98話 泥だらけの忠義
伯爵邸襲撃事件における負傷者は僅かだった。
多くの招待客はギルベルトの部下達の手引きによって無事にルナマリア神殿に逃げ込み、人質に取られかけた者は十兵衛とギルベルトの奮戦により守られた。
負傷者の怪我も、逃げる最中にこけたり散らばるガラス片で切り傷を負ったりといった小さなもので、スイの奇跡によって治療を受けた者達は皆、念の為ということでルナマリア神殿に送られたのだった。
――オデット伯爵家を除いて。
***
「な、何をする!」
平然とした顔で手錠をかけてきたギルベルトに、ツィルチルは驚いたように声を上げた。ツィルチルの様を見たマリベルやオデット伯爵夫人も同様に目を瞠る。
「何って、ご自分が一番お分かりじゃないんですか」
ツィルチルの疑問に対し、ギルベルトは呆れたように肩を竦めた。
「なんの話だ!」
「亜人の事ですよ。王国は亜人の処遇に関しては各領地に任せてますがね、連れてくるのはご法度だ。それを知らない貴方じゃないでしょうに」
「ま、待ってください! エレンツィアは港町ですよ!? 他の領地より亜人が多く流れつくのは当たり前で……!」
「そうです! それを連れてくるなどと称されるのは我慢なりません!」
マリベルが上げた抗議に背を押され、オデット伯爵夫人も居丈高に叫ぶ。だが、ギルベルトも騎士達も嘆息して首を横に振るばかりだ。
「御婦人方はお聞きで無かったということかな? それとも身の保身? ま、どちらでもいいですが。ともあれこのエレンツィアで、漁船を装った奴隷商人達が遠洋で亜人を救助、捕獲しているという話を耳にしましてね」
「ま、まってくれ! 誤解だ!」
脂汗をかいたツィルチルが必死に言い募る。
「た、確かに漁船の漁師達が亜人を救助するという事例はあった! だがそれは彼らの優しさからなんだ!」
「優しさ?」
「そ、そうだ! 亜人とは魔物に連れ去られた人間から生まれた悲劇の子だろう? そんな者達が命からがらヨルムンガンドから逃げて来たんだ。漁師達がつい手を差し伸べてしまった事を咎めるなど私にはとても……!」
「それが事実だとしたら、そうして救われた亜人達を奴隷にするのはどういう理屈だ」
黙して聞くだけに止めていた十兵衛が、怒気と共に口を開く。
「労働力として受け入れるならまだしも、人が神に祈るだけで死に至る首輪をつけて自由も尊厳も奪った貴殿の言など何一つ信用出来ん」
「冒険者のお守りを用いた事もです。あれがなぜ冒険者達にだけ渡されているのかご存じないのですか?」
「あ……う……」
「いいえ、ご存じのはずですよね、冒険者ギルドを抱える領主なら!」
十兵衛の怒りを引き継ぐように、スイが言葉を続ける。
「冒険者達は魔物を討滅し未知を既知とする事に使命を帯びた、誰よりも死に近い方々です。人として最善を尽くし最後の最後に神に成功を願い祈りを捧げる――人事を尽くして天命を待つ事の出来る彼らだから許されたアイテムなんです! その理から外れた使い方をすればどうなるか、貴方はご存じでしょう!?」
「冒険者のお守りに奇跡を込めた神官が! 神罰を受けて死ぬんですよ!」
スイの激高に同調するように、十兵衛は厳しい目でツィルチルを睨んだ。
冒険者に配られる【冒険者のお守り】というアイテムは、神官と冒険者の信頼関係で成り立つアイテムだ。人の為に生きる神官が、危険を承知で無謀に立ち向かう冒険者達にせめてもの慈悲をと願い作られたものだった。
その歴史は長く、定義を模索する間に神罰を受けて死んだ神官は数多くいた。その犠牲の上で成り立つアイテムに冒険者達は敬意を払い、ギルドは使用目的と使用方法を明言した上で手渡している。不用意な使用で死の罰を負うのは、このアイテムを作った神官になるからだ。
このエレンツィアにおいて、冒険者のお守りを一手に担っているのはヴィオラ・ヴィオーレ神官である。
それはつまり、亜人の首輪における不用意な奇跡の使用の罰の全てが、ヴィオラに向くのと同義だった。
「ヴィオラが……死ぬ……?」
そのスイの言葉にひどく動揺した者がいた。――マリベルだ。
冒険者のお守りの受領の傍ら、徐々に親交を深めていたヴィオラの事を、マリベルは親しく思っていた。
純朴すぎてどこか抜けていて、それでも側にいるとなんとなく安心してしまう稀有な存在。友人とはなかなか口に出来なかったけれど、身近な知り合いに変わりはない。
そんな彼の命を奪う片棒を自分が担っていた事を知り、マリベルは顔を真っ青にしてへたり込んだ。
だが、腰が抜けてしまう前にフェルマンがそれを支える。
震える瞳でフェルマンを見上げたマリベルは、労わりの表情を浮かべる彼が十兵衛の刀を持って現れた事を思い出し、カッと腹の底が煮えたぎるような思いをした。
同時に怒りが彼女の身体を駆け巡り、その勢いのままフェルマンの頬を張り飛ばす。
「側仕えの騎士でありながらよくも父を裏切ったものですね!」
「マリベル様……」
「八剣十兵衛と繋がっていたのですか! 父の過ちを知ったならこのような形でなくとも――!」
「私が知ったのはほんの数時間前なのです、マリベル様」
張られた左頬を真っ赤に染めながら、フェルマンはマリベルの前に膝をつく。
「裏切ったと称された通り、私はよくない騎士でした。閣下の仰る事に異を唱えず、ただ諾々と従っていた。長い物に巻かれるように深く考えないままこれまでを過ごしてきたのです」
「何を……」
「そんな愚かな私に、十兵衛様が大切な事を教えて下さいました。『己が身に泥をかぶってでも正しさを説き、反発する事もまた忠義だ』と」
「……フェルマン……」
ツィルチルに名を呼ばれたフェルマンはすぐに立ち上がると、ツィルチルの前に立ち深く頭を下げる。
「オーウェン高位神官のお話を聞き、十兵衛様達に偽物の魔道具をご用意したのは私です。荒事になる可能性を鑑み、皆様の協力を得るために自己判断で行いました」
「…………」
「事後報告になってしまったこと、ならびに――閣下を裏切るような結果になってしまったことを、深くお詫び致します」
「お前……」
「至らぬ騎士で、申し訳ございません」
声を震わせながらそう告げたフェルマンを、ツィルチルは瞠目しながら見つめた。
逡巡し、眉をしかめ、唇を噛み――そうして深く嘆息したツィルチルは、未だ頭を下げ続けているフェルマンに、小さく、本当に小さくこう告げた。
――至らぬ領主で、すまなかった、と。
それを耳にした瞬間、フェルマンは目尻を真っ赤にして唇を噛み締めた。
見つめる先の絨毯にぼたぼたと大きなシミが出来ていったが、未だ頭を下げ続けているフェルマンだけがそれが涙であることを理解していた。
――後にツィルチルは語る。
オーウェン領の隣であるオデット領は、いつもかの地と比較されていたことを。港町を保有するエレンツィアよりも栄えているリンドブルムの事をずっと羨み、オーウェン領よりも豊かな領地にしてみせると意気込みすぎていたことを。
甘露な毒に目が眩み、悪手だと分かっていながらグスタフの策に従ってしまったことを――。
「オデット伯爵はどうなるんだ」
部下達が伯爵を連行していくのを見送りながら、オデット家の騎士達と連携を取ってウロボロスの身柄確保に指示を出していたギルベルトは、頃合いを見計らって声をかけてきた十兵衛へ振り向く。
「帳簿と売買した亜人の数を調べて……そうだな、そいつらが好事家から逃げてなければ御の字ってとこだ」
「多数が逃げていれば亜人の国の立国を支援したことに繋がる、か」
「そういうこった。そうなりゃ反逆罪で極刑だ。ま、あの首輪の性能的にそこまで酷い事にはなるまいと俺は思ってる」
「……亜人とヴィオラ神官の命もかかっているのに」
「そう言うな。これ以上は神のみぞ知るってやつだ」
「俺らにはどうにも出来ん」と肩を竦めたギルベルトに、十兵衛も渋々ながら同意した。
「それで? 十兵衛君達はこれからどうするんだ」
「とりあえずこの屋敷にある首輪の予備の確保だな。そこは今スイ殿とハーデスとリンがフェルマン殿の案内の元行っている。好事家達が買った亜人達の首輪に関してはルナマリア神殿が対応してくれるはずだ」
「名高いカガイ神官長直々の解呪か~。お金かかりそう~」
心から同情するように苦笑したギルベルトに、十兵衛も相好を崩す。「きっと良きようになさるさ」と言って、壁にもたれかかるようにして立った。
多くの人が行き来するのを眺めながら、十兵衛は思案にふける。
首輪の問題をどうにかしたところで、亜人達の解放には繋がらない。首輪が没収されようが、亜人は魔物であるという認識の元、それとは別の拘束具で亜人を縛ることになるからだ。
ヨルムンガンドと繋がっていないという証明ができない限り、レヴィアルディア王国やそれに属する領地で亜人の国の立国を阻止するための非人道的行為は続くだろうと十兵衛は考える。そして、その件に関して容易に口に出来る立場でないことも理解していた。
それでも、スピーのような者をこれ以上増やしたくないと強く思う。そんな無責任かつ脳内お花畑だと罵倒されそうな内容を、目の前にいる国王陛下直下部隊の団長に願い出るのもなぁと適切な言葉を模索していた十兵衛に、ある程度の仕事を終えたギルベルトが声をかけた。
「それで? スイ様達が働いてる中、十兵衛君はおさぼりかい」
「……せめて瞑想中だと言ってくれ」
「瞑想なのか迷走なのか知らないが、俺の側でやる必要が?」
意地悪げに口角を上げたギルベルトに、十兵衛がむっとしたように眉根を寄せる。
「……馬鹿にするなよ?」
「内容による」
「亜人に無体を働くのは止めてくれと王に伝えてほしい」
「ばーーーーーーか」
とても長く語尾を間延びさせながら、ギルベルトは十兵衛を小ばかにしたような顔で罵った。
想定済みだった反応に、それでも諦めず十兵衛は言い募る。
「人が魔物になった者を俺は見た。カルナヴァーンの寄生虫の事件だ。そんな人を、家族や村の人達は最期まで人として扱い見送ったんだ。亜人と何が違う」
「違わないね。どっちも魔物だ」
「何……?」
剣呑な様子に変わった十兵衛に、ギルベルトは諭すように告げる。
「人と魔物がどう混じり合ったとて、それはもう魔物だ――人じゃない。魔物の因子は人殺しをさせるからな」
「俺達だって人は殺すぞ」
「ああ、そうだ。でも人だ」
「…………」
「十兵衛く――いや、十兵衛。これだけは理解しろ。人と魔物は相容れない。もしそうじゃない歴史があったなら、今のような魔石の文明は生まれてないだろ?」
魔石は魔物を討滅して得られるアイテムだ。文明が興る現状はつまり、それだけ魔物と戦い屠ってきた証明でもあった。
それを突き付けられ、十兵衛は何も言えずに口ごもる。元より望み薄の願いではあったが、やはり口だけではどうにもならんなと内心悔しく思いつつもそれ以上の言葉は飲み込んだ。
そんな時だった。会場の入り口から焦った様子のリンが大慌てで走ってきた。
ただならぬ様子に顔を見合わせた十兵衛とギルベルトは、リンの方に駆け寄る。
「どうしたんだリン」
「十兵衛! 大変だ!」
「亜人の首輪が、一つも見つからないんだ!」