第三十話
逃亡の末
ハジメ達の眼前に居る鬼は人を吸い込んでしまいそうな全身漆黒の体に額から一角獣のような一本の角。
体長はシャイトより大きく、二メートルあったロックをも遥かにしのいでいた。
その鬼の体長は三メートル以上。
紅く光る双眸がより禍々しさを感じさせ、ハジメの心の病みが如何に深刻なものであったかを伺わせた。
真っ黒な最悪闇鬼という鬼は、まさにハジメの心の病みを具現化している。
禍々しくも恐ろしい鬼が仁王立ちしたまま、シャイトの剣を親指と人差し指で挟み離さない。
まるで、子供の手を握り上から見下す母親のよう。
額に皺を寄せシャイトが叫ぶ。
「な、何なんだ!! 何なんだこいつは!!!!」
パインとの話で即座に魔法刀の系統を分析できたシャイトが、こうしてひどく取り乱す。
謎多き祈詛系が新たな謎を生んだ。
祈詛系一番の特徴は自然現象の具現化であり、例えば――地震や台風、雷の具現化が確認されているのだが、ハジメの場合は大分違っていた。
そして謎多き祈詛系のもう一つの特徴。具現化された自然現象は自然僧と呼称され、子供の様な容姿で空中に浮き、実体が無い。
だが、鬼の姿をした自然僧は子供の姿でもなければ、刀に触れている事から実体がある。ルナを媒体としてパインが言っていた遠隔操作もハジメは行っていない。
「ハジメ来い!!!」
大きく声を張り上げたのは飛龍隊の"生き残り"である――≪エルキゼ・ロンフィート≫
エルキゼはハジメを腕に抱えると肩に担ぎ、目の前でシャイトの剣を指で挟んで離さない≪最悪闇鬼≫と≪裏切り者シャイト≫の横を、リリス、オルゴーと共に走り抜けた。
今度は、ハジメが大きな声で三人に呼びかけた。
「ちょっと!! シャイトさんはどうするんですか!!!!」
「ハジメ!! 黙ってろ!!」
エルキゼがハジメを一喝すると、生き残った三人がチラッとシャイトを一瞥する。
リリス、エルキゼ、オルゴーの瞳に映ったのは自然僧/最悪闇鬼に睨まれ敗北を悟ったかのように諦めの表情を見せ、必死にもがいて取り乱すシャイトの姿だった。
最悪闇鬼が指で挟んでいるのは剣の刃先、シャイトが柄から手を離しその場から離れれば後は、何とでも対処のしようがあるはずなのだが、混乱していて、それすら出来ない。
それを見た三人は、シャイトに落胆していた。
シャイトは常に沈着冷静、何事にも動じなかった
落胆したのは裏切られたからというのも、もちろんある。
しかしそれ以上にシャイトが取り乱す光景は、三人がずっと憧れてきた"偉大な指導者"から大きくかけ離れた姿であり、とても無様なものであった事。
ハジメを連れた三人が顔をしかめながら隠れ家の出口付近まで到達すると、全員揃って足を地に着け地面を弾いて移動速度を上げる。
すると、すぐさま隠れ家から下水の音と異臭漂う地下道へ出る。
立ち止まり扉の向こうで三人が振り向き、エルキゼに抱えられたハジメも隠れ家の中を覗く。
刹那――ガチャン!!!! と、金属の破壊音が聞える。今度は、先ほどと同じ最悪闇鬼の耳をつんざく様な雄叫び。
「ごぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
その中に混じるシャイトの声は――
「や、止めろ!!!!!!」
ハジメでさえも失望するほどシャイトの声は頼りなく――
「た、助けてくれ!!!!!」
生き残った三人にしてみれば耳を塞ぎたくなるほどみっともない哀れな悲鳴の後、人生最後の言葉をシャイトが叫ぶ。
「フォーレン・モール様!!!!!! 俺にはやらねばならない事が――」
皆が思った――『これ以上、シャイトの言葉も無様な姿も見たくない』
だから――仲間達が永久に眠るその場所を。
だから――信頼していたシオンが眠るその場所を。
だから――無様で最後を飾るシャイトが眠ろうとするその場所を……。
シャイトの言おうとした『まだやる事』とは一体何なのか。ハジメも生き残った三人もそれを訊いてあげることも無く、そしてそんな余裕も無いまま隠れ家の外へと脚を踏み出した。
三人が力を合わせて扉を静かに閉めるとすぐに、リリスがエルキゼ、オルゴーに無の表情を向け――
「これからどうするの?」
リリスと同様、無表情のオルゴーが右側に指を差し暗く低い声で、
「あっちだ……」
エルキゼは何も答える事無く、静かに頷きハジメを一度見る。
ハジメが顔をあげエルキゼの顔を見る。その表情は悲しみに満ちていて少年の心を痛めつけてしまう。
リリスが皆に背を向け、地下商店街の方を見つめ、
「行きましょ……」
と、力なく囁いた。
三人が歩き出し、十五分もの間、沈黙が続いた。
ハジメを連れた三人が隠れ家から無法地下街の商店街に、ようやく到着する。
薄暗くて嫌な匂いが漂う商店街でエルキゼがハジメを優しく背中から降ろした途端。腰を抜かしたように座り込み壁を背預け、無言で涙を流した。
ハジメの真正面には商店街。後ろを振り向くと隠れ家へと続く下水が流れる地下道。
ハジメが灰色の石で塗れた閑静な商店街を見渡している。
隠れ家での騒音はここまで届いていたのか、それとも涙を流す三人が気になったのか、地下に住む人々が集まりだしていたが、誰一人として三人に近づくことは無く、少し離れた場所から様子を伺っている。
「シオン隊長……」
「シャイト隊長……何であんな事を……」
「カノン、リーシャ、ラドン、ロックさん。それに――」
三人は座り込んだまま沈痛な面持ちで頭を抱える。
オルゴーが死んでいった仲間達の名前を呼べなかったのは憔悴しきった様子を見れば"何故なのか"――すぐ分かる。
ハジメが一度だけ地下道へ繋がる出入り口のすぐ横でうな垂れる三人に目をやると、今度は隠れ家ある真後ろを覗き込む様に見た。
「あの……最悪闇鬼は何だったんだろ?」
「……アレはお前の力だ…ハジメ」
うな垂れていたエルキゼがハジメを座視している。
「何でそんな事が判るんですか?」
「あの鬼の名前を何故知ってるか?」
「え!?」
ハジメが『そういえば……』というような顔をする。
エルキゼの質問に驚きと戸惑いの混じったハジメの声が口から洩れると、俯く二人を代表するように話を続けていく。
「お前の能力は祈詛系だろ?」
「はい。でも、なんで?」
「あんな召喚獣は訊いた事が無からな……だが」
(……だが?)
首を傾げていたハジメを見て、エルキゼが続ける。
「あんな自然僧も訊いた事が無いし、見たことも無い……」
首を傾げていたハジメは、壁に瀬を預けて座り込んでいる三人の正面に向かう。
上から物申せる立場に無いハジメは正座した。真ん中に座ると自分を担ぎここまで運んでくれたエルキゼに訊いた。
「訊いた事も無いのに……僕の魔系統が祈詛系だと気付いたんですか?」
「随分と落ち着いてるな――ハジメ」
エルキゼの言葉はハジメの質問の答えになっていなかったが、何か意味があるのだろう……と思い、正座したまま上体を少し前に傾けて、また訊いた。
「それがどうかしたんですか?」
「あんな鬼が現れれば……最悪闇鬼がここまで追いかけて来て俺達を襲うんじゃないかって考えるだろ? ……普通」
百戦錬磨とまではいかなくとも、ハジメよりは確実に戦いに馴れているこの三人が異形の姿をした鬼に脅えている。
だがハジメ一人だけが最悪闇鬼に対して恐れを抱いていない。
「……あの鬼は今隠れ家に居るのか?」
エルキゼからの質問で、ハジメがアレは『自分が生み出した鬼である』ことを確信できてしまうような証拠を口にする。
「いいえ。もういません……」
恐れを抱いていなかった実感が恐れる実感に姿を変えていく。
それは、僅かな時間に最悪闇鬼が自分の力であるなら、『シャイトさんはあの後どうなってしまったのだろうか? きっと死んでしまっている』と、ハジメに想像の余地を与えていたからである。
何よりハジメに――
(……人を殺した?)
そう思わせていた。
まだハッキリとは判っていない、シャイトの市を確認したわけではないのだから、それでもハジメの唇が紫色に変色し、地面に両手を着けると、懺悔でもするかのように頭を石の地面に叩きつけ土下座の姿勢で、絶叫した。
「シャイトさん!!!! ごめんなさい!!!!」
静まり返る商店街でハジメが大声を轟かせた事、始祖龍武隊二大隊長の一人であるシャイトの名前を口にした事で、今まで近づけずにいた無法地下街の住人達が押し寄せる波のように四人の元へと集まりだしていた。
その内の一人がハジメに向かって口を開く。
「ごめんなさいってどういうことだ!!」
「シャイトさんに何かあったのか!!」
土下座するハジメを上から見下し睨みつけ、怒りを露わにする無法地下街の住人達に座視したリリスが言った。
「ハジメ君の魔法でシャイト隊長はお亡くなりになったかもしれません……」
一触即発しそうだった地下住人からハジメに向けられた視線。
リリスが事実を報告する事で一時的に自分に向けさせた。
リリスの発した言葉は、シャイトが、ここの住人達にとって余程重要な役を担っていたことがよく分かる。この静まり返っていた商店街を見れば誰でもそう思うだろう。
全くの無音。
静か過ぎて耳がキーンと痛くなるほどだった。
異常な静寂を破ったのは、猫耳に尻尾の生えたこの街で≪ニャン≫と呼ばれているハジメと同い年くらいの猫獣種の少女。
「シャイトさんが死んだかもしれないの? 他のみんなは? ねぇリリスさん?」
「シオン隊長、ロックさん、カノンにリーシャ、皆死んじゃったよ。……ニャン」
魂を抜かれた様な顔をしながらリリスが、シャイトの安否に関する解答を出すと住人達は目の色を変える。
燃え盛るような業火の怒りが練りこまれると、罵詈雑言となってハジメに浴びせかけた。
「やっぱりこの≪絵本製作者≫をここへ呼んだのは間違いだったんだ!!!!」
「そうよ!!! こんな≪元凶≫がここへ入ってきたからこんな事になったのよ!!!!」
「とっとと出て行きやがれ!!!! クソが!!!!」
シャイトの名前を聞き心配する――辺り。
隊員達の死を訊き怒りを露わにする――辺り。
ここの住人達も始祖龍武隊と関わりがあるのだろう。おおよそ判っていた事ではあるが『文句を言われる筋合いは無い』――と、ハジメがキッと顔を強張らせ、拳に力をいれてイラついた。
彼らは隠れ家で"何があったか"は知らなくとも、"何かがあった"と気づいていたのは明白。そうでなければ座り込み絶望する"三人の様子"を見に来たりはしない。
だが、それは火事の遭った現場を野次馬根性で見に行く馬鹿な連中と同じく、密の味がする他人の不幸に興味津々だっただけのことだ。
少なくともハジメの目にはそう映った。
隠れ家で起きた一部始終を最後まで聞かず、無法地下街にハジメを連れ込んだのは始祖龍武隊である事も忘れ、住人たちが『死ね』と、四歳の少年に向かって殺人言語をコールしている真っ只中。
最も幼いニャンが住人達に向けて一言放つ。
「何でこの男の子が≪元凶≫なの?」
まだ幼いニャンは状況を飲み込めておらず、のん気に可愛らしい笑顔を見せながら尻尾を振り、住人達を見渡している。
と、誰かが――
「……そんなの決まってるだろ!!!!」
激しい怒りを露わにする。
その男の怒鳴り声に驚いたニャンの尻尾が太くなった。
ニャンの脅えた表情が地下商店街に一瞬の内に静寂を取り戻す。
「……ニャン……悪い」
ニャンからの返事は無く、小さな体を縮こませ、頭に付いた猫耳が垂れ下がり、尻尾は更に太くなっていた。
ばつの悪そうにする住人達に向け、今度はオルゴーが座ったままニャンを見ると、話を始める。
「ニャン……」
オルゴーは脅えるニャンを呼び、耳打ちをした。
ニャンは『うん』と納得したように頷いた。そして、オルゴーが隠れ家で起きた真実を真剣な眼差しで口にする。
「シオン隊長を殺したのはシャイト隊長です……」
静まり返る? いや、誰一人口を開かず、微動だにしないその様子は時間が止まったとさえ感じてしまう。
一時的に停止した時が動くとまた、誰かが――。
「な、何言ってるんだ? オルゴー」
「本当です。ロックさんにリーシャにカノン、ラドンに――≪ミゲル≫を殺したのは飛龍隊に扮した侵入者二十二人。多分、"シャイト"の手の者、敵です」
「シャ、シャイトって……お前……」
オルゴーがシャイトと呼び捨てた事で"事実を事実として受け入れなくてはいけない状態"を作り上げ、住人達がザワザワと動揺し全ての者に伝播していく。
ある者達は顔を見合わせ、ある者は挙動不審になり、またある者は受け入れられないのか、その場でへたり込む。
そして、住人の一人が口を開き飛龍隊に訊いた。
「ほ、本当なのか?」
「嘘を言って何になるんですか……全て本当です」
ここで、リリスがオルゴーに代わり。
「この少年が……≪フォーレン・モール誕生≫の原因ではないと言っていました」
そしてエルキゼがリリスに代わって。
「シャイトがそう言っていたんだ……間違いないでしょう」
エルキゼの言葉に納得のいかない住人が反論する。
「ま、待ってくれ!! シャイトさんは裏切り者だったんだろ? 何で間違いないんだ?」
疲労困憊する体と精神に鞭打つように、オルゴーがエルキゼに代わり話した。
「あの男は途轍もなく用心深い。シオン隊長を≪一〇〇パーセント成功すると確信しない限り実行には移さない≫……それまでは俺たちの味方に徹していたんだ。そのシャイトが『原因ではない』と口にしたのは、シオン隊長の殺害を実行する前――」
住人達もシャイトの用心深さはよく知ってる。途中で止めたオルゴーの言葉でも納得してしまうには十分だったらしく、震え出す体に住人たちは力を入れ悲痛な面持ちでただ耐え、これ以上口を出す者はいなくなった。
エルキゼ、リリスが住人たちと同じ表情をする中、ハジメが一人――≪何処かで聞いたことのある名前≫と≪何処かで訊いた事のある言葉≫を頭に浮かべて飛龍隊のオルゴーを凝視する。
オルゴーがハジメの視線に気付き顔を向けると声をかけた。
「ハジメ……どうした?」
「後で話します……」
即答し、オルゴーから視線を外したハジメが思う。
(始祖龍武隊は、飛空挺事件に関わってる)
ご愛読ありがとうございました。




