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第六話

プリメラ絵画。

 ルシア・ヴァルバンスと名乗る男が扉の奥へと入ってから十五分が経ち、この飛空挺(フリウス)から脱出した頃。

 風鳥(かざどり)は機体の上に乗ったまま、ジッとしている。

 そんな状況が十五分。

 命を失うかもと意識してからの時間は永遠を感じてしまうほど長く。ハジメ達を含めた乗客達が、疲労困憊するには十分だった。

 機内には誰のものとも知れない吐しゃ物が、あちこちに撒かれている。助けを求める者はおろか、声をあげる者さえほとんどいなくなっていた。

 だが、勇者"ルシア"に言われた通り、おとなしくエサになろうと考えている乗客は一人もいない。

 乗客達はみな生きようと必死になっている。

 揺れながら飛行する機体の中、添乗員達がふらつく足でよろよろと武器になるものは無いかと探し回っている。

 だが、そんな物はいくら探してみても、何処にも無かった。

 ハジメの体がピクッと動く。


 ――『お荷物でしたら"貨物室で厳重に保管"します』


 検査官の言葉がハジメの脳裏を過ぎっていた。

 ハジメがハレルヤの腕の中で、助かる方法を思考する。


『あの勇者は武器を持って空港内を歩いてた。そして、勇者は検査官の注意を拒否して、武器を持ったまま搭乗してた。なら、他の乗客達の中にも何らかの武器を持って空港まで足を運び、武器を検査官に預けた上で飛行機に搭乗した者がいるかもしれない。そうだっとしたら、貨物室に武器がある可能性がゼロじゃない。一〇〇パーセントでもないけど、武器の所持を"世間的"に認められているは"勇者だけ"という可能性もあるし』


 ハレルヤに抱きかかえられている息子をカレジが励ましている。

 ハジメはカレジとハレルヤに言った。


「父さん! 母さん! 貨物室に武器があるんじゃない?」


 ハジメが突然言った言葉に、カレジとハレルヤが驚いていた。

 前世での飛行機でなら普通あり得ない――犯罪だ。

 だが『絵本の世界"でならあり得る』と、ハジメが思った。

 しかし、この答えはハジメでは出せない。

 焦った表情をハジメが見せると、カレジの言葉で答えが出る。

 

「そ、そうか!! でかしたハジメ!!」


 高ぶる声でカレジがハジメを褒めた。

 それを聞いてハジメが、前者の考えで間違いないと確信する。

 ここは武器を持って空港へ来るのが当たり前にある"世界"。

 武器があれば戦える。ほんの少しだが希望が見えてきたとハジメの目に光が灯る。


「おい!! 誰か!! 武器を取ってきてくれ!!」


 カレジが大声で呼びかける父に『自分で行かないの?』とハジメは思ったが、仕方がない息子と嫁がいる。


 * * * * * * * 


 ビジネスクラス入口付近に座っていた一人の青年が立ち上がる。


「俺が行きます!!」


 スラっとした体型にスーツ姿、大学から出たばかりの新入社員みたいな取り立てて特徴の無い男。

 立ち上がった彼の名は"ミゲル・ノーザン"。

 いつ何時、堕ちるとも知れない飛空挺(フリウス)。この上に、風鳥(かざどり)が透明な天井に乗りジッとこちらを覗き、乗客達(エサ)を観察している。

 誰かが動くと風鳥(かざどり)の目がギョロっと動いた者を視線で追う。恐ろしくないはずがない。

 それでも、誰かが行かねばならないと、そう思いミゲルは震える足をバチンっと叩き、力の限りを尽くして真っ先に立ち上がり名乗り出たのだ。

 ミゲルはエコノミーから動力室へ入る扉の前まで移動する。

 一歩、一歩進む度、乗客達の目線が期待となって重石の様にミゲルに圧し掛かる。

 ミゲルが向かう動力室までの通路は、モーゼによって真っ二つにされた海のように誰もいなかった。

 みなミゲルの通る通路を空けていたからだ。だが、それは親切心ではない。その場所に居れば『一緒に来てもらえませんか?』と、ミゲルに云われるかもしれない可能性を完全にゼロにするためだった。

 しかしミゲルは誰と一緒に行こう何てつもりはない。最初(はな)から一人で行こうと覚悟していた。

 その覚悟足るや凄まじく、決意しただけで精神のほとんどを使い果たしてしまうほどであった。

 ミゲルは足をふらつかせながら動力室の扉へと向かう。だが、その途中、何度も揺れる機体でバランスを崩し座席に手を付いて自分の体を支えて、また歩き出す。

 歩き出した場所から、動力室までは十メートルもないのだが、あちこちに巻かれた吐しゃ物から放たれる悪臭に吐き気を催したミゲルが口元を押さえて、一度嗚咽した。

 たった一人、勇敢にも貨物室へと向かうミゲルに『早く行け』と心無い野次が跳ぶ中、ゆっくりではあったが確実に進めた足が動力室の扉の前まで辿り着いた。

 乗客、添乗員たちがミゲルを凝視する中。

 ミゲルが取っ手に手を掛け捻ると、ほんの僅かな力で扉が開いた。

 普段は乗務員達でさえ立ち入り禁止の動力室の鍵が開いている。

 それは、ルシアが鍵を開けたから、子供でも簡単に解ける問題だ。


「鍵まで用意していたのか……用意周到なヤツだ」


 普段は一般人はおろか、乗務員達でさえ入る事の許されない動力室。

 ミゲルにとって初めて入る場所。何があるか、何が起きるのか全く予測できない。そんな動力室へ、ミゲルはゆっくり足を一歩踏み入れる。

 そして、エコノミークラスの乗客達見て、戦慄した。皆ケダモノの様な目で見つめている。得るべきものを得られなければ、ハガレ風鳥(かざどり)に喰われるのではなく、墜落して死んでしまうのでもなく。ここにいる乗客達に殺されてしまうかもしれないと、ミゲルはそう思いジッと乗客達を見つめながら動力室の扉を閉めた。


「これが動力室……」


 神妙な面持ちのミゲルから素直な感想が出た。

 こんな状況でも、初めて見るものには感激するものだと、ミゲルが思う。

 動力室内部は機械仕掛けのモノとは違っていた。

 透明な天井は白く着色された鉄で出来た天井に変わっている。

 動力室の見取り図は縦長の長方形。中心には半径三メートル程のガラスの円柱が、床から天井まで聳えていた。その中には直径一メートルはある球状の形をした赤黒い光を放つ"ダークマター"がふわふわと浮いている。

 ガラスの円柱の右端には、鉄製の手すりが付いた通路がある。左端には飛空挺(フリウス)の原動力であるダークマターを制御する為のスーパーコンピューターの様な精密機器、壁には一〇〇インチほどの液晶画面に低級言語でプログラムされた飛空挺(フリウス)の飛行通路が秒単位で演算されている。

 だが、ミゲルがそこに目を向けることはなかった。

 ミゲルが見つめていたのはダークマターの赤黒い光。

 この光がミゲルをただただ不気味に感じさせていた。

 中央に聳える円柱の中心に浮ぶ、赤黒い光を放つ黒い球体を見つめ、


「"ダークマター"がこの飛行機の動力源だったのか……」


 そう言うと――"ダークマター"は"万能物質"という"絵本の世界"の常識が頭に浮ぶ。

 この万能物質は"希少価値"も合い間ってバスケットボール大のダークマターが手に入れば一生遊んで暮らせるほどの金が手に入ると言われている。

 その昔、盗賊団がダークマターを保管する機関が襲われるという事件が頻繁に起きた。

 この"飛行機の動力室"が最重要機密(トップシークレット)となっているのはそのため。

 乗客達の視線が扉によって遮られたことで、ほんの少しだけミゲルに圧し掛かっていた重圧が軽くなっていた。

 ミゲルは右端に敷かれた手すりの付いた通路を"ダークマター"を見つめながら歩き、貨物室の扉へと足を進めていく。

 が、軽くなったと思ったミゲルの重圧はここまで。


「……ふぅ……ふぅぅ……ふぅう」


 ミゲルが一歩足を前に出すたびに、呼吸が乱れていく。


「……ふぅ……ふぅぅ……ふぅう」


 ミゲルは異常な呼吸音を動力室に響かせながら、踏み出す足が思うように動かないことに気付いた。

 『戻りたい』それがミゲルの本音だったのだが、この右端に敷かれた通路の上で振り向きエコノミーへと戻るのは、尚の事、困難であった。

 先ほど、動力室に入るときの乗客達の目は殺気だっていた。戻れば殺されるかもしれない。

 ミゲルの頭に焼きついたこの、認識が功を奏したのかひとまず前に進むことはできた。

 そして、気付けば貨物室扉の前へと辿り着いている。


「つ、着いた」


 ミゲルの心臓が今までにないほど高鳴る。ミゲルは時分の心臓を右手で押さえる。そして、だらんと垂れ下がる左手を貨物室のドアノブに掛けた。

 その瞬間――ミゲルの動きが止まってしまった。


「はぁ……はぁぁ……はぁぁぁ」


 誰も居ない動力室で、ミゲルから大量の汗が流れ床に滴り落ちる。

 そして、今度は涙を浮かべて、震える上半身を踏ん張って足で抑えたつもりだったが両足の震えの方が激しかった。

 致し方ない、この場にミゲルを助ける者も、代わりに決断してくれる者も、支えになってくれる者さえいない。

 ミゲルに二二八人分の命の重さが圧し掛かっているのだから。乗客二二八人の命運をたった一人で実行しなければならない。

 この奥に武器が無ければそれこそ"全て"が終わる。

 最悪の事態がミゲルの脳裏に浮び上がり映像化されてしまっていた。

 それはハガレ風鳥(かざどり)に襲われながら墜落していく飛空挺(フリウス)の惨劇。

 ミゲルの口から弱音が出ると目から涙が溢れた。

 

「ダ、ダメだ……開けられない……」


 ドアノブを掴む左手の震えが止まらない。 


「……怖い」


 ミゲルは扉を開く為、ドアノブを握っていた左手の上に心臓に当てていた右手を添えた。

 扉を開かなければ先へは進めない、進めなければ何の意味も無い。


「……何やってるんだ……みんなの命が掛かってるんだぞ!!」

「開けろ!! 開けろ!! 開けろぉおおお!!!!」

 

 ミゲルが自分で自分を奮い立たせようと、大きな声を動力室に轟かせた。ただ扉を開くだけ。

 たったそれだけの為に噛締めた唇から血を滴らせ、ドアノブを握っている手の甲にヒビが入っていた。

 ミゲルが意を決し、ドアノブを捻った。

 するとガチャ! 何とも味気ない音を鳴らし貨物室への扉が簡単に開かれた。

 ミゲルは目を瞑りながら、貨物室へと入り、静かに目を開ける。扉の向こうに広がる貨物室を見たミゲルの口から、この飛行機の行く末が告げられる。


「終わった……」


 正方形の貨物室。

 その中には左奥の床に"ルシア・ヴァルバンス"が逃げ出した緊急脱出用の扉がポッカリと開いていた。

 積荷はほとんど無く、あるのは束にしてまとめた資料と美術品があるだけだった。


「……プリメラ絵画?」


 ミゲルが無意識に口に出したのは美術品の名称――プリメラ絵画。

 "ノイズ・プリメラ"という女性によって一七〇〇年前後に描かれたと"言われている"世界的に有名な絵画である。

 作者"ノイズ・プリメラ"と"謎の美少女"の二人が手を取り見つめあう。

 プリメラ絵画の最高傑作――≪禁愛≫

 この絵画は僅か十七年ほど前に発見され、世界中で話題となった。

 今では誰もが知る絵画であるが、この状況では一切の価値は無い、如何に崇高な芸術品であろうと、人一人の命を救える力すら無い。

 ミゲルは両膝を地面に着けると、泣き崩れてしまう。


「ミゲル!!」


 そう叫び、一人の男が現れる。

 ミゲルの後を追いやってきた男の名は"ロイド・ランシィ"。

 ミゲルは涙を零しながら力なく、ロイドの方を向く。


「……ロ、ロイド」


 ロイドもミゲルの声を聞き、表情を見て自分達の命運を悟った。

 いとも容易くロイドの顔から血の気が引き青ざめていく。


「な、無いのか?」

「ああ、終わりだ」


 ミゲルの言葉を最後に二人が口を開く事はなかった。

 ロイドに次いで続々と貨物室へとやってくる乗客たちが、中の様子を見て崩れ落ちる。

 その後すぐ、"最悪"が伝言ゲームのように伝わっていった。

 状況の"最悪さ"はハジメたちのいるエコノミークラスを通り越しファーストクラスから操縦室にまで伝播していた。


 * * * * * * *


 エコノミーにいるハジメ達一行。

 ハジメ達の耳にも、飛空挺(フリウス)の"最悪"は入っていた。

 ハジメがカレジに訊いた。


「父さん……どうしたらいいの?」


 息子の問いに返す答えが見つからず、カレジはただ黙るしかなかった。

 黙ってしまったカレジが下を向く。

 カレジが何も出来ずにいる中、ハジメが辺りを見渡した。

 辺りにいる人々は、貨物室へ向かう者もいれば、エコノミーへ集まってくる者もいる。

 集まってくる理由に特筆すべきものは無い。

 誰かが恐ろしくなりエコノミーへ向かった。

 それに釣られて一人また一人と集まりだした。

 と、理由を付けるならこんなものだ。

 透けて中の見えるエコノミーに人が集まれば、当然ハガレ風鳥(かざどり)は、集まり増えていくエサに興味が湧く。

 風鳥(かざどり)がヒヅメで機体を握り、ギシギシと嫌な音を鳴らしている。


「……父さん」


 うつむいたカレジが弱々しい言葉でハジメを勇気付けた。


「……もうどうしようもないらしい。でもな、ハジメ。お前だけは必ず守ってやるぞ」


 父は諦めてる。

 震えるカレジを見て、ハジメがそう感じていた。

 ハレルヤが小さな声でハジメに謝罪する。


「……ハジメ……ごめんね」


 ルーシンは娘を抱きしめているが、パインは震えは止まらず号泣している。


「パイン……大丈夫よ……神様が助けてくれるから」

「あぁああん!!!! 怖いよぉ!!!!」


 状況は絶望の一言に尽きた。

 そんな中、ハジメの家族とパインの家族の元へよぼよぼの老人が震える機体の中で杖を付きゆっくりと歩み寄ってくる。

 老人の髪の毛は白く、髪の毛と同じく白く長い髭を蓄えている。

 身長は低く、年齢は八十歳を超えているだろう。

 その骨と皮だけの体で杖をつく姿は仙人のようだった。

 老人の最初の言葉は何故か謝罪であった。


「すまない……関係のない君たちまで巻き込んでしまった……」


 ハジメの頭に疑問が浮んだ。

 老人の言う巻き込むとは何の事のことなのだと。

 そして老人が端的に説明する。


「ワシらは"勇者反対同盟"の者達じゃ……」


 老人が言った"聞き慣れない単語"にカレジが問いかける。


「ゆ、勇者反対同盟?」


 カレジの質問にに老人が答えた。


「その名の通り"勇者育成法案"の"反対組織"じゃ……」


 そんな事は名前を聞けば、誰でもすぐに分かることだ。

 ハジメが訊きたいのはもう一つの疑問。

 ハジメに代わってカレジがその疑問を投げかけた。


「巻き込んだというのは?」

「実はこの機体に乗っているのは君たち意外の全員が"勇者反対同盟の者達"じゃ」


 老人の発言を聞いても、カレジは驚かなかった。

 状況が状況、驚いたところで意味はないし、生き残れるわけでもない。

 なにより、カレジにそんな気力がなかった。

 ルーシン、パインもそれどころではない。二人は老人の言葉などに聞く耳を持たずな状態。

 カレジは恐怖を紛らわせる為、老人と会話を続ける


「我々、勇者反対同盟は勇士を募り、これから"魔法都市"である"ニルヴァーナ"で本格的な活動をする予定でここの飛行機に乗ったのじゃが、どうやら話が洩れていたらしい……」

「洩れていた?」

「……さっきの勇者がパラシュートを持っていたじゃろ?」

「飛行機ですよ……パラシュートなら全員分ありま――ぇ?」


 カレジはようやくこの飛空挺の異常さに、今更ながら気が付いた。

 それは、離陸の際に行われる緊急脱出の説明も無ければ、脱出用道具も一切無かったことである。


「我々は"罠"にかけられたんじゃ……」

「……罠?」

「追撃用の飛空挺まで用意されてるほど厳重な警戒をされたこの飛空挺に一つ足りないものがあるんじゃよ」

「それは?」

「――魔法使いじゃ」


 本来なら安全に安全を考慮し"ハガレの出没しない空域"を通常飛行する機体にでさえ"魔法使い"が飛空挺に乗せるのがこの世界の一般的な常識。まして、風鳥(かざどり)と遭遇するかもしれない、この飛空挺(フリウス)には"魔法使い"が乗っているのは"この絵本世界の常識"からすると当たり前。

 というより"必須事項"だ。

 聞けば"勇者反対同盟"の者たちは添乗員の誰かが"魔法使い"だと思っていたらしいのだがどうやら違っていた。

 添乗員も"魔法使い"は乗客にいると通達されており、"勇者反対同盟"も添乗員に"魔法使い"が乗っていると説明があったらしい。

 あるべきはずの脱出用の道具が無い。

 いるはずの"魔法使い"がいない。

 絶対不可欠な"二つの必須条件"がこの飛空挺(フリウス)に欠けている。


「助かる術は無いんですか?」

「"奴ら"はワシら"勇者反対同盟"を消すのが目的じゃろう……助かる見込みなどゼロだ。一〇〇パーセント成功するとそう確信があったからこそ実行に移したのじゃろう……」


 カレジの問いを無視して話しをする老人の悲痛な返答は遠まわしだが"すまない"と言う事なんだろう。

 もう本当にダメなんだと、"ハジメ"は"ハレルヤ"は"カレジ"は"ルーシン"は"パイン"は、乗っている全員が諦めた時。

 機内に悲鳴が轟いた。


「うわぁあああああ!!」


 ハジメが透明な天井を見上げる。

 体を休めていた風鳥(かざどり)がとうとう痺れを切らし動き出す。

 他の乗客たちは口から何も発する事無く、ただ墜落するのを待つか、喰われるのを待つか、選ばずにいた。

 それはつまり、みんな揃って"死"という現実を受け入れているということだ。

 誰もが生きる事を諦めていた。

 誰もが生きる為の言葉も出さない。

 憔悴し切った乗客達に風鳥(かざどり)が追い討ちをかけるように、風を操る魔法を使う。

 真っ黒な口ばしを空にかざして風鳥(かざどり)が鳴く。


 ――『グワゥアアア!!!』


 風鳥(かざどり)けたたましい声が響く。

 肉眼でもハッキリ見える白い風が、ハガレ風鳥(かざどり)の全身を纏っていた。


 風鳥(かざどり)の魔法――――【風鳥乱流(ロックバード)


 ガシャン! という、透明な天井が割れる音が鳴る。

 同時に死を受け入れた筈の人々の、足掻(あが)きの声が機内に轟く。


「「「「「助けてくれ!!!」」」」」


 風鳥(かざどり)の体に巻きつく"白い風の力"で破られた透明な天井。

 そこから、風鳥(かざどり)が機内に真っ黒い顔を突っ込んだ。

 それを見た乗客達が一斉に"透明な天井のエコノミー"から"色の着いた天井があるビジネス"の方へと走り出している。

 いよいよ、風鳥(かざどり)の食事が始まる。

 常軌を逸した空間はいとも容易く人の精神を狂わせる。

 一度は皆が覚悟した――死への恐怖。

 それでも簡単に捨てられない――生への執着。

 死を覚悟した後の生への執着は凄まじく、人を魔物に変えていく。


 ある大人は――若者を退け真っ先に逃げる。

 ある男は――女を掴み風鳥(かざどり)の口元へと放る。

 ある女は――子供を盾に我が身を守る。

 この飛空挺(フリウス)に乗っている勇者反対同盟の者たちは、我が身が一番で、自分が助かればそれでいい、他人が死のうと知った事じゃない、とハジメの瞳にはそう映っていた。

 ハジメ達が搭乗した飛空挺(フリウス)は"死を待つだけの世界"から"弱肉強食の世界"に変貌していた。

 これでは"勇者ルシア"と何ら変わらない"勇者反対同盟"が聞いて呆れると、ハジメが思う。

 ハジメの両親もルーシンも我が子だけは風鳥(かざどり)のエサにするものかと子供達の盾になる。

 "我が身がかわいい連中"に連れて行かれないよう、ハレルヤとルーシンが我が子の手を更に強く握り締めた。


「大丈夫よ……パイン」

「心配要らないからね……ハジメ」


 二人が子供たちに慰めの言葉を贈る。

 すると、パインが何かに気づき疑問の声。


「な、何? "この音"……?」


 ハジメはパインが口にした言葉を聞くより先に"この音"が聴こえていた。

 その音は海から。つまり、遥か下から聞こえてくるハープの様な音色。

 美しくて心癒される優しい"この音"は音楽のよう。

 乗客を襲っていた風鳥(かざどり)は"食事"を止める。

 風鳥(かざどり)が機体から顔を外へ出すと飛空挺(フリウス)に体を乗せたまま、その音が聴こえてくる遥か下の海を覗く。

 ハガレ風鳥(かざどり)は何かに怯えているようだった


「何だろう? 父さん……母さん……」


 カレジとハレルヤの耳にハジメの言葉が届いていない。

 息子を守る為神経を研ぎ澄ませている。

 天井では風鳥(かざどり)が今にも飛び立とうとしていた。

 風鳥(かざどり)がこれから何をするのか、乗客達には全く予測が出来なかった。


 予測が出来ないから――両手を組みガタガタと震え『助けてくれ!!!』と念仏のように唱える乗客がいる。

 予測が出来ないから――恐怖に押し潰されて子供の様に泣き喚き『助けて!!!』と叫んでいる乗客がいる。

 予測が出来ないから――己の本性を露わにし『助けろよ!!!』と異形な怒りを当たり構わずぶつける乗客がいる。


 そんな乗客達の願いが通じたのか"何故か"風鳥(かざどり)は機体に降ろしていた黒い巨体から大きな翼を広げると、両翼を上げ力任せに振り下ろす。

 その浮力で"風鳥(かざどり)の黒い巨体"が飛空挺(フリウス)から移動した。

 風鳥(かざどり)の足下に飛空挺(フリウス)という足場がなくなると、もう一度、翼を大きく広げ今度はバサッと音を立てしっかりと飛んでいる。


「た、助かったのか?」


 誰かがそう言ったその時だった。

 真下の海から聞こえてきた、音楽の様なハープの音色とは明らかに違うズゥドォオオオン!! と体の芯まで響く不吉な轟音だった。

 勇者反対同盟と名乗った老人が大声で叫ぶ。

 

「な、何か来るぞ!! 皆頭を伏せるんじゃ!!」


 同時に乗客達が頭を床に伏せる中、ハジメは自分を抱きかかえ座り込むハレルヤの指と指の僅かな隙間から"外"を覗き見ていた。

 ハジメが覗き見たのは、機体から五十メートルほど離れた空中にいる風鳥(かざどり)が、飛空挺(フリウス)に背を向け"何か"から逃げようと懸命に翼を動かしている姿だった。

 強固な天井さえも破った風鳥(かざどり)の強力な風鳥乱流(ロックバード)の力が"無に等しい"と思えてしまうほど、いとも容易く打ち破り"何か"が絡みつく。

 ハジメがハレルヤの手を退ける。

 その"何か"を凝視し、絞り出すように声を発する。


「……な、何だあれ?」

 

 前世の世界では見る事は決して無いだろう。

 ここは上空五千メートル以上。

 天空。

 そんな所へ現れ風鳥(かざどり)に絡みついたのは――

 《烏賊(イカ)の触手》

 "烏賊(イカ)の触手"に圧された風鳥(かざどり)の黒い巨体はバキバキっと鈍い音を立て骨が一瞬で砕かれた。

 風鳥(かざどり)が"消えた"とハジメに思わせる。

 しかし、その真相は"烏賊(イカ)の触手"が途轍もないスピードで"風鳥(かざどり)"に悲鳴の一つも上げさせないまま大海へと引きずり込んでいただけ。

 残ったのはズバァンっ! という風鳥(かざどり)が引きずり込まれた音。

 そして、ゆらゆらと天空を漂う大きな黒い羽のみ。

 乗客達がゆっくりと上体を起こし口々から出る


『助かったのか?』


 と、いう疑問の声。

 だが、それに答えられるものなどいない。

 ハジメ以外は誰もあの異様な光景を見ていなかったのだから。

 そして、ハジメ自身も"アレ"が何なのか一切分からない。


『空港に戻れ!!』


 また誰かが言ったが、ハジメにはどうでも良いいことであった。

 なぜならハジメは命の危機にさらされながらも、何故かワクワクとした感情を抑えられずにいたからだ。

 そして、ハジメは緊迫した機内の中で、ついうっすらと笑みを浮かべていた。

ご愛読ありがとうございます。

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