第三十二話
脱出。
オルゴー、リリス、エルキゼに連れられハジメが向かった先は、商店街の抜けた地下道に住宅街。それを過ぎればレンディの病院があり、その向こうには迷路のように入り組んだ下水道が存在する。
飛龍隊の三人は無言のまま、コツコツと足音を鳴らしながら歩く。下水の刺激臭は更に強烈になっていき、ハジメの心情は死刑台へ向かう死刑囚と同じだった。
住人達から受けた死刑宣告。
――『死ぬに決まってんだろ』
これからハジメが言おうとしているのは、この死刑宣告の前に訊いたこと。
そして返ってくる答えが同じなら――と、腹を括った表情でリリスの右肩の上に乗せられているハジメが呟くように訊いた。
「僕はこれからどうなるんですか?」
ザーっというやたら耳障りな下水の音を、すり抜けるように聞えてきたオルゴーの言葉は、
「無法地下街から逃がしてやる」
ハジメがほんのりと気づいていた事であったが、死という恐怖に押し潰され忘れていた事。
住人たちとのやり取りは演技。
死の恐怖から開放され、ハジメの目には涙が溢れ零れようとしている。
「泣いても構わないけど……声を出すのはダメよ」
リリスの言葉にハジメは自分の右手で口を押さえると、涙と一緒に零れ落ちそうになる声を塞いだ。
「あそこにいた住人達は自分の事ばかり、シオン隊長も侮辱したしね! オルゴー」
「あぁ、そうだな。それからハジメ、驚かせて悪かったな……恐かっただろ?」
一転して優しくなる三人だったが、きっとこれが本来の性格なのだろうとハジメの心が何だか温まるようでホッとしていた。
だからこそ、止められないのは涙。
慌てた顔でエルキゼがハジメに顔を近寄せ静かに囁く。
「おい……連中に気付かれたらどうすんだ」
エルキゼが大きく声を漏らしそうになったハジメの口を押さえる。
ハジメがその手の隙間を縫うように声を出して、訊く。
「れ、連中って? 住人達はもう……」
「来ないと思うか?」
エルキゼの問いに、ハジメから曖昧な答えが出た。
(多分追って来る)
というのも、奴ら住人達は明らかにハジメの死の瞬間を見たがっていた。
ハジメは、当然それに気付いていた
だからこそ思うのは、
(僕の――――)
全てを心の中で喋りだした時。
右肩に乗せたハジメの尻を、リリスが鼓を打つようにポンと叩くと、もう一度思う。
『僕のした事はそんなにひどい事だったのかな?』
「ひどい事なんてしてないわよ……」
ハジメは思わずドキッとした。そしてリリスの方を向こうとするが垂れ下がった上半身が上がらない。
ハジメの心でも読んだかのようなリリスの答え。
リリスの発言に仰天しジタバタするハジメに。
「こんな魔法もあるって事……ちゃんと覚えときなさい」
「……は、はい」
こんな魔法とは《人の心を読む》という術か? それとも《思考を操る術の事かな》などと考えているとエルキゼが、
「いいか?」
「えぇ……ごめんなさい」
何故リリスが謝る必要があるのだろうかと、ハジメが思うとすぐさま頭の中を真っ白にした。
また、思考を読まれては敵わないからだ。
エルキゼが歩きながら、ハジメと話す。
「奴らは多分追ってくる。だから入り組んだ迷路の様な下水道を通ってるが、奴らの方がこの道に詳しい――」
「じゃあ、近道した方がいいんじゃ――」
「この道が俺の知る近道だ……」
「すぐに追いつかれませんか?」
「安心しろ! 奴らはすぐに追って来ない。そんなことより黙っててくれ」
ハジメはエルキゼに『奴らが追ってこない理由』を訊きたかったが、身を守って貰っている身分だ、逆らうわけにもいかない。
「……分かりました」
薄暗い下水道を上へ、下へ、右へ、左へ歩かねばならない、この道は人工的に造られた迷路のようだった。
敵の侵入を防ぐためなのだろう。
こんな迷路を造ってしまったからこそ惨劇が起きた。こんな迷路を造らなければシャイトが用意周到に計画を練る必要は無かったのだ、とハジメが思った後。造らなくても惨劇は避けられなかったと心の中で修正した。
歩き出して四十分ほど経つとハジメが口を開く。
「何で……僕の味方に?」
ハジメの質問にオルゴーの表情は暗く、
「あいつ等は"打倒勇者"を掲げてはいたものの自分からは何もしようとしない……全て人任せで、全て人のせい。最終戦争というフォーレン・モールの呪いが貧困を生みやつ等をあんな風にさせてしまった理由だが……」
三人の足音に混じって聞えてくるオルゴーの言葉には、絵本を描きフォーレン・モールを生み出したハジメにも責任があるという意味が含まれていた。
だが、ハジメは住人に対して謝らるつもりは毛頭無い。
それは、同じ状況にある三人も、シオンも、死んでしまった五人の仲間に、ルナとフレアは地下の住人たちとは違い、命を賭けて戦っていた。住人達に謝罪するという行為は、彼らに対する侮辱だとそう思えてならなかった。
涙はすっかり止まっているハジメであったが、震える声までは止められない、両目もまだ真っ赤に染まっている。
エルキゼがリリスの肩に乗るハジメを一見すると少し考え、
「オルゴー……これからどうする?」
「ひとまず、地上に出るぞ」
ハジメが少し驚いた表情で訊く。
「地上にですか?」
オルゴーは呆れ気味な顔をするとハジメを指差し答えた。
「さっき無法地下街から出してやるって言っただろ? 忘れたのか? それに両親の事もあるだろ?」
今生と死後の世界も含めた三十四年間。
ハジメにとって最も刺激のある二日間だった。
ハジメの頭に両親の顔も名前も消えている。
両親が何処で何をしているのかも、全く判らない状況の中でハジメは両親を助けたいとは思っても、あの二人の元へと帰りたくないという感情が芽生えていた。
それは、レンディから受けた母毒のワクチンを打たれエモニー病が完治した為だろう。
レンディに『物理的な引き剥がし』という言葉を聞き、ハジメの中で母と離れなければならないと思ったときは過呼吸を起こしそうになるほど混乱したのに、今は何とも無い。
それどころか、両親の元を離れ自分の力で色々やってみたいという意欲まで湧き出している。
だから――。
「忘れてました……オルゴーさん」
「随分と早い親離れだな……これも死後の世界の記憶を持つ人間の特徴なの"かも"な」
不思議そうな顔でハジメはオルゴーに疑問を投げかけた。
「かも?」
オルゴーは頭を掻き、すぐに返答をしてくれなかった。
それは何故だろう――と、ハジメは考えたがすぐ止めた。
リリスがいる。魔法とはいえ心のうちを読まれるのは気持ちのいいモノじゃない。しかし、思考というモノは好奇心が自分のどこかに存在していると、そう易々と止められるものでは無く――堪らず考える。
(ルナさんとフレアさんは死後の世界について知っていたけど、三人にまで情報が行き届いていなかったのかな?)
ちゃんと話がオルゴーに通っているなら、『かも』の意味も知っていそうなものだとハジメは推測したが、この答えは浅はかであった。
「死後の世界の記憶を持つ人間など聞いた事がない。だから"かも"なんだよ……」
死後の世界の記憶を持って生まれてくる事例は今まで零。
ルナの手紙にも書いてあったこと、今更考えるまでも無かった。
「そ、そうですね……」
こんな会話を始めて二十分。
地下商店街から下水道の迷宮を歩き始めて一時間以上になる。
いつになったら地上に出られるのだろうと思った。
その時だった。
「リリス!! エルキゼ!!」
二人はコクリと頷き、勢いよく走り出す中、ハジメが後ろを振り返ると。
「「「元凶を殺せ!!!!」」」
「「「俺達の家族を殺したあのガキを許すな!!!!」」」
やはり、住人達は三人を信用していなかった。
そして住人たちの目を見ればすぐ分かる。元凶を自分達の手で殺したい。ついでに暗い地下で過ごし、堪った鬱憤を、憂さを晴らしたかったのだろう。
人が人を殺す理由なんて様々だ。
ハジメを殺そうと住人たちは殺人を犯すには十分な鍬やら鉈やらを持ち、血相を変えて地鳴りの様な足音を響かせ走ってくる。
数は一〇〇人近くいる。ということはほぼ全ての住人だ。
「逃げるぞ!!!!」
大声でオルゴーが声を発すると、リリスが肩に担いでいたハジメをエルキゼに向かってポイッと投げられる。
リリスがハジメを投げてエルキゼに抱えさせたのは、この三人の実力は住人たちの遥か上をいくだろう。
しかし、侵入者達との戦いの後。肉体的な消耗はあまり無いが精神的な消耗が激しい。精神力は魔力の根源であるため、魔力を体力に変換することは今の三人には難しい。
一方、怒りで我を忘れた住人達は無意識に魔力を体力に変換する術を使用出来てしまっているらしく。
汗の一つも流していない。
こうなれば、三人は体力勝負になる。
小柄ではあるが、最も若く一番体力のあるエルキゼにリリスがハジメを渡したのは正しい判断だ。
ハジメを担いだエルキゼを先頭にリリスが続いて、最後尾にオルゴーが白い髪をなびかせ走った。
「「「やっぱりお前ら!!!! 元凶を逃がすつもりだったのか!!!!」」」
リリスの美麗な顔が不敵な微笑で崩れる。
「やっぱりってことは、あいつら私達のこと信用してなかったみたいね。正直知ってたけど……どう思う?」
リリスが正面を向きながらそう言った後。オルゴーに振り向いた。その時には不敵だった笑顔が美麗なモノへと変わっていた。
「訊くまでも無い? その通りだ……さっき話したろ?」
住人達とハジメを担いで走る三人の距離は付かず離れず、一定の距離。
エルキゼに背負われ後ろを向くハジメが不安気に――
「何で……疑っていたんなら、すぐに追ってこなかったんでしょう?」
と、エルキゼに『黙っていてくれ』と言われて訊くことが出来なかった質問を、リリスへ言った。
「手傷を負った私たちを……足手まといになる君を背負って尚、立ち向かってくる根性が住人たちに無かったからでしょ? 私達が地下商店街から居なくなった事で恐怖が消えた。それでも恐いから一致団結して追ってきた、集団になって追っ駆けてるうちに我を忘れて――」
と言って一旦、何かに感づきリリスは言葉を止めた。
リリスの表情は逃げている側の人間とは思えないほど余裕に映っていたが、とても悲しそうにも見えた。
「もう少し行けば出口にから地上に出られる。地上にさえ上がれれば奴らは追ってこないわ!」
「な、何でですか?」
「今言ったばかりでしょ。彼らは根性無し。地上には"ヴァルバンス"を支持する者。"勇者反対同盟"の敵。捕まれば死刑。あんな連中が死ぬかもしれない地上に出られると思う?」
リリスの言葉は単一的で上手く紡げていない。
ハジメは自分を担ぐエルキゼと最後尾を走るオルゴーを見ると、今まで話をしてくれていたリリスを見つめた。
リリスは疲弊しきっていた。
本当ならリリスに話しかけることさえ許されない状況であった事を今になってハジメが理解する。
まだ、自分は守られる未熟者なのだと実感せざるを得ない。
だがどうしても訊きたい事が、もう一つあった。それは地上に出た後で果たそうと心に誓った自分を縛る掟。
エルキゼの口からでた言葉はハジメを掟の鎖で縛ってい。
「いいか!! ハジメ!! 俺達がお前を守るのは隊長が最後、俺達に向かってくるお前を見て微笑んで死んでいった!!!! 『ハジメを死守しろ』この命令が生きている限り、隊長の意思も消えない!! だから約束しろ!!!! 何が合っても目を背けるな……何が合っても逃げるな……何が合っても立ち向かえ!!!! お前は――」
その言葉にハジメが小さく頷くとリリスが言った。
「ちゃんと返事位しなさいよ!! 君は――」
リリスの言葉に小さく頷いてしまったハジメにオルゴーが言った。
「生きて行こうと思ったら辛い事が山ほどある、皆そうやって生きているんだ!! ハジメは――」
小さく頷いた事に後悔してしまっているハジメに三人が揃って一喝した。
「「「ありふれた勇者になるんだろ!!!!!!」」」
三人の檄に力が漲り、ハジメの顔は凛とした表情へ。
憧れて決意しては諦めた――この世界の勇者を見て正しい勇者になろうと決意して母の言葉で心が折れて、パインの為にと優越感に浸りながら創った勇者の形はとても歪で刹那に消えた――だが。
ここで――シオンの意志を礎に三人の決意を纏わせ、ハジメが今まで描いてきた勇者を、その上に彩る事で勇者が最も美しい姿で完成された。
ハジメに同調するように三人の"とある決意"も明確になる。
オルゴーがエルキゼとリリスはを残し立ち止まった。
不動明王の如く、立ち止まるオルゴーの元へ猪突猛進するのは完全にイカれてしまっている殺人集団。
ハジメが大声を上げてオルゴーに呼びかけた。
「オルゴーさん!!!!」
ハジメの声は石の壁に反響し、空しく響くがオルゴーには逞しく聞えた。
先ほど振り向いた時に見たオルゴーの様子を見る限り、戦える状態にない。
戦えたとしても追ってくる一〇〇名近くの地下住人を相手に勝ち目があるとは思えない。
「リリスさん!! エルキゼさん!! オルゴーさんを助けないと!!!!」
「私達の使命は君を一刻も早くルナ様たちのいる場所へと連れて行くことよ!!」
「ル、ルナさん!?」
「ニャンに言伝をしておいた……ルナ様とフレア様、レンディ先生と共に魔導城へ向かえってな!!」
「エルキゼさん!! だったらオルゴーさんも一緒に!!」
「このままじゃ、全員が捕まる……連中が追ってきた時から判っていた事だろ!!!! オルゴーが命懸けでこの場を死守する以上、俺達は命懸けで逃げて任務を完遂するしかないんだ!!!!」
エルキゼの言葉を聞くと、ハジメが後ろを振り返る。
怒り狂って轟音のように響かせる地下街の住人達の声も顔も姿かたちさえ、人間を逸脱したようでモンスターのようだった。
ハジメの視線がリリスに向くと、余裕に交じっていた悲しげな表情が顔を支配し、唇をかみ締め血を滴らせている。
ひゅぅううっと音を鳴らし肌を痛めつけるような冷たい風と共に、冬に咲くラピアスの花の甘い香りが鼻から肺へと入て、僅かに精神を和らげる。
そして、分かった。
(出口は近い)
走るのを止めないリリスとエルキゼの後ろで、オルゴーが立ち止まる。
「行け!!!!!!」
怒号のように放ったオルゴーの最後の言葉を胸に刻み付け、リリスとエルキゼは呼吸を激しく荒げながらも加速する。
「「「「「殺せ!!!!!!」」」」」
悲鳴に近い住人達の怒りの声は、痛々しくフォーレン・モールを生み出したハジメの中で罪悪感が湧き出る。
だが、それ以上に生まれるのは≪悪い魔女を退治しなくてはいけない≫という使命感だった。
生まれた使命感を合図に……無意識が。
いや、誰かが――。
ハジメの口を使って静かにぼやく。
『……懐かしい』
エルキゼが一人、ハジメから出たその言葉を聞き、訊き返す。
「何か言ったか?」
キョトンとした顔でハジメがエルキゼを見つめて返答する。
「な、何も……」
「そうか……」
緊張感を一瞬だが緩めた二人にリリスの口から怒声を飛ばされた。
「集中なさい!!!!」
二人が黙ると、下水道に耳障りで神経に触れる嫌な音が響く。
それは、テーブルの下に隠れていたハジメが聞いた人の死を招く剣で奏でる惨劇の曲。
忌々しい曲を耳にしながら、とうとう瞳に写る。
輝く光。
「エルキゼ!!!! 急いで!!!!」
その光の中に十メートルほどのはしごが目に入った。
「分かってる!!!!」
エルキゼが十メートル以上離れた場所からその階段に向かって勢い良く跳ぶと、ハシゴの中段辺りを掴み駆け昇る。
次いでリリスがハシゴに跳んで昇っていく。
途中、二人が少し足を止め左下を覗く。
「うわぁあああ!!!!!」
と、住人たちに悲鳴を上げさせシオンと同じく、地面に崩れ落ちていくオルゴーの最後。
戦友の有終の美を見て、ようやく二人の目から涙が流れた。
シオンから出された≪ハジメを死守しろ≫という意志を貫き通し、モンスターと化した住人達に≪勝利した≫事を心の中で賞賛しながら、二人も勝利を目指し光の中へ。
マンホールを空け地上に出ると長い間、薄暗い地下にいたこともあり、太陽光が網膜を焼きズキズキと痛みを生じさせる。
そんな中、暗闇から聞こえるのは――。
「「「「「降りてきやがれ!!!!!」」」」」
と、リリスの言った通りだった。
住人たちは地上に脅え這い上がってこれない。
躍起になってハジメ、リリス、エルキゼの三人を地下へと引き下ろそうと、蠢く住人達が地下道から微かに覗く蒼い空を見上げている。
エルキゼがハジメをソッと地上に降ろす。
「大丈夫か? ハジメ……」
オルゴーの死。
大丈夫かと訊きたいのはハジメの方だったのだが、笑顔で優しく声をかけるエルキゼに。
「僕がもっと強かったら……」
「そんな事を気にしてどうなる――強くなるのはこれからだろ? 勇者君!」
未だに止まぬ、地下から響くモンスター達の禍々しい雄叫びが響く中。
「……はい」
ハジメは一言呟く傍でリリスがマンホールを手に取ると。
「「「「てめぇーら!!!! いつか必ず殺してや――」」」」
地獄に蓋をした。
ご愛読ありがとうございました。




