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SINEES。  作者: Citron
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序章 武蔵区(CDP2055)



1.逃走(1424)


「やるぞ……」

そう呟くと白い息が零れる。

2月の寒空の下。

意を決して、遂に向かうのだ。

僕は今から犯罪を犯す。

良心よりも、法律よりも、大事なものがその奥にあると信じて。


東都第三関所と書かれた標識を横目に見ながら、眠たげなふたりの監視員に近づく。

真冬の夜の勤務は大変だろう。

もっとも、不測の事態を起こし、彼らの仕事をまさに今増やしてしまうのが僕なのだけれど……。

「あのー、すみません」

僕が窓口越しに話しかけると、体格のいい方の監視員が立ち上がった。

「パスポートはお持ちですか?」

「いえ、ちょっと道をお尋ねしたくて……」

内心ドキドキしながら、僕は横にチラッと目をやる。

金属探知機のようなゲート。

パスポート認証者以外が通るとたちまち警報がなる仕掛けだ。ここを合法的に抜けるにはパスポートが必要不可欠ということだ。

「構いませんよ、どちらに?」

そう優しく言って体格のいい監視員は、窓口の部屋から出てきてくれた。その優しさに少し心が痛む。

計画通り、とゲス顔ができるほど人の心を捨ててはいない。

「えっと、区立病院なんですが……」

とは言いつつも、やはり計画を潤滑に進めるために演技を続行する。

ここから区立病院はかなり遠い。説明するのには時間がかかるだろう。


今だ_______。


彼女がこそっと窓口に近づくのを視界の隅で確認した。

ここまでは作戦通りである。

窓口の監視員のひとりを連れ出す。すれば、その間窓口の部屋に鍵をかけはしないだろうから、そこを彼女が侵入し、残った監視員のひとりをスタンガンで気絶させる。そして、警報システムを切りふたりで関所を越える、という彼女の完璧な作戦だ。

僕がなぜ囮の方なのか、普通逆なのではないか、そういう意見もあるだろう。ごもっともです。でも彼女の性格がそれを許さなかったのだから仕方ない。人には向き不向きがあるんだ。決して僕が怖かったからじゃない。


「侵入者だ!!」


男の叫び声が聞こえて、僕に説明してくれていた監視員は、瞬時に振り向いた。

「すいません、説明は後で」

そう律儀に言い残し、彼は窓口まで走っていく。

その奥に見えるは監視員に手を掴まれている彼女。どういうこっちゃ。

僕はあえて走らなかった。

そして、体格のいい監視員を死角にして、彼女の手を掴んでいる監視員の目に持っていたスマホでフラッシュを浴びせた。

「なんだ?!」

彼の目が眩んでいる隙に彼女を奪い返す。成功したらしい。ラッキーだ。ちょっとマンガっぽいかもしれない。

「走るよ」

「おい待て!!」

僕は彼女の腕を掴んでひたすら走った。すぐに振りほどかれた。え。

「なんで彼氏面な訳?」

「君はなんでそんなに落ち着いてるの?」

「あんたを信じてたから?」

「彼女面やめてくれ!?」

「はぁ?!ふざけんな!!」

「いや待てそれはこっちのセリフだ!捕まってたのはどこの君だよ!?何が完璧な作戦だよ!?」

「うるさい!あんたも君は天才だ!とか褒めちぎってたくせに」

憎まれ口を叩き合うふたりは、真冬の深夜に白い息を撒き散らしながら、迫り来る監視員を背に都会の中をひた走る。

「追いつかれるよどうするんだよ!?」

「にしてもCDP2055の都会はやっぱ凄いね〜」

「呑気すぎる……」

「あ!パンケーキ屋だ!!」

「楽しんでる場合かーー!!」


僕らを追いかける監視員は、いわゆる国家公務員である。

とどのつまり、僕らは国を敵に回したということだ。

何がそうさせたのか。

なぜこんなことをしているのか。

話は二日前に遡る______。




第1章 信州区(CDP2005)



2.日本(1212)


2040年。

世界の情勢は最悪だった。

その最悪の事態の一つが、IS。

イスラム国の活動の激化だ。

東京五輪後、移民受け入れを余儀なくされていた日本も例外なくテロの被害に遭ってしまったのだ。

テロに怯える日々、増え続ける犠牲者。

改善されない現状に、ある人は運命を恨み、ある人は世界を恨み、多くの人は政府を恨んだ。

国民の不安と不満は限界に達し、まさに一触即発といった状況だった。

そんな中、日本は悪夢を見る____。

2041年9月、ネット上でISはある動画を公開した。その内容はあまりに惨憺たるものだった。動画の中でISは、五人もの日本人を人質として、政府に東京全土を要求した。それは東京がISの拠点になるということを意味していた。到底無理難題な要求に、政府は両手をもがれたモグラのように何も出来なかった。

そして……五人の人質が四肢を順番に切り落とされる映像が日本中に拡散された。その再生回数は国内だけでのべ5千万回とも言われている。

日本国民の堪忍袋の緒は完全にぶった切られたのだ。

国会議事堂前で戦後を彷彿とさせるデモが続いた。そのあまりの過激さに東京は血の都と呼ばれるまでになった。

それからこの国がそれぞれ地方分権への道を進んでいったのも当然の流れだと言える。国会は信頼を失くし、首都はISの狙いの的となっているのだ。民間人は、デモの海と化した東京を忌避するようになり、一極集中で華々しく日本の頂点に立っていたあの東京の姿はもうどこにもなかった。


この頽廃した状況が続き、遂には国家警戒レベルが2に達した、2045年4月11日。

遂にその事件は起きた。

東京で40000人が死傷する世界最大爆破テロが起きたのだ。爆弾が大量に仕掛けられた場所は、国政の中枢_______国会議事堂だ。

その時、まさに緊急臨時国会を開いてた最中ということもあり、当時の首相をはじめとする、尋常ではない数のありとあらゆる政治家が命を落とした。

それはもはや国が国として存続出来ないほどの損失に思われた。

しかし、絶望のどん底に叩き落とされたこの国に、救世主が現れたのである。

そのお陰で現在、私達はこうして平和に暮らすことができているのだ。

西暦2060年。

我らが民主主義国、日本で。


これらは学校で教えられるこの国の大まかな現代史である。

よく大人はこの狂乱の中育った僕らの世代を哀れみ、可哀想だと言う。しかし、生まれた時からこんな世の中なら、何を憂うこともない。これが当然でこれよりの幸せを知らないのだから。実際、悲惨な日本人虐殺テロの時まだ僕は生まれて間もなかった。教科書で習う歴史は、博物館で見るガラスケースの中の化石のように隔たれた存在に過ぎない。

そう、少なくとも僕、小野田(おのだ) 万知(まち)はこの世界に満足し、この世界を享受していた。家族と共に暮らす毎日に、なんなら幸せすら感じていたのだ。何もこの国を疑うことは無かった。

明日もそれからも疑うことはなかっただろう。

大学生活にも慣れてきた19歳になったばかりの冬、僕のもとにあんな手紙が来ることがなければ。



3.家族(1447)


「あ、今日土曜日か……」

「おそよーぐると」

「お、おはよう父さん……」

11時半、眠気眼を擦りながらリビングに入ると、父さんがコーヒーを飲みながらソファにくつろいでアニメ映画を見ていた。父さん、小野田(おのだ) 正貴(まさき)の休日の日課である。

我が父ながら、とても子供っぽい。その性格は顔にも現れているようで、笑う時なんて、本当に無邪気な子供みたいだ。朝から、否、昼からこんなくだらないダジャレの挨拶をする父さんだが、なんと47歳だ。普通に30代後半にも見える顔立ちで、精神年齢はもっと幼いかも。

「いい大人が真昼にヒーローもの?」

「いい子供が真昼に起きるくせして」

「それにしても最近暇なんだね」

「父さんが暇ってのはいい事だろ?」

そう、こんな父さんはこう見えて警察官だ。多分、ヒーローものの影響だろうが。単純な動機な割に、階級はそこそこ上らしい。父さんはとても頭がいいから、それが理由だろう。

「でもちょっと前までは家に帰れない日ばっかりだったじゃん?」

「なんだ寂しかったのか?」

「そんなことないよ、だって……」


バーーーーーーン!!


「マチのばか!おたんこなす!!」

「だからそれなんだよ?!」

リビングの扉を勢いよく開けて、ドタドタと入ってきたのは妹。

……のように幼い顔つきの僕の姉、小野田(おのだ) 麻耶(まや)。今日、彼女はめでたく20歳になる。

「主役がお昼までおねんねかよ」

「父さんもマチもなんで起こしてくれないのよ!せっかくの誕生日が寝て半分終わっちゃったじゃない!!」

「ごめん、僕もさっき起きたところだから……」

「むぅーーー、マチのばか」

頬を膨らませる姉さんは、どう見ても今日成人になったとは思えない。

「とにかくお前らさっさと着替えろ、出かけるぞ」

「ふぇ??」

父さんの言葉に気の抜けた声を出す姉さん。僕もどこに行くかは知らない。

「久々に家族旅行だ」

「えー!!!やったー!!!」

「なんでマチが先に喜ぶのよ!」

「だって家族旅行なんて何年ぶりだよ!」

僕が物心ついた頃から父さんはほとんど家に帰れなくなった。ちょうど当時は治安が最悪の時期だったから、警察官が忙しいのは仕方のないことだ。

「お前らが起きてこないせいで時間ないんだから早く着替えてこい!十分後に車は出発!」

「私の朝ごはんは?!」

「もうお前らは昼飯が朝飯だ!!」

「ちぇー」


十分後。慌てて車に乗り込むなり、姉さんが思い出したように口を開いた。

「そういえばお父さん先週もあのアニメ見てたよねー」

「え?そりゃあ名作は何度見ても名作だからな!ははは!」

「まあ警察官になるほど好きだもんね」

家族三人での和気藹々とした会話に、心温まる。窓の外も、春が近づいたみたいに晴れ晴れとしていた。

「それより警察官でも事故ることはあるからちゃんとシートベルト締めとけよー」

「もう、そんなこと言われる年齢じゃないよ。ねぇマチ」

「う、うん……」

そう笑う姉さんの顔はどう見ても中学生だけど。なんて言ったら怒られる。またおたんこなすって言われる。いやおたんこなすってなんだよ。

それに、僕は姉さんの強さと優しさを知っている。父さんのいない間、僕の面倒をずっと見てくれたのは紛れもない姉さんだから。自分が寂しいのを後回しにして、僕を育ててくれたのは姉さんだから。僕は姉さんのお陰で寂しくなかったんだ。

僕らに母親はいない。僕が生まれたすぐ後に海外で事故死したらしく、顔も名前も知らないのである。正直、会いたいという気持ちも……。

「じゃあ、しゅっぱーつ!!」

そんな暗い過去の事を想起する間に、姉さん(成人済)が無邪気に叫んで、僕らの10年ぶりの家族旅行が始まろうとしていた。



4.旅行(2087)


「で、どこ行くの?」

ちょうど赤信号で車が止まったところで、姉さんがもっともな疑問を口にした。

父さんは「んー」と逡巡するように言うと、にわかに財布を開いた。残金を確認したのだろうか。よく見えなかったが、父さんはすぐに振り向いて姉さんに応えた。

「まあ着いてからのお楽しみだ」

「ちぇー」

残念そうに返事した姉さんだが、内心とても楽しみにしてるのがわかる。赤ちゃんのように柔らかそうな白い肌に、ぱっちりとした瞳、癖のない肩まで伸びた黒髪までもが、期待の色を帯びて輝いていた。

顔も背丈も幼いくせに、今まで寂しさを堪えて、料理洗濯と十年も家事をこなしてくれた姉さんには、今日は目一杯楽しんでほしいと思った。


「マヤ、ちょっと降りろ」

それから少しして、父さんは車を止め、姉さんを呼んだ。

「え?なんで??」

「いいから早く」

父さんは姉さんとどこへ向かうのだろうか。少し気になる。それにひとりで待つのはやっぱり寂しい。

「僕も行っていい?」

「面白くもなんともないぞ」

「えぇ、じゃあなんで私行くのよ」

姉さんが不満そうにこぼす。

「わかったわかった、皆で行くぞ」

見兼ねて父さんはそう言った。一体何をするんだろうか。どうやら旅行の目的地ではないようだけど……。


「「信州区役所??」」

僕と姉さんは、建物の正面に記された文字を同時に読み上げた。

「そうだ、お前ら来たことないか」

「うん、初めて」

「まあほとんどはネット上で済ませられる時代だからな……」

だからこんなにこじんまりとした建物なのか……。なんというか、ただのビルにしか見えない。人がそれほど出入りしてる様子もなく、どことなく不気味だ。

「ここで何されるの?私」

「心配すんな、ちょっとした人体実験だ」

「ふぇぇぇぇぇ?!?!」

「ははは、冗談冗談マイケル・ジョーダン」

「さむ……」

よっぽど父さんのギャグの方が不気味だった。姉さんが両腕を抱えてしまっている。

「2月だからな、風邪引くなよ」

「「誰のせいだよ!!」」


そんな一悶着の後、中は外観に比べて整然としていて綺麗だった。通っていた伝統のある高校の職員室に少し似ている。あそこだけ綺麗だったなあ。あそこだけ暖かかったなあ。

「よし、マヤ写真撮るぞ」

「え?なんで??」

「いいから早く」

僕が過去の怨念に囚われている中、父さんは受付を済ませ、姉さんと別室へ行くらしかった。それにしてもその会話さっきも見たな。コピペしたように全く同じである。いや何のことかわからないけど。

「マチは少しここで待っててくれ」

「わかった」

十分後、姉さんは打って変わって嬉しそうな表情で帰ってきた。

「じゃーん!」

そう自慢げに見せてきたのは、姉さんの顔写真が貼られたカードのようなもの。

「なにこれ?」

「ふふん、私のパスポート」

「あぁ、そっか!姉さん二十歳だった」

「うぉい!忘れんなおたんこなす!」

「まあまあ、これで好きなところに自分で行けるんだぞ?」

「うん!ありがとうお父さん!」

そう、現在の日本は、都道府県制度を廃止し、全て区で分けている。そしてこの全国294区の間を移動するのに、パスポートが必要なのである。区間には関所が置かれ、他からの出入りは許されない。これもテロ対策の一環であるが、このシステムの不便なところは、パスポートの発行ができるのは成人、つまり二十歳以上であるということ。僕のような未成年者は、パスポートを持った成人の同伴がなければ区をまたぐことが出来ない。

「いいなあ、僕も早く欲しいなあ」

「マチにはまだ早い☆」

そう笑顔でウインクした姉さんにちょっとイラッとしたけど、今日の主役なのでデコピンで済ませてあげた。

秒でビンタが返ってきた。等価交換とは。


それから、また車を走らせること30分。小野田家一行が東海区、名護屋港水族館に到着した頃には、僕らのテンションはMAXだった。

「きゃーーーー!!」

「いゃほーーーー!」

「まだ来ただけだぞ、騒ぎすぎだろ」

「だってだって!家族で区をまたいだのなんて初めてだし!」

「そもそも家族旅行ってだけでわくわくだよね!!」

治安の悪いこの時代、あまり外で遊ぶことの出来なくなった子供たちにとって、家族との繋がりは一層強固なものになっていた。我が家はその顕著な例と言えるのかもしれない。

「うひゃー、道中でも思ったけど名護屋はやっぱ都会だね」

車を降りるなり姉さんは、感心したように呟いた。

「父さん、東海区ってCDPいくつ?」

「全国六位のCDP2035だ。まぁ昔は日本三大都市と言われていたんだが、所詮工業だけの街だな。エゴランドとかいう遊園地はたった五年で潰れたし……」

「お、お父さん……。自分が育った名護屋になにか恨みでもあるの……」

兎にも角にも、全国294区にはこのようにそれぞれ文明発達度、略称CDPが政府によって定められており、五年単位の西暦で、その区の発展度を表している。ちなみに、僕らの住む信州区(昔の長野県南部)のCDPは2005だ。

まあだからとにかく、

「さぁ、イルカ見に行くぞ!」

「「おー!!」」

……都会にわくわくするのは田舎民の性なのであった。


僕らは家族水入らず、閉館時間ぎりぎりまで水族館を余すことなく満喫した。

それが最後の家族旅行になることなど、誰も知らずに______。



5.政府(969)


テレビの中で大人はよく、この日本は変わり果てたという。それを嘆く人もいればそれを発展と呼ぶ人もいる。

その全ての発端、国会議事堂爆破テロで絶望に堕ちたこの国を建て直した救世主。

その名を、犬童(いんどう) (わたる)

十五年前に、新日本政府結社SINEES(サイニーズ)を設立し、二つの大改革を行った。

一つは、完全地方分権。もともと地方議員だった人たちに地方の行政を託すとともに、関所を設置し、区間の行き交いに制限を加えた。また、ジャックされる恐れを考慮し、公共交通機関の一切を廃止した。この改革は元々東京が忌避される風潮があったため、スムーズに行われた。

二つは、少数選出制の採用。彼は従来の国政の代表民主制をぶっ壊したのだ。現在、日本はたった十五人で国政を行っている。世界最小の政治形態なのだ。

SINEESは簡単に言えば「政治家学校」である。そこで常に人材を育てており、優秀な成績を収めた者は国政に参加できる。逆に罷免されることもある。この十五人をまとめ、国の長に立つのが、SINEES社長も兼任する犬童 渉という訳だ。

この二つの改革によって、頻発していたテロは激減し、更には移民受け入れを中止し、それに伴う外交問題も見事な交渉により解決された。こうして、国民の信頼を得たSINEES並びに犬童は一躍大人気のヒーローと躍り出たのだった。この一連の改革を、人々は「少数革命」と呼ぶ。

しかし、この革命には問題もある。地域格差がこれまで以上に広がることだ。少数精鋭の為、内政の手は地方にまで手が回らない。完全地方分権を採用しているものの、区間の移動が出来ないため過疎地域はいつまで経っても過疎地域のまま。故に、その地域の発展を数値化したCDP(文明発達度)が区ごとに算出されることになった。

それでも、テロに怯える日々を体験した国民にとってそれは耐えがたいことではなかった。毎日のようにテロによる死者が報道されるような時代から脱却できたことを喜ばない人間など誰もいなかったのである。

SINEES(サイニーズ)は正しい。

SINEES(サイニーズ)は正義だ。

誰もがそう信じて疑わなかった。親が信じればその子供も、そしてまたその子供も。永遠にこのシステムはこの国に受け入れられていく。

______そのはずだったのだ。


日常が崩れる瞬間はいつだって突然だ。



6.失踪(677)


「おはよーぐる……と?」

眠気眼をこすり、リビングに入ると誰もいなかった。

父さんは昨日の水族館の帰り、明日は日曜だけど仕事があると言っていたからいないのは分かる。遅くまで帰らないとも言っていた。だけど、いつも休日は遅くまで寝ている姉さんがいないのはおかしい。

「珍しく出かけてるだけかな、もう9時だし。朝ごはん作ろっと」


「やっと終わったぁ……」

のんびり休日を過ごしつつ、大学のレポートを終わらせると時計の針は午後9時を指していた。

「流石に遅くない……?」

いやいや、見た目JCの姉さんも中身は大人なんだし。本当はとてもしっかりしてるし。あ、それにパスポート貰ったから早速使って友達と遠出とかしてるかもしれないし……。

「いやでも連絡くらいするよね?!」

そうだ、電話してみよう。スマートフォン登場から何十年経ったと思っているんだ。文明の利器を存分に使おうじゃないか。

プルルルル……プルルルル……。

『おかけになった電話番号は、ただいま電源が入っていないか、電波の届かな……______』

機械音声が虚しく耳に聞こえた。

どうしよう嫌な予感が止まらない。自分でもびっくりするほど焦っている。


とにかく探しに行かなきゃ……!!


僕は何も持たずに家を飛び出し、自転車であてもなく街に繰り出そうとした。まさにその時、視界に入って気付いた。明らかに怪しい黒いはがきがポストに投函されているのが。

「手紙……?」

僕は急いでポストの中に手を突っ込み、それに書かれた文字を確認した。

最悪の予想はいつだって僕を裏切ってはくれない。


『姉は預かった

姉を返して欲しくば助けに来い

誰かに言えば命はない』



7.手紙(1504)


差出人名は書かれていないが、住所は書かれているようだ。ここに来いということだろうか。しかし、そこに書かれていたのは______東都区だった。

僕は慌ててスマホを取り出し、おそるおそる手紙に書かれた住所を打ち込んだ。

嘘だろ。これは______。


SINEES(サイニーズ)本社から届いた……?」


東都区という時点で嫌な予感はしていたけど、まさか国からのお手紙だったなんて______。

「犬童が姉さんを攫ったとでも言うのか……?」

やや強面だが、笑顔が通販のセールスマンのように人懐っこく、国民の信頼を勝ち取ってきた救世主。この国のトップ。

そんな人間が姉さんを攫う理由が分からない。

「いやでも最近いいニュース聞かないな……」

SINEES(サイニーズ)はその政治形態の小ささ故に基本的に外交に力を注いでいる。

発足当初はその見事な判断と交渉で移民問題、核問題、民族問題、様々な問題を解決、解消してきた。

しかし、ここ数年、その判断に一貫性がないとか矛盾してるとか妙な噂が流れていた。

従来の政党政治では、政権交代する度に方針が大きく変わるため危険だというのが犬童の考えだったのだが、最近の外交はまさに昔の政治のようだと揶揄されることがあった。

「とにかくSINEESについてもっと詳しく調べないと……」

詳しい資料があるかもしれないと思い、僕は父さんの書斎へ向かった。


小さい頃、父さんが家に年に一度ほどしか帰らない時期、探検気分で書斎に入ったことがある。その数カ月後、久々に父さんが帰ってきた日のこと。


「マチ!父さんの部屋入ったろ!」

「え、なんでわかったの……」

「あそこには大事な資料が沢山あるから入っちゃダメって言ったろ!」

「あうう、ごめんなさい……」


温厚な父さんが怒ったのはあれが最初で最後だったと思う。でも今思えばそこまで強い怒り方じゃないな……。

でも、お父さんに怖い顔して怒られたのが初めてだったからよく覚えている。


ごめん父さん、姉さんの為なんだ……。


心中で謝りながら、僕は1階のリビング隣に位置する書斎のドアノブを捻った。

扉を開けると、あの頃のように散らかっていないし、埃っぽい匂いもしない。デスクの隣にファイルが沢山置かれた棚がある。

レトロなオレンジの電気をつけて、SINEESや犬童 渉に関する資料がないか探した。


「あ…これか??」

しばらく探していると、「犬童組」という題が記されたファイルを見つけた。

タイトルに違和感を感じつつも、おそるおそる中身を確認する。


・組長 犬童 渉(H15年12月17日生)

・組員30000人超(推定)。

・活動範囲全国

・政界財界に秘密裏に繋がりを持つ


箇条書きに父さんの直筆で書かれた文字を読み進めて、思わず息を呑む。


「なんだこれ……これじゃまるで……」


・国内最大規模の暴力団組織


「……ヤクザ……!!」

驚いてファイルを落とす。慌てて拾うとひらりとどこかのページに挟まれていたであろう写真が落ちてきた。

そこにはいかにもな服装を着た十数人の厳つい顔の若い男たちと肩を組む、今よりだいぶ若く、だいぶ目つきの悪い、犬童の姿があった______。


真相に近づこうとすれば近づこうとするほど、立ちはだかるものの大きさに気づく……。これ以上踏み込んだらもうこれまでの日常には戻ってこれないような……。

震える身体を抱える。

僕の身に余る問題ではないのかもしれない。

でも、姉さんはその身に余る寂しさを耐えてきたんだ。今度は僕の番だ。


「行かなくちゃ……」


時計の針は12時過ぎを指していた。

もうすぐ父さんが帰ってくるだろう。

関係のありそうな資料は拝借していこう。あと、食糧とかも用意しなくちゃ。

あとは……。


ちゃんと笑えるようにしておかなくちゃ。



8.出発(655)


深夜一時。目一杯の食糧とか懐中電灯とかよく分からない探検グッズとかをリュックに詰めた。

東都区までは車でも5時間はかかる。

行くにも色々障害がある……けど。

僕が姉さんを助けに行かないと……!

リビングで決意を固めていると、ガチャと玄関の扉が開く音がした。

「ただいまんぼー」

やっと父さんが帰ってきた。出迎える笑顔と言い訳の用意は出来ている。

「あれ?どうしたんだその荷物」

怪訝そうな顔で僕の大それたリュックに目をやる父さん。僕は何事もないように応えた。

「ちょっと友達とお泊まりすることになったから、一週間くらい帰らないけどよろしくね」

「そうなのか……。ん?マヤは?」

父さんにも言わない方がいい。

そして頑張れ僕の演技力……。

「姉さんもお泊まりしてくるんだってさ。だからひとりでも父さんちゃんとご飯作って食べるんだよ」

「おうおう、せっかく帰ってきたのにつれないなーお前ら」

「彼氏の家にでも行ってたりしてね」

「なんだとぉぉぉぉぉ!?」

「冗談冗談、マイケルジョーダン」

今まで甘えられなかったせいか、父さんにはあまり心配かけたくない。犯人の要求はお金でも姉さんの命でもなく僕なんだから。大丈夫、僕が姉さんを助けられる。父さんの力なんて要らない。


「じゃあそろそろ行くね」

「おう、気をつけろよ」

「うん、またね」

僕はちゃんと笑えていただろうか。

震えは止まっていただろうか。

「またね」の「また」はちゃんとやって来るだろうか……。

いや、また必ずここに戻ってくるんだ。

姉さんを取り戻した後で。

真実を手に入れた後で。


「父さん……、いってきます」


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