魔王様の怒り
「なぜそこまでしてこの国を復興させようと願うのだ」
俺からしてみれば当然の疑問だった。彼は魔族のそれも魔王軍の幹部の一人の筈だ。それなのにどうして人の国である青龍領を元に戻そうと願うのだろうか。
「魔族と人間は確かに敵対しています。ですが、私のように悠久の時を生きてきた者からすれば人の子も可愛く映るのです。この老いた命に価値があるというならば使うのが道理でございましょう」
「本気……なんだよね?」
「ええ、本気ですとも」
彼の決意は固く変わりそうにない。ならば尊重するしかないだろう。
「彼の命は僕が終わらせるよ」
そういう彼女の顔は沈み切っていた。
沈んだ空気の中、俺たちは件の神殿へと向かう。祠の中に入ると彼は死ぬことが出来ないというので、祠に入る前に彼を殺すこととなった。
「ありがとうございます魔王様。私のわがままを聞いてくださって」
俺は何も答えられなかった。感謝されることなど何一つしていない。
「じゃあ、いくよ」
アイラはそう言って剣を高々と振り上げる。けれども、振り上げられた剣が彼の首に届くことは無かった。
アイラが剣を振れなかったのではない、振り下ろせなかったのだ。
何かが割れるような甲高い音と共に、彼女の剣が、腕が凍り付いていく。
「何事だ?」
「下がるんだっ」
凍り付くアイラは全身が凍る前に、俺を蹴り飛ばす。その直後、俺がいた場所には巨大な氷柱が突き刺さっていた。まさか、あいつが?そう思い竜人の老人の方を向くと、彼もまた氷漬けになっていた。
「ふうん。悪運はあるのね」
冷気によって形成された白い靄と共に、どこからか少女が現れた。
青いショートボブ気味な髪形、そしてそれと対照的な赤い角。極めつけは青い大きな尻尾。
竜人だ。
「何をする、小娘」
「私のおじいちゃんに手は出させないわっ」
「それが彼の意志だとしてもか?」
「だとしてもよ」
交渉は決裂のようだ。彼女の背後に槍のような形の氷柱が形成される。
「警告よ、あの女と同じように死にたくなかったらここから去りなさい」
「まさか、アイラっ!!」
彼女がいたはずの場所にもまた氷柱が突き刺さっていた。
アイラは死んでしまったのか?
まさか、彼女に殺されたのか……?
彼女が死んだのかもしれない、そう思った時体のそこからどす黒い何かがこみ上げる。こみ上げてくる何かに呼応するように鍵もまた黒く光り始める。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
そうか、これは怒りか。
気付いた時には俺の意識は黒い何かに飲み込まれていた。
***
竜人とは高い知性と強靭な肉体を持つ種族であり、魔族の中でもかなり高位に位置する。もしも冒険者などが彼らを倒そうと思うと、かなりの戦力が要求される。5人、下手したら10人がかりでも倒すのが難しい魔物だ。そう、彼らは強いのだ。
だが、そんな強さを微塵も感じさせないほどに魔王は強かった。
魔族を統べる王、それが魔王。しかし記憶と共にその力は失われている、それは竜人の少女も知っていることだった。彼女の祖父からその一つを譲り受けたとしても七分の一。七分の一程度なら自分でも如何にかできるはずだと彼女は愚かにも考えてしまったのだ。
黒く染まった魔王を見て、聡明な竜人の少女は一瞬で気づいてしまう。
自分がその七分の一の足元にも及んでいないことを。一瞬でも敵うと思ってしまった自分の愚かさを。
そこから先は一方的な暴力だった。
彼女の魔法は一切通じることはなく、ただ一方的に殴られる。
勿論、竜人種は強靭な肉体による肉弾戦も得意だ。だが、それも叶うことは無かった。
少女はここで自分の死を悟る。そして目を瞑り祈った。出来るだけ楽に死ねることを。
だが、終わりの瞬間が来ることは無かった。彼女が目を開けるとそこにはいる筈のない者がそこにいた。
銀色の髪に真紅の瞳。人の形をしているが、その内から感じられる魔力は邪悪でとても人間とは思えない。そう、それはまさに彼女が殺したと思っていたはずの少女、アイラだ。
アイラは魔王の腕を掴み投げ飛ばす。
「よかったよ、スムーズに記憶の扉が開いたようで」
「え?」
「それより大丈夫かい?」
竜人の少女は口をポカンと開けてただ頷くことしかできない。アイラはニコリと少女に向かって微笑むと、彼女に少し離れているように促す。そして起き上がろうとする魔王に向かって切りかかった。少女はただ驚き、息をのみその場を見守ることしかできない。何故ならば自分が足元にも及ばない魔王をアイラは圧倒していたのだから。そして、少しの後に魔王は何かの糸が切れたかのように倒れてしまう。
***
やけに体が重い。それに、頭の中に何かが入ってきて割れるように痛い。これは、記憶なのだろうか。
様々な情景が頭の中に入り込んでくるが、どれもこれも断片的で何を意味するのか分からない。
それに今は一体どういう状況なんだ?確か、俺はアイラが死んでしまったのを見て……。
「アイラっっ」
「なんだい?」
叫んで起き上がると、意外なことに無傷なアイラはニコニコと笑って手を振っていた。
さっきのは夢だったのか?いや、夢じゃないな。
アイラの隣には何かにおびえるようにして震える竜人の少女がアイラの陰に隠れるように立っていた。
それも涙目で。
「えっと、これはどういうことだ?」
「彼女はラキ。これから僕たちと共に旅をしてくれるそうだ」
「いや……えっ?」
「君は結構長い事眠ってたからね。さて、どこから話したものか」