鐘の音は福音を笑う
お題:「ファンタジー」「恋愛」「悪役令嬢」
リアンナ・ウィルディーナ。その名前は私がウィルディーナ子爵の娘であることを示す証明であったが、このリアンナ・ウィルディーナはつい先ほどこの世から姿を消した。そして私は本日より、リアンナ・ノルセインとなった。
ドレスを脱ぎ捨てた私は寝巻姿になり、夫婦の寝室となる部屋のベッドでその男を待った。ほどなくして扉は音を立てて開き、その男は入ってきた。寝具に身を包んだその姿を見て、私は男を鼻で笑った。男はやや緊張していたらしい顔を不機嫌そうに崩す。
「夫婦なのですから、笑う必要はないでしょう。」
「悪いが、この光景を正気の沙汰と思える日はまず来ないだろうな。」
「そうかもしれません。」
男はそう言って、ベッドに腰掛ける私に跪いた。
「おかえりなさいませ、お兄様。」
「王太子がそんな姿とは、世も末だな。」
私は腕を組み、足を組んで言う。顔を上げた男は私を見上げ、苦笑する。
「全くもって、お変わりないようで。」
「変わっていたら困るだろう?」
「肉体と内面の性別の違いに苦労されてはいないのですか?」
「慣れた。16年もやってるのだぞ?肩は張るが。」
「そうですか。」
男はそう言って立ち上がり、隣にお邪魔してよろしいでしょうか?などと尋ねてから私の隣に座る。思わず、笑ってしまう。
「何を笑っているのです?」
「お前と肩を並べて座ったのは何年振りかと思っただけだ。」
「20年ほどは、おそばに寄ったことすらなかったかと。」
「覚えている限りの最後は鼻水を垂らしたガキだったのだが、ずいぶんと変わったな。」
「王位を継承するにあたり、貫禄の一つは必要ですから。」
「まず貫禄とは脂肪ではないと学び直した方がいい。」
談笑はこの程度にしておくとしよう。私は明日以降に始まるだろう日々にわずかな憂いと希望を思う。罰かもわからないが、記憶を持ったままの輪廻転生とは聖書でも聞かない話である。ただいずれにせよ、新たに与えられたこの生は神から賜った奇跡に報いんために使うべきと考えていた。そのため今生は神に感謝し、太陽と月の巡りに祈り、月日の流れと豊穣を喜び、歌や踊りを神にささげて過ごそうと思っていた。ところが、まさかまた国政に関わることになるとは。だがそれこそが神の思し召しなら仕方がない。私は仕切りなおして男に向き直る。
「ウィルディーナ侯爵への要請内容と援助内容を確認する。」
「来月中には周辺貴族の内紛を止めていただく予定です。ほとんど完了しており、現在の援助は物資と金をいくらか。兵についてはほとんどウィルディーナ卿がとりまとめておりますので援助しておりません。不十分でしょうか?」
「問題ない。」
私は先を促す。
「その後は隣国に荒事とならない程度の牽制を、と思っていたのですが、すでに向こうの動きが怪しくなってまいりましたので探りを入れようかと。」
「であるならば、内紛鎮圧後ウィルディーナ卿が迅速に立て直せるように手はずを整えておけ。上乗せした物資助力を行えるよう算段をつけろ。隣国の探りについては明日朝一に卿へ早馬を出し、ウィルディーナ領にいる男爵を使うよう指示を出せ。隣国と戦争にならない限り兵の支援は出さなくてよい。明日中に卿が動けぬようなら私がやると伝えてくれ。」
「かしこまりました。その際のウィルディーナ卿への報酬は、」
「私の婚姻に当たり侯爵領を与えたのだろう?ならば紛争調停については支払わんでいい。むしろ、ウィルディーナ卿には紛争調停完了後すぐに紛争を行なっていた土地一帯を国に還元させるよう伝えろ。隣国の探り入れが終わったら還元させた土地とその土地に付随する爵位を付与してやれば十分だ。」
「かしこまりました。しかし、土地が絡むとなればウィルディーナ卿および国に戦闘を仕掛けてくる者も出てくるのではないでしょうか?」
「あそこは森と痩せた土地ばかりだ。付随する爵位も大したことはない以上、欲しがるものは少ない。それでも反発するようなバカがいるならウィルディーナ卿に取り押さえさせるか、そいつらを隣国へ出兵させてやれ。ただし、その場合はどちらにしろ数年後に戦争を覚悟することになる上、こちらも卿への対応だけでなくかなりの兵を出さねばならなくなる。それを避けたいなら、土地の奪取ごときで戦争を起こさんようにすることだな。」
「善処いたします。」
男は深々と頭を下げた。よろしい。私はうなずく。あとは西の情勢、北の冷害とまだ考えなくてはならないことは山のようにあるが、喫緊の問題は以上である。さて、そろそろ本題に入らなければいけない。
「で、私はどうするつもりだ。」
その問いかけに対し、男は怪訝な顔をしたのちに笑った。
「何のためにあなたを妻にしたのかなど、あなた自身が一番知っているでしょう?」
「お前と子を生せ、と?」
「それも一つです。」
覚悟した上だったが、いざ言われるとため息がこぼれる。まぁ、仕方がない。私はあきらめのため息を吐き終えた後に頷く。
「仕事の程度は?父上は寝込んでおられると聞いた。」
「今の所仕事のほとんどを私が請け負わせていただいておりますので、その補佐、という名目ですべてやっていただいて構いません。」
とんでもない言葉に私は驚きを通り越してあきれる。まさか馬鹿になったのではあるまいか。私は吐き捨てる。
「正気とは思えんな。」
「私よりあなたの方が政治的見聞は1枚どころか、2枚も3枚も上手ですから。仕方ありませんでしょう。」
「16年も政から離れていた奴に務まると思うのか?」
「父上からの命令になります。」
なるほど、父上からの命令となれば過去の私とて無碍にはできない。しかし、父上が死ぬまでは少なからずこの命令も存命することとなる。今の私は下手な立ち振る舞いを許されない身分であるとわかっておられないのか、と憤りたくもなるが、堪えておく。見方を変えれば、このリアンナという女は国母になるための学すらない、元子爵、現侯爵の娘である。極めつけに恋愛結婚の末の結婚と言う特異な経歴付きともなれば、少しばかりの無礼や悪手について周りからなんと言われようとしばらくは無傷でいられる。その無傷でいられるうちにうまく立ち回って立場を成せという命令ともとらえることができる。
となれば、公務について今聞くべきことはもうないだろう。私は外へと耳をそばだてた。音はしない。気配もない。私は男を真っ直ぐに見据えた。
「父上からの命令、快諾させていただこう。して、兄上はどうした。」
ふつりと空気が沈んだ。男は一呼吸を置いたのち、悲しそうに首を振った。
「私とあなたの婚姻が決まってすぐに、事故で。」
「お前が殺したんだろう?」
音が止む。フフッ、という笑いが口角の挙がった男の口からもれだす。
「おかしいですね、ばれましたか?現場に残った決定的な情報はすべてきちんと隠蔽したはずなのですが。」
「そんな情報がなくとも当たりは付く。わざわざ自身の地位を脅かしてでも兄上を殺したいと願うような人間はそうたくさんいないだろうからな。」
男は驚いたような顔をしながらも、目だけは面白いものを見つけたように私を見る。
「兄上の死というプレゼントには、喜んでいただけましたでしょうか?」
「お前が自ら地獄への道を歩んだことを嘆く程度だ。国を思うなら、王になるのは兄上でもお前でも大差はない。」
「ひどい言い方ですね。」
「今、王に使える貴族は揃って優秀かつ忠義に篤い者ばかりだ。少しばかり王の頭が弱くとも国は十分に回る。」
そうですか。別段悲しそうなそぶりもなくそう呟いた男は、さてどこから話すべきかと天井を見上げた。私は言葉を待つ。
「なぜ私が兄上を殺したのかという理由は、知っておられますか?」
「知るものか。」
「あなたを殺したからです。」
私は耳を疑い、男を見る。男は一切として表情を変えず続ける。
「あなたがディルニアを逃がして戦死した。そんな情報が城に届くと同時に、あいつがあなたを捨てて逃げた、という情報もまた城には届きました。」
私は答えず、目を伏せる。城に両軍からの伝文は届いただろうと予想はしていたが、やはりそうだったかと思うと苦虫を噛み潰す思いである。私は尋ねた。
「しかし、なぜ婚約を結んだ直後に当時の王太子なる兄上を殺した?これが下手に露見すればお前の王位は水の泡となる。その点についてはどう考えた。」
「あなたに国の仕事をさせることはすでに決定事項でしたし、あの時には結婚も決まっておりました。もし外部にディルニア死亡の真実が知られた場合は、あなた方一族がディルニアを殺したとするか、あなたが私をそそのかしたとでっち上げるつもりでした。」
「なんだと?」
あまりの唐突な話に私は眉間にしわを寄せた。しかし当の本人はまるで名案と言わんばかりに話し続ける。
「その場合あなたは断罪されることになるでしょうが、そんなものは替え玉の首を大々的に落とせば済む話です。私は魔女の末裔にそそのかされたとして、あなたの死亡と同時に奇跡的に正気へと戻る。そして神の奇跡に感謝し、神の名の下で国王となる。そしてほとぼりが冷めた頃を見計らって隠しておいたあなたに新しい名前を与えてお抱えのメイドにでもして、あなたと共に神の導きによる大恋愛を演じればいい。」
その様子に、反吐が出る。
「貴様、神を愚弄するか。」
「神は信仰の対象ですよ、お兄様。」
この者にこんなことを聞いても無駄である。私は留飲のせり上がりを食い止めて別の言葉を発する。
「私の結婚は、お前から濡れ衣を着せられるためということか?」
「残念ながら、そう捉えられてしまっても仕方がないかもしれません。」
第一王子を殺すことを前提として考えるのであれば、確かに一連の事件は大胆ながらも極めて効率的に民衆と教会の支持を得られる方法ともなりえるだろう。しかしこれは兄弟殺しという悪行極まる卑劣な行為であると同時に神を侮辱する行為である。私は殺気立つ声を抑えることもできぬまま男を見据える。
「その計画に、私がうなずくと思ったか。」
「頷かなければならないでしょうね、国のためを思うなら。」
ここまでことが進んでいては、退くことなどできない。拳の中で爪を突き立て声を落とす。
「共犯は父上とウィルディーナ卿か。ウィルディーナ卿はとにかく、父上に何をした。」
「父上は大切なあなたを失ったショックからこの計画をすぐに飲んでくださいました。」
あの敬虔な信徒である父上をたぶらかすなど。腰に隠すナイフにそっと手を当てる。
「悪魔に囁かれたか、スティーア。」
「滅相もございません、お兄様。それに子爵、今は侯爵ですね。卿には少しばかりお願いをさせていただいたまでです。最後は可愛い娘の将来のためと承諾してくださいました。できれば失敗しないでほしい、という哀願と共に。」
ウィルディーナ家は没落貴族だった。20年ほど前には爵位領と爵位まで剥奪されたほどであった、当時の私によって。ところが私が生まれると同時に一足飛びの子爵位を得たらしく、以降国境の守りを任されていた。幼いながらも目を丸くした覚えがある。しかしその躍進劇を無為に返すどころで済まされないほどに暴力的な計画である。確かに、蓋を開けてみれば卿はこの賭けに勝った。間違いなく地位と娘を守り切った。私の婚約が決まった時の卿の喜びようを思い出す。たった一代で没落、爵位はく奪を受けた後、子爵、侯爵とまで上り詰めた男。大して能力がないわりにはよくやったものだと今になって唾を吐きつけたくなる。子爵位はとにかくとしても、侯爵位を得る賽の目を当てた喜びはどんな舞でも表現しきれなかろう。
「つまり私との恋愛結婚とやらも、」
「16年前から計画されておりました。」
16年前。その言葉に、私はとっさにベッドから跳ね退き扉に走り寄った。が、それより早く男は私を床に押し倒した。私は押し倒されると同時に腰のナイフを、振り抜きざまに男の首筋に入れようとするも、それも手首を殴られ取り落とす。男は歪んだ笑みを顔に張り付けている。
「どういうことだスティーア。」
「そのままの意味ですよお兄様。あなたは生まれた時からウィルディーナ子爵家の娘、リアンナ・ウィルディーナであると同時に、ノルセイン王国第二王子、ディーリア・ノルセインでした。」
「16年前から私の存在を知っていたなど、あり得るはずがない。」
「本当にあり得ないと思ったのならば、あなたは逃げ出さないでしょう。」
少女の体でなければ。私は空の拳を握りこむが、それはあまりに弱弱しい。
「悪魔に魂を売ったか、スティーア。」
「滅相もございません、お兄様。」
万策は尽きている。しかし、この男だけには、この不条理だけには屈するわけにいかない。私は声でもって男を拒絶する。
「でなければ離れろ。離れなければ私は神の名の下に悪魔を断罪する。」
「ならば悪魔で結構です。」
16歳の女の体で大の男を押しやることはできない。手に届かない場所へ離れたナイフではこの男を殺せない。無理やり吸いつけられた唇に抵抗もできず言いなりになる。逃れようと浮かせた腰の下に腕が入り込み、体の線をなぞる。女の体が反応する。
「こちらは、初めてですか?」
「地獄に堕ちろ」
怨嗟の声にすら、男の薄ら笑いは剥がれない。
「夫婦ですよ、お兄様。抵抗されないでください。」
「答えろ悪魔。何人殺した。一体私に何をした。」
「たった2人を殺しました、お兄様。その数はあなたが奪った数よりずっと少ない。」
私に必要な免罪符は、あなたが必要とするよりずっとずっと少ない。呪詛を否定できない私に、酔いの回ったような笑みで男は言う。
「確かに私はノルセイン王国第一王子であったディルニアと、魔女の子孫であったウィルディーナ卿の妻を殺しました、神よ。しかしこれはすべて我が国のために必要なことだったのです。あなたを、お兄様を再びこの世に現わすために。」
「すべての命は平等である。齢など関係なく、生ある者の命を奪うことは重罪であるぞ、スティーア。」
「幼子は生きておりますでしょう?あなたとして。」
転生。これは神の力でなく、魔女の力だと。平時であればそんな御託など鼻で笑って済ませるというのに、今、この男の戯言によって一連の流れにおける疑問がすべて筋を通すことを認めざるを得ない。そもそも、神が1人の少女を贄とするような不完全な転生などをされるはずがない。しかしこの神への冒とく以外の何物でもない事実などがあってなるものか。なにより、この唾棄すべき事実と無関係な幼子が悪魔なぞに穢されるなどあってなるものか。私は歯を食いしばる。
「ディルニアはあなたの存在が怖かった。」
男は目を細めて微笑んだ。せわしなく体をなぞる手に私は息を止めることしかできない。
「何にしてもあなたは優秀でした。勉学、武芸、容姿、信仰心。父上があなたと兄上を見比べ、何を考えていたかは知っているでしょう?」
耐える。愉悦に浸るその顔は兄を敬う顔ではない。隣人を愛する顔ではない。弱者をいたぶり快楽を得る顔である。屈するものか。
「あなたは断られました。自分は王になるつもりはない、国の騎士を統率する騎士団長になる、と。」
戦で勝利する、亡き第二王子は常にそれを考えていた。いかに傭兵を、貴族を、腹心の部下たちを、何より己を動かすか。ディーリア・ノルセインは常に、真っ当な騎士であろうとした。ディルニアが王として国を治め、ディーリアが武を治める。これが最も国を上手く回す方法であるとディーリアという男は信じて疑うことはなかった。そして父上にもそう宣言した記憶は今の私にも確かに、ある。
「でもあなたはそれ程度でおさめるにはもったいない器でした。」
体が震える。それに満足したのか、男は少女の体から手を離した。私は渾身の力でその手を払いのけ、負けじと叫ぶ。
「残念だが、私は殺された身だ。私などに執着せず、おとなしく兄上に王位を渡せばお前はその分の免罪符なしに天国へ行けたはずだ。だというのに、」
「私は天国など興味がありません。」
男は少女の体に覆いかぶさる。逃げられない。体にのしかかる体温が先ほどより熱く伝わる。不快な硬さに顔が歪む。
「それにですね、お兄様。どんな愚か者でも、一生に一度ぐらいは人の命を奪うことはできてしまうのです。優秀なあなただけではない、兄上や、この私ですら人の命を奪うことができたのですから。」
「だからとて人を殺していいと思ったか。スティーア、貴様にあるのは天罰のみだ。」
「お兄様。私は幸せですよ。憧れを手にできて、憧れに成り代わることができて、憧れを人間に堕とすことができること。あなたの口が私の名で汚れていくたびにあなたは人へと堕ちていく。その姿を間近で見れるのは父上でも兄上でもなく、私だけです。そして神に最も近いあなたを貶められる幸せは、あなたにすらわからない。」
ざわざわする全身を撫でながらその男は私を愛おしそうに見る。この男は今、自身が何を言っている分かっているのか。男の吐息がやや露出した少女の胸元にかかる。
「あなたは私の神であり、この国の王となるべき人でした。しかし、あなたは愚か者に殺されてしまった。父上もお怒りでしたよ。神から授けられたといっても過言でない完璧なあなたこそ、王となるべくにふさわしいと。」
首筋を舌が舐める。抵抗できず、思わず声が漏れる。恍惚な顔で男は再度顔を近づける。
「ディルニアがあなたを殺しさえしなければ。あなたがディルニアに殺されさえしなければ。私と父上とウィルディーナ卿、そしてお兄様だって、天への道を踏み違えることはなかったのです。」
少女の素肌にその手が触れる。ならばと私は天を仰いだ。
「悪魔よ、今、貴様は兄である私を犯さんと欲すか。」
「お兄様だから犯すのですよ。」
その言葉を祝言に。私は神に祈りを捧ぐ。
「リアンナ。せめて貴女へ、最大の感謝を。」
鉄の味は断罪を告げた。食いちぎった舌は呪詛をかき鳴らすパンとなろう。口から溢れた贖罪は罪を羅列するワインとなろう。悪魔の顔は絶望に見開かれ、少女に手向けた純潔な死はこの魂を地獄に堕とす。
自己採点
結果:△
評価:醤油ラーメンの材料を用意しながら担々麺を作るんじゃない
反省:ラーメンは海苔がおいしい