まれたんだぜー!」と自慢をしたらしい。そこから「世界唯一の聖騎士からのお遣い」という魅力につられた同業者達が、手伝いの手伝いをしたいとやたらと集まったようだった。

「なんでたった一言を伝える仕事がこんな大事になるんだ」と呆れるリンに、スイは苦笑する。


「ガラドルフ様って、御年二百二十歳なんですよ。歴史書に名が残る伝説の御仁ですから、幼い頃からその冒険譚に触れてきている冒険者さんや騎士達にとても人気なんです」

「なるほど……。子供の頃から本でその活躍を見てきた者が目の前に現れれば、そりゃそうか……」

「二百二十歳!?」

「え!? 先生が来てるのか!?」


 ぎょっとする十兵衛と同時に、ギルベルトも驚いたように声を上げる。


「先生?」

「ガラドルフ先生は俺の師匠なんだよ。剣の基礎と魔物との戦い方を教わったんだ」

「そういえば弟子が多いって言ってたな……」


 まさかギルベルトもそうだったとは思わず、十兵衛はかの人の半生に思いを馳せた。

 だが、そちらよりも重要な事がある。十兵衛は先ほど耳にした名を繰り返すように内心呟き、ハーデスに面向かった。


「……ハーデス。帰って早々すまないが、お前の力を頼りたい」

「ああ。お安い御用だとも」




 ***




 今朝朝食をのんびりととっていたテーブルに、エレンツィアの地図が大きく広げられる。フェルマンから借りてきたものだ。

 それを目にしながら、十兵衛は難しい顔で目を細めた。


 ガラドルフの伝言を受け取った十兵衛は、まずギルベルトの部下と冒険者ギルドから冒険者の協力を取り付けた。チャドリーの監視のためだ。

 監視に留めたのは、ガラドルフの気配を察知して逃げないアンデッドという現状、下手に刺激するのは避けたかったからだ。

 エレンツィアの町には多くの人がいる。高位の魔物か、もしくはそれに属した者からの支配を受けた魔物との戦闘が予想されるなら、人々を避難させておきたい。そう願うスイの言に、十兵衛もギルベルトも同意した。

 監視の役目を代わったガラドルフは、久々に会う弟子との挨拶を喜びながら済ませ、アレンとスピーを寝かしつけた。監視の手配を整えている間に、随分と夜が更けていたのだ。ハーデスが転移魔法で人員の移動を補助してくれたものの、さすがにそこそこ時間がかかり少年達はすっかり夢の中だった。

 そんな彼らを起こさないように、大人達は声を潜めながらギルベルトに共有するのも兼ねてこれまで集まった情報を纏める。


「エデン教会のグスタフ主教の提案で、冒険者のお守りを亜人の首輪に転用する事になった。用立てたのは武器商会のウロボロス。血晶石の欠片は、グスタフ主教からの多額の寄進に味をしめたステラ=フェリーチェ大神殿が、他の町よりも多めに配給していた――」

「グスタフ主教は、レムリア海へと漁に出る漁師達が、レイスに襲われないようにという表立っての理由を用意してましたね。でも、そもそも導きの祈りを捧げずに罪人の死体を沈める事で、あえてレイスを発生させていた」

「人に徒成す者は人に在らず。罪人は女神レナの御前に向かわないようにという思想の元、それが成されていたようだ。だが、カガイもリンドブルムの神官達も、導きの祈りまでされていないのは知らなかった。ステラから情報統制があった可能性が高いという話もあったな」

「定期的な高位神官の訪問もステラからの物だったのだろう? ズブズブだったわけだ」

「は~……。一言いいか?」


 十兵衛達から一連の情報を聞いたギルベルトが、眉間の皺を揉みながら手を上げる。


「なんだギルベルト」

「この件、どこまで締め上げる」


 ギルベルトの言葉に、十兵衛がその意図を了承しているように頷く。


「こちらとしてはグスタフ主教の確保までだ。冒険者のお守りを意図しない使い方を勧めた悪い奴がいた、そいつを捕まえるに至った、以上だ」

「なるほどな、了解だ」

「大神殿へ喧嘩を売るのはおそらくルナマリア神殿になるかと思います。今回の件で巻き込まれた貴族の方々の救助を、ルナマリア神殿が全面的に行いましたからね」

「神罰は神官に向くって仰ってたのに、彼らの解呪って必要だったんですか? スイ様」

「……さあ~? どうでしょう」


 にっこり笑って黙したスイに、賢いギルベルトはそれ以上口にするのは止めた。沈黙は金だ。

 おそらく諸々の事を含めカガイが落としどころを用意したのだろうと考えつつ、ギルベルトは顎髭をさする。


「しかしそのグスタフだが、部下やオデット伯爵の騎士達に足取りを追わせたが今の所見つかっていない。やはり十兵衛の予想通り、夕方の船に乗って逃げた可能性が高いな」

「となると、ヴィオラとやらの神官資格の剥奪は確定だなぁ」

「えぇ……」


 豊かな髭をしごきながら嘆息するガラドルフに、スイも同意するように頷く。神罰は神官に下る。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。ヴィオラの命を優先するのであれば、これが最善の策だった。

 だが、努力と研鑽を重ね、人のためにと尽くし続けた彼のこれまでを奪うことは、全てが無駄だったと告げるに等しい行いだった。

 今この場で資格の剥奪を行えるのは、高位神官であるスイしかいない。ヴィオラの気持ちを慮りつつも、彼の命を最優先に考えてスイは剥奪の決意を秘めていた。


「……で、あのアンデッドだ」


 ガラドルフの言葉を受けて、十兵衛はハーデスに視線をやる。無言で首を振ったハーデスは、「すでにアンデッドとしての生を受けている」とだけ十兵衛に念話で伝えた。

 チャドリーの存在がもし死体に残った魂と同様星に還せるものならば、十兵衛は黄泉送りをハーデスに頼むつもりだったのだ。だが、ハーデスが不可能だということはつまり、寿命が新たに発生したことに繋がる。死の律として寿命を妨げられないハーデスは、これ以上の介入は出来ないと告げていた。

 死を迎えたチャドリーをもう一度死なせるのか、と十兵衛は憂鬱な気持ちになる。同時に、彼の死を軽んじた死霊術師に怒りが募った。


「しかし、人を襲わないアンデッドなんて聞いたことがないぞ。レイスでもアンデッドでも、奴らは総じて生者の精気に釣られるもんだ」

「我が輩も同意見だ。ただ、かのエルミナが作り上げた高位の魔物にしてはどうも理性が無さすぎる。言語を繰り返すしか出来ておらんかったからな」

「通常のアンデッドと変わらない、としたら……」

「……チャドリーは、」


 ギルベルト達がアンデッドの考察に議論を重ねる最中、ぽつりとハーデスが呟いた。


「喜んでいたんだ」

「……ハーデス……」


 息を呑んだ十兵衛に対し、ハーデスは目を伏せたまま言葉を続ける。


「リッシュの元に帰れたことを。また会えたことを。その上で――死を、望んでいた」

「――!」

「これ以上自分を嫌いになりたくないからこの道を選んだのに、どうして生きているのか、と。そうしていつかリッシュを傷つけてしまう未来が怖いのだと」

「ハーデス、あんた死者の……いや、アンデッドの声が聴けるのか!?」


 驚愕に目を見開くギルベルトに、ハーデスは明言はせずに黙することで肯定した。魂の声が聞こえる【死の律】であると、ギルベルトに告げるつもりはなかったからだ。


「大切な者を傷つけたくないから死を選ぶ。それはライラの件で理解した。だが、そうならない未来があるかもしれないのなら、死を選ぶ必要はないんじゃないのか」

「……ハーデスさん。チャドリーさんはもう、人ではないんです」


 顔をしかめるハーデスに、スイは諭すように告げる。


「ライラさんと違って、チャドリーさんは今は人の形をしていますが、やがてその身は腐り、爛れ落ちていく。そうして最後は骨になって、それすら朽ちていつかレイスに変わる」

「…………」

「もしリッシュさんがそんなチャドリーさんを受け入れられたとしても、人ならざる者を人々は受け入れられない。そこから察せられる未来は、お世辞にも明るいとは言えません」

「人ではない生は駄目なのか」


 ハーデスの問いに、その場にいた全員が押し黙った。


「今までと違う生き方に変わるだけだ。何故それを選べない。そんなに()()()()()()は大切なのか」

「ハーデス」


 十兵衛が、遮るようにハーデスの言葉を制する。

 ハーデスの視線の先で、拳を震わせた十兵衛が言い難いことを口にするように唇をわななかせ、吐き出すように声に出した。


「死を選んだのは、チャドリー殿だ」

「…………」

「最後に決めるのは、()()()()()()だ。他人を変えられないと言ったのは、ハーデス、お前だぞ」

「十兵衛……」


 まるで、迷子のような頼りない声色だった。迷い、惑い、受け入れ難いと取り縋る。そんな風に名を呼ばれた十兵衛は、振り切るように固く目を瞑り、テーブルに置かれた地図をぐしゃりと握った。


「スイ殿」

「……はい」

「ヴィオラ神官の件は、そちらに任せる。護衛にハーデスとリンを連れていってくれ」

「十兵衛さんは……」

「チャドリー殿の元へ向かう。これ以上、かの人を苦しませたくないんだ」

「……分かりました」


 その決定に、スイは首肯することで答えた。十兵衛の深い思いやりに、それ以上言える事が無かったのだ。

 そんな二人の様子を労わるように見つめながら、ギルベルトは一つ嘆息する。


「では、俺は万一に備えて先んじて騎士達に誘導指示を出しておく。冒険者ギルドへは先生、頼めますか」

「うむ、明朝向かうとしよう。十兵衛、チャドリー夫妻の所には我が輩も着いていくから一人で行くなよ。導きの祈りを捧げねばならん」

「分かった」


 生かすことと、死なせること。大きく命運をわける二つの命の行く先を決める会議を見守りながら、ハーデスは唇を噛み締め俯くことしかできなかった。

 

 ――何故、自ら死を選ぶ。


 呟くように問うた言葉は、声に出せないまま胸の内で消えた。

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