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冥王と侍【連載版】  作者: 佐藤 亘
第四章:律の管理者と死霊術師
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91話 伯爵令嬢と公爵令嬢

 丈の長いふわふわの真っ赤なドレス。色鮮やかなリボンに、大きく開いた胸元を飾る真白のフリル。


 ――安物、流行遅れ、田舎臭い、下品。


「おめでとうございます! オデット伯爵令嬢!」

「おめでとう! マリベル様!」

「おめでとう!」

「ありがとう、皆さん」


 令嬢達から送られる数々の祝福の言葉に微笑みながら答えつつも、マリベル・ディーオデットは冷めた胸内で口からはとても出せない毒を吐き続けていた。


 ――(わたくし)の誕生日パーティーなのよ? もっと相応しい格好というものがあるでしょう!


 マリベルは交易都市エレンツィアを治める領主、オデット伯爵の娘だ。彼女の目利きは同世代の令嬢達と比べて格段に鋭い。だからこそ、マリベルは随分と侮られたものだと憤っていた。令嬢達がこの日のためにと着飾ってきた装いが、あまりにも男に媚びたものばかりだったからだ。

 だが、伯爵令嬢であるマリベルは、あえてそうしてきた彼女達の気持ちも分かってしまう。父であるツィルチル・ディーオデット伯爵は、交易で成功を収めている者として各所に顔が広い。彼が集めた賓客達は、誰もがお近づきになりたいと願う者ばかりだった。

 未婚の令嬢達からすれば、今回の誕生日パーティーは格好の婚活パーティー会場でもある。マリベルを祝いたい気持ちよりも、男を落としたい気持ちでいっぱいの彼女達にとって、ドレスは良家の男を釣り上げる餌でもあった。

 胸元が広く開いたドレスには控えめの宝石がついたネックレスを合わせ、いつもは自慢してくる大きな宝石がついた指輪は鳴りを潜めている。控えめで、謙虚に、高飛車に見せず。初心(うぶ)な風を装って、初雪に足跡をつけたがる男の下心に火をつける。そうした駆け引きの表れが、マリベルには嫌という程見えていた。主役を引き立てるなんて姿勢は、これっぽっちも見えないのにだ。


 ――あの間抜けも知らなかったようだしね……


 今朝がたエデン教会で会ったヴィオラの事を思い出し、口元にあてた羽扇の下で小さく嘆息する。お祝いの言葉は告げられたものの、誕生日だと伝えてから言われることほど虚しい物はなかった。

 伯爵令嬢たる者、常から隙を見せてはならぬという教えの元に育ってきたマリベルにとって、エデン教会は数少ない癒しの場所でもあった。花々が咲き乱れ、静かな教会で女神に祈りを捧げれば、そこでは貴族も平民も何もない、()()()()()()()()でいられる。ただのマリベルとしていられるその場所を殊の外愛していた彼女は、オデット家の者が冒険者のお守りを受け取りに行くという話を聞くと必ず同乗していた。

 幼い頃からそうした生活を続けていた中で、数年前から顔見知りが出来た。ヴィオラ・ヴィオーレ神官だ。

 年若い新米神官としてエデン教会に着任した彼は、修行の身という事で冒険者のお守り製作を一手に任されているらしく、受領に伺っているマリベル達が身近な知り合いになったのもごく当たり前の流れだった。

 ヴィオラは良い青年ではあるが、純朴すぎてどこか抜けている。それでも二つ上の男か! と怒りたくなる事は幾度もあったが、マリベルの癒しの場にいても心が乱されない、稀有な存在でもあった。


 品の良い丁度品と目にも鮮やかで良い香りを放つ食事の数々を眺めながら、マリベルは会場に集まる客人達にぼうっと視線をやる。


 ――果たして、この中でどれだけの人が私の誕生を祝ってくれているのでしょうね。


 実の両親とて、このパーティーは賓客達とのパイプ繋ぎと商談のきっかけ作りにしか思ってないだろう。そんな風な諦観を脳裏に浮かべながら、マリベルは長い睫をゆっくりと伏せた。


 ――その時だった。


「到着が遅れまして、申し訳ございません。お招き頂き光栄です、オデット伯爵」


 凛とした声が、マリベルの耳に真っ直ぐに届く。先ほどまで客人達のお喋りでざわめいていた空間が、一気に静まり返ったからだ。

 聞き覚えの無い声に、マリベルは目を見開いてその声の先に視線をやる。


 ――そこにいたのは、シックな色合いのマーメイドドレスを着こなした、翡翠色の髪の美しい少女だった。




 ***



 

「あのカードを使って服を買わないのか?」


 カガイ神官長との面会の後その足で公爵邸に戻るというスイの背に、ハーデスは不思議そうに問いかける。

「伯爵令嬢の誕生日パーティーに着ていくドレスを取りに帰らないと」というスイの行動を、疑問に思ったからだ。

 その問いに、スイは「ハーデスさんのお気持ちも分かるんですが」と苦笑してみせた。


「確かに無料で服を用意して頂けるのはお得ではあるんですが、まぁなんと申しますか、公爵令嬢としての立場もありまして……」

「上の身分の者として、下の身分の者が用意した服を素直に着るのは障りがある、ということだな」

「さすが十兵衛さん」


「別に差別だとか嫌だからとかではないんですよ」と言い置いて、スイはハーデスに丁寧に説明した。

 オーウェン領は、王都から一番遠い領地である。他の公爵達は王都に程近い場所の領地を与えられているのに比べて、オーウェン領はかつてオーウェンが「パルメア大運河に街を作ろう!」と言い出して本当に作ってしまったため、無理やり形式的に作られた領地だった。当時のレヴィアルディア王国国王が「せめて一言告げてからやらんか!」と怒った程には、大義名分の用意が大変だったという。

 大魔法使いとして名声を高めていたオーウェンだからこそ出来た荒業だ。街を作り、後からそこを領地として用意し、領主として治めるために公爵の爵位を用意する。完全に通常とは逆のやり方でオーウェン領は出来たのだった。


「いわゆる辺境伯にも相当します。それ故の相応の地位、というわけですね」

「なおさら箔がいるわけだな」


 オーウェンの名を継いだ賢者、ルーク・ベルヴァインの一族は、リンドブルムを含む領地経営に勤しんだ。勤しんだというより――頑張りすぎた。賢者の血を引く者もまた賢者だったのだ。結果的に、王都より一番遠い最重要拠点としてリンドブルムの名は世界に轟いたのだった。

 その活躍に難色を示したのが、他の貴族達だ。ポッと出の者がいきなり公爵になった上に、自分の領地とは比べ物にならない程豊かに育った現実が受け入れがたく、オーウェン公爵を影で軽んじる者が少なからず出てきた。そうした背景もあり、オーウェン家ではとある家訓が出来たという。


「『オーウェンを軽んじる奴を許すな』という家訓です」

「……なんとまぁ……」

「物騒な……」


 ベルヴァイン一族の最重要任務は、オーウェンとリンドブルムの名を残す事である。そのため、オーウェン家では他の貴族に舐めた真似をされないよう、細心の注意を払うべしと厳しく育てられるという。

 多分に漏れずそうして育ってきたスイは、他の令嬢からすれば想像を絶する令嬢教育を乗り越えてきたのだった。


「そんなわけでして、私もオーウェン家の者としておいそれと隙は見せたくないわけです。あとはまぁ……オートクチュールではなく街の服屋で既製品を買うとなると、うっかり服装が被ったりなんて事故もあり得ますからね」

「確かに、俺も殿と同じ着物で登城なんてことになったら、顔面蒼白になるな……」

「でしょう? 胃に穴が開きますよ」


「上の立場の者にはそれ相応の行動が求められるわけですねぇ」と眉尻を下げながら、スイはオーウェン邸の正門で声を張り上げた。


「ただいま帰りました~!」

「――おかえり~!」


 言うやいなや、スイの目の前ににっこり笑顔のクロイスとロラントが転移魔法で現れる。

 通常であればあれこれと手続きが必要な公爵邸への入り方も、スイに関してはこの一言でいいらしい。良くできてるなぁと内心笑いながら、十兵衛はクロイスに目礼した。


「なんだ、もう任務は終わったのか! 早く済んで良かったな! 十兵衛君、ハーデス君、護衛誠に感謝す……」

「いや、全然終わってませんけど」

「……えっ?」


 きょとんと目を丸くするクロイスをしり目に、スイが「ロラント、第一種戦闘装備でお願いします」と端的に告げる。


「畏まりました。すぐにご用意致します」

「えっ? はぁ? お前、これからパーティーにでも行くのか? 私は何も聞いてないぞ」

「私も招待されたの今日のお昼なんで」

「はぁ!?」


 カッ! と怒気が溢れたクロイスに、十兵衛とハーデスが驚いたように目を丸くした。

 当のスイはその怒りも最もだと思っているのか、冷めたように肩を竦めて応対する。


「どこのどいつだ、そんな舐めくさったやり方をしてきたのは!」

「オデット伯爵ですよ。エレンツィアに行ったんですよ? 私達」

「ツィ~ル~チ~ル~! あのつるっぱげ親父め何考えてるんだ! 張り倒されたいのか!」

「その点に関しては私も同意見です。それはともかくお父様、十兵衛さん達のお洋服も必要ですから早く家に連れてってください」

「アッハイ」


 シュン、と意気消沈したクロイスが指を弾く。

 転移させられた先で慌ただしく公爵邸のメイドや執事に案内を受けながら、十兵衛とハーデスは着せ替え人形のごとき展開に身を投じていくのだった。




 ***




 マリベルは目を瞠る。その少女が「スイ・オーウェン」と名乗っていたからだ。

 社交界にも滅多に顔を出さない、深窓の公爵令嬢、スイ・オーウェン。一説には重度の人嫌いで、自分より身分の下の者には一切口を利かないという高飛車な一面もあるという。そんな彼女が、美しい屈膝礼(カーテシー)を披露しながらツィルチルに微笑んでいる姿を見て、マリベルは羽扇の下で思わず口を開いてしまった。

 シックな暗い色合いの青みがかったグラデーションのドレスは、細身の彼女の身体に沿う作りになっており、マーメイドドレスの型通り膝下からはボリュームのあるフリルが広がっている。かといって肌を見せるようなデザインではなく、ハイネックノースリーブ型のドレスの上から、袖口の広い黒のシアーボレロを羽織っていた。

 鮮やかに煌めくスパンコールに覆われた先の尖った黒のハイヒールは、ヒール部分で色が切り替えられ、彼女の瞳を一段暗くした蒼色で染まっていた。意匠のテーマ的に彼女の髪や目の色に統一させるような青でまとめられているのかと思えば、胸元には赤い宝石で作られたタリスマンのような物を配し、その色合いが一層目を惹く。

 それがヴィオラの持っている血晶石のタリスマンと同じものであると気づいたマリベルは、その大きさになおのこと驚いた。


 ――まさか、高位神官だというの……!?

 

 令嬢が神官であることは多いが、高位神官の令嬢は聞いた事がない。ましてやスイは十八歳だ。そんな若さの高位神官がいることなど、マリベルは知らなかったのだ。

 その背景にはクロイスの並々ならぬ努力があったりするのだが、マリベルが知る由もない。

 呆気に取られて沈黙したマリベルの視線の先で、ツィルチルへの挨拶を終えたスイがゆっくりと振り仰いだ。

 ――令嬢二人の視線が、緩やかに交差する。

 肩口で揃えられた翡翠色の髪は、少し巻いてあるのかふわふわとカールを描いて、スイの左頬をその空色の目ごと大きく隠している。反対の頬は前髪をかき上げるようにしてあるためさらけ出されており、右耳に飾られた細い金のチェーンで出来たイヤリングがゆらゆらと揺れていた。

 視線が合った瞬間、先に目をそらしたのはスイの方だった。否、先んじて目礼を交わしたというのが正しい。

 静かにマリベルに歩み寄ったスイは、彼女の前でも完璧な屈膝礼(カーテシー)を披露すると、血晶石と同じ色合いの紅で彩られた唇で、美しく微笑んで見せた。


「マリベル・ディーオデット伯爵令嬢。お初にお目にかかります、スイ・オーウェンと申します」

「――っ! 名乗りが遅れまして、申し訳ございません。ご尊名、父より幾度も耳にしておりました。こちらこそお目にかかれて光栄です、オーウェン公爵令嬢」

「とんでもない。今宵の主役はマリベル様でいらっしゃいますから、どうぞ気を楽になさってください。改めまして、十七歳のお誕生日、おめでとうございます」


 その声色の真摯な響きに、マリベルは感動を覚える。

 例えこの場が、言葉が、邂逅までもが含みに溢れたものであったとしても。彼女の心だけは信じたいと願ってしまう程に。

 令嬢トップのスイの一言は、マリベルにとって何よりの贈り物になったのだった。

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