プロローグ
花は。
種から芽を伸ばし土を、積み上げられた石の下を、あるいはコンクリートさえも突き破り、雨風に曝され踏みつけられても成長し美しい花を咲かせる。
人も似たようなもので、母親のお腹から飛び出してからは沢山の困難や壁に直面し、突き抜けくぐり抜けそして人生を謳歌する生き物。
これら二つは違うようで似ていて、乖離していて――だけど一つの共通点を持っている。
盛者必衰。栄枯盛衰。いくら綺麗に花が咲いても、いつかは必ず枯れ果て廃れ、朽ちていく定めであると。そこに例外はなくまた人も然り――枯れない花は決して無い……
「と思うんだけど……俺変なこと言ってるか?」
ファミレスにて。放課後学生2人組がお茶会と称し語らい合っていた。雰囲気からすればそれは茶会などと可愛らしい言葉で括れるようなものではなく。
髪の毛をツンツンにした窓側に座る青年は、黙りこくってるコーヒーをすすっていた。
「って!さっきからこっちが一方的に語ってるだけで、お前何も返してくれない!これじゃあまるで葬式の時に聞く坊主の話みたいで馬鹿らしいわ!」
至って真面目に話しているつもりだったがいやはや。少々ニヤついた顔で「はいはい」と流す友の姿に、怒り気味に身体をのめり込ませるもうひとりの学生。
「だって聞いててもわけわかんねーまんまだし、何よりつまんねぇんだもん。まるでガッコーの授業みたいだったわ」
「はぁ」ため息をつき「こんなことなら不破なんかに話さなきゃ良かった……」
頭を抱え、どすんとシートに腰を落ち着かせた。
「まあまあそんなカリカリすんなって。ここの勘定は俺がするからさ、陽の話全部聞かせろよ」
陽と呼ばれた学生は、オレンジジュースの入ったグラスを握ると顔を上げそのまま一息に中身を煽った。
「てかどうしたのよ急に。いきなり花がどうとかって、なんかあったのか?」
水分を補給し落ち着いたのかまた深い溜息をひとつつき細々と言葉を紡ぐ。
「なんも無いんだけど、さ。別に予言とかあったわけでもないんだし気にすることないかもしんないけど……」
「けど?」
「――俺死ぬかもしれないな、って気が急にしてきた」
流れていた空気が不意にビシッと固まったような感覚。続いて二人の間を埋めるように店内の騒音が包み込む。程なくして。
「ひゃははははっ!?」
不破の筆舌したがたい笑い声が暫しの静寂を一瞬にしてぶち壊した。
「ははは、腹痛い。え何、お前が死ぬかもって?いやいやないない。そんな予感がしただけでほんとにそうなると思ってんの?いやー…傑作だわ」
「……やっぱ人選間違えた。なんでお前なんかに話したんだろうな」
ぷくぅと頬を膨らませそっぽを向く陽。窓から差し込む夕日のせいか、それとも友人に爆笑された気恥ずかしさからか顔がほんのり赤くなって見える。それを見て少々馬鹿にしすぎたと反省し「わりぃ笑いすぎた」と続ける。
「確かに悪い予感ってのは当たることが多いけどさすがにそりゃあ外れると思うわ。俺だって、あ死ぬかもって思ったこともあったけど、それでもここにいるじゃん」
「うん、まあそうだけどさ…」
「だからあんま気負うな。ちょっと違うけど病も気からっていうし、何事もポジティヴにいこうぜ。――ってもうこんな時間か!悪いバイト入ってるから先に帰るわ」
と言って立ち上がると、不破は足をレジの方に向け歩み出すが。
「あ、」なにか思い出したように間抜けた声を上げると頭だけを陽の方に振り向き。
「花はいつか枯れるってお前言ってたよな」
「そうだけど、俺の話聞いてなかったんじゃなかったのかよ」
「現実に枯れることは必然、避けられない運命だけどさ。それでもそれを遅らせるための工夫――いや努力を花は知ってるんじゃねぇの?」
そんじゃあな、と手をひらひらさせて青年の座るテーブルから離れていく。
ひとり残された彼は友の残していった言葉を噛み締めながら、窓から見えた遠く地平線に沈む夕日を眺めた。
「枯れないための努力、かぁ……。そんな事言われてもなー」
すっかり日は落ち、藍色の空には瞬く星々もちらほら見え始めた頃、陽は重い足取りで帰路についていた。
不破と分かれた後、しばらくの間考え事に浸っていたせいで帰る頃にはもう午後六時を回っていた。
帰宅ラッシュの時間帯と被るため街には人がごった返している。それに遠くから悲鳴のような、歓喜にも思える声すら聞こえてくるようだ。芸能人でも現れたのだろう、と尚更行き交う人々の姿に鬱陶しさを覚え、こんなことならもっとはやく帰るべきだったと後悔する。
思い返してみると俺の人生いつも今みたいな状況ばっかだなぁ、と青年はしんみり心の中独りごちた。
「後先考えず突っ込んでそりゃあ見事に失敗して……」
失敗して――それで?
数え切れないほどの失敗を犯して、反省して。それから俺はどう動いた?その失敗は次の時には活かされた?怒られて本気で凹みその時は「なにくそ」と燃えて?
――「努力」を継続する為の『努力』なんてしたことあったっけ……?
「危ないッッッ!!」
悲鳴とクラクションとタイヤのスリップした音とが入り交じった音にふと妄想の果てから現実世界に引き戻された直後。
視界を埋め尽くす光の奔流に反射的に腕で顔を覆う動きが。
刹那の出来事が引き伸ばされ数千秒にも感じられて、今先程まで体験してきたありとあらゆる出来事が脳裏を過ぎ去っていく。
自我が芽生え確立され始めた小学生の頃。
特に大した努力もせず流れていった中学生の頃。
そして最近やっと努力が何なのか考えるようになり始めていた高校での思い出。
それはまるで走馬灯のようで、陽は嫌になって、怖くなって全力で否定しようとするが――
「えっ……」
ぐしゃっと。まるでただの紙切れを丸めてゴミ箱に捨てる時のような音を、青年は聞いた。
全身の骨という骨が。筋という筋が。砕け千切れるような感覚。
視界がまるで地震がきた時みたいに揺れて、世界が廻っているようだと錯覚する。暫しの浮遊感とそして衝撃、青年の頭は柘榴の実の如く弾け宙に赤い花を咲かせる。
ゴムの灼けた匂いや鼻腔をつく強い鉄のような生臭さ、地面を広がって全身の肌に触れるぬるっとした鮮血。
街の喧騒は徐々に遠ざかっていく。強ばった身体からは温度が消え冷たくなっていく中、頬を伝う雫だけはなぜか温かく感じられた。
蝋燭の火が消えるように――いや綺麗に咲き誇っていた花が萎れ枯れていくように、陽の意識は消えていく。
あぁ、死ぬってのはこんなにも悲しくて。
さびしくて。
唐突で。
めちゃくちゃ怖いもんなんだ。
こんなことならもっと……
『努力』……してりゃあよかったな―――
苦しかった胸の痛みが散りゆく花弁のように、消えて無くなった。