第二十七話
パインとの会話。
カレジとハレルヤが南世界の人間に捕らえられた昨日の晩から、十時間以上が経っていた。
保健室の様な病院のベットの上でハジメが目を覚まし、真っ先に向かったのは隠れ家。
ハジメは隠れ家への行き方はレンディに訊いていたので迷う事無く進むことができた。そしてそこへ向かう途中、無法地下街と呼ばれる一端を見た。
地下道に店屋が建ち並び、ハジメが危険地帯だと思っていた無法地下街には想像以上の人でごった返しており、見渡した限りでも一〇〇は越え、皆武器を携えている。そして無法地下街の住人達は皆、人間種であった。
人が住んでいるのであろう家らしき建物などは隠れ家同様、壁を切り抜き造られている事に違いは無いのだが、建物内の壁は隠れ家と違い石やコンクリートを使い、ことのほか綺麗に整備され入口ドアに表札まで付いていた。
汚い下水は地上で言うところの川であり、きちっと橋まで設置されRPGゲームのダンジョンの様にも見える。
この商店街の様な場所を抜けるとすぐに、隠れ家の洞窟。ハジメは急ぎながら知らなかった事実を頭の中で整理していた。
まず、隠れ家が無法地下街の最も奥深くにあるということ。それからフレアが『"敵が来ないから"、"面倒だったから"、"付け忘れたから"』と言っていた事。
《敵が来ない》というのは、一番奥深くにある隠れ家に敵が攻め入る前に、ここの住人たちが駆除してくれるからだ。
《面倒だから》というのは、商店街で敵の侵入を防いでくれるであろう人々を守りに行くのにいちいち扉を開く時間さえ惜しんだからだ。
《付け忘れたから》というのはハジメが最初に思った自信の表れなのか、もしくは、もっと別の理由があるのかもしれないが場所が地下であるということから単純に扉を作る材料がなかったからなんだろう。
頭の中での整理がつくと、急いでいたハジメの足が更に加速していく。
それはルナの言葉『パインちゃんが"あの世界"に逝っちゃう前にちゃんと話しとこ!』
ルナがこの言葉を発してから大分時間が経っている。
ハジメの脳裏を――『もしかしたらパインちゃんはルナさんの手紙に書いてあった"あの世"に逝ってしまっているかもしれない』そして『このまま別れるのはイヤだ』と過ぎり、不安になっていた。
すると、ハジメの視界に白い翼の少女が映り、走る速度が緩む。
「フレアさん……」
二十メートルほど先にいるフレアは、両手を振って自分をアピールしている。ただ迎えに来ただけのようだった。
しかし、フレアの顔を見てハジメの緩んだ足がまた加速する。
それは白い翼を持つ天使の様な少女が、らしくもない切羽詰った表情をしていたからだ。
フレアが手招くとすぐさま――
「急いで!! ルナがパインって子との憑依が始まってるよ!!」
振り返りハジメと一緒に走り出した。
ハジメは返事をする時間さえ与えられず、フレアを追って駆け出した。
全速力で走っていたハジメの息が切れることはなかった。
息を切らさないのは"魔法修行第二段階"である"魔導回路"が完成し、魔力を体力に変換する技術を自在に使いこなせるようになっていた。
――ハジメ自身がそこに気付いていないのが玉に瑕なのだが……。
二人が速度を落とすことなく走り抜ける。そしてフレアが一歩先に隠れ家へ中に辿り着くと、遅れてハジメが中へ入る。
隠れ家の中に入ると、腕を組んで待っていたシャイトがハジメとフレアに振り向き言った。
「フレア様、お疲れ様でした。ハジメ君も」
隠れ家へと入ってすぐ出迎えてくれたのはシャイト一人。
ハジメが眠りに付いている間に何処かへ片付けたのか、中央にあった大きなテーブルは消え、それが置いてあった場所には魔法陣が描かれていた。
何故かそこだけ暗くなっている。そして神聖な空気を醸し出しており、魔法陣の中心にはルナが座り朦朧とした状態になっていた。
「……暗い」
と、ハジメが言った後、何となく天井を見上げるとルナの座っている場所が暗くなっている理由に気付いた。
天井から垂らされていた照明を取り付けられていたロープから、電球を取り外されている。そのロープを使いテーブルを縛り天井付近まで持ち上げられている。
魔法陣周辺が暗くなっているのは、電球が取り外され隠れ家を照らす光が無いという単純な原理。しかし、その単純な原理がルナの姿をとても神秘的なものにしており、ハジメの目には神々しく映した。
魔法陣の周りには背中にウロボロスが記された魔法衣白衣を着た三十人ほどの人間種が、ルナの座る魔法陣を囲い輪になっている。
その中の一人。短髪を逆立て額に白地の布を巻いた如何にも不良といった感じの男が歩いてくる。
するとハジメの前に立ち、
「お前が絵本を描いたハジメってガキか?」
その格好だけではなく、口調からも柄の悪さが滲み出ているこの男の名は――、
――【シオン・ラインハッド】
始祖龍武隊ドラゴンナイツの二大騎士の一人。
シャイトの知龍隊と対を成す、飛龍隊の隊長である。
表立った活動をしている為、秘密裏に活動をする彼ら知るごく一部の者たちは、始祖龍武隊を飛龍隊の事だと認識している。
「俺の名前はシオンだ! よろしくな!! ハジメ!!」
と言ってシオンはハジメに握手を求め手を差し出した。
第一印象とは異なり、シオンの親しみやすそうな挨拶にハジメは好感を持って、照れ臭そうに握手する。
シオンの手を握り締めたまま、ハジメは頭を下げる。
「――こ、こちらこそ……よろしくお願いします……シオンさん」
「あぁ~困った事があったら何でも聞いてくれ力になってやる!!」
そして、白衣をバサッとなびかせ振り返るシオンの姿は、ハジメの目に異常なほど格好良く写った。
同時にハジメが疑問に思う。
(秘密裏に活動する始祖龍武隊がわざわざ白衣を羽織っているのは何故か?)
そんな疑問を抱きつつも、シオンの部下三十人の視線があり、ハジメはそれを質問することは出来なかった。
自分では気付く事が出来ないほど深い感情がハジメの意識の奥底に生まれた。それはシオンという男への憧れである。
シオンには溢れんばかりの闘争本能が見え隠れしていた。それはハジメには無いものであり、憧れを抱いた原因でもあった。
ハジメはシオンの背中を追いかけ、魔法陣の中心に座るルナを囲う飛龍隊の輪の中に入ったのだが――。
ハジメは輪の中に入ってしまった事をすぐに後悔する事になる。
「失せろ……」
「邪魔だ!!」
「諸悪の根源め……」
次々とハジメに放つ辛辣な言葉に死後の世界の一から『イジメられるぞ――逃げろ』と警告され、飛龍隊の輪の外へと体を移動させてしまった。
先ほどシオンに質問しようとした時見た、部下三十人の視線を思い出す。それは仲間ハズレにする何て甘いものではない、もっと禍々しい。
敵意。
レンディに、母毒の治療は完了したと言われ、確かに精神的な安定を見せていたハジメであったが、"ソレ"と"コレ"とでは違うらしく、戦慄した。
敵意を露わにされる理由は三十人の視線から意外と簡単に読み取ることが出来た。
――≪絵本作成者≫
飛龍隊の者たちはハジメをティアマト崩壊の元凶と見なしている。
ルナとフレアの様に寛大に許してくれている訳ではないようだった。
そんな中、ルナの憑依がほぼ完了したらしく。輪から外れたハジメをシオンが見つめると口を開いた。
「ハジメ! 何を訊くんだ?」
そう言われても敵視する三十人がいる。ハジメはなかなか話を切り出せなかった。
「パインちゃんみたいな女の子が本当に人を殺せたんですか? だよね」
ハジメの言いたい事を誰かが代わりに言ってくれていた。――誰? とハジメが思い発せられた声の主の方向へ顔を振り向かせるとフレアが笑顔を見せていた。
フレアはティアマトではないが、ティアマトに並び"天の申し子"の称されている。
天の申し子であるヒットハートがハジメを擁護したことで、飛龍隊からの敵視が一旦消える。
だがそれは、絵本製作者を受け入れたというわけではない。皆一様に"仕方がないといった表情"でルナのいる魔法陣の中心に視線を移した様子を見れば、いくら鈍感なハジメでも容易く理解できた。
シオンが真剣な面持ちで、
「パインって子が人を殺したのは間違いねぇんだろ? 何で、んな事を訊く?」
輪から外れたハジメに顔を向けると、親指を立て『こっちへ来いよ』といった具合に絵本製作者を飛龍隊に招いていた。
シオンの心遣いはハジメにとってとてもありがたかったし、嬉しいことだったのだが、飛龍隊の輪に入ることは精神的にとても難しい。
なにせ一度拒絶されている。しかし、シオンの心遣いを無碍にしてジッとその間に立ち尽くしているのもまた難しい。
ハジメが一歩また一歩と歩くたび、飛龍隊の視線の強くなるその輪の中へ入ろうとドキドキと心臓を高鳴らせている。
なかなか輪には入れない絵本を製作してしまった四歳児の様子を見たシオンが、飛龍隊の輪の外。最後尾より三歩後ろにいるハジメの傍へと足を運んだ。
シオンがハジメの左肩に手を置くと、
「ハジメ、今度はお前がきちんと応えろ。パインが人を殺せたのかってのはどういうことだ?」
「物理的にってことです」
ハジメは感慨深げな表情で即答した。
「――物理的に?」
ただ一人、ハジメの到着を待って飛龍隊の輪に迎え入れてくれたシオンに感謝しつつ、二人の会話が続く。
「戦いの方法も知らなかったパインちゃんがどうやって殺人なんて出来たのかなって……」
「使われたのは魔法刀らしい。つまり魔法使いだ、魔法使いに女子供は関係ねぇ、ましてパインはティアマトの血を継いでんだ……」
ハジメはパインを犯人だとどうしても認めたくない、だからこそ見落としていた決定的な事実がシオンの口から述べられてしまった。
それはパインが魔法を使ったのなら、戦い方を知らないはずが無い、何故なら集中剣舞の様に魔法を使用できるようになるまでには戦いの訓練は必須。
つまり、パインは人を殺す技術を持っていたということになる。
無理やり拒絶していたパインの殺人容疑、それが色濃くなるに連れハジメはやりきれない想いで胸が締め付けられている中。
飛空挺事故に関する少し気になる言葉が、真正面を向いたシオンの口から漏れた。
「勇者反対同盟の連中は魔法を使えなかったんだ……とすると、二二二人を殺害する事など容易いな……」
と、シオンの言葉を訊いたハジメが疑問に思った。
それはシオンが言った『魔法を使えなかったんだ……とすると』という部分だ。
間を空けたせいで解釈が二つ出来てしまう。
一つは『魔法を使えなかったんだ……とすると』と間を空けて言った場合。
これだと、魔法を使えなかったと仮定すると、ニニニ人を殺害するのは容易いという意味になる。
そしてもう一つは間を空けずに言った場合だ。
確かにシオンの口調には僅かだが間があったが、ほんのわずかな間だった。
ハジメには『魔法が使えなかったんだ。とすると、ニニニ人を殺害する事など容易いな』と言っている様にも聞こえていた。
一つ目なら、シオンは飛空挺に乗っていた"勇者反対同盟"の者達をある程度調べ、その上でパインがニニニ人殺害することは容易いと推測したという意味になる。
しかしだ。
もし『魔法が使えなかったんだ』で言葉を止めたなら、シオンは、飛龍隊は、始祖龍武隊は"勇者反対同盟"が魔法を使えなかったことを知っていたことになる。
知っているのは何故だ? とハジメが頭に疑問符を浮かべてハテナマークがすぐ消える。
(始祖龍武隊は勇者反対同盟と繋がりがあるのかもしれない――ということは……)
ハジメは気になり、訊いてみる。
「何でそんな事が判るんですか? シオンさん」
「ある程度は調べたからな。――それに飛空挺事件の当事者がここにいる。どうなんだ? ハジメ……」
ハジメの質問に対するシオンの答えは何とも曖昧。
それに飛龍隊の隊長に質問をされてしまえば、ハジメは立場上これ以上は訊けない。シオンの質問に答えるしかないからだ。
飛空挺内での出来事をハジメが頭の中で想起させた。すると少しばかり込み上げたあの日の恐怖に下を向いた。
「……勇者反対同盟の人たちは魔法を使えなかったと思います」
俯くハジメの口から出た言葉を訊く。
そしてシオンが本題へ。
「普通、飛空挺には魔法使いを乗せるのが常識だ……"勇者反対同盟"の人間が魔法を使えたなら"ハガレ風鳥"への対処くらい出来ただろう」
シオンの言う通り。
飛空挺事件の最中――カレジに近づいてきた老人は『嵌められた』といい、乗って居なければおかしい二つの点を指摘していた。
一つは緊急脱出用の道具が無かった事。
もう一つが魔法使いが乗っていないという事。
勇者反対同盟の者達は添乗員の誰かが魔法使いだと聞かされていたといっていたが、勇者反対同盟の中に魔法使いがいればノーザン・ミゲルがわざわざ貨物室まで足を運ぶ必要は無かった。
つまり――ラピィオ列車に乗っていた二二二名の"勇者反対同盟"の者たちは、戦う術はおろか、魔法さえ使えなかったということになる。
「……本当に"勇者反対同盟"は"勇者連合"と張り合うつもりがあったのかな?」
ポツリと囁いたハジメの質問にシオンも、またポツリと答えた。
「――そんな気は無かっただろうな……」
「だったら何で、あの人たちは……」
ハジメの素朴な疑問をシオンはあっさりと返した。
「……金だ」
シオンとハジメの会話の後。
隠れ家の中がシーンと静まり返ると、半憑依状態のルナが突如、話を割って入って来た。
「それより――パインちゃんとハジメちゃんの話……何だけど……」
ハジメの顔がピクッと反応する。
パインとの会話の為、シオンが後ろへとさがると部下である飛龍隊もハジメに道を譲るためモーゼの十戒の様に、両端に分かれた。
シオンの横で樹木の様に突っ立っていたハジメが意を決し、パインを介して話してくれるルナに向かって、飛龍隊の輪の外側から魔法陣の中へ三十人の視線を掻い潜るように足を運んだ。
「ハジメちゃん……このままパインちゃんと何も話さずお別れ何てしないよね? パインちゃんは覚悟を決めてるみたいだよ……ちゃんと訊いてあげるよね?」
まだ十歳のルナの口から奏でられる口調はとても優しかったが、ハジメには厳しい説法で諭されているように聴こえた。
辺りがまた静かになる、静かになるからハジメの心臓が脈打つ音を大きく聴こえさせる。
それはパインと話せるからということだけではなく、飛龍隊の人たちに何かを試されているようで必要以上に緊張してしまっていたからでもあった。
ハジメは瞳孔が開いてしまい辺りがとても明るく感じていた、それに下水の音がハッキリ聞え、隠れ家の土臭い匂いも、ジメジメした冷たい空気は肌を切るようで居心地が悪い。その異常な緊張のせいもあり、今度は脂汗をかき視野が狭まっている。
そんな中でハジメからパインへ最初の質問。
「……あの時……何で隠れてたの?」
ハジメの声が怯えている。それに若干声が高く、震えていた。
主語の無い会話は相手に伝わらないのだが、ルナは気にせず、もしくはパインが気にせず言葉を返した。
「ハジメ君……あの時って……」
またハジメの背中に冷たい汗が流れる。というのも完全憑依状態にあるルナの声はパインの声と瓜二つだったからだ。
「パインちゃんが……ロットン村に帰って来た時だよ……」
一番にこんな質問をしたのも、ロットン村にパインが帰還し、突如ハジメの前に現れた時――思ってしまった事があったからだ。
――『パインちゃんは自分を殺そうとしていたんじゃないか』
ハジメはこんな風に推測していた。
これはルーシンとパインが戻ってこない不安から最悪の妄想が生み出した極論。
静まり返った隠れ家が、よりハジメを不安にさせる。
最悪を妄想するのはハジメの悪い癖、常に最悪の極論を出し続けていれば真実が、如何に酷いものであったとしても、受け入れる体勢なら整えられ、精神的なダメージは少なくなる。
死後の世界で身に付け、ハジメが絵本世界まで持って来てしまった我が身を守る処世術なのだが、いつまでも持っているわけにはいかない。
ハジメは『ここで切り捨てよう』と、決意を秘めた表情で目の前にある残酷な現実と向き合い。更に一歩、足を前に踏み出し座り込むルナの目の前へ。
それを見ていた、始祖龍武隊の者達も敬意を評したかのように二人の行く末を一言一句聞き逃すまいと見守っていた。
もう一度、ハジメがパインに訊ねる。
「パインちゃん……何でパインちゃんが帰ってきた時……隠れてたの?」
皆が見守る中でのハジメの言葉に恐怖の色は無かった。
その質問に対しパインの言葉を代返するルナがニコッと笑うと照れ臭そうに答えた。
「合わせる顔が無かっただけ。でも、ハジメ君が必死に私を探してくれてたから、助けて欲しいなって思っちゃったんだ。でも、殺されるって嘘ついちゃった……」
「そ、そうだね」
「……信じてもらえないと思うけど告白しようとも思ったんだよ」
「……こ、告白?」
「うん。ハジメ君の誕生日だったあの日、ようやく決意できた」
拍子抜けにも程がある答えだった。
が、当然である。極論が、そう簡単に当たるわけがない。
拍子抜けホッとした四歳児の小さな体へ、津波のように押し寄せる精神的な疲労、未熟な精神はぐったりと萎えてしまうが休む余裕を与えて貰えることはなかった。
パインのハジメに対する想いがルナの口を介して、次々と語られていく。
そして、疲労困憊しながらもパインを憑依させた状態のルナから語られる初恋の女の子から伝えられる言葉。
「"最近変な事なかった"って訊いてくれて心配してくれたでしょ? だからハジメ君の家を出て自宅に戻ったの、お母さんが大事に隠してた"六枚羽の風車"を持って人を殺してしまった事。ハジメ君に全部話して罪を償おうってそう思ったんだ」
「……六枚羽の風車?」
(ラファエと出合った時に持っていたアレか……)
「六枚羽の風車は悪義の教団のシンボルで狂いの象徴だから、あの風車を持っていけばハジメ君になら悪義の教団に関わっている事も、大きな罪を犯してしまったことも、きっと信じてもらえると思ったの……」
レンディの荒療治で母毒完治したおかげか、自分自身が成長したのかハジメには分かりかねる事であった。
だが、ルナを介したパインと話し、受け入れられないと思っていたパインが犯した罪を、ハジメはしっかりと受け止めることが出来た。
そしてパインとハジメの会話が続く――。
「あれは狂いの象徴として悪義の教団が掲げるシンボルマーク……だから……それを持ってハジメ君に説明しようと思って……」
「せ、説明?」
「何があったのかを全て話そうと思ったんだ……」
「……それってやっぱり」
「うん……私のお母さんは悪義の教団の一員……ラピィオ列車を襲ったのも私達……母子……お母さんが自然増を使って列車の走っていた路線を爆破させた……」
「でも……列車の中にいたんでしょ?」
「自然増はある程度訓練すれば遠隔操作できるんだ……列車の中からお母さんが列車が通る路線の上まで自然増移動させたの、さっき言った遠隔操作を使って……ラピィオ列車が通り過ぎる直前に爆破させた……ラピィオ列車を止めるために……」
ここでパインの説明にハジメの中に"ある疑問"が過ぎ言葉に詰まる。
呆けるハジメに代わりシャイトがルナに顔を向け、話す。
「……殺害したのは爆破の後か?」
シャイトの言葉は唐突で冷たかったが、真実を知る為には必要な事。ハジメは仕方が無いと割り切れた。
ルナに疲れが表れだし、フラフラと上半身を揺らしている。
そして、ルナの口からパインの言葉が出た。
シャイトの質問にルナの体が俯きながら、パインの言葉を辛辣な表情で口にする。
「はい……そうです……」
パインは躊躇う事無く素直に認めた。
そして、シャイトが訝しげな顔で。
「爆破すれば列車が止まる。そうなれば勇者反対同盟の罪人たちが、ラピィオ列車から逃げる事が可能になる……何故、殺害前に爆破させたんだ?」
「ごめんなさい。判らないです……」
パインに放たれる言葉は尋問しているかのようでハジメの気分が悪くなるが『それだけの事をしたんだ』そう思った。
「お前は人を殺す事に躊躇いがあったか?」
「ありました。……本当は午後九時に殺害するよう言われていたんですが、どうしても出来なくて、そしたらお母さんが――」
説明が止まってしまうパインに代わりシャイトが続きを話す。
「列車を止めるために自然増/雷光を使い爆破したと?」
「……はい……勇者反対同盟の人たちは列車が止まった事で逃げようと必死になっていました。それを見たら"お母さんと為"にと――」
代返するルナに向かってパインの言い分を、シャイトが無慈悲に切り捨てる。
「さっきからお母さん、お母さんと。それはルーシンの為じゃない、見苦しい言い訳は止めろ……」
シャイトの口調は冷たく人と接するモノとは違い、汚い物に語りかけているようで侮蔑に満ちた顔は情すら垣間見れず、残酷と言っていいほど冷たい眼光だった。
だからこそ、シャイトが語りかけているのはルナではなくパインなのだと、如実に分からせてくれた。
「ご、ごめんなさい……」
憑依というのはとても精神を消耗するらしくルナの呼吸が荒くなる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息を切らすルナの体から汗が流れポタポタと地面に滴り落ち、憑依状態が一瞬崩れたように見えた。
ルナが丹田に右手を当て――くっ!! と、力を込めると"また"パインに戻った。
体力が限界に来ているのは明らか。それでも尚、周りにいる者たちはルナに休む時間を与えなかった。今にも倒れてしまいそうな自分の体をパインに使わせ会話を再開する。
「お母さんの為だって理由にして……言い訳にして……殺しました。そうしないとお母さんが殺される。悪義の教団は何をするか分からないから、不安で不安で仕方な苦なっていた時、いつの間にか私の手にある筈の無い刀が握られていたんです」
あるはずの無い刀が握られているというのは、今のハジメには――『魔法か?』と思わせる程度の理解しかできなかったが、シャイトは即座に理解し誰にも顔を向けることなく説明する。
「魔法刀ですね……系統で言うなら属性系か未知系……もしくはティアマトの"魔法なる力"の一つでしょう。属性系なら、最上級魔法以上の高等技法。ティアマトの"魔法なる力"ならその全てを解明出来ていない我々には推測するのは至難。それでも彼女はティアマトの血を引いている。どんな系統の高等技法を瞬時に扱えても不思議ではない」
黙ってしまうことしか出来ない"見えないパイン"に、ハジメが先ほど浮んだ"ある疑問"を語りかけた。
「ルーシンさんがラピィオ列車を爆破したのはパインちゃんに人を殺して欲しくないと思ったんじゃ無いかな……きっとパインちゃんだけでも逃げて欲しかったんだよ……」
「……ど、どうして。そ、そんな……風に思うの?」
パインを憑依させているルナの体は、感情も憑依させるのかガタガタと震えだし目から涙が零れ出していた。
フレアが飛龍隊の外から見守り、飛龍隊がハジメを警戒。
シオンとシャイトはハジメを警戒する飛龍隊の戦士達に目を配らせている中。
ハジメは大好きだった女の子へ――悲痛を贈る。
「ルーシンさんはあんなにパインちゃんの事を愛してたじゃないか!! 絶対殺人なんてして欲しくなかったに決まってるよ!!」
今の今までパインに"その事"を訊けなかったのは、ハジメにとって凄く恐かったからからだ。
イヤ、真実を語るべきだ。ハジメは訊けなかったのではない――訊き難かった。
ハジメはパインに向かい自分の想いをぶつけた事でようやく決意が出来た。
そして――"その事"を訊いた。
「パインちゃん……どうして人を殺しちゃったの?」
そして、パインからラピィオ列車の真実が伝えられる。
「ラピィオ列車に乗る前日の夜、ある人が現れたんだ。そしてその人が言ったの、お母さんが"勇者反対同盟"の人たちを殺そうとしてるって、お母さんは悪魔に取り付かれた人間だから必ずやるって、でも信じなかった。信じられなかった。そしたら、その人はこう言ったの……」
――『お前を産み育てたのは何だと思う? 人間の心を保つ為だ。ルーシンが人を殺せばお前の母親は完全な悪魔になる。そうなる前にティアマトの血を引くお前が殺せ。お前は世界の敵。どうせすぐに殺される。パイン・シャーロッテ、大恩ある母を助けてやれ、そうすれば俺達がルーシン・シャーロッテを殺す必要が無くなる』
パインがある人に言われたという言葉は、おぞましいほど冷酷でハジメに嫌悪感を覚えさせる。そしてシーンと静まり返る隠れ家で、奥歯を噛みギリッと音を鳴らした。
ルナの口から続けられるパインの言葉。
「それに人を殺さないとロットン村が襲われるって……そう言われたから……」
その言葉はルナに言われた『受け止めなければならない事実』を実感させ、シンシンと華麗に舞い落ちる雪のようにパインの優しい想いがハジメの心に積もり始める。
ハジメの心に積もっていく感情はパインが持っていた"人を想う心"であり、純粋で綺麗なモノだった。
だが、所詮は殺人犯の戯言なんだと、ハジメの無意識の更に奥で蠢うごめく"正義"がパインの想いをとても冷たく感じさせていた。
精神の奥底に眠る、今のハジメでは気付く事のできないパインへの"侮蔑の念"と"守りたいという正義"が葛藤し、やり切れない想いで立ち尽くしていると、単純明快な質問がなされた。
「だ、誰にそんな事を言われたの?」
「ラファエ・ヴェゼルブルって人だよ……」
(――ラ、ラファエ?)
その人物はこのロットン村で"最悪の原因"の一端を担った男の名だった。始祖龍武隊の知龍隊であり、聖痕騎士団という別称を持つ組織の一員と聞かされていた人物の名前。
パインに対して抱く"侮蔑の念"がハジメの顕在意識にまで上昇すると、その怒りは始祖龍武隊への憤怒として姿を変え発動される。
ハジメはすぐさまシャイトに振り向き、魔法陣から出ると自分の中にある葛藤とわだかまりを吐き出すように怒鳴り散らした。
「ラファエはお前達の仲間だろ!! ……さっきと言ってる事が違うじゃないか!!」
激高するハジメから殺気の篭もった魔力が発せられていたが、飛龍隊の精鋭たちを怯えさせるには、ほど遠い殺気。眉一つ動かさない。
しかし念には念――飛龍隊の者達は一斉に腰に携えていた剣の柄を握ると、洞窟の端でシャイトと共にいるハジメに向かって臨戦態勢に入った。
飛龍隊の戦士達をシャイトが一瞥すると、剣臨戦態勢に入っていた面々は柄から手を離し、何事も無かったかのように後ろに手を回す。
また――ハジメを警戒する。
シャイトは目の前で憤怒しているハジメに答えた。
「ラファエと言う男は確かに我々と同じく行動しています……しかし、仲間ではない」
「どういうことですか?」
ハジメから発せられる殺意が徐々に増していく。仲間であると言っておきながら、この状況になった途端に『仲間ではない』と言うシャイトの言葉が信用ならなかった。
「私は知龍隊の隊長をしていますが、我々は飛龍隊の様に全ての者が北の人間ではありません。南の人間もいます。ラファエと言う男は南の人間、我々が動いている裏で何か画策していたのでしょう」
「なぜ――南の人間を入れたんですか?」
「入れたというより同盟です……」
「南の情報を仕入れると同時に北の情報を南側へとリークして"ヴァルバンス王家"を破滅に追いやる為です」
「そのせいでパインちゃんは――」
怒りに任せの水掛け論、全く話が進まない状況を見かねたフレアがハジメの言葉に被せて怒りを圧し止めた。
「ハジメ君、いくら怒ったって状況は変わらないよ。それにパインって子が殺人を犯し罪を背負ってしまったのは紛れも無い事実でしょ? 誰かに殺されるか、法による"正統殺人"で裁かれるかのどちらかだよ。それに『パインちゃんを許しちゃいけない』って言ったのはハジメ君でしょ?」
「……それなら法に則ってきちんと罪を償わせてあげるのが正しいです!!」
ハジメの言う事は正論だったが、フレアが僅かに苛立った表情でバッサリと切り捨てる。
「その言葉は本当にパインって子の為なの? 私にはハジメ君が今……シャイトに"ムカついている"から正論を盾にして口論でシャイトを打ち負かそうとしているようにしか見えないよ」
淡々と話すフレアの言葉を聞くと、ハジメの口から何か発せられる事は無くなってしまう。
フレアの言っていることは、まさにその通りだった。
すると、フレアの口から"北世界"の正論が語られる。
「今の北世界で法律はまるで意味を成していないんだよ。善も悪も勇者が決める、勇者の言う事が"正しい法律"で、勇者のすることが"正しい行為"なの……」
「勇者なんて関係ないよ!!」
力一杯怒鳴るハジメの言葉に辺りがどよめきだしたが、フレアの出した次の言葉でそのどよめきはすぐさま収まる。
「なら訊かせてハジメ君、私達、始祖龍武隊が一体何をしたの?」
ぶつけ様の無い怒りをハジメが身勝手に始祖龍武隊に向け――八つ当たり。
「パインちゃんを死に追いやった!!」
ハジメが如何に理路整然と正論を並べたところで全くの無意味――もう詰んでいる。
誰でも知っている子供の八つ当たりは大人に通用しない。
ハジメは頭でなら理解している――『もう無理だ……所詮は自分の常識。世界には通用しない』
この世界で四年も生きてきたハジメにはよく分かている。北世界ではフレアの言う通り、"勇者が正義"で"反する者は悪"である事実。
ハジメの言っている事など、この世界では戯言に過ぎず、無知な人間が放つ負け犬の遠吠えでしかない。
フレアが呆れた顔で背中の翼をワサワサとバタつかせハジメに訊いた。
「死に追いやったって……どんな?」
「ラファエをロットンに送り込んだでしょ!!」
程があると言わざるを得ないほど浅はかな回答を、フレアがまたも一刀両断する。
「ラファエさんはパインって子を守ったって聞いたけど……」
ハジメがその日の事を回想し思い出す。
ラファエが何をしたのか。
――自分の父であるカレジの凶剣から身を呈し守った。
それが事実であり真実。
――ラファエにパインを守って貰った。
ハジメは何も出来なかった。
――何も出来なかった男にラファエを責める権利はない。
フレアが言葉を発した後は、誰一人口を開く事はなかった。
ハジメもフレアも、シャイトもシオンも部下である飛龍隊ワイバーンの面々も。
シーンと静まり返る中、ルナの後ろに微かに見えるパインの幻がハジメの目に写る。
幻とは思えないほど、ハジメの瞳にクッキリと写るその姿は大好きだった姿、優しかった顔、そんな暖かかったパインから伝えられる。
「私の罪はとても重いものなんだ……償い切れない悪事だったんだよ……それでも味方になってくれてありがとう……嘘ついて……騙してごめんね……それからハジメ君……」
無力な自分にフラフラと心を彷徨わせるハジメに突きつけられる自分の脆さ――とても弱くてとてもとても情けない。
そんなハジメの目に写ったのは、ルナの後ろにうっすらと見えるパインの幻。
パインは罪人らしからぬ美しい声で、ハジメに最後の言葉を贈った。
――『さようなら…』
本当の別れ。
これで本当にお別れなんだとハジメが痛感する。
そしてパインの幻は静かに消え去っていく最中。
ルナは力尽きたようにその場に崩れ落ち。
眠りに付いた。
ご愛読ありがとうございました。




