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東京へ行く彼女と、最後で一夜の物語

作者: 榎津なめこ

-名塚莉子 別れの日 「いつもの喫茶店にて」-

「…本当に行くの?」

ーーー躊躇いのない、親友の問いかけ。

本気か、と私に語りかける。


この町には、悲しいこと、やりきれないことがたくさんあった。

でも、この子がいてくれたからやってこれた。

私がここにいさえすれば、これからもずっといてくれるのに。


今の自分じゃダメなのだと、思ってしまう。

一緒にいて楽しいけれど。

一緒にいると自分が空虚だと感じられて、

苦しい。


だから、私は行きたいのだ。


私でも何かになれると思えるこの道で、私は胸を張って生きれるようになりたいのだ。


-名塚莉子 回想「高校時代、親友について」-

中学からの付き合いの優香は、道をすれ違う誰もが振り返るほど可愛い。

私の自慢の親友だ。

ベージュ系に染めてゆるくパーマをかけた髪は柔らかで華奢な印象を与えていた。


モデルのような優香みたいになりたくて、自分の髪の毛をいじったりする時期もあったが、上手くいかず、私はすぐに匙を投げた。

ヘアアレンジは勉強とは違い、やればできるようになるものではないと。

要はセンスの問題、なのだ。


いうことを聞かない私の髪。

しかし、優香が私の髪に触れると、まるで魔法にかけられたかのように私の髪は動いた。

優香が私の髪を触る時間がとても好きだった。

鏡に映る自分が特別な存在に思えた。

優香の魔法にかかって、私は自分をようやく愛おしく思えたのだ。


優香に胸を張れる人間でありたい、

私はいつしかそう思うようになっていた。


生まれる、これじゃいけないという焦燥。


-小田原優香 回想「ファーストインプレッション」-

人間ができている。

それが莉子に対する印象だった。

誰に対しても明るく気さくで、よく気が利く子だった


成績優秀な学級委員。

真面目だけれど融通が利いて先生からもクラスメイトからも信頼が厚い。


将来の夢はシェフで

自分のお店を開きたいと考えているようだった。


中学2年の春の時点で、私は人に言えるような夢も

そこへ向かうビジョンも何一つ想像が出来なかったので、素直にすごいなと、そう思った。


クラスメイトとの付き合いの時点で、

私は結構いっぱいいっぱいだったから。


「優香。綾瀬くんって知ってる?」

「わああー今日もかっこいいいー!見て!今!歩いてる男子!」

「ねえ声かけてきてよー!少しでいいから話してみたい!」


小学生の時もそうだった。

その子の意中な男子と仲良くなるのに、なぜか私は駆り出されて、その男子からいじめられるようになるのだ。

断ると、今度は女子から無視されてしまう。

私に断るという選択肢はなかった。


だから声をかけたのだ。

にっこりと笑顔で、朗らかに。

なのに。

「用があるなら、要点をまとめて話してほしい。

そういうの、困る」

とは??!


怒りに震える私。

ねえ今の信じられないよねという想いで

友人達の方へ振り返ると、

全員の表情から、残念。役立たずがという雰囲気が感じられた。


その時に私ははじめて、グループの中の自分の役割というのをはっきりと意識させられた。


-小田原優香 回想「別れを告げられた瞬間」

わー、やっぱり似合う!

その髪型のが大人っぽくていいなあ。

あたしのセンス、さすが!

ーーー…すごく私の、好み。

発した言葉と裏腹な、内に秘めた想い。


放課後、いつもの喫茶店で。

東京に行くのだと、突然彼女は言った。


本当にびっくりしてしまって。


東京にいくんでしょ?

もっとオシャレな髪型にして、高校デビューならぬ、東京デビューしたら、どう?

…莉子ができるようになるまで、あたし、教えるからさ。


どうして?

…行かないでよ、と

発してしまいそうになる言葉を飲み込んだ。

物分かりのいいフリをして、

私はそう答えていた。



-名塚莉子 回想「幼馴染について」-

突然だが綾瀬怜人は私の幼馴染だ。

家が近所で、保育園の頃から一緒だった。

お互い親が片親で、働いていて、当然迎えに来るのは遅くなるので一緒に親を待って遊んでいた。

私と綾瀬の仲が良くなるのは必然だった。


私の父は多忙であまり私を迎えに行くことができなかった。

そんな日は綾瀬のお母さんが私を家まで送ってくれた。

とても綺麗な人だった。

「お母さん」という存在に連れられて帰ることのできる、そんな日の私はいつも上機嫌だった。


小学生までは良かった。

この時点で8年もの付き合いだった。

中学生、

これが問題だったのだ。

中学校は大概どこでも女子と男子は別れて行動するものだ。

しかし綾瀬はこの歳になっても私にべったりだった。

そして、綾瀬は目立つ男でもあった。

それが問題をさらに増長させた。

母親譲りの美しい容姿。物憂げな表情。成績優秀で運動神経もよく、とにかく優秀だった。

クラスの女子が盛り上がるのも分からなくはない、と思う。

しかし綾瀬のおかげで私は女子からのやっかみを受けた。


様々な苦労はあったが、私はそれをうまく躱した。

私は「優秀な綾瀬に対抗心を抱いている、綾瀬には引けをとるが私もまた優秀!という幼馴染キャラ」を中学高校で確立したのだ。


そのキャラを確率させるために、私は数式を頭に詰め込み、わけのわからん古文や漢文を猛勉強した。

掲示に貼られる学年順位で私の名前は綾瀬の左に並んだ。

中学一年、二学期の中間テストの頃には、それは学年で一種の名物となっていた。

どんなに勉強しても、私は二番手に甘んじることしかできなかったが。


「幼馴染で昔からライバル???なんだあ〜っ。今回のテストは順位勝てるといいね♡ 頑張って!(byぶりっこ)」

「大変ねえ〜あんたも…くっくっく(by自称サバサバ系女子)」

試験日が近くなると必死な表情で勉強に臨む私の姿が同情を引いたのか、敵対の視線を向けられていた女子から、私はいつしかそう声をかけられるようになっていた。


はあ、しんどい。

こうして勉強漬けになっていったのだ。

どんなに順位を落としても、学年で一桁台の成績は取らなくちゃ心配されてしまう。

家事だってしなきゃならないのに。

あ、それはあいつも一緒か。

いや違う。あいつバイトはしてなかった!


-綾瀬怜人 回想「幼い頃の思い出」-

「一緒に行こう?」

もう、いやなの、と言った幼い彼女を今も覚えている。

それは、いつもお姉さん然とした彼女が遠足で置いてけぼりを食らった自分にかけるような優しい言葉ではなく、

もっと、強い強い想いのこもった

歪な、俺に心中を持ちかけるかのような。


莉子に手を引かれ、二人で暗い夜の道を歩いていた。

冬が近づいているためか、あっという間に日が沈み、冷たい風が吹き始めた。

土手の道から見上げた月は怖いくらいに大きく。

月明かりだけが自分たちを照らしていた。


子供だった。

確か、小学生だったか。

嫌な場所から逃げたい、強い想いは確かにあるのに、

意思だけではできないことがあるのだ。

それを痛感させられた日だった。


偶然迷った森の中。

高い木に囲まれた暗い小道に、ぽつんと一軒の家があった。


明るいオレンジ色の光が溢れている窓に惹かれ、俺は窓を覗き込んだ。

莉子が追いかけてきて「なにやってるの!」と怒ったように言う。

しかし、俺は窓の中の光景に夢中だった。

呆れた様子の莉子も窓の中をちらりと覗く。

息を飲んだ声が聞こえた。

窓の中では、自分たちの知らない暖かな食卓が囲まれていた。


窓から中を覗く子供二人の姿を発見し、見かねたのだろう。

その家で料理屋を営む(お客さんが来ないため、残り物を夕飯にしていたそうだ)老夫婦に俺たちは招かれた。


腹が減っていた。

心配そうに俺たちの顔を覗き込む老夫婦に、お腹がすいた、と俺はいった。

蚊の鳴くような声だった。

とても疲れていた。

どんなに悲しいことがあっても、

もう終わってしまいたいと思っても腹は減って、食べたい、と思ってしまうのだ。

それがとても皮肉に思えた。


少し前にいた彼女の顔は見えなかった。ただ俯いていた。

握られた自分の掌がとても痛かった。


老夫婦にあたたかな料理を振舞われて、俺はそれを一心不乱に食べていた。


最初は箸が進まなかった彼女も、

くう、とお腹を鳴らしてようやく食事に手につけた。


スープを口に運ぶと、彼女はぎゅっと瞼を閉じて涙を流した。

その身を震わせることもなく、

声を上げることもなかった。


老婆は俯く彼女の肩に暖かいブランケットをかけた。

「ありがとう、ございます」

顔を上げた彼女は、もう涙を浮かべておらず、不器用に笑っていた。


それからは彼女が和やかに話し始め、食卓が暖かな雰囲気に包まれた。

彼女は振舞われた料理にいたく感動したようで、老夫婦に仕切りにお礼を言っていた。


その後、俺たちは家に返された。

老夫婦は、冷えた体をあたたかいブランケットで包んでくれた。

まるでプレゼントになった気分だった。

家まで運ばれて、窓際に置かれても、誰も喜びはしなかったが。


それから数年が経って、

偶然その時の老夫婦に再会したのである。

お店を続けるのは難しい(辺鄙な場所にあるからじゃないかと俺は思うのだが)、と判断したようで数年前から娘夫婦のいる町に越してきたようだ。


「お久しぶりです。あの時はありがとうございました」


「元気そうだねえ。それなら本当によかった」

老婆が目尻を下げ、穏やかに笑う。

そして老婆は突然真剣な眼差しを俺に向け、きゅっと口を結び、こう言った。


…単なる迷子だと思っていたんだよ。

でもあの時の女の子の泣き方を見て、これはただの迷子じゃないんじゃないか、って思ったんだ。

ここで大丈夫、って言われたから家の近くで別れたけれど、見送ったその子が入っていった家は明かりが点いていなくて。


ずっと気になってはいたんだよ。

今更言われても、あんたは困るだろうけれどね。


その言葉を聞いて、俺は驚いてしまった。

…誰かに理解してもらう気も

いちいち説明する気もなかった。

ただ二人手を繋いでいたかった。

でもどこか莉子から距離を感じて、

それがもどかしかったけれど、

確かめ合うことも怖かった。

やっぱり自分はたった一人で生きるしか

ないんじゃないかと

一人殻に篭って、寒い場所で震えていた気がする。


…だが。

そんな自分も誰かに助けてもらったことがあったのだ。

老夫婦に再会して、そんな当たり前のことを痛感されられた。

今更なのは、自分だ。


何故気づかなかったのだろう。

思い出しもせずに勝手に震えていた。

でも、気づいてみればすぐ傍にいたのだ。

一度思い出せば、自分の心から離れない。

それはなんて暖かい…

じんわりと、心につかえた氷が解けて

体の強張りが緩んだ。

この人に報いたいという想いが、心から芽生えていた。

普段の自分からは考えれないくらいに、

言葉が溢れてきた。


「今更なんて、思いません。俺は、今日、貴方たちに会えて本当に良かった。

一度会ったきりの自分たちを気にかけてくれるような人もいるということを、知ることができたから。

これは本当に、よろしければ、なんですが。

お店は畳んでしまったようですけれど、また貴方の作った暖かい食事が食べられればと思います。

どうか、お願いできませんか」


老婆はぱっと顔を上げて、はにかむ。


「当たり前じゃあないか。

今日だって、いいくらいだよ」


家に帰っても何もないから。

その日は言葉に甘えて、老夫婦とその娘夫婦と食卓を囲んだ。

すこし図々しいのではないか、と自分で思うところもあったが、そんなことが気にならなくなるくらい楽しい食卓だった。

相手もそうであれば嬉しいと、そう思った。


俺の話はこれでおしまい。


-小田原優香 「別れの日、サプライズ」-

明日の夜7時。新幹線に乗って東京へ向かうと彼女は行った。

最後は最寄りの駅で待ち合わせをして、新幹線のホームまで見送る。

そういう流れになっていた。


もっと長くいたい。

そう思ったのは間違いだったのだろうか?


莉子に内緒で。

サプライズ!のつもりで彼女の家に向かった。

モスグリーンの二階建てアパート。

築30年なんだよ、と彼女は恥ずかしそうに言っていた。

確かに内装は古いけれど、綺麗に利用しようと整理されたナチュラルな空間は確かに彼女の家という感じで、私にはこのアパートがとても素敵なものに思えた。


到着して、彼女が扉を開け出て来る姿をどきどきと待ち望んでいると、

急に怒鳴り声が聴こえた。

父親の声?


私は初めて彼女の父親の声をきいた。

私が彼女の家に行くときは、いつもいなかったのだ。


彼女が勢いよくドアを開けて出てくる。

大荷物を持って渡り廊下を走る。

同じ場所から男がでてくる。

男はものすごい勢いで彼女を追いかけーーー


離れた場所にいる私の耳にも轟く

張り手の音が、閑静な夜の住宅街に響き渡った。


-小田原優香 「リアルタイム」

彼女が階段を降りてきた。

初めて見た、彼女の表情。


何も写していない真っ暗な瞳をしていた。

どこまでも先の道を見通しているようで、自分が信じた道をアクティブに突き進むクラスメイトの姿は、そこにはいなかった。


一生懸命で、真面目で、いつでも人に気を配れる優しい子。

ーーー少し地味だけど、でもかわいい。

それが私が彼女に抱いている印象だった。



-名塚莉子 別れの日 「ピエロ」

知られたくなかった。

私が見せる私だけを見ていて欲しかった。


私は父親に愛されていなかった。

私の作った、ご飯も、食べてもらえない。

普段は無関心なくせに、私が家を出て行こうとすると

お前はあの母親と一緒だ。とんだあばずれだ。男のところへ行くのか、と言う。

私は母から生まれたけれど、私は母ではないのに。


違うよ。調理の専門学校にいくの。

一人暮らしのお金はね。ずっとバイトしてたから大丈夫。

学校のお金だって免除してもらえるの。

私、頑張ったんだ!


そう言っても聞いてくれない。

あの母親と一緒だ。

男のところへ行くのか。

とんだあばずれだ。

ただそれを繰り返すばかり。


優香に疲れた顔を見られた瞬間、私と父親の関係が全てが見透かされた気がした。

親に愛されていない子供。

そんなことは絶対に知られたくなかった。

私は本当は違うのだと叫びたくなる衝動を堪えて強がり、朗らかに笑って、仮面を被った。

みんなが何気なく話す家族との日常。旅行の話。

…そんなことを、私は知らないのだ。

知らないのに、とにかく相槌を打っていた。

すごいね。いいな。羨ましいな!

本当に本当に、本当に羨ましくて、ただただ自分の存在が虚しく思えた。


そんな虚しい気持ちになった夜はいつも思い出す。

幼い日の、あの冬の夜の食卓。

心にぽっと火が灯るような暖かい気持ちにしてくれる。


あの冬の夜に食べたご飯があんまりに美味しかったから。

父にも食べてほしくて

私と同じ気持ちになってほしくて始めた料理。

でも父は手もつけてくれず、

私の料理を食べてくれるのは、綾瀬だけだった。


綾瀬の母親は料理をするような人ではなく、いつも男の人の背中を追いかけていた。

そんな時はいつも上機嫌で私にも優しくしてくれた。

空のような人だった。

どこまでも高らかに笑い、あたたかい空気で包んでくれるのに、男との関係が切れると雷を鳴らし、空はあっという間に灰色になって、地面にいる私たちへ雨を叩きつける。

喜怒哀楽があることは素晴らしい、とは思う。

でもなるべくいつも一定な気持ちを保っていようと私は、きっと綾瀬も、考えるようになったと思う。


-名塚莉子 回想「アンサティスファイド」-

おいしい、といつも綾瀬は言う。

綾瀬は私のイエスマンだった。


私と綾瀬の家は近所だったけれど、学区が分かれる境目で、本当は別々の中学校に進学する予定だった。

でも綾瀬は私と同じ中学に進学した。


そんな綾瀬がいうおいしい、に私は物足りなさを感じていた。

どんなに明るい食卓を真似てみても、私たちでは所詮

イミテーションにすらなれないのではないかと、

そんなことも感じていた。


中学への進学ははささいなことかもしれない。

でもいまとなってはわかる。

高校も私が言ったところに進学した。

本当はもっと上に行けるのに。

綾瀬は上京だってしようとした。進学先も一緒。

私が行くのは調理専門学校なのに。

もちろん綾瀬に言った専門学校とは別の場所を受験した。そしてもちろん、合格した。


そんな自分の可能性を摘むようなことはやめて。

そう言っても聞きはしないのだ。


綾瀬が私の側にいる限り、私は忘れることができないのに。

私は私でしかないのだと、どうにもならないのだと。


いくら普通に振舞っても、

本当のお前はこうだろう?

そう言われている気がしてしまうのだ。

綾瀬にそんなつもりは毛頭ないと、私は酷いことを考えていると、わかってはいるのだが。

もう私から離れて欲しかった。


中学2年の時、クラスメイトになった優香が私の料理を食べてくれて、私は確かに誰かから求められている感覚を掴むことができた。

私が演じる理想とする私を。

あなたが求めてくれた。


すらりとしてモデルのような優香は、あの時、拒食症と過食症を繰り返していた。


クラス委員をしていた私は、クラスメイトの変化を敏感に察知していた。

様子が変だと、追いかけたその場所で優香は嘔吐していた。

戸を閉める余裕もなかったようで、個室に入れた私は大丈夫かと優香に声をかける。

大丈夫。誰にも言わないでと優香は言った。

しかし濡れた瞳と青白いその顔はたしかに助けを求めていた。


彼女はきっと安心を求めていた。

それがわかった。

私もそうだったから。

ただそこにいることを誰かから許可して欲しかった。


今まで生きてきて、そのモデルのような容姿を褒められなかったことはないだろう。

自分の容姿こそが唯一の存在理由で、守らなければ友人が離れていく、そう思い込んでも仕方ないほどに。


私はただ彼女を抱きしめた。

吐瀉物で汚れた彼女の顔を構わず自分の肩に乗せ、自分の左手を彼女の腰に回し、右手を彼女の頭に乗せ、あやすように彼女を撫でた。


次に優しい言葉を囁いた。

この順番がとても有効なように確信していた。


私はあの手この手で優香に正常な食事を摂らせた。

彼女のためにひたむきに取り組めば、きっと心を動かし、答えてくれると思った。

落ち着いた頃には、お互い親友のような存在になっていた。


お互いの家に頻繁に遊びに行った。

モデルのような優香の自宅は、ドラマのロケ地のようにキマっていた。

お姫様のような部屋にある大きなクローゼットにはかわいい服が溢れんばかりに入っていた。


そこで私は無意識におしゃれを避けていたことに気づいた。

あばずれ

父親の言葉が針となって私の心臓を突き刺していく、そんな心地だった。

こんな素敵な空間に、今、私はいるのに。


優しいお母さん、頼れるお父さんがここにはいた。

その日は夕食も一緒にしたのだ。

にっこりと笑顔を浮かべて食卓を囲みながら、私は吹雪の中に放り出されたようだった。

足は棒で、私はただ笑顔を浮かべるだけの人形だった。

あんなにも憧れていた暖かな家庭が、今は私に牙を向けていた。


一緒にいて、苦しい。

でも、手放すなんてこと、もうできない。

すごく暖かかった。

落ち着いた。

私が知らんふりをすれば、本当に理想的な人との関係だった。

しかし、それは津波のように私へ押し寄せ、飲み込もうとしてくるのだ。


決して悟られてはいけない。

親に愛されていないなんて、そんな恥ずかしいことを知られてはいけない。


思い知らされたくない。

この町にいる人、風景、空気、全てが私をやりきれない気持ちにさせる。


だから、こことは違う場所で。

もう一度、もう一度あなたと一緒に………!


…彼女に胸を張れる人間でありたい。

私はそう思ったのだ。



-小田原優香 別れの日 「ダルセーニョ」-

私の顔を見て、彼女は声にならない叫びをあげた。

ガタガタと体が震え始めたと思ったら、走り出して、道の向こうへ消えてしまった。


私は追いかけられなかった。


「どうした。莉子は行ったのか」

と声がする。

向かいの黒い無機質なコンクリート住宅から出てきたのは綾瀬だった。

いつも莉子のまわりをちょろちょろする奇妙な男。

やつも大荷物だった。


「俺も行く、けど。お前は?

追いかけないのか?」

私が黙っているからか。今日はやけに綾瀬の口数が多く感じた。


私は東京に行くつもりはなかった。

莉子が綾瀬のストーカー気質ににこにこしつつも辟易としているのは感じていた。

だから私は「地元にいても莉子のことをわかっている大親友」であろうとしたのだ。


でも、あんな別れ方をしてしまって、それでも私は帰る場所でいられるのだろうか。


ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

短い時間に、たくさんのことが起こりすぎた。

たくさんのことが起こったが、私にとって一番重要なことは、彼女は行ってしまい、もう帰ってこないかもしれない、ということだった。

あまりに突然のことで、ショックが抑えられない。

動揺している私に対し、いつもと変わらない綾瀬の態度が気に食わなかった。


綾瀬を、傷つけてやりたくなった。

幼馴染だかなんだか知らないが、莉子のことを何でも知っているみたいな顔をしていることに腹が立った。

綾瀬のしていることは見当違いにも程があると思っていたからだ。

ただべったりと近くにいるだけじゃないか。

気持ち悪い。

だから、吐き出したかった。吐き捨てたかった。無意味だと思い知らせてやりたかった。


「あんた莉子に避けられてるのわからないの?

あんたばかなの?

…引っ込んでなさいよ。見てて恥ずかしいのよ!」

頭が煮えくり返っていて、ろくな言葉を紡げはしなかった。

綾瀬の表情は変わらなかった。


「あんたの変わらないその表情が、本当にムカつく」


負け犬の捨て台詞だと、自分でも感じて俯いた。

莉子に置いていかれた、とショックを受けるなら

自分も今からでも追いかければいいのだ。


「…知ってる。そんなことは。ずっと前から」

ぽつり、と綾瀬が呟いた。

驚いた。

再び顔を上げたら、綾瀬と目があって、先ほどとは違う表情を浮かばせていたからだ。

その瞳の奥には、確かに意思というものが感じられたからだ。

あんたも、そんな表情するんだ。


「あいつに一人じゃないって教えてやりたい。俺はそれだけなんだ」


私の叫びは、スポンジが水が吸収するごとく受け止められた。

言葉は幼稚すぎて、威力もなく、

私の今抱えているこの気持ちを1/10000も伝えられなかった気がしたし、

なんと言っても自分の幼さが恥ずかしかったが、

それは、気分が悪いものではなかった。


「…あんたもそんな表情するんだ」

にっと笑って、私はそんなことを言ってしまった。

綾瀬は自分で意識してやっているのだろうか、と

どうしてだか口に出しておちょくってやりたくなったのだ。


「いつもスカしてて気に入らなかったの。

そっちの方が、ずーっと、いいよ」


「俺も、今の自分の方が気に入ってるんだ」


意外にも、綾瀬はそんな風に切り返してきて、

にっと私と同じように笑った。


「なんかさ、最近わかったことなんだけど感情を出すのが…、人とコミュニケーションをとること自体が怖かったんだと思う。

自分は本当は嬉しいけど、でも相手はそうじゃないかもしれない、気を使っているだけかもしれないって。

もしそうだったら耐えられないから、

だから自分から壁を作ってたんだ。

でも俺は怯えすぎてたのかもしれないなって」


「そうだよ。言ってくれなきゃ伝わらないし、そういう悩みとかも共有したい、って思ってくれる人、いると思う。

なのに自分から遠ざけてちゃもったいないし、その人も悲しい気持ちになるし、自分もずっと、寂しいままだよ」


「そうだよな」


「なんか俺、今日、小田原と話せてよかったな」


「…私も。

あんたのこといけすかな〜い♪まま、

終わらなくてよかったかも!」


「なんだそれ」


二人してにっと笑いあう。


「…じゃあ、行くから」


そして綾瀬は一度手を振ると、もう振り向かずに道の向こうへ消えた。


都合の良い話ではあるが、

綾瀬に会えて、本当によかったと思う。

一緒にいたいなら、追いかければ良いのだ。

そう。それだけの話なのだ。


-名塚 莉子 別れの日 「ホワイトメモリー」-

父親に髪を引っ張られて、まだ頭皮がジンジンする。

優香にサイドに結わいてもらったお団子をそっと触る。

髪型、崩れていない。

ほっと安心する。


編み込みをした髪と、してない髪をふわふわのお団子にして余った髪をサイドに垂らす。

何回も教えてもらったけど、私にはできそうにない。

結局、優香が東京に遊びに来たときにまた教えてもらうということになったのだ。


新幹線のホームで、遊びに来てねと引越し先の住所を渡すつもりだったのに、これも渡しそびれてしまった。


見られてしまった。

逃げることはなかったのかもしれない。

ちゃんと話しておけばよかったのかもしれない。

でも、私はーーー。

対等でありたかったのだ。

同情されるのなんて嫌なのだ。

だって私はちゃんと生きている。非行に走ることもなく人に混じって社会的規範の中で生きれている。


あれを見て何も思われない、ということはない。

それが、耐えられなかったのだ。


お団子を解こうとして、やめる。

たった1つ残した帰れる場所。


いつ帰れるのかなあ…?


暗い空を見上げて、私は瞼を閉じ涙をこぼす。

止まらない、無かったことにできない涙なんて初めてだった。


鼻先に冷たい感覚を感じて、空を見上げると

雪が降っている。

私の心を白く染めてほしい、と思った。

私に、どんな色彩をもみせないでほしい。

見たくはないのだ。

羨ましくなってしまうから。

私なりに頑張って生きてるつもりなのだ。



-小田原優香 一年後 「エピローグ」-

数年後、あたしは上京した。

今はモデル兼タレントで生計を立てている。


とあるバラエティで人気タレントが

飯をたくさん食えるだけで、仕事にありつける

だなんていっていたことは聞いたことあるけど、それは本当だ。

生活が全く厳しくない、というわけではないけれど思ったよりずっとまともな生活にありつけている。


今はゲスト出演だけれど、誰もが知っている番組にレギュラー参戦してもらえないかって話もでている。

雑誌で表紙を飾る回数も増えて来た。

雑誌のコーナーで読者のお悩み相談というものを、雑誌編集さんにあなたの話は面白い、という好意で作ってもらったのだけれど好評みたい。


送られてきた手紙は全部読んでいる。

雑誌に載せることができるのは一部しかなかったが

私はなるべく全部に返信を書いた。

マネージャーにはどんなことが問題に繋がるかわからないからと止められたが、私の必死の懇願に折れたようだった。


仕事の関係の人に迷惑をかけてはいけない、本業を疎かにしてはいけないと言うことはわかっているが、

この相談コーナーの仕事を、そんな半端な気持ちでは、絶対に絶対にやりたくなかった。


この仕事もこの先どうなるかわからない。

けれど、テレビ、雑誌、そういったメディアの媒体の中で、あたしは、あなたの帰る場所はここだよ!と、

発信して待っていたい。

そう思ってるんだ。


莉子を探すこと、できないことはないけれど、

莉子自身が納得できないと、また自分から逃げ出してしまうんだろうなってことが手に取るようにわかるから。


もし莉子が料理の道で大成したら、モデルとそのモデルのお気に入りの店のシェフ、とか、

そんな関係からまた始められたらいいな。

莉子が自分を恥じる必要なんてどこにもないとあたしは思うけれど、あなたはそう思えないんでしょう。

現時点じゃあ、誰が何をいっても響かないんだわ。

たしかにやり遂げたと、もう大丈夫だとあなた自身が思えない限り。

…難儀な人だ。

あと、本当に勝手。


でもそんなあなたが好きだから。

そんなあなたに私は救われたから。

だから付き合ってあげましょう。


ずっと待っている。

見せかけをよくすることで守っているのと同時にボロボロになっていた私の弱い心を救ってくれた。

あなたの料理を、また食べられるその機会を。

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