隣人
またかよクソッ!
山田靖人は手元にあった雑誌を力の限り壁に投げつけた。
閉じ込みのグラビアページがずるずると、靖人の気持ちを代弁するように雑誌から吐き出される。
もううんざりだ。
安い木造アパートだから、壁の薄さは知っている。だから相手は気付くはずなのだ。
それでも意味不明な英語のラップは止むことなく、靖人の部屋に容赦なく侵入してくる。
それは相手もまた、自分に抗議していることを意味していた。
しかし靖人には特に思い当たる節はない。そもそも引っ越してきた時に挨拶すらしていないのだ。
どう考えても相手は頭がおかしい。俺は悪くない。
立ちあがり、二度三度、壁を蹴りつける。
気のせいかそこだけへこんできたような気がするが、知ったことではない。
いっそ壊れて、互いの気持ちをぶつけ合えばいいのだ。
そうだ、そうしよう。なんでもっと早く思いつかなかったんだろう。
靖人は一度冷静になろうと薄い布団に座りこみ、以前見た隣人の顔を思い浮かべた。
何を考えているか分からない、のっぺりとした顔。そしてその上にのった汚い眼鏡。
ぶくぶくに太って、せり出た腹。そして脂ぎった髪。
人のことを言えた義理ではないものの、奴よりはましだという自信だけはあった。
それからもう何カ月も会っていないが、きっと前よりひどくなっているに違いない。
靖人はもし喧嘩になった場合を想定し、自分が有利であると踏んだ。
特に根拠があったわけではない。
こういうのは最初に言った方が被害者なのだ、という強い思いが内にあるだけだった。
それは実際に靖人を強気にさせ、奮い立たせた。
よーし。やってやる。それで毎日のこのくだらない争いも終いだ。
最後に一発、壁に裏拳をお見舞いする。それは靖人なりの戦線布告だった。
しかしすぐにまた同じような衝撃が、今度は靖人の部屋を襲う。
本棚にある漫画本が音を立ててパタパタと倒れた。
「野郎!」
靖人にしてみれば、今から行くぞ! と言っているのに、それを受けて立つ、と言われたのだから面白いはずがなかった。
本が倒れたのも、暗に自分の方が被害者だと言っているような気がして、そしてそれはその通りなのだと肯定した気がして、靖人は怒りに我を忘れた。
「ぶっ殺してやる!」
怒りに飲み込まれた靖人には、話し合いで解決する気などもはやなかった。
抑圧してきたストレスは膨れあがり、殺意に取って代わられた。
――ころしてやるころしてやる。
靖人は台所から包丁を持ち出し、どすどすと足音を立てながらドアに向かった。
勢いよくそれを開け放つと、隣の部屋からも同じようにドアを開ける音がした。
目の前には、普段鏡で見ている自分にそっくりな隣人が、包丁を手に立っている。