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身代わり王子と身代わり花嫁  作者: 七合美緒
8/24

8 旅立ち

 鶏が甲高く鳴いている状態である。街全体が薄暗くて静かな時間帯に、二人は出掛けることになったのだ。


「旦那様、アリーシャ奥様、お気をつけていってらっしゃいませ~」


 使用人の前では任務に関する話題は御法度なので、みんなにはこう告げている。


『カーニバルが有名な島よ。新婚旅行が楽しみだわ~』


 懲罰結婚をしたにも関わらず二人は仲がいいと使用人達は思っているようである。こないだ、執事が家政婦と、こんな会話をしていたのだ。


『ケネス様は、アリーシャ様が来てからも仕事熱心ですな。しかし、休むことも必要ですぞ』


『ええ、ですから、今回の旅は良い息抜きになりますわね』


『アリーシャ様が子供を作ってくださるといいのだがな』


『そうですね。跡継ぎを産んでくだされば亡くなった旦那様も安堵されるでしょうね』


 そんな事を言われても困る。これは偽装結婚なんだもの。とはいうものの、新妻のアリーシャは馬車の窓から楽しげに手を振る。


「それじゃ、みんなにも、お土産を買ってくるわね~」


 昨日うちに大急ぎで荷造りをしてもらっているが、正直、こんなに必要なのかと驚いてしまう。


 ドレス、帽子、靴。日傘、手袋、宝石。扇子、仮面。髪留め。


 大きな衣装ケースが積み込まれているものだから、それを運搬する二頭の馬達が可哀想になってくる。


(はぁー。こんなに急に出発するなんて驚いた。何泊するのか聞いても、それすら分からないってどういうことよ。本当に、いきあたりばったりなのね)


 二頭立ての四輪馬車は街道を走り続けていく。南部にある水の都は商人達が集う街である。


 そこに行くには、途中で何度も馬を交代させなければならない。


 馬車は土埃を放ちながら悪路を進み続けていく。


 持参している昼食を道路の脇道で食べた後、ケネスが言った。


「俺は、王子の誘拐事件のせいで休職中の身の上だ。協力者は親友のランドールだけなんだ」


「そんなんで、トルカを追跡できるの?」


「できるさ。相棒のランドールは優秀だ。各地に、ランドールのお抱えの情報屋や協力者がいて、いい働きをしてくれている。昨日の午後、トルカは無事に誘拐されているが、そこに黒衣の男は現われなかった」


 酒場にいた船乗り風の男二人がトルカに酒を飲ませて眠らせてから、強引に連れ去ったのだと聞かされてドキッとなる。


「今朝、王子が王宮を出ることになっている。王子も、急に予定を早められたらしい。俺達は王子やトルカと同じ方角に向かっているところだ」


 ふむふむ。なるほど。急に、出発が決まったのはそういうことなのか……。


「ところで、あなた、この一週間、どこにいたの?」


「反王政組織の本部と思われる事務所の周辺の動きを見ていたのさ。出入りする人と金の流れを見極めたかった。反王政派の貴族は金で爵位を買っている。銀行家の息子や商人の息子が貴族になったが、議会での発言権は低いままなんだ。そのことに不満を持つ者がいても不思議ではないのだが、あっ、まずい……!」


 カクンッという衝撃と共に馬車が大きく揺れ、いきなり停車したのだ。二頭の馬がヒヒーンと同時に辛そうに嘶いている。


 ケネスは窓から顔を出して問いかけていく。


「どうした! 何があった!」


「旦那様、申し訳ありません。ぬかるみに車輪がはまっちまったんですよ」


 辺鄙な場所だ。周囲は雑木林しかなくて助けを呼ぼうにも民家も見当たらない。


 御者の老人が困り果てたように大きな馬車を後ろからグイッと押して何とかしようとするが、グニュグニュと泥濘が深くなるだけで後輪が虚しく空回りしている。


「あたしも馬車から降りて手伝うよ!」


 アリーシャが腰を上げようとするとケネスが素早く引き止めた。


「おまえはいい! ドレスが汚れるぞ! こっちで何とかするから心配ない。そこにいてくれ」


 紺地の上着を脱いてアリーシャに手渡すと、彼は、グッと奥歯を噛み締めて馬車の後ろを押し出す。


 少しでも軽くしようと、アリーシャも馬車から降りると馬の前に立ち、威勢良く馬を鼓舞していく。


 車輪が鈍く回転したかと思うと、バシャッと水っぽい泥がケネスの顔に跳ね上がった。口のまわりに泥がこびりついているが、怯む事なくグッと顎と足腰に力を入れて果敢に押し続けている。


「おっ、やったな」


 何度もトライしてようやく馬車は動き出したのだ。


「だ、旦那様、まことに申し訳ありません」


 白髪の御者はボサボサの眉を下げて今にも泣き出しそうな顔をしている。しかし、ケネスは御者に向かって穏やかに告げている。


「おまえのせいじゃないさ。近道したくて無理に湿地帯を走らせた俺が悪いのさ」


 それでも、御者は恐縮しながら汗を吹いている。


(おじぃさんも大変よね)


 馬は次々と変えたが御者は屋敷からここまで同じ人物である。屋敷に古くから仕えている人のよだ。悪路のせいで御者の顔には疲れの色が滲んでいる。


「宿まであと少しだよ。帰りの馬車は空になるからゆっくりと帰ればいい」


 父を労わるような顔のケネスの横顔は、なんだかいい感じ。密かにアリーシャはホッコリしていた。


(この人は使用人に対して優しいんだよね……)


 二頭の馬の首や鬣を労わるように優しい手つきで撫でながら馬達を励ましている。


「おまえたち、あと少しだから頑張ってくれ」


 席に戻って来たケネスにハンカチを差し出して泥を綺麗に拭き取ってあげる。すると、だしぬけに笑った。


「おっ! 気が利くな。気立てのいいお嫁さんで嬉しいよ」


 破顔するケネス。


 その白い歯が眩しくてドキッと胸が跳ねる。

 頬と睫毛についた泥を丁寧に拭きながらアリーシャはボワッと赤面していた。


「あ、あたしは本物の妻じゃないわよ! 部下なのよ! 有能な部下として仕えているのよ」


 ムキになって言い返すとケネスは肩をすくめてから唇の端をピッと上げたのだ。


「そうだな。君みたいな利発な子と結婚して正解だったよ」


 戸惑い気味に見つめていると。なぜか、おどろけたようにケネスが語りだした。


「契約を守ってくれるのなら、いつか、君を開放する。その代わり、完璧に演じてくれよ。いざとなったら、俺に惚れているフリもやれるよな? 夫は世界一カッコイイとか言えよ。というか、みんなの前で、そういう芝居をやってくれないと困るんだよなぁ」


 どこか愉しげな声。アリーシャはツンと澄ましたした顔で言い返していく。


「分かってるわ。何でも言うわよ! あなたは世界で一番カッコいい御主人様ですわよ。旦那様の足にキスしろと言われたら致しますわよ!」


「へーえ、それじゃ、やってみろよ」


 ヒョイと足を出されて絶句する。


「ぐっ」


 そのまま木偶のように固まっていると、彼は、アリーシャの膝を持ちあげて軽く膝頭にキスしたのだ。


「ほら、こうするんだよ」


「キャーキャー、信じられない。やだー。いやらしい」


 パンパンッ。ケネスの肩を扇子で叩く。


 すると、ケネスは、大きな口をあけて愉しげに笑った。少年のような白い歯が真珠のように綺麗だとアリーシャは想ったのだった。


      ☆


 薄闇が海辺の村をスッポリと包み込んでいる。


「へーえ、ここが今夜のお宿なの? ホテルというよりも、誰かの別荘って感じだわ」


 岬の先端に白亜のホテルがポツンと建っている。


 さっそく客室に入ってみると、バルコニーは広くて湾内の様子を一望することができた。周囲は素朴な漁村で閑散としている。


以前、この湾の周辺の土地を異教徒の商人が所有していたのだが。


百年前、我が国の大司教に追い出され、接収された邸宅がホテルになったという。


当時のままの調度品が使われているせいなのか、まるで外国に来たような気持ちになる。


日没後にようやく辿り着いたアリーシャは、空腹で眩暈がしそうになっている。そのまま、ベッドに腰掛けながら、立派な部屋の天上を見上げる。


「ハーレムを連想させる雰囲気だな」


 ケネスは感心しているが、アリーシャはハーレムが何なのか質問する元気もないが、貴婦人らしくイブニングドレスに着替える。


 食事は海が見える一階の食堂で振る舞われる。その内装は見事だ。ほうっと、アリーシャは溜め息をついた。


不思議な形の椅子や寄木細工仕様の衝立。壁の青を基調としたタイルも珍しくて芸術作品のように綺麗だ。


「ここの牡蠣料理は絶品だ」


 ケネスがそう言うと小太りの給仕がまんざらでもないように笑顔を浮かべた。


「皆様、そうおっしゃいますよ」


 やがて、ケネスが人払いをしたので二人だけになった。こういう料理をいただくのは初めてなので戸惑い気味に瞬きをする。


(むむむ。参ったわ。指でつかむと、お行儀が悪いのかしら)


 モゾモゾしていると、ケネスが唇の端をキュッと吊り上げた。


「誰も見てないから、手でつかんで豪快に食えばいいぞ。あっ、先に言っておくが、この大きな器の水は飲むなよ。これは手を洗うためのものだぞ」


「そんなの知ってるわ。マナー講師に教えてもらってるもの」


 そう言いながら、拗ねたように唇を尖らせていく。


 だが、困ったことにマナーが分からない。えーっと、貝の身を取り出すのはナイフなのか、フォークなのか、それともスプーンなのか。苦悶の表情を滲ませたまま俯いていると彼が言った。


「ほら、口をあけてみろよ。さっさと喰えよ」


 牡蠣の剥き身を手でつまむと、アリーシャの口元に差し出しながら促がしている。


「いいから、食ってみろよ」


「……あたし、犬の餌付けされているみたいで嫌だわ」


 しかし、ゴクンと喉が鳴る。美味しそう。プルンと輝く新鮮な牡蠣の誘惑には勝てなかった。パクっと雛鳥のように口に入れると目が煌めいた。予想以上に美味だった。海の旨みが口いっぱいに広がると同時にニンマリと顔が緩む。


「おいしいっーーーーーーーーーーー!」


「そりゃそうだ」


 ケネスが鼻にシワを寄せてクシャッと笑う。どういう訳か、その笑顔にドキっと胸が弾み、そこからは鼓動が落ち着かなくなる。


「疲れたなぁ。道がデコボコで揺れていたから尻が痛いよな。おまえは、明日に備えて早く眠った方がいいぜ」


 貧民は新婚旅行などしない。娯楽目的でどこかに出かけるという事もない。


 行くとしても、郊外の花畑や綺麗な森に徒歩で出かけるぐらいである。


 長旅なんて、アリーシャにとって生まれて初めての事だ。疲れているけれども不思議と気持ちは浮き立っている。


 食後、二階にある客室に戻ると、彼は、異国風の座席の低いソファに座った。そして、低い声で語り出した。


「明日、ランドールと合流する。あいつが色々と情報を集めてくれているよ」


「ねぇ、ランドールって、どんな人なのよ?」


「幼少期から御婦人にモテていたよ。ランドールは、去年、軍を退役している。あいつの父親は立派な鉱山を所有しているのさ。だから、悠々自適の生活をしている。ランドールがトルカを尾行する責任者なんだ。これから向かう水の都は反王制派の拠点と言われている。ということで、俺達は視察がてらに反王政勢力の商人達の夜会に出る。おまえも、客人達の様子を観察して何か不審な出来事を見たら報告してくれ」


「えっ! 夜会! あたしは踊れないのよ」


 一応、ステップを習ったが、おそらく人様から笑われてしまうだろう。


「適当にやればいい。余計なことは喋らなくていい。会話に困ったら、頭が痛いと嘘をついてどこかに移動してやり過ごせ。人前では俺に惚れているフリをしておいてくれ」


「分かった。頑張るわ」


 今のところは平穏だが、この先に試練が待ち受けているらしい。これも仕事だと割り切るしかない。今回の旅には執事や従者などいない。


「おすみなさい」


 アリーシャとケネスの部屋は別々だった。侍女や従者の部屋が脇にあるので、アリーシャはそこで眠る事にした。


 長い移動のせいで疲れているが、先のことを考えると不安で寝付けなくなっている。


(トルカ、今頃、どうしているのかしら……)


 何しろ、事件の全体像がアリーシャには分からないので不安は膨らむ一方である。


 トルカは悪い奴らに殴られたりしてないかしら。悶々と考えてしまう。


 何かと気がかりだったけれども、いつしか、闇間に吸い込まれるようにして眠り込んでいたのだ。


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