9話 命より守りたいもののために
――ここ、ロキート村において、カルナヴァーンの寄生虫に寄生された患者は総勢で十二名もいた。
生半可な剣士では、確かにこの命全てを絶てと言われれば怖気づくのも無理はない、と十兵衛は思う。幾度もの戦を経験し、故に得た精神の強さだ。専門ではない者にこれを求めるのは、なんとも酷な話だった。
まだ助けられる者がいないか診るというスイに付き従い、各家へとそれぞれ訪問する。
――そこで見たのは、もし魔物化しても止められるよう、寝台に縛り付けられている患者の無残な有様だった。
打たれた麻痺毒で痙攣し、泡を吹きながら苦し気に呻く。手足の先から魔物化が始まっているのか黒々とした長い爪と毛が伸び始めており、食い締めた口は牙で傷ついていた。
それでもどこか身綺麗なのは、家族や村の人々が日々面倒を見ていたからに他ならない。
例え魔物と化す定めでも、最後まで人として在れるよう尽力した結果が、如実に表れていた。
スイは家々を診て回り、脂汗を流しながら奇跡を何度も試して、最終的に首を横に振った。もはや寄生虫は育ち切っており、内部の殆どが汚染され手の施しようがないという。
「それでも人の形を僅かでも保っているのは、アイルークさんの麻痺毒、皆々様の尽力、そして患者の方々の魂の力の強さに他なりません。本当に、本当によく努力なされました」
涙を押し殺しながら告げたスイに、村人達はすべてを受け入れていたかのように頷いた。
「遠い所からはるばる、我々を見捨てず来てくださって本当にありがとうございました、神官様」
「剣士殿も。聞けば、偶然アイルークさんのお子さんと出会っただけでここまで付き合って下さったと。村の者一同、本当に感謝しております」
村人達の手によって、魔物化の進行が早い患者から順番に外へと運び出された。
寝台ごと運ばれた患者は、村はずれにある墓と村の間に降ろされ、横たわる身体の側に家族の手で色とりどりの花が添えられていった。
魔物化で怖ろしい異形の姿になっているにも関わらず、皆が優しい眼差しで見つめながらこれまでの感謝の言葉を述べて手を握り、別れを惜しんだ。
そんな光景を少し離れた所で見ていた十兵衛は、彼らの愛情深さに心から尊敬の念を抱いた。
いつ自身が襲われるか気が気ではなかっただろうに、それでも最後まで患者のために尽力した村人達だ。心根の強さに感服し、出来る限り彼らの意に沿うよう行動しようと強く思った。
「患者は、もう助からないんですね」
最後の確認をするべく、隣に立つスイに声をかける。
それはスイの助けが間に合わなかったと告げるのと同等の酷な話だったが、結論を明確にするべく必要な質問でもあった。
拳を握りしめたスイは、震える声で答える。
「……はい。私の奇跡ではもはや滅せない程に汚染は進んでいました。それは、人間性の消滅も意味します」
「……承知した」
静かに頷き、続けて十兵衛はハーデスの姿を探した。死の律として寿命が見えるハーデスの見解も聞きたかったのだ。
ハーデスは、寿命は己の強い意志で運命を変える事でも変化すると言っていた。もしそういう存在がこの中にいるのであれば、刀を振るう事を止めなければならない。
辺りを見渡すと、ハーデスはどうやら最後に送られる患者の側にいるようだった。
「……ハーデス、」
声をかけると、目を瞑っていたハーデスがゆっくりと瞼を上げる。
「ライラというらしい」
「……?」
「この者のことだ。魂の声を聴いていた」
そんな事も出来るのか、と舌を巻く十兵衛に、ハーデスはことさらゆっくりとライラと呼んだ患者の頭を撫でた。
「マリーという小さな子供の母親だという。自分の死ぬ姿をマリーには見せないよう配慮してほしいとのことだ」
「彼らの言葉を聞けるのか。だったら他の者にも……」
「ライラには私の質問に答えて貰ったから、その礼で願いを聞いたまで」
質問という単語に、十兵衛はみぞおちに氷の棒が通ったような冷たさを感じた。次いで、沸き立つような血の巡りも。
「お前、どうしてそんな酷な事を問える!」
十兵衛は察した。ハーデスが患者達に問いかけた質問が、自身にかけられたものと同じであると。それが今ここにおいてどれ程非道な所業であるか、分かっていたからこそ十兵衛は怒りも隠さずハーデスに詰め寄った。
「理解出来ないから聞いたんだ」
「何を……!」
「魔物という生で新たに生きれば肉体も魂もそのまま生きることは出来る。なのにここにいる者は皆、これより降りかかる理不尽な死に恐れ、怒り、嘆いていても、ここで自分が死ぬ事が一番良いと言う。……ただ、他の者も結局お前と同じ様に怒って、それ以上は教えてくれなかった」
そこまで言って、ハーデスは小さく口角を歪めた。
「ライラだけが、丁寧に教えてくれたんだ」
ライラは、ハーデスに諭すように告げたという。
例え肉体も魂もそのまま魔物化し、それが生きるという意味と同様のものであっても、自らの身体を他者の意志によって勝手に扱われるのはもはや傀儡と同じことであると。
ましてやその状態で娘を傷つける可能性が少しでもあるのなら、その原因ごと今ここで絶ってしまいたいことを。
「守りたいから、死を選ぶと」
「…………」
「己の命より守りたいものがあるから、自ら死を選ぶ事もあるのだと。そう、ライラは教えてくれた」
「……そう、だな」
その気持ちはよく分かる、と十兵衛は思う。自分にとって殿がそれにあたる存在だ。殿の身に危険が迫れば、命を賭して守ろうとする気持ちは、何よりも強かった。
「だからその礼に、最期の願いを聞いたのだ。……私はこれよりマリーを探して、近縁の者と共に室内へ連れて行こう」
「分かった」
「それから、おそらくお前が聞きたかったことを告げるが」
ハーデスが真摯な瞳で十兵衛を見つめる。
「全て、間もなくだ」
それは、十兵衛の振り下ろす刀が彼らの命を絶つことを意味していた。
寿命は、自死を望む者と手をかける者の存在により定まった。
そのことを重く胸に刻みながら、十兵衛は最初の患者の元へと向かう。