AI(愛)の人類肯定計画
立花信二はきびきびと働いている。
吉田芽衣を励ますために家を飛び出したが,アルバイトとして働く彼にとって,この場での店長は仮の主人である。命令に背くわけにはいかなかった。信二は芽衣のことを気にしながら,真面目に黙々と働いた。
そして休憩時間に入った。
信二は今日の勤務時間を終えようとしている彼女に話しかけようとしたが,彼が声をかける前に,芽衣から彼に話しかけた。
「あの,今お時間いいですか?」
「もちろんです。僕からも話したいことがありましたが,お先にどうぞ。何ですか?」
信二は当然のようにそれを快く受け入れた。
「今週いっぱいで,このバイトを辞めようと思います。短い間でしたが,お世話になりました。」
芽衣は申し訳なさそうにそう言った後,信二に向かって深くお辞儀をした。彼もそれにつられるように,少し俯きながら静かに答えた。
「そうですか。残念です。」
「店長さんにも言われましたけど,お世辞は結構です。今までたくさん迷惑かけてごめんなさい。」
「お世辞なんかじゃないですよ。吉田さんも最近はできることが増えてきたじゃないですか。」
後ろ向きな発言をしながら謝り続ける彼女に,信二は励ましの言葉をかけたが,彼女のそれはさらに続いた。
「それでも,他の皆さんに比べると私は全然です。私にできて,少し前に入った立花さんにできないことは,多分一つもない。これ以上ここに,私なんかがいてもきっと何の役にも立ちません。」
芽衣は信二が励ますほどにますます卑屈になっていた。しかし彼は彼女の考えを真っ直ぐに否定してさらに言葉をかけ続けた。
「そうでもないですよ。あなたはとても努力してました。上手くいかないこともあったみたいですけれど,たくさん失敗しながら,ゆっくり身に付けていってましたね。僕にはできないことですし,その姿勢はとても勉強になりました。」
「悪気はないみたいですけど,少し嫌味に聞こえます。私がどんくさくて,手際も悪いのは事実ですから別にいいんですけど。」
「すみません。そんなつもりでは無かったんです。僕は純粋に吉田さんが羨ましいと思いました。」
「羨ましい?私がですか?」
信二からの突然の言葉に,彼女はきょとんとして聞き返した。信二は一度も詰まることなくスラスラと,小難しい説明を彼女に告げ始めた。
「はい。僕たちは経験によって成長します。僕は成功という一つの経験を百回繰り返したかもしれませんが,吉田さんは九十九種類の失敗と一つの成功を経験しました。今の僕にはそっちの方が羨ましいです。」
「でも気持ちが分かったからといっても,失敗するよりはしない方が良いと思います。」
「もちろん,効率を考えれば成功を重ねる方が正しいかもしれません。ですが失敗する人間の気持ちは,多くの経験をしてきたあなたの方がよく分かるでしょう。吉田さんが誰かに何かを教えることになった時が来たら,あなたはきっと,相手の立場になって共に悩むことができると思います。僕よりもずっと良い先輩になるでしょうね。見られないのが残念です。」
信二からの言葉を一度に受けた芽衣は,しばらくの間返事もせずに固まっていた。しかし理解するだけの時間が経つと,彼女はささやかな笑顔を浮かべて答えた。
「ありがとうございます。そんな事を言ってもらえたもは初めてで,とても嬉しいです。」
「吉田さんがしっかり考えて決めたことですから,僕にはあなたを引き止めることはできません。でもこれからも応援しています。何度失敗しても挑戦できることは,あなたの立派な長所ですから,これからも頑張ってください。」
「はい。お世話になりました。改めて,迷惑かけてごめんなさい。」
芽衣がお礼を言いながら再び頭を下げて謝ると,信二もまたお辞儀をして答えた。
「こちらこそ。至らないところがあってごめんなさい。もう少しあなたのことを見ていれば,先輩から守ることもできたかもしれません。」
「いいえ,気持ちだけで十分です。ありがとうございました。」
笑顔を見せながらそう答え,帰り支度を始めるために信二との会話を終えた。その様子は,申し訳なさそうに信二に話しかけた時とはまるで別人になったようだった。
「信一君,あなたはやっぱりすごいわね。」
信一とともに,モニター越しに信二の様子を見ていた有希がそう言って,彼を褒めた。だが,信一は首を横に振って答えた。
「いやいや。すごいのは俺じゃない。信二だろ。今回俺は『愛のある目を通せば,欠点なんて存在しない』と言っただけ。信二の言葉は,あいつの考えだ。誰がすごいかと言うなら,信二自身とあいつの頭を作ったお前だよ」
信一は自分への褒め言葉を否定し,逆に信二と有希を褒め返した。だが,彼女はその言葉を素直に受け取らず,信一の真似をするように首を横に振って返事をした。
「ううん,そんなことない。私ね,ロボットも人間も突き詰めれば同じだって思うのよ。考え方を教える人や使う人によって,その存在は良いものにもなるし悪いものにもなる。私が作った知能をあんな風に育てたあなたはすごい。私のそばにいたら,絶対にあんな風にはならなかった。興味深い結果を見せてくれてありがとう。それが良い結果か悪い結果かはまだ分からないんだけど。」
「そうか。ならその言葉は有り難く受け取っておこう。俺もそう思う。人間もロボットも結局は同じだ。周りの環境と経験によって,成長度合いは大きく変わる。そして今日,信二はまた大きく成長した。後輩の彼女を自分の元で育てられなかったという大きな失敗を経験したからな。」
「そのためにコンビニで働かせたの?全部計算?」
「まさか。そんなわけない,偶然だよ。」
信一は大げさに鼻で笑ってから,得意げに彼女への話を続けた。
「人間の弱さを感じられるだろうと思って働かせたんだ。」
「人間の弱さ?」
有希は調子に乗り始めた信一が話しやすいように、上手く相槌を打ちながら彼の話を聞き続けた。
「あぁ。人間のほとんどは,他人に認められたり必要とされる場所がないと,まともに自立のできないくらい弱い存在だ。そのためなら他人を利用するし,責め立てたりも平気でしてしまう。責められたものはさらに下の奴を責めて,一番下の人間の心が強ければその場に残り,弱ければ消える。お前ら天才がどんなに便利な世界にしようと努力したところで,人間の本質は変わらない。いつの世も弱肉強食の世界だよ。」
「人間のことが大好きなあなたにしては悪いことを言うのね。たった今,愛のある目に欠点は映らないなんて言ってたのに。」
「俺が悪いことを言ったように聞こえたか?」
「たった今言ったでしょう?人間は弱いだの,他人を責め立てるだの。」
「弱さは悪いことじゃない。それを補うために人間は他人を求め愛を求める。弱さは必要なものであり,あって当然なものだ。それを認めなければ,愛も存在しない。」
「ふむふむ。」
「ただし。誰かに認められるためとはいっても、そのために他人を責めることは良くないな。責められた側は自身の弱さを嫌いになり,それから目を背けるだろう。そうなってしまえば,もう他人を愛することは難しくなる。しかしこの余裕のない世の中で,他人の弱さを認めるってのは難しいことだが。」
「だからAIにその役割を頼むって言いたいわけね?」
「その通りだ。信二みたいに公平に他人を見れる奴が相手の弱さと強さを上手く指摘してやれば,自分を過度に嫌いになることもないだろう。」
「なるほど。」
「不景気だとか戦争だとか食糧不足だとか,悪いニュースはいくらでもあるが,信二を見てると少しは前向きになれるだろ?俺たちの努力の結果はちゃんと育って,いろんな人を救ってるぞ。」
勝ち誇ったような顔で信二を自慢する彼を見て,有希はクスリと笑って答えた。
「フフ。そうね。私の研究はこんなに目に見えて結果に現れることがあまりないから新鮮だったわ。ありがとう。」
「あぁ。喜んでもらえて良かったよ。」
長々と話した信一はご満悦な様子でそう返すと,立ち上がって信二を観察するための機材を片付け始めた。
「それにしてもあなたは何も変わらないのね。あんな地味な感じの子は好きじゃないのかと思ってたけど,それでもちゃんと助けるのね。」
機材を持って別の部屋とリビングの往復を繰り返す信一に,有希が声をかけた。彼はその手を休めることなく,移動をしながら答えた。
「そんなことない。俺は頑張ってる人間はみんな好きだからな。『弱きを助け強きを挫く』なんて言葉があるが,俺のモットーは『弱きを助け強気も助けてみんな幸せ』だ。」
「そうは言っても,あなたはもっと美人で明るくて,キラキラしてる完璧な子が好きなんでしょう?こないだ信二君が会ってたみたいな。なんて言ったっけ?フリースクールの。」
有希がその女性の話題を振ると,信一は不意に作業の手を止め,彼女の方を向いて答えた。
「中野 佳純だろ?確かにあいつは特別だ。みんなから好かれてることを自覚しながらも,努力を欠かさない。人間としても尊敬できる。だがそんな完璧にも見える彼女にも,危ういところはあるんだよ。」
「へー。どんな?」
まだまだ話し足りない空気を醸し出した信一を見て,彼女はまた尋ねた。
「それはだな。」
信一はニヤリと笑みを浮かべ,意気揚々と再び解説をしようとしていたが,それは玄関からの大きな物音によって遮られた。ドアが強く開閉する音が,彼らがいるリビングまで聞こえるほど響いてきたのだ。
「ん?信二が帰って来たか?」
「何だか騒がしいわよ。」
ドアが閉じた音の後にも,何やらドタドタという雑音が響くのを聞いて,有希がコーヒーを飲みながら冷静に呟いた。
「聞こえてるよ。何かあったのかもな。」
信一も同じトーンで言葉を返し,二人して玄関へと繋がるドアを見つめた。直後にそのドアは開き,彼らの予想通り,玄関側から信二が勢いよく入って来た。
「信一!話があるんだけど。」
「何だ?」
信二からの言葉を予測していたように,信一はすぐさま彼に聞いた。だが,その答えはすぐには返ってこなかった。信二はテーブルに座りゆっくりコーヒーを飲んでいた有希を見て,言葉遣いと態度を改めたのだ。
「申し訳ありません。お客様ですか。すぐにお茶をお出しします。」
彼は背筋を伸ばし静かな動きで頭を下げて言った。彼女が視界に入って使用人モードになったようだった。
有希は穏やかな微笑みを浮かべながら答えた。
「いいえ,気にしなくていいわ。信一君に美味しいコーヒーとお菓子をご馳走になったから。急ぎの用があるみたいだから,私はそろそろ失礼するわね。」
彼女は飲みかけのコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。
「あぁ,悪いな。楽しかったよ。」
「えぇ。私も久しぶりに話せて良かった。今度は近いうちにまた会いましょう。」
信一に付き添われて玄関まで向かった彼女に,信二は再び頭を下げて申し訳なさそうに謝った。
「お構いできなくて申し訳ありませんでした。良かったらまたいらしてください。今度は私もお待ちしています。」
「ええ,ありがとう。では失礼します。」
有希は信二からの謝罪を少しも気にしていない様子で軽く返して,簡単な会釈をしてから彼らの家を後にした。
「信二,お前あいつのこと知らないのか?」
彼女が離れたのを確認すると,信一が不思議そうな顔をして信二に尋ねた。
「ごめん,知らない。初めて会ったと思うけど有名人なのか?俺の記憶にはない。検索してみようか?」
「いいや,記憶にないならそれでいい。あいつにも何か考えがあるんだろう。」
真顔で答えた信二を見て,何かを察したように彼はその話題を打ち切った。
「それより,話って何だ?」
「そう!これ見てくれ。中野さんからのメッセージなんだけど。」
信二は待ってましたと言わんばかりに即座に答えた。そしてズボンのポケットからスマホを取り出して,彼に見せたのだ。信一はその画面に書かれた文字を口に出しながら読み上げた。
「『立花さん,お願いがあります。最近,私の周りに昔の知り合いの男の人がうろついていて,自宅に帰る時にいつも私の後をついて来ています。もし良かったら,最寄駅から自宅までの間だけでいいので,しばらく付き添ってもらえませんか?』」
佳純から信二へのSOSの文章を読んだ信一はしばらく黙った後,彼に声をかけた。
「なるほどな。お前はどうしたい?」
「中野さんを助けたい。付き添ってあげてもいいか?」
「勿論だ。俺もあいつは助けたい。」
即答した信二の意見を,信一もまた快く受け入れた。だが,彼は一つだけ次の条件を加えた。
「と,言いたいところだが,今回はお前だけじゃ危険かもしれん。俺も一緒に行こう。」
「本当か?ありがとう,心強いよ。」
「あぁ。目の前で助けを求める人間を救えないのに,世界が救えるわけないからな。たまには俺が手本を見せてやる。急ぐぞ。こうしている今も,あいつは不安を抱え続けてるんだ。」
「分かった。今すぐ行こう。」
彼らは一息つけることもなく,すぐに佳純が待つであろう駅へと真っ直ぐに向かって行ったのだった。
『AI(愛)の追跡者』編につづく