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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

迷い込む

作者: 遠野瑞樹

かなり暗めです。

でも、微妙にコメディ要素あるかも?




 夕飯を食べ終わった後、食器を洗っていると、視界の隅を小さくて黒い何かがさっと横切るのが見えた。

「あっ……」

 私は思わず声をあげ、その『何か』が横切った方に目を遣った。しかし、その時には小さくて黒いものの姿は見えなくなっていた。視界の隅で捉えた動きから察するに、それは私の後ろから移動して、冷蔵庫の下に滑り込んだらしい。はっきりとは姿を捉えられなかったが、その正体が何であるか、私には既にわかっていた。夏場にはよく困らされる、誰もが苦手とし、姿を見ただけで背筋が総毛立つような思いをさせられる、アレに違いない。

「まじかよ……」

 チッと舌打ちをしながら、私はキッチンの傍にある棚の上からスプレー缶を手に取り、ゆっくりと冷蔵庫へ近づいていった。そして、ノズルの部分を冷蔵庫の下の隙間に差し込むと、それを噴射した。

 数秒間、そのまま噴射し続けていると、ジタバタ暴れながら隙間から現れた、ソイツ。予想通り『ヤツ』だった。大きさは五センチくらいだろうか? 結構でかい。私はソイツに向けてスプレーを噴射し続けた。ソイツは混乱しているかのように暴れまわり、もがき苦しみながら、それでもしぶとく生き永らえて、冷蔵庫の隙間に入ったり出たりを繰り返している。

「早く死ねよ」

 苛々と呟く。

 再び冷蔵庫の隙間に潜り込んだソイツに当たるように、角度を変えながらそこに何度もスプレーを噴射する。しかし、そうしていてもソイツは出てこなくなってしまった。どうやらそのまま隙間のなかで息絶えたらしい。

「もう、勘弁してよ」

 私は下駄箱から箒と塵取りを取ってくると、箒を冷蔵庫の下に差し込んで、ソイツの死体を掃き出そうと動かす。しかし、一向に出てこない。奥の方で死んだのだろうか? そうだとしたら、取り出せないかもしれない。

 ――もうヤダ。

 嫌々、冷蔵庫の下を覗き込む。そうすると、思いがけず手前の方で動かなくなっているのが見えた。ほっとしてそれを掃き出した。

 見ると、仰向けになって身体を弱冠折り曲げるようにして死んでいた。さっき観た時よりも縮んでいるように見える。糸のように細い触覚や手足は、変な方向に曲がっている。

「ウチに来るのが悪いんだからね」

 塵取りにのせて、アパートの外の溝に捨てた。

 一体どこから入ったのか。横切ってきた方向からして、玄関だろうか。夕方、私が帰ってきた時に、一緒にドアから入り込んだのかもしれない。換気扇の隙間から入ってくることもあるらしい。あいつらは隙間さえあればどこからでも入ってきてしまうのだ。

 住み着いていたということはないだろうか。

 ゴキブリが一匹いるところには、二十匹いるんだっけ。いや、三十匹? 百匹だっただろうか。あの噂は本当なのか。いや、迷信に決まっている。そんなにいるなら、もっと目撃していてもおかしくないはずだ。でも、何匹かはいてもおかしくないかもしれない。

 現に、私はここ数週間で二、三回部屋でヤツを見ていた。その前に見たのは一昨年の夏だった。幸い、どの場合も撃退できた。最初に目撃した時は悲鳴あげまくりだったが、外でも何回か見たりしているうちに慣れてきた。しかし、嫌なものは嫌だ。

 私は、つい先程と数日前に、撃退に貢献したゴキジェットを手に取ると振って残量を確認してみた。音が軽い。あまり無いようだ。なかなか死なないから、一匹にかかる量が多いのだ。それに部屋で見た後、玄関の周りに撒いて寄って来ないようにしたりする。

 また出てくるかもしれない。そう思うと、この残量では心許なかった。

 私は冷蔵庫とシンクの間や、戸棚の隙間、洗濯機の周りなど、潜んでいそうな場所を探ってみたがどこにも見当たらなかった。

 明日、大学からの帰りがけに新しいのを買おう。

 そう思い、今日は出てこないことを祈りつつ、私は眠りについた。


 翌日、夏休み前最後のテストが終わり、しばしの間学業から解放された私は、久しぶりに映画でも観ようかと、電車で隣町へ赴いた。

 映画館で九十分のB級恐怖映画を鑑賞した後、ファミレスで夕食をとり、部屋に帰って酒でも飲もうかと、スーパーでビールやサワーの缶を数本買った。

 駅へ向かう道の途中で、突然声を掛けられた。

「どこかでわたしに会いませんでした?」

「はい?」

 思わず大きな声が出た。

 声を掛けてきた若い女性の目は、私の方にじっと向けられている。それに、周囲にほかの人はいないから、女性はもちろん私に声を掛けたのだろう。

「あの……どこかで会いました?」

「それをわたしに訊くんですか」

「は?」

「わたしは、偶然あなたを見かけて見覚えがあるなと思ったので声を掛けたんです。けれど、あなたはそのわたしの問いかけをそっくりそのままわたしに返していらっしゃる……。それだと、答えはいつまでも出ないまま、決着のつかない質問の堂々巡りになってしまいますよね?」

「……はぁ」

 ――ヤバい。変な人に絡まれちゃった。

 私は内心苦々しい気持ちで、どうやってこの状況を抜け出そうか試行錯誤していた。

 が、戸惑いながら女の顔を見ていると、確かに見覚えがある顔のような気がしてきた。昔見た顔の面影が彼女にある気がする。

「もしかして、紗英?」

「え?」

 女は怪訝な顔になる。

「ほら、覚えてない? 中学の時の同級生だった……」

 紗英はパッと笑顔になった。

「友季恵? そうだ、思い出した!」

「そうそう、最初全然わかんなかったよ。ほんとびっくり!」

「わたしもなんだか見覚えのある顔だと思ったけど思い出せなくて……オッドロキだね~」

 紗英とは中学の時のクラスメイトだった。そこまで仲が良かったわけではなく、一度だけ席が隣同士になったことがあり、休み時間などに軽く雑談をする程度の仲だった。

 私と紗英はその場で、割と近くに住んでいたことを驚きあい、お互いの近況を報告し合った。紗英はこの辺りの私立大学に通っていたが、一年前に中退し、今は近所のカラオケ店で契約社員として働いているらしい。

「友季恵、私の家、この辺なんだけど、寄っていかない? 明日仕事休みだし」

 思わぬ再会に少し気分があがっていた私は、先程の紗英のおかしな言動も忘れてその提案に快く乗った。

「いいよ。私も明日から夏休みだし……。あ、紗英、お酒好きかな。少し買ったんだけど飲まない?」

 私は右手に持ったスーパーの袋を掲げてみせた。

「うん、飲もう飲もう。私ん家にも少しあるから。お酒ってテンションハイになれるから大好き」

 紗英はキンキン声で、少しはしゃいだ様子でそう言った。

 ――なんか、コワイ。

 気分の抑揚のようなものが常人とは少しずれている気がする。紗英ってこんな娘だっただろうか。と、当時を振り返ってみたが、正直、当時の紗英をよく覚えていない。それにもし、中学の時と性格が変わったのだとしても、あれから七、八年ほども経っているのだから別におかしくはないだろう。私は深く考えることはせず、紗英の後についていった。


 紗英のアパートは本当に近くにあった。歩いて五分とかからない。木造建築で、私の住んでいるアパートと同じような造りだった。家賃の相場価格も大体同じくらいだろう。

 私は何か忘れているような気がしながらも、結局思い出せず紗英の部屋でふたりで飲み始めた。始めのうちはクラスの思い出話で少し盛り上がったが、もともと私と紗英はつるんでいるグループが違ったため、共有している思い出話には限りがあり、だんだんと話題は尽きていった。それも当然の成り行きに思えた。

 が、紗英がこんな話題を振り始めた。

「そういえば、皆で学校帰りに幽霊屋敷に入り込んだことあったよね。覚えてる?」

「えっ……」

 中学の時、私と紗英と、二人の共通の友達である夕子という女子と、帰り道が一緒になることが幾度かあった。その道中に、廃墟のようなボロボロの家があって、ある日、その家にある悪戯心から皆で忍び込んだことが確かにある。けれど、あの家は……。

「麻美も誘って四人で行ったんだよね。覚えてる、麻美のこと?」

「…………」

 確かに四人で家にこっそり忍び込んだことがある。麻美のことも、覚えている。しかし、その話はあまり話題にはしたくなかった。紗英はなにを考えているのだろう。なぜこんな話を振ったのだろう。

「蒸し暑いね。クーラーつける?」

 紗英は私の返事を待たずに、リモコンをクーラーに向けて冷房をつけた。


 私の目の前を、何かが飛んだ。蚊だった。蚊が羽を羽ばたかせて、その羽ばたきからくる微風ともいえないような空気の揺れが私の目に吹きつけてきた。私は反射的に瞼を閉じて蚊を手で払った。

 蚊は私から、紗英の方へ飛んでいき、紗英はそれを両手で捉えた。紗英が両手を開くと、蚊は紗英の掌の上で潰されていた。

「蚊って哀れだよね。生きるために血を探しにきただけなのに、こうして潰されて死んじゃうなんて」

 いきなり何を言い出すのだろう。そう思っていると、紗英は自分の掌の上で死んでいる蚊を見つめたまま言葉を続けた。

「だってそう思わない? 血を求めて入ってきたら、血を与えてくれる人間は自分たちを見つけたら殺そうとしてくる。ここが危険な場所だって気づいた時にはもう遅い。どこから出ればいいのかもわからずに、襲ってくる人間と一緒に閉じ込められる。危険な場所に来たんだって自覚もないまま、そこに迷い込んでいて、気がついたら命の危険にさらされてるんだよ。運よく出口が見つかればいいけど、そうでなければ、死ぬのを待つだけ」

 私は、昨日殺したゴキブリのことを思い出した。あのゴキブリも、あそこが危険な場所だなんて思いもしなかったのだろう。私に殺される段階になって、ようやくそのことに気がついたに違いない。

 その時私は、今日ゴキジェットを買うつもりだったことを思い出した。

 紗英は立ち上がって、窓のところまで行って開けると、掌の蚊の死体に息をふっと吹きかけて、それを飛ばした。

「夕子が言い出したんだよね。麻美を幽霊屋敷に連れて行こうって」

 ぎくり、とした。紗英を見ると、窓を閉めて、そのまま窓の方に顔を向けて立ち尽くしている。

「紗英、あの家、幽霊屋敷じゃなかったよ。だって……」

「幽霊屋敷だよ。皆でそう言ったじゃない」

 話が通じない。私は紗英の様子が異様なことに気がついた。

 どうして、あの時の話をしだすのだろう。もう思い出したくもないのに。ついさっきまで忘れていたのに。

「夕子、麻美に意地悪するつもりで、あそこに連れて行ったんだよね。あの日、わたしたち夕子から言われたでしょ?」

 確かにそうだった。夕子が麻美にそんなことをしようとしたのは、ある男子生徒のことが原因だった。

「麻美が、吉田君と付き合うことになったから……」

「そう。吉田君って、わたしたちのクラスで凄い人気者だったでしょ。運動神経も頭もよくて、女子からモテまくってた。夕子も一年の時から吉田君のことが好きで……。でもある時、吉田君が麻美に告白して、二人は付き合うことになった。だから、夕子は麻美に嫉妬したんだよね。ずっと想い続けて、それなのにあっさり麻美に取られちゃったから……それで、酷いことを思いついたんだ」

 私はハッと顔を上げた。紗英は、窓の方からこちらに顔を向けていた。その顔には表情がない。まるで、何かに取り憑かれているかのように見えた。

「わたしたちは止めなかった。むしろ、面白がって夕子のその思いつきにのった。わたしたちは皆、別に吉田君のことが好きだったわけじゃなかった。でも麻美って、女子からよく思われるタイプじゃなかったし、吉田君と付き合うようになってから、少し調子に乗ってるような面もあった。だからあの時、わたしたちは麻美のことを快く思っていなかった」

「でしょう?」と無表情のまま問われたが、私は返事をすることができなかった。

「それで、夕子はあの日の放課後、麻美を誘ったんだよね。『近くに幽霊屋敷があるんだけど行かない?』って。それで麻美はわたしたちについてきた……。わたしたちが何かを企んでいるなんて、疑いもせずに。でも……あの家は、幽霊屋敷なんかじゃなかった」


 私は押し黙ったまま、紗英の話に耳を傾けていた。できれば耳を塞ぎたがったが、紗英の冷徹な声がそれを許さなかった。紗英の口調は、まるで私を責めるかのようになっていた。紗英は黙っている私になどお構いなしで話を続けた。

「麻美はわたしたちとは家の方向が違うから、あの家のことは知らなかった。でも、いつもあの道を通って登下校してたわたしたちは知っていた。麻美には幽霊屋敷だって言い張ったけど、本当はそうじゃなかった。あの家には……人が住んでいた」

 私は胸の悪くなるような気分を味わっていた。自分の体内に、どす黒くて大きな異物が詰まっていることに気づいて、それを取り出したくて仕方がないけれどどうすることもできない。そんな感覚が押し寄せてきた。

「あの家には、ご老人がひとりで住んでいた。わたしはひとりで通ってる時も、皆で通ってる時も、何度もその老人を見たことがあった。だからわたしたちは皆知っていた。知らなかったなんてことはあり得ない。知っていて、あの家が幽霊屋敷だって麻美に言ったんだ」

 紗英はそこで間をおいた。

「見かけない時もあったけど、見かける時、必ずその老人は二階にいた。二階の窓からわたしたちを見降ろしていた。それも、凄く厭らしい目で……」

 最初に気づいたのは誰だっただろうか。夕子だっただろうか。わからない。とにかく、誰かが言い出したのだ。〝あのひと、いつもこっち見てない?〟

 そのことに気づいた時、どれほどぞっとしただろうか。全身が総毛立つような嫌悪感と恐怖に襲われた。何を考えてあの人は私たちをあんな目つきで見るのか。気味が悪いと、いつも三人で噂していた。

 私は気がつくと涙を流していた。懸命に堪えようとするが、止まるどころか涙は次々に溢れてきた。

 しかし、紗英は無情にも、私のそんな様子など無視して言葉を続けた。

「わたしたちは夕子の企みがわかってた。夕子ははっきりと口に出したわけじゃなかったけど、こう思ってたんだろうね。麻美があそこに行けばあの老人が……」

 酷いことをするかもしれないって。

 紗英の言葉に、私のすすり泣きは嗚咽に変わっていた。

「わたしたちにはひとつ、わかっていたことがあった。あの老人は朝や午後三時から四時ごろの時間帯には、二階の窓に姿に現すけど、夕方の遅めの時間帯には姿が見えないし、家に明かりもついていなかった。だから、その時間帯はきっと寝ているんだと推測したんだよね。その時なら、こっそり忍び込んでもバレないかもしれない。それで、わたしたちはわざと学校が遅めの時間で終わる日に、麻美を誘った……」

 そうだ。そして、肝試しという名目で、ひとりずつ順番に二階へ上がろうと夕子が言ったのだ。

「家の様子次第では、麻美が疑うこともあり得ただろうね。でも、あの家には余りにも生活感がなさ過ぎて、幸か不幸か……ううん、不幸というべきでしょうね。麻美は気づけなかった。そして、夕子はまず麻美を最初に上がらせた。わたしたちは麻美が二階にいる隙に……」

 私たちはその間に逃げたのだ。麻美をあそこにおいて。

 そして麻美は……。



 私は空中を羽ばたいていた。

 私は蝶になっていた。

 綺麗に鮮やかに、美しく優雅に羽ばたく蝶。

 しかし、何かに行く手を遮られた。

 網だ。私は網に捕らわれている。

 人間の子供が、私を虫取り網で捕らえたのだ。

 私は慌ててその網から逃げようとする。

 だが、残酷にも子供は虫取り網の口を握りしめて逃げ場を塞いでしまった。

 私は何とか逃げ出そうともがく。

 けれど、網目は抜け出すには余りにも小さすぎ、どこからも抜け出すことはできない。

 網が擦れて、羽を痛めつけた。

 子供が網を握っていた手を放した。

 出口ができ、私は急いで網から抜け出した。

 花畑のなかを、痛む羽を懸命に羽ばたかせる。

 もう大丈夫だ。地獄から解放された。

 ふいに、再び何かに動きを止められた。

 気づけば身体に糸のようなものが纏わりついていた。

 逃れようとするが、それは身体にしっかりと張りついていて取れない。

 そこに、何かが現れた。

 蜘蛛だ。

 私よりも遥かに大きな蜘蛛が、私の目の前にいた。

 花畑の隙間から、先の子供がこちらをじっと見つめている。

 あの子供がわざと、私が蜘蛛の巣に引っかかるように仕向けたのだ。

 私は恐怖に駆られてもがいた。

 しかし、もがけばもがくほど、糸は絡みついて取れなくなっていく。

 蜘蛛がやってきて、私の身体に鋭い針のようなものを突き刺した。

 凄まじい激痛と熱さが私の全身を襲った。

 身体の内部が溶かされていく感覚。

 しばらく私の身体は痙攣を続けていたが、やがて動かなくなった。

 私は死んだ。



 私は声にならない悲鳴をあげて気がついた。

 目の前に紗英の顔があり、相変わらずの無表情で私を見つめている。

 どうやら白昼夢でも見ていたらしい。

 その私と紗英の間に、再び蚊が飛んでいた。紗英は、今度は片手でそっと蚊を捕らえた。紗英は蚊を捕らえた手を少しの間見つめた後、窓まで行くと窓をあけて蚊を外に逃がしてやっていた。

「虫って、思いがけず自分を危険にさらすようなところに迷い込んじゃうものなんだよ」

 紗英は窓を閉めると、私に背を向けたままで言った。

「虫に限らず、動物や人間だってそうじゃないかな。偶然……時には何かの悪意によってそうなってしまう……。麻美だってそうだったんだよ」

 紗英は射るような視線をこちらに向けた。

「私は、あんなこと……そんなつもりじゃなかった。面白半分で……少しからかってやろうと思って……」

「嘘。わかってたくせに」

「夕子があんなこと言うから……」

「それに乗った貴方も同罪でしょ」

「貴方に私を責める資格があるの? 紗英だって……」

 その瞬間、私は息を呑んだ。突然冷水を浴びせられたように全身が冷たくなった。

「どうしたの?」

 直感的に私は気がついた。

 違う。この女は紗英じゃない。全然違う。別人だ。どうしてこれが紗英だと思ったのだろう。どのようにしてそう思い至ったのだったか……。

 この女は誰だ。紗英でないのなら、この女は……。

「どうしたの、友季恵。気分が優れないみたいだけど、お酒飲みすぎたんじゃない?」

 紗英はさっきまでの無表情を解いて、別人のような笑顔で言った。

「あ、あの……。ごめん、そうみたい。悪いんだけど、これでお邪魔するね」

「友季恵、無理しないで。今日は泊まっていけば?」

「いいの。まだ終電には間に合うし……。それに……ゴキジェットを買いに行かなくちゃいけないの」

 そう、気をつけて。という紗英の、いや、紗英だと思っていた女の声を背に受けながら私は玄関に向かった。

「チャンスをあげたのに」

 女の呟く声が聞こえたが、私にはその意味を考える余裕などなかった。私は恐怖心に背中を押されながら玄関へと急いだ。早くここから出なければ。もう一秒たりともこの部屋には居られない。そう思いながら、靴もまともに履かぬままドアを開けた。

 玄関だと思って開けたのに、そこは出口ではなかった。


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