第1話
「宗元さん、起きてください」
その声を聞いて重たい瞼を開けると、そこには一緒に横になっている美女の顔があった。
「…おはよう、千景」
俺は彼女の声を聞くまではあえて寝たふりをして朝を過ごす。それはある種の習慣であり、俺の数少ない毎日の楽しみでもある。今日の君はどんな顔をしているのか?、そんなことを思って彼女の顔を見るわけだが、今日はいつになく上機嫌だった。
「今日は機嫌がいいな。どした?」
俺が上体を起こすと、彼女はやけに軽々とダブルベッドから飛び降りる。そしてテレビに出る「美しすぎるーー」と呼ばれる人々が霞むような笑顔を見せた。
「ふふん、今日は何の日でしょう?」
なるほど、全く記憶にない。誰かの誕生日か?
「12月17日…だよな?」
「うんうん、それでそれで」
まずい…俺も知ってないといけないやつだ。
「君が楽しみにしてたゲームの発売日?」
「…違います」
いかん、あからさまにテンションが下がっている。
「あの…宗元さん、覚えてません?」
嘘はやめといた方がいいな。
「悪い」
嘘は絶対にダメだ。
正直が美徳とは思っていないが、偽るよりずっといい。尤も、俺がやらかしていることには変わりないのだろう。
千景は俺の顔を見て…少し呆れたような溜息をついて首を横に振った。
「そ…っか。大丈夫です。朝食にしましょう」
あぁ、またその顔をさせてしまった。
俺はベッドを降り、千景の背中を追う。
何の日か聞くべきか。否、ここで蒸し返すのは如何なものか。しかし本当に大丈夫というわけでもあるまい。
「そうか…」
リビングの食卓には朝食が並んでおり、千景は席に着くと、いつもと変わらない素敵な笑顔を見せる。
「顔、洗って来てください」
「ああ」
もし重要なことなら千景から教えてくれるだろう。それがないということは…
「千景、今日は夜遅くなりそうだが…構わんか?」
まぁこれくらいは聞いておこう。
「え…?」
…ん?
「えっと、夕飯は?」
「こっちで適当にする」
リビングと洗面所はそう遠くないので、俺は少し声大きくして顔を洗った。そして、鏡で自分の大してかっこ良くもない顔を確認し、特に異常が見られなかったので、リビングに戻った。
「まぁ、カレンダーに書いた通りだな」
俺は報告、相談、連絡を欠かしたことがない。俺のスケジュールは常に千景も把握できるようにしてある。
…そう思うと、やはり千景が言わんとしたかったことはさほど重要じゃないのか?
「さて、いただこうか」
「…」
俺が千景の向かいに座ると、千景は下を向いて黙っていた。
「千景?」
「…あっ、はい…いただきます」
またその顔だ。その一瞬見せる何かを隠すような笑顔…
「なぁ千景」
「はい?」
本当に一瞬なんだな。
「…いや…」
…まぁいいか。
「今日も綺麗だな、と思っただけだ」
時刻は7時2分、普段家出る時刻が7時45分か。早く食べて身支度すれば、もう1本早い電車に乗れそうだ。
などと考えながら食パンをかじり、スープを啜って千景の方を見る。
「そ、宗元さん!…いきなり何を…!」
ああ、平和だな。
「ふっ…顔真っ赤」
「見ないでください!」
「暖かそうで何よりじゃないか」
この平和な空間にいると、たまに自分を忘れそうになる。俺が何のために地球にいるのかも。いっそ、忘れてしまった方が楽なのかもしれないが。
ーーキュピロット、ペルッコの未来を…頼むーー
…いや、忘れられるわけがない。そんなこと、絶対許されやしないのだから。
「うん、今日も頑張れそうだ」
「もう、宗元さんの馬鹿」
それでも彼女にはこれ以上の嘘はつきたくない。重ねてきた嘘があまりにも大きすぎる。