第三十三話
リリスとエルキゼ
それは崩れ去っていったオルゴーの姿を見たのなら簡単に推測できる。ハシゴの下にオルゴーではなく住人達が集まり、地上を仰ぎ阿鼻叫喚する姿があった。
オルゴーは地下で間違いなく死んでしまっただろう。
リリスが血の付着した白衣を脱ぐと、習うようにエルキゼもバサッと音を立て脱ぎ捨てる。
二人の右手に持たれ垂れ下がる白衣は、微かに光を放ち意志を持ったスライムの様に右手の上に収束すると球体になった。
「行くか……」
「そうね……」
ハジメの右斜め前で、閉じたマンホールの上に立つリリスとエルキゼが顔を合わせる事無く、言葉を交わした。
二人が考えているのは、敵に見つからない道を見つけ出しなるべく安全にハジメと共に魔導城まで辿り着くか。
だから白衣を脱いだ。こんな目立つ物を着ていてはヴァルバンスに見つかってしまう。ハジメがシオンと出合った時に思った『何でこんな目立つ格好をしてこうどうするのか』という疑問。
だが今、ハジメが考えなくてはいけないのはそんなことではない。それはもちろん、ハレルヤとカレジ、両親の事。
なのだが、隠れ家で死んでしまったシオンたち、見ず知らずのハジメと仲間の為に犠牲になったオルゴーを思うと悲しみが押し寄せ、両親の安否は二の次になってしまっている。
一歩踏み出しリリスとエルキゼの傍らに立ったハジメの足の裏に違和感を感じ、下を向いてゾッとする。憎しみやら恨みやらを織り交ぜた住人たちの絶叫がマンホールに共鳴して、小刻みに揺れている。
ハジメはすぐさま、マンホールから離れた。リリスとエルキゼもソレに気付きソコから離れた。
「ホントに地獄のようだな」
「連中はシャイトの掌で弄ばれていた訳じゃないのよ」
「弄ばれた訳じゃない? 何でそう思うんだ? リリス」
「思ったんじゃないわ……女の勘」
思考し考察推理といった事には自信があるつもりでいるハジメだが、外してきた事の方が多い。
リリスに訊く事にした。
「シャイトさ――シャイトに弄ばれていた訳ではないってどういう事ですか? リリスさん」
「私達と同じように、騙されていたんじゃなくてシャイトが住人達と一緒になって私達を騙していたんじゃないかってこと。グルだったんじゃない?」
そういうことかっと、ハジメが頷く。
すると――エルキゼがリリスの顔を見つめ、もっと納得できる説明をする。
「俺は女の勘何て当てにしたことが無いから言わせて貰うがそれはない。リリスの勘が当たっているとするなら、シャイトは知龍隊に加え俺達、飛龍隊の監視もしつつ侵入者共を束ねて、住人たちまで意のままに操っていたことになる。あり得ないだろ?」
リリスの勘の上を行くエルキゼの説明。いくら、シャイトが優秀だったからといっても限度というものがある。
飛龍隊に紛れていたのは二十三人。侵入者として潜り込んだスパイが二十三人であった証拠は隠れ家で判明した。しかし侵入者の仲間がそれ以上いないという証拠は無い。つまり、常に接する事のできない住人と、条件が揃わねば接触できない侵入者を統率するのは、それ相応のリスクを背負わなければならなくなる。
それに、シャイトが隊長として統括していた知龍隊、別称に聖痕騎士団という名をもつ彼らも敵であった可能性が高い、だとすると知龍隊から裏切り者が出ないよう監視する必要も出てくる。加えて、一〇〇を越える住人達を纏め上げるなど、物理的に不可能だ。
用心深いシャイトが不確定な条件下の中、それも失敗に終わる可能性の方が高い作戦を遂行しようとしたとは考えられない。
だが、リリスが言った言葉で女の勘に信憑性を持たせることになる。
「飛龍隊と知龍隊という二つの部隊の総称である始祖龍武隊の全てを指揮していたのはシャイトなのよ、エルキゼ?」
「……それがどうしたんだ?」
「知龍隊には南の者もいた――」
「だから……それが何なんだ!!!!」
隠れ家で戦い、住人達から逃げ、オルゴーの死を目の当たりにしたすぐ後、精神が限界だったエルキゼがつい声を荒げてしまった。
リリスはエルキゼと同じく精神的に限界に来ているのはずなのだが、すぅーっと息を吸うとゆっくり息を吐き、落ち着いた様子で話を続ける。
「飛龍隊の私達でさえ、入れ替わり立ち代る仲間全員を把握出来て無かったのよ……エルキゼ、あんたはどれだけ知龍隊について知っていたの?」
「……そ、それ……は――」
エルキゼがこれ以上口を開けなかった理由なら、からきし鈍いハジメでも直ぐに勘付けた。知龍隊についてほとんどどころか全く知らない。
「言え無いでしょ……もちろん私も言えない――」
と、リリスも一旦話を止めてハジメの手を取り、辺りに人の気配が無いかを確認すると歩き出した。
エルキゼは黙ってリリスの後を追い、アスファルトの路地を歩きだし話の続きを待っていた。
余程、重要な事なのか、それとも時間が惜しいのか。作りかけの鉄筋ビルに、灰色のが目立つ雑居ビルに囲われた人気の無い裏通りを歩きながらリリスが二人に向けて口を開いた。
「知龍隊って住人達の事じゃない?」
エルキゼが分かり易く仰天し目を丸くすると、声を押し殺しリリスに訊ねる。
「住人達は"勇者反対同盟"だろ?」
「そうよ……でも、住人の活動は"勇者反対同盟"だけだったのかしら?」
「どういうことだよ?」
「無法地下街には私たちが知っているだけども一〇〇人を越える。知らない住人たちを含めれるとそれこそ何人いるのか分からないのよ……住人達は"勇者反対同盟"であり、"知龍隊"でもあるってこと」
「それも、女の勘か?」
「違うわ! これは推測。無法地下街は人生の行き場を見失った者達が辿り着く最終地。そこに人間種しか居ないっていうのは不自然じゃない? 普通、人間種に差別されている亜人や獣人がいる方が自然でしょ?」
「シオン隊長は亜人や獣人達は安全な中立国へ優先的に送っているって言ってたぞ?」
「シオン隊長はあんな風に見えて人が良いからシャイトの言葉を素直に聞いてしまったんでしょ。もっともシャイトはシオン隊長のそんなところを利用したんでしょうけど……」
ハジメは始祖龍武隊内での複雑な話に付いていけず、少し後ろに下がろうとした。
だが、ハジメはリリスに腕を捕まれグイっと引き戻されると、軽く睨まれ身震いした。
「私の結論。知龍隊は≪地下の住人達≫で私達の仲間として入った、侵入者も地下の住人達、うまく隠れていた知龍隊のメンバーってところかしら、そうなれば飛龍隊にあっさりと入隊させられた理由も判る。シオン隊長なら信頼できない地上の連中より、地上の連中に迫害された地下の住人たちを選ぶわ」
「シオン隊長は、隠れ家で会議をした時。誰かに任せてたって言ってたぞ?」
「それはハジメ君とシオン隊長、ついでにシャイトが侵入者に気づかれない様に話した暗号みたいな会話だったのよ……判らなかったの?」
エルキゼはリリスのように言葉の真意を推測し、答えを導き出すのは苦手なようだ。苦虫をかみ締めたような表情になっている。
そうなると、ハジメの思考回路はリリスに近い。
心を読まれた事にも関係が? と思ってまた止める。
リリスに心を読まれたくないと思っただけでなく、真意に近づこうとする思考は他人の心に土足で踏み込むのと同じだと、ハジメが自粛し恭慎の表情を浮かべた。
「なら、外に出る事も出来ない根性無し共はどう説明するんだ」
少しエルキゼの声が大きくなった。ムッとして矛盾を突いた質問をしたのだが、リリスに即答される。
「あれは、知龍隊が地下住人であることを隠す為に用意された迫害者……多分、私たちを追ってこなかった連中が次の飛龍隊候補ってことだと思うわ」
「リリス、地下の住人達の中にニャンがいた、あの子は猫獣種だ……何故あそこに……」
「あの、無法地下街は差別され行き場の失った者達を受け入れるって表向きな前提があったのよ。ニャンにどんな理由があったか知らないけど、あんな地下へ来なければならない理由があったんでしょ? 前提がある以上受け入れるしか無いのよ。疑われるから、シャイトはこれ以上の住人増加は不可能と言ってたけど、少女が一人増える位なら可能でしょ?」
「オルゴーは?」
「当然理解してたわよ。だから、ニャンにルナとフレアの事を頼んだのよ……」
「あのさ、リリス。呼び捨ては止めろよ。仮にも始祖龍武隊のトップだぞ」
「別に良いじゃない。私はあの子たちが小さい頃から遊び相手をしてあげていたのよ。今更、様を付けろって言われても違和感あるし……何かイヤよ」
ヴァルバンスを筆頭とする勇者連合に命を狙われている自覚がハジメにはある。コツコツと響く二人の足音がやたら気になっていた。それに比べると、歩きながら会話しり二人はビジネス街を闊歩するサラリーマンやOLたちと何ら変わらない落ち着いたもの。
冷静なリリスの分析と、素直にとはいかない様だが、しっかりと受け入れるエルキゼ。
当の二人に脅えた様子は無い、何だかんだで百戦錬磨だ。だがそれは、敵に命を狙われる恐怖に慣れたからと感じたのなら、それは大きな誤解だ。
リリスとエルキゼは命を狙われる恐怖に耐え、死線を潜り抜けてきたからこそ、細心の注意を無意識に払いながら前に進む術を身に付けているというわけだ。
そんな術を身につけていないハジメは、いつ襲われるかとあちこちを見ては立ち止まり、歩いては遠くから聞える人の声や車の音にいちいちビクつく始末だ。
ハジメを呆れた顔で見つめエルキゼが、一言。
「落ち着け……ハジメ」
「わ、分かってます」
と、エルキゼに承諾の言葉を返したが、早々に身に付けられる事ではない。
注意されてもハジメの挙動不審な言動が続いていた。
ハジメの不安を取り除こうとリリスがハジメの前に立つ。そして脇の下から両手で持ち上げ、四歳にもなって高い高いの状態。
「リ、リ、リ、リリスさん!?」
「大きな声出さないでくれる――ハジメ君があまりにも不安そうだから気を使ったつもりなんだけど……」
ありがたい、とてもありがたいのだが、ハジメの目線を少し下げればそこにはリリスの大きくは無いが決して小さくも無いいわゆる美乳が谷間を作っている。
ハジメの丸っきり"別次元の動揺"の"動揺"だけがリリスに伝わり、脇の下にあった両手を背中までで回し、ギュッと抱きしめられる。
リリスのやわらかい胸がハジメの体に密着し、香水とは違う女性の優しい匂いが鼻孔を通る。
ハジメの心臓が破裂しそうなほど強烈に鳴ると、脱力しリリスの左肩に顎を置いた。
「ハジメ君、恐いのは分かるけど……」
リリスの透き通るような美声でハジメは無表情のまま――『このまま死んでもいい』と、馬鹿なことを考える。隣に居るエルキゼは白い目をしながらハジメに顔を寄せ耳打つ。
「スケベ野郎……」
と、言ってくれたおかげか、恥ずかしさの余りハジメの心に自制心が戻った。
「エルキゼ、何か言った?」
「いいや、何も。なぁ~ハジメ君」
人を地獄にでも陥れようかと画策するような眼つきをするエルキゼに話を振られ、
「うん、うん、うん、うん――」
ハジメはリリスに真っ赤に染まった顔を向けると、少なくとも十回くらい首を縦に振った。
「て、言うか……話の続きしたいんだけど」
と、リリスに言われた後、ハジメとエルキゼが顔を見合わせる。同時に呆れ顔のリリスへ視線を向けると、先ほどの話の続き――本題へ。
「本題はシャイトがどうやって住人や知龍隊をまとめていたかより――いつから裏切っていたかなのよね」
ハジメの瞳に映るリリスの顔はその真相を導き出しているようだった。もちろん、エルキゼもその程度は察している。
神妙な表情となったエルキゼがリリスに問う。
「リリス――シャイトは何故裏切ったと思う?」
「裏切ったんじゃなくて最初から仲間じゃなかったんでしょ? 聞かなかった? シャイトが言った最後の言葉――と言うより名前ね……」
即答できるってことはリリスは真相を導き出しているとエルキゼが確信した。
ハジメを抱きかかえながら足音を殺し歩くリリスの横で、エルキゼが腕を組み少し頭を下げ、その時の記憶を辿ると頭を上げ眼つきを鋭くしながら、脳裏に過ぎったその名前をギリっと奥歯を噛み締めたから、口にした。
その名前は――ハジメが創った悪魔を凌ぐ魔女。
「――フォーレン・モール……」
「そう。あの時シャイトは確かにそう言った……なら、地下の住人達は? それに侵入者は? 知龍隊は?」
「全員……悪義の教団のゴミ共か」
「そう言う事……エルキゼは、知龍隊と、それに地下の住人たち、それから何処から集めてきたのかも分からない侵入者をシャイト一人で纏め上げるのは無理だと思っていたんじゃない?」
「あぁ……」
エルキゼだけでは無い、ハジメもそう思っていた。そんなことが可能なのかと。だが、これが事実であるならばそれも可能となる。
何故なら――
「シャイトは間違いなく悪義の教団に属する人間、無法地下街は、フォーレン・モール教の信者達によって用意されていた舞台。もしかしたら始祖龍武隊さえ用意された部隊だったのかもしれないわね……」
「そ、そんな訳があるかよ!!!!」
「静かになさい……推測よ」
思いも寄らなかったリリスの突拍子も無いように聞える推測に、我を忘れて声を荒げるエルキゼだったが、すぐさま注意を受けぶつけ様の無い憤りを拳を握り締めることで抑えた。
エルキゼは始祖龍武隊であることに、随分と誇りを持っているのだろう。それが"悪義の教団"と呼ばれ、全世界から恐れられる"フォーレン・モール教"に踊らされたとなれば、我慢の限界を一気に振り切ってしまうエルキゼの気持ちを、何となくだがハジメにも理解できた。
しかし、それを言うならリリスも同様だ。尊敬した隊長の下で命懸けで戦い、信頼していた仲間を失い、目の前で自分達を背に戦ったオルゴーを想えば、踊らされていた何て事実は無間地獄の下に転がる劣悪な鬼の糞と等価だ。
「推測なら軽々しく口にするな……リリス」
「エルキゼ、私は軽々しく口に何てしてないわよ……証拠はあるの?」
「証拠?」
「私達が始祖龍部隊に入隊したのは結成された随分後なのよ。悪義の連中によって作られた組織でない証拠を提示して見せなさい……」
リリスの言葉が止まると、目が据わりハジメを抱く腕に力が入り痛かった。
「提示して見せなさい……提示して見せなさいって言ってるのよ!!!!」
喋りだしこそ落ち着いていたが段々と声が大きくなっていき、繰り返された最後のセリフでリリスがぶちキレた。
その様を見るのはハジメはリリスに出会って初めて、エルキゼは出会って二回目の出来事、二人とも『静かにしろ』と注意する事ができなかった。むしろ、よくぞここまで冷静に分析し、悲しみを堪え、屈辱に耐えてくれたと、拍手喝采してあげたいくらいだった。
ハジメと同じくそう思ったエルキゼも俯き沈鬱な表情で。
「すまん……いつも苦労を掛けて……また、軽はずみな言動を取った」
「……別に構わないわ。あんたに静かにするよう注意した私が守れないようじゃ……注意した者として示しがつかないもの」
二人の会話は仲間と言うより、それ以上の様に見える。だが恋人というわけでもなさそうで、しかし深い関係にあるとハジメが思った。
二人の間には顕然たる絆が見えたからだ。
そして、ハジメが次に思うのは――『羨ましいな』だった。
ハレルヤ、カレジと繋がる少し変わった絆ではない。高潔な繋がり、それはかつてパインに求めたものでもあり、ハジメが最も欲したもの。だからこそ、二人の《歪であるが故に曲がりくねる事が出来ない絆》に心奪われていた。
リリスに胸を押し当てられ沸騰寸前の欲望は零下まで落ち込み。ハジメから恐怖心も消えている。
そこへ、響いてくる足音に気づいたハジメから二人へ静かに耳打つ。
「誰かがこっちに来るよ……」
リリスはハジメの背中に回して抱きしめていた両手を、また脇の下へ持っていくと自分から少し離して――高い高い状態。
「心配ないわ……」
と、言ったリリスは背が高いことと落ち着いた性格もあって、ハジメの目には少女を思わせないほど美しく、とても大人びて見えた。
エルキゼも平然とした様子で――また、ハジメの顔に自分の顔を寄せ耳打つ。
「やっぱ……スケベだな……ハジメ」
こうしたやり取りが、三人の間で交わされるのは危険が迫っているのではないとハジメに実感させてくれるのだが。ホッと一安心するのはハジメだけだった、二人はこれから遭遇する危険に備えて険しい表情に変わっていた。
これこそ、死線を潜り抜け無意識に細心の注意を払う事が出来るまで熟練された達人級の妙技と言えよう。
しかし、妙技を見せたのはほんの数秒。前から走ってくる純白の翼の少女を見て、警戒を僅かに解く。
向かってくるのは、敵から襲われるかもしれない危険信号を意識の内側へ無理やり仕舞い込み、冷や汗を流しながら慌てて走っているフレアの姿。
無様、滑稽、狂乱、どれをとっても当てはまりそうな。
一番適した表現を一筆するなら面妖。
フレアがエルキゼ、リリスの元へ駆け寄ってくる。二人も走り面妖な表情をした純白の羽を持つ少女の元へ。
「フレア様……危険です……一人で出歩かれては……」
「ちゃんと、魔導城に居るようにってニャンから訊かなかったの?」
はぁはぁと息を切らして両膝に両手を置いて屈むフレアを前にして二人が口を開き注意を促す。
するとフレアがポロポロと涙を零しながらエルキゼにしがみ付き無様な面持ちで、
「シャイトが裏切ったって本当なの!!!!」
と、エルキゼがつめたい表情で。
「――本当です」
ハジメを抱いているリリスの腕をフレアが掴むと、今度は滑稽な表情をして、
「う、嘘だよ!! ホントは本当はシオンだって死んでだり何てしてないんでしょ!!!!」
すると、リリスは少し困った表情する。
「フレア……少し黙って……」
フレアがリリスに抱かれたハジメを掴んで地面に落とすと、馬乗りになって胸倉を掴む。
そしてハジメに向けられたフレアの顔は狂乱。
「全部……全部お前が悪いんだ!!!!」
フレアの怒鳴り声で、閑散とする雑居ビルが建ち並ぶ裏路地に、ピンッと空気が張り詰める。
裏道に聳えるコンクリートの壁にリリスが怒りを篭めた魔力を放つと、灰色のコンクリートに小さなひびが入った。
そのまま壁に小さなヒビを作り続けながらリリスがフレアの元へ歩く。小さなヒビは雑居ビルが崩れてしまうのではと思ってしまうほど大きな傷になっていく中。
ハジメに馬乗りになり狂乱染みた瞳で睨みつけるフレアの首筋を、リリスが片手で掴み無理矢理立たせた。
発狂寸前のフレアが、
「離してよリリス!!!! ハジメ君が居なければこんな事にはならなかったんだよ!!!!」
リリスから怒りの滲んだ魔力が更に膨れ、地面に壁に影響を与え、最後にフレアの胸元へ。すると白い服の下からガチャン!! と、何かが壊れる音がした。
途端。フレアが青ざめた表情で、大慌てで胸元から取り出したのは《半壊状態の太陽を模っていたペンダント》だった。
「……な、何てことするの? リリス。これはシャイトに貰った大切な宝物だったのに!!!!」
「フレア、アイツは裏切り者よ。そんなものは必要ないの、捨てなさい」
リリスの言葉にフレアは聞く耳を持たず、取り乱しながら無我夢中で身を屈め、壊れたペンダントの破片を拾い集めている。
と、リリスがフレアに向け一言。
「それにしがみ付いても≪エルマ病≫は治らないわよ……」
リリスは怒りの限りを魔力に込めていくと、半壊状態のペンダントがガタガタと震え出す。
それを見たフレアが破片を拾いながら、リリスに向かって大声で叫ぶ。
「リリス!!!! やめてよ!!!! 壊れちゃうでしょ!!!!」
フレアの言うとおりこれは《仙術》このまま続ければ壊れてしまう。
そして敵に見つかる。それでもリリスは止めなかった。
止めてはいけない。とリリスがフレアを想ったからだ。
エルマ病を永続させてきたシャイトという男の呪縛を解いてあげるには、大切だと持ち歩いていた偽りの愛情に満ちたペンダントの破壊は必須。
「やめてよ!!!! リリス!!!!」
「フレア、黙りなさい。敵に見つかってしまうわ」
ゴォオオオっと建物までも震えるリリスの≪仙術≫
偽りの愛情はガシャン!! と、ガラス細工が割れるような音を立てて、いとも簡単に粉々になる。
しゃがみ込んで欠片を集めていたフレアには――音さえ聴こえなかった。
仰向けに寝転がり天を見つめていたハジメには――安心する音だった。
ハジメは天を仰ぎ続け、フレアは翼をバタバタとバタつかせ空高く飛んだ。
ハジメはのん気に『空も飛べたんだ』なんてことを考えていた。
フレアはわきあがるどす黒い感情に任せ、そのまま三十メートルはあろうかと言う高さからリリスに突進する。
フレアは天上から頭を地面に向けた状態で急降下して速度を上げていく。
その間際リリスがフレアに、
「死ぬつもりなの?」
リリスの言葉は聞こえているのだが、フレアは答えることはなかった。
猛スピードで急降下するフレアの攻撃は捨身の体当たり。
リリスの眼前までフレアが接近、当たれば死ぬ。
だが、リリスは動じる事無くフレアの腕を捕まえ。
右足を重心にしてガッチリ掴んだフレアを流れるように回転し、勢いを全て殺すと捨身の攻撃力は零。
右手を掴んでいたリリスが、バサッと音を立ててフレアをその場に落した。
「何で――」
這いつくばったフレアの口から最初の言葉が洩れると、その続きを綴りながら立ち上がる。
「こんなヤツ――」
フレアがハジメを一度だけ覗くと、その瞳は親の仇でも見ているかのようで、辛苦に満ちて痛々しく。
フレアを止めようと、エルキゼは地を這いずる天使の様な少女に近づくが、リリスに視線を送られ、身体を制止させる。
リリスが倒れこむハジメを睨みつけるフレアを見ながら『するべきことをしよう』と、心に誓う。
そしてフレアがハジメから目を逸らすと、その顔は鬼の形相のまま、リリスを見つめ、
「こんなヤツは――」
リリスが心の中で一度だけ思い――
『フレアが人から逸脱してしまう言葉を口から出してしまう前に――』
覚悟を決めた。
「死ねば――」
リリスは手の平でフレアの左頬を目掛け――バッチン!! と、辺り一帯に届くような痛烈な音色を響かせ。
フレアの顔を叩いた。
左頬を押さえて唖然とするフレアと、リリスはそんな少女を厳しい表情で見つめている。
エルマ病は不治の病。
この奇病にかかるのは過去のトラウマと言われている。
原因は愚王と呼ばれた父親だった。
当時まだまだ幼く、言葉もろくに話せない。いつだって一人ぼっち。
フレアには母親がいなかった。
だから、父親から愛情が欲しかった。頑張った時は褒めて欲しかった。悪い事をした時には叱って欲しかった。自分を見ていて欲しかった。フレアは文字通り死ぬほど努力した。
だが愚王フレイム・ヒットハートにとって娘は政治の道具でしかなかった。
フレアは自分の名前を呼ばれた記憶も無い。
ただ、救いもあったフレアには武芸に学問に優れたとても優しい兄がいた。
だからこそ、起きる悲劇がある。
優秀すぎる息子に王座を奪われるのではと危惧した父である、愚王フレイムはこともあろうにフレアの兄、カリマ・ヒットハートを娘の前で殺害した。
それ以来、フレアは拠り所を失った。度々ひきつけを起こし何度も倒れた。フレイムは倒れて苦しむ娘に目を向けることさえなく横を通り過ぎ、邪魔だと履き捨てた。
そんな時だった。
かび臭い地下の書物で一冊の本を手に入れた。
エルマの日記。
読んだだけで精神を病んでしまうほどの狂気に満ちた日記。
それを読んだフレアの目が輝いた。
何故ならエルマの日記を書いたパクチーク・エルマは『自分よりも不幸』だったからだ。
フレアは自分より苦しんだ人間がいたことに、そして一〇八歳まで生きたといわれるエルマに魅入られた。
これほど苦しんだエルマが、一〇八歳まで生きた。その事実がフレアの希望になる。
『私もこの世界で生きていける』とそう思わせた。
その日以来、フレアはエルマの日記を手放せなくなっていた。
そんな絶望の最中。フレアの母国太陽の国のヒットハート一族は染悪罪によって国を追われ、エルマ病がますます進行する。
太陽の国では生まれた子供に太陽のご加護を受ける為、母親から太陽を模したペンダントを貰う慣わしがあるのだが、フレアには母がいないペンダントを持っていなかった。
そんな時、現れたのがシャイト・グローリーという男だった。
そして、シャイトが言った。
『フレア様、どうかこれを受け取ってください』と、渡されたのは心の底から欲した愛情の証である太陽を模したペンダント。
シャイトはフレアにとって誰よりも大事な人。そんな人から貰った愛情の証は何より大事にしてきたものだった。愛情を受けられなかったフレアに取ってこれ以上大切な物が無いほど――。
それを壊されてしまった。
茫然自失となるフレアをリリスが見て。
涙を流すフレアにリリスが近づき。
そしてフレアを抱きしめリリスが優しく呟いた。
「フレア……叩いてごめんね……」
ご愛読ありがとうございました。




