94話 赤狼の罵倒
「アンバー将軍閣下……」
茫然、といった風に呟いたスイの声を、十兵衛は耳にして得心する。只者ではないとは察していたが、将の身であれば納得の気迫だった。
二人に比べると少し上背があるギルベルトは「オーウェン公爵令嬢におかれましても、ご機嫌麗しゅう」と笑いかけ、その後十兵衛と話をしたい旨を告げてきた。
その申し出に対し素直に受けた十兵衛は、スイをリンとハーデスの元に送り出す。十兵衛の渾身の殺気のせいで未だ毛を逆立てていたリンは、戸惑いながらも請け負った。
「何があったんだ十兵衛」
視線が交差した瞬間、念話で問いかけてきたリンに十兵衛はスイから聞いた内容を手短に伝える。加えて手練れが複数いることも教え、「警戒を怠るな」と言葉を締めた。
「十兵衛さん」
待たせているギルベルトの元に向かおうとする十兵衛を、スイが少しだけ袖を引いて引き留める。
「なんでしょう、スイ殿」
「アンバー将軍閣下は、王国最強の剣士です。どういうつもりで十兵衛さんとお話したいのかは分かりませんが、くれぐれもお気をつけ下さい」
それはつまり、敵対関係にならぬようにしろということか、と十兵衛は考える。自らの腕を過信するわけではないが、一国の最強の剣士が声をかけてきたというのはなかなかに興味深い展開だった。
「ご安心を。下手な手は打ちません」
心配するスイを安心させるように小さく微笑む。それだけ告げて、十兵衛はギルベルトの元へ向かうのだった。
***
「このクソボケ! 頭沸いてるのか!」
「…………」
下手な手を打つどころか、打つ前に先方が言葉で殴ってきた。
会場を出てすぐの扉の前でのことだ。にこやかだったギルベルトが急に般若の形相で罵ってきたので、十兵衛は一瞬面食らった。だが、延々と続く罵詈雑言の数々に目が座り始める。
この場合はやり返していいものかと冷めた脳内でふつふつと怒りを堪えていた十兵衛は、罵倒を浴びせて来るギルベルトの言葉を遮った。
「身に覚えのない事への中傷は止めて貰えるだろうか」
「あ? よく言ったもんだな! 殺気だよ殺気! オーウェン公爵令嬢は俺のもんだー! って示すのに殺気使う奴がいるか!? 馬鹿なのかお前!」
「はぁ?」
怪訝そうに片眉を上げた十兵衛の反応に、ギルベルトの方もきょとんと目を丸くする。
「……あれ?」
「……貴殿の勘違いだ。必要に駆られて手練れの数を見るのに使ったまで」
「いや、だとしてもだ。お前さんのそれは俺達にとってもよくないもんで」
「それはすまなかった。以後気を付ける。話は以上でいいだろうか」
お前のおめでたい頭の方が沸いている、とまでは口に出さず、いささか礼を失した態度のまま会場に戻ろうと十兵衛は踵を返す。だが、そんな態度に機嫌を悪くすることもなく、ギルベルトは「あー待て待て!」と慌てて引き留めてきた。
「一応聞いておきたい。なんであの場で手練れを調べる必要が?」
「質問に質問で返して悪いが、何故言う必要が?」
カガイ神官長から密命を帯びる形で受けたスイの任務だ。他者に口外できるはずもない、と挑戦的に返した十兵衛に、ギルベルトは困ったように腕を組む。
「おいおい十兵衛君、ちょっと世渡りが下手じゃないか? そこいらの貴族と違って俺は別に権力を振りかざすつもりはないが、利用できるもんは利用する方が賢いぜ?」
「何が言いたい」
「御令嬢をかばった上でのあの殺気。アピールのつもりでないんなら、スイ様が狙われてるってことなんだろう? だったらこっちにも事情を話してみろ。そもそもお前さんが察知した手練れは全員俺の部下だ」
「…………」
一見人のいい風を装って提示してきた内容に、十兵衛はすっと目を細めた。
そもそも十兵衛にとって敵はウロボロスだけではない。さすがにソドムはどうか分からないが、あのクロイスの配下でさえ現状頼れないというカガイの言を参考にするなら、王国騎士だろうが貴族達の護衛だろうが関係なくその全てが警戒対象だった。
それを言えるはずもなく、しかし察知した手練れ達の将であるギルベルトを利用するという手は対ウロボロスだけを想定すれば妙案でもあったので、少し考え込むように顎に手をあてた。
「分からないなら流してくれて構わない。俺が殺気を放ったのは、蛇への牽制だ」
王国最強の騎士とはいえ、その蛇に関わるのが目の前の男であるならば今この場で殺す、という殺意を秘めたまま十兵衛が小さく呟く。
だが、十兵衛の懸念は大きく外れた。ギルベルトが「そりゃあいい!」と笑ったからだ。
「まさかここでお前さんの協力が得られるってのは予想外だったな。あのオーウェン公爵が信頼を置いてんだ、ちぃとこっちの事情話した所で上も怒らんだろ」
「ということでちょいと耳貸せよ」とギルベルトが十兵衛の肩を組むようにして顔を引き寄せる。
太い腕にぐっと首ごと絞められて、「絶対わざとだ」と己の悪い態度を思い返しながら十兵衛は嫌そうに顔を顰めるのだった。
***
「十兵衛君は、オデット領で亜人の売買が許されているのは知ってるか?」
その問いに、素直に十兵衛は頷いた。チャドリーからオデット伯爵は推奨派であるという話を聞かされていたからだ。
「あぁ。だから亜人を漁船を装った船で連れてきていると」
「おや、それも知ってるのか。でもそっちは違法って知ってた?」
「何?」
目を丸くして驚く十兵衛に、ギルベルトは大きく溜息を吐いて説明を始めた。
曰く、亜人の処遇に関しては領主に一任されているが、あえて連れて来るという手は違法であるとレヴィアルディア王国の法律で定められているとのことだった。
人と魔物の間に生まれた亜人の多くは、ヨルムンガンドでの奴隷待遇に堪えかねて海を渡って逃げ出す。そうした亜人達が領内に勝手に入ってきた際、いちいち王国にお伺いを立てずとも労働力として使うのか刑に処すかは好きにしろという体で「任せている」状態であるらしい。
「当たり前だろ? わざわざ亜人を連れてきて人口増やしてどうすんだ。万一亜人の国でも作られちゃ、ヨルムンガンドと挟み撃ちにされる可能性だってある」
「……確かに」
「流れてくる分には仕方ないが、帆船使って大勢救助して連れて来るのはご法度だ。そういうのを領主達に周知させているはずなんだが、オデット伯爵は欲に目が眩んだようでなぁ」
「魔族どもとの戦争もほんのちょっと落ち着いたんで、伯爵令嬢のパーティーに呼ばれたついでに捜査してこいって言われて、俺が来たわけだ」とギルベルトは手の内を明かして見せた。
「まったく、漁船でカモフラージュたぁ、やってくれる。これでも尻尾掴むまで苦労したんだ」
「それと例の蛇と何の関係が?」
「自分から言い出した癖にまだ吐かせる? ま、いいけど。 ……分かってるだろ? 亜人を縛る首輪を奴らが用意してるんだよ」
「…………」
「武器商会ウロボロス。戦争とあっちゃあ影から顔を出す、いけすかないクソ共だ」
武器商会だったのか、と新たに得た知識を記憶して、十兵衛は黙考する。
法を犯したオデット伯爵を、ギルベルト達はしょっ引きに来た。ついでに証拠を得る傍ら裏で手引きをしたウロボロスごと引っ張りだそうというつもりなのだろう、と得心する。
そして、そこまで明かしてくれたギルベルトに「ではこれは知っているか」とこちら側のカードを切って見せた。
「亜人の首輪に使われているのは、冒険者のお守りだ」
「……オイオイオイオイ! 本当か!? クソったれもクソったれだぞそりゃ!」
「ステラ=フェリーチェ大神殿は何やってんだ!」と怒ってみせたギルベルトを、静かな目で十兵衛は見つめる。
その視線を察知して、ギルベルトはこめかみに汗を滲ませて息を呑んだ。
「……スイ様が、動いたのは、」
「お察しの通りだ」
「本気で言ってるのか」
「いち冒険者として見過ごせなかった。その俺の願いを、スイ殿が汲んでくれたんだ」
「表向きはそういう風に告げなさい」と言ったのはカガイだった。始まりはスイへの任務だったが、こうも大事になってきたなら矢面に立つのは名を馳せた十兵衛の方が相手もやりづらいだろうと考えた結果だった。
その目論見通り、ギルベルトも十兵衛の正義感とスイの決断に敬意を表する。
肩を組んだ姿勢から身を正したギルベルトは、十兵衛に真っ直ぐに手を差し出した。
「お前さん達の信念はよく分かった。レヴィアルディア王国国王陛下直下部隊、赤狼騎士団団長ギルベルト・アンバーは、この事件に関する全面的な協力を約束しよう」
「……八剣十兵衛だ。申し出、感謝する」
ぐっと手を握り返した十兵衛に、ギルベルトはにっと口角を上げる。だがすぐに情けなさそうに眉尻を下げると、がっくりと肩を落とした。
「しっかしなんとまぁ端的な反応! もうちょっと感動とかないのか普通! 俺これでも名高いはずなのに!」
「対面早々罵倒してきた貴殿に、良い感情を持てという方が難しい」
「それについてはなんも言えねぇわ」
唇を尖らせて黙したギルベルトに、ふっと十兵衛は笑ってみせた。
――その時だ。扉の向こうから「キャーーッ!!」という甲高い悲鳴と共に大きな物音がした。
はっと目を向けた十兵衛とギルベルトは、まさか、と息を呑む。
「おいおい、会場の出入り口はうちのが見張ってんだぞ!? 一体どこから!」
「隠し通路でもあったんじゃないのか!」
「馬鹿言え! だとしてもそんな情報どっから――」
そこまで言いかけて、ギルベルトは冒険者のお守りの成り立ちを思い浮かべ、眉根を寄せて唸った。
「エデン教会――ッ!」
「話は後だ! 突入するぞ!」
すでに扉に手をかけていた十兵衛にギルベルトは即座に頷くと、同時に大きく扉を開いた。