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第二十六話

南の思惑。

 ――【鬼女神(ティアヌス)


 鬼女神(ティアヌス)とは南世界(エルドラド)で生まれた女騎士。

 その名の由来は南世界(エルドラド)神話に登場する神の名称。

 鬼女神、つまりティアヌスは南世界(エルドラド)の神話に登場する武神のことであり、文字通り、鬼の様に強く女神の如く美しい事から"鬼女神"と呼称される。

 鬼女神(ティアヌス)南世界(エルドラド)の最強騎士と呼ばれ、北世界(アヴァロン)の最強騎士と悪名高い"アイス・レディ"とただ一人互角に戦える唯一の女騎士としても知られている。

 空中戦を得意とする槍術の名称すらない流派を扱う。

 その名も無き槍術を極めし使い手は風と見紛う速さで優雅華麗に空を舞いその姿は妖精を思わせ、いつしか名も無き流派であったこの槍術を妖精乱舞(フェアリーダンス)と呼ばれる様になった。

 とある事情の為、現在、聖痕(スティグマ)騎士団(ギルド)と一時的な同盟を結んでいる。

 本来の役割は最終戦争(ラグナロク)の世界の中心ヨルムンガルド大陸にある最激戦地である双子姉妹区(リュニオン)の最前線で南世界(エルドラド)に勝利をもたらす為、北世界(アヴァロン)最強の宿敵≪アイス・レディ≫と戦うことである。


 * * * * * * *


 ラピオとロームの案内で北世界(アヴァロン)帝都ヴァルバンス二十一区の一つ魔法区ニルヴァーナ。その一角にある南の者たちが拠点とするアジトに着いた。

 アジトと言っても、どこにでもある簡素な造りのビジネスホテル。七人が入るには少し狭いが、問題がある訳でもない。十二畳ほどの部屋はベットやテレビなどは全て片付けられており、赤い絨毯が敷かれているだけ。窓には遮光カーテンがキッチリと閉められ外から中を見ることは出来ない。

 カレジとハレルヤは部屋の隅で手を握り肩を寄せ合い座っており、意味も無く赤い絨毯を見つめていた。

 クロノアは紅い甲冑を脱がされるとラピオの魔法によって両手両足が黄色く光り、まるで鉛の枷でも付けられたかのように身動きが取れなくなった。

 ラピオの補助系魔法(アシスター)の一つ反補助(アンチアシスト)


 ≪想絆(グラビティボンド)


 クロノアの無様に横たわる姿を見たラファエがラピオに、


「えげつない魔法を使うな……ラピオ」

「こいつは北の人間なんだなぁ~気にすること無いんだなぁ~」


 ラピオの魔法で両手を背中の後ろで組んだ状態になり身動きが取れないクロノアが"南"を見上げて口火をきった。


「お前らは何処まで外道なんだ!! 俺の部下を……仲間を殺しやがって!!!!」


 クロノアは床に全身を預けたままラファエ達を睨みつけ、狂乱染みた顔から烈火の如き強い憎しみの感情を魔力に乗せて部屋中に轟かせた。

 ゴォオオオ! と唸るクロノアの殺気に鬼女神(ティアヌス)を始めラファエ、ラピオが動揺する様子は無かったが、ロームが一人目を泳がせる。カレジとハレルヤに至っては助かろうと必死になり"南の者達"に向かってひたすら頭を下げ、懇願していた。


「助けてください、助けてください……」

「ハ、ハレルヤ、俺が付いてる、だ、大丈夫だ……」

「助けてください、助けてください……」


 もはやカレジの言葉にハレルヤは聞く耳など持っていない。

 ラピオが怯える二人を一瞥。カレジとハレルヤ"利用"してクロノアを精神的に追い込むために話し出す。


「君が"殺気"を放ったせいで二人が怯えちゃったんだなぁ~、君らは同じ北の仲間なのに、北って薄情なんだなぁ~」


 ラピオに続いて、僅かに引いていたロームが豹変したかのように怨みと辛みの篭もった呪いの言葉を吐き捨てるように――


「外道って何のことだ? お前ら北こそ外道だぜ? 天神像(モノリス)の破壊に亜人種(デミヒューマント)の大虐殺……数えだしたら切がねぇんだぜ……」


 クロノアに言ったのは、ロームを含め南の人間たちが、『仲間を殺され、拉致され、魔法で拘束された挙句、倒れて身動きが取れない死を待つだけの男』が一切、南世界(エルドラド)に屈する様子を見せなかったからだ。それはヴァルバンスへの忠誠があるから。

 ラピオがカレジとハレルヤを利用しクロノアを精神的に追い詰めようとしたのは、この忠誠心をへし折ってやる為だった。


「ロームとか言ったな……亜人種(デミヒューマント)を殺して何が悪い? もしかすると、てめぇも亜人種(デミヒューマント)か?」


 クロノアの言葉がロームの耳に入った瞬く間であった。

 ロームの瞳孔が開き、我を忘れる。

 寝そべり両の手を後ろで組まされている状態にあるクロノアの腹を力一杯蹴り飛ばしゴホっと吐血させると、今度は髪を掴み床に叩き付けた。


「ぐわぁ!!」

「口の聞き方に気をつけやがれ!! ……鬼女神(ティアヌス)さんがいるからこの程度で済んでるんだぜ……いなければぶっ殺してるところだ……」


 ロームの常軌を逸した怒りにハレルヤが戦慄し気を失い床に倒れ込んで気絶してしまう。

 ハレルヤが倒れる様子をジッと見ていた鬼女神(ティアヌス)がロームに注意を促した。


「ローム……その辺にしておきなさい……」


 静かで優しい言葉だったが相手は鬼女神(ティアヌス)、ロームの全身が総毛立つ。


「す、すんません……」


 青ざめ大人しくなるロームを他所にラファエが鬼女神(ティアヌス)と、対峙し会話をするため、ほんの僅かでも"敵であると認識されないよう"黒衣(クロガネ)の中から両手を出し、背中に回すと顔を向け話しかけた。


鬼女神(ティアヌス)さん。どうして北世界(アヴァロン)にいらっしゃるのですか?」

「……双子姉妹区(リュニオン)で、南の戦況が良くありません」


 ラピオが首を傾げ鬼女神(ティアヌス)を一見、そして尋ねる。


「……良くない? 鬼女神(ティアヌス)さんが居るのに信じられないんだなぁ~」


 腹を蹴られゲホッゴホっと咳き込みながら、クロノアが"南"へ言った。


「バカが!! 北世界(アヴァロン)には≪アイス・レディ≫がいる……そう簡単にいくものか!!」

「そんな事は分かってる……」


 北世界(クロノア)からの口撃をラファエが軽く流すと、鬼女神(ティアヌス)から目を背ける事無くクロノアに答えた。

 その答えに寝そべり見上げてクロノアが言った。


「分かっている……だと?」

「"アイス・レディ"と"鬼女神(ティアヌス)"さんの決着は、最終戦争(ラグナロク)の命運を決するもの……それだけに慎重に行動しなければならない」


 誰かが言葉を発すれば発するほど、状況そのものが重圧となって全員に圧し掛かっていた。そして、最も重い圧を放つ鬼女神(ティアヌス)がラファエへ。


「私がこんなところへやってきたのは"アイス・レディ"との決着の為では無いんです……彼女はそんな簡単に殺されるような騎士ではありません」

「だったら――何故、(ここ)へ来たんですか?」


 ラファエの質問に鬼女神(ティアヌス)が答える。


「さっきも言ったでしょ……最終戦争(ラグナロク)で南を有利にさせるためです……あなた達には期待しています」


 言い終えた瞬間――鬼女神(ティアヌス)から、ほんの少し出されていたラファエ、ラピオ、ロームに対する警戒が解かれた。

 ラファエが後ろで組んでいた腕を前に出すと、鬼女神(ティアヌス)の威圧感におののき思わず後ろに組み直す。腕を後ろに組み直した事でロームとラピオが僅かに緊張し冷や汗が流れる。

 緊張する二人を他所にラファエがそのまま考え込むと、自分なりの答えを鬼女神(ティアヌス)に報告。


「アイス・レディは簡単には殺されないし、決着をつけるには時間が掛かる……最終戦争(ラグナロク)を最も効率よく終わらせるために、北世界(アヴァロン)へとわざわざやって来たということでしょうか?」


 ラファエの察しの良さに鬼女神(ティアヌス)は天使の様な美しい笑顔を見せた。

 その笑顔に誘われるようにラファエが答えを口にしていく。


「……その方法が"プリメラ絵画"ってことですか?」

「そうです」


 話の流れをしっかりと理解するラピオの横で、今一つ理解できていない様子のロームのために、ラファエが鬼女神(ティアヌス)に話しながら説明する。


「重要なことですので、確認させてもらってよろしいでしょうか?」

「……どうぞ」

「プリメラ絵画に関わる全ての任務。それを完璧に遂行する為には鬼女神(ティアヌス)さんの力が絶対に不可欠。鬼女神(ティアヌス)さんが居れば任務は完遂できるということで間違いないでしょうか?」

「えぇ……間違いありません」


 鬼女神(ティアヌス)との会話が終わると、ラファエがロームに意識を向ける。

 先ほどまで話しの内容をうまく理解できず、鬼女神(ティアヌス)に脅えて目を泳がせていたロームの顔が、いつも通りのイカつい表情に戻っていた。少なくとも必要最低限の理解は出来ていると確認するとラファエは仕草にも表情にさえ出さなかったが、心の内ではホッと胸を撫で下ろしていた。

 それは自分が発した言葉には鬼女神(ティアヌス)との会話は『何故ここに鬼女神(ティアヌス)がいるのか』を確認する作業の他に、ロームへ『この場ですぐに理解しろ』という意味が込められている。

 世界中心大陸(ヨルムンガルド)で繰り広げられる際激戦区。

 双子姉妹区(リュニオン)南の戦況が悪化しているにも関わらず、激戦区で戦っていなければならないはずの鬼女神(ティアヌス)がこうして北世界(アヴァロン)にいるということは、南の戦況は最悪と言っていいだろう。そうなれば、役に立たない無能な人間は有害になる。

 間違った情報に踊らされ仲間を危機的状況に追い込んでしまったり、些細な判断ミスで南世界(エルドラド)へ壊滅的な被害を出してしまう可能性もある。一歩間違えれば南世界(エルドラド)が白旗を上げ、最終戦争(ラグナロク)が集結してしまうなんてことも十分ありえること。

 ここでラファエがロームに助け舟を出さなければ"無能"ただそれだけで、話にすらついていけず、目を泳がせていた無能な男の命日になっていたかもしれない。

 ラファエが鬼女神(ティアヌス)と確認と称し、会話をしたのは自分の部下であるロームを命を案じてのことだった。 

 鬼女神(ティアヌス)がラファエとロームの一連を黙認し終えると、誰にも気付かれない微々たる嫌悪の表情を南の三人に向けると、すぐさま解いて語りかける。


双子姉妹区(リュニオン)での戦況が良くない、これは先ほど言いましたね」 


 今さっき嫌悪を示したとは思えないほど、落ち着いた鬼女神(ティアヌス)の声を訊き。ラファエ、ラピオ、ロームの三人が黙って頷く。


「南が最終戦争(ラグナロク)に勝利する為には、和の国"銀狼隊(ぎんろうたい)"の勢いを止めなくてはなりません」

「銀狼隊……ですか?」


 ラファエが口を開くと、またロームを一瞥すると、


「和の銀狼隊っていやぁ、双子姉妹区(リュニオン)天涯楼(てんがいろう)事件で有名になったあの銀狼隊ですかい?」

「よく知っていましたね……ローム」


 そう言って、鬼女神(ティアヌス)は目を閉じた。


 天涯楼事件。

 これを語るにはまず指定保護国を説明しなければならない。

 世界を二分し百年以上の争いを繰り広げられてきた大戦争とはいえ、両世界ともに指定保護国がある。

 指定保護国とはお互いの世界に設けられた-―いわば安息の国だ。

 故に『どんなに戦況が悪化しようと保護国に指定された国は、両世界。絶対に攻撃をしない』と最終戦争(ラグナロク)の最中、両世界のトップが一八三三年に中心大陸(ヨルムンガルド)首都ヨウトゥーンシティに集結し、"戦争の決まり事"として定められた。

 しかし、その真相は最終戦争(ラグナロク)に勝利したと仮定した二つの世界が、今後の為に定めたものである。

 今後の為というのは表向きでも人権を尊重していなければ、最終戦争(ラグナロク)に勝利し全世界の覇権を手に入れたところで、敗北した世界の人間達からの非難は避けられないだろう。そうなれば北南を統一した世界での政治的な采配に支障をきたしかねない。下手を打てばまた戦争が起こる。

 最悪の場合を想定するなら、《戦争に勝利し世界のトップに立った者達》と《全世界の人間たち》との間で、最終戦争(ラグナロク)をも凌ぐ超戦争にもなりかねない。

 そしてその結果は目に見えている。

 何より神威族(カムイース)の偉大な予言者として知られたハジャという男が死に際に――『最終戦争(ラグナロク)が終わっても次は黙示録(アポカリプス)……戦争は終わらない』という世界への遺言が指定保護国の確保を余儀なくさせた。

 和の国から出征した銀狼隊が引き起こした天涯楼事件とは北世界(アヴァロン)過激派パラディンによる指定保護国殲滅計画を阻止した事件だ。

 指定保護国殲滅計画というのは、その昔、最終戦争(ラグナロク)の引き金となった悪意蛇砲(メギド)による天神像(モノリス)の破壊と同じように、南の指定保護国(ワンダーランド)に魔学兵器を撃ちこみ、その混乱に乗じて南世界(エルドラド)を一気に攻め落とすといった、おおよそ人道から外れた非情にして無慈悲な悪魔の如き計画であった。

 だが、双子姉妹区(リュニオン)に存在する天涯楼という宿での密会中。パラディンの騎士たちが銀狼隊の襲撃に遇い、両雄含め一〇〇人以上の死者を出したものの、結果は銀狼隊の勝利に終わりパラディンの統括であったファリス・ラムライトを捕縛し、南世界、指定保護国(ワンダーランド)の殲滅計画は未遂に終わり事なきを得た。

 パラディン統括、ファリスの主張は『戦争が長引けばそれだけ戦死者が増える、だからこそ、非情で無慈悲な計画であろうとも非道に徹し最終戦争(ラグナロク)を集結させるのが最も被害の少ない最善の策だ』というものであった。

 本来なら同じ北世界(アヴァロン)の同志でもあり、ヴァルバンスによって組織されたパラディンに弓を引くなどあってはならないことなのだが、銀狼隊は我道という精神を持つ、『我信ずる道を行く』という意味だ。

 敵世界であっても人命を尊重した銀狼隊の功績は、『受けた恩には大恩で』という言葉があるほど"恩義を重んじる南世界(エルドラド)の人間たちは、和の国の我道という精神に強く心を打たれた。

 特に指定保護国(ワンダーランド)に住む者たちは、当時戦争によって大きな精神に大きな傷を持つものが多かったこともあり、銀狼隊から受けた恩を大恩で返そうと《冥狼師団(ケルベロス)》を結成。

 指定保護国(ワンダーランド)は南に存在する国である。ならば大恩なら南世界(エルドラド)にもあるはず、むしろそちらの方が恩は大きい筈なのだが、それでも冥狼師団(ケルベロス)が自分たちの世界を裏切った。

 それは戦争から逃れ一般的な暮らしとまでは行かないが、それでも人間らしい生活を保障されている指定保護国(ワンダーランド)で強制労働が施行されていたからであった。

 強制労働を強いられた人たちは、精神を崩壊させる者、過労死する者、この国を管轄する者達によって嬲り殺されるといった事件が相次いでいた。

 当時、南の指定保護国(ワンダーランド)に住んでいた人間達は南世界(エルドラド)に対し明らかな不信感があり、恩を感じているものはほとんど居らず、自分たちの世界を裏切るには十分過ぎるほどの仕打ちを受けていたからに他ならない。

 北と南。この二つの世界の戦況は双子姉妹区(リュニオン)で均衡状態にあった。しかし南世界(エルドラド)を裏切り、北世界(アヴァロン)、正確には銀狼隊に組した南の冥狼師団(ケルベロス)によって、均衡を保っていた勢力は一気に北へと傾いていった。 



 鬼女神(ティアヌス)が瞼を開き、刹那であったが苦々しい表情を見せると、


「だからこそ、北の弱みを握らせて頂きました……」

「弱み?」


 鬼女神(ティアヌス)の言う"弱み"が何のことか分からずクロノアが声を漏らす。

 この疑問の言葉を聞き、ラファエはクロノアがヴァルバンスから『全てを知らされているわけではない』と察知する、そして追い詰める。


「ロットンの村人殺害は"リキッド・フーライヴォ"と"ライム・マシュンマロ"の二人なんだろ?」


 クロノアは一瞬青ざめた様子を見せ顔を下に向けたが、直ぐに"南"へと顔を向けキッパリと言い放つ。


「あの二人は村人達を殺していない……断言する」

「良いのかそんな事を言って」

「リキッドとライムって奴らが村人を殺したのは判ってる……ちゃんとした証拠もある……ローム」

「へい……」


 ラファエに返事をするとロームが"魔道具(マージン)"と呼ばれる"記憶を司るエメラルド魔力"の球状の結晶体を取り出しグッと魔力を込める。

 すると辺り一面に立体ホログラムの様な映像が流れた。

 映し出されたのはリキッドが、顔色一つ変えず村人を殺害していく狂気に満ちた映像。


「あんたら北の悪行はしっかりと押さえてありますぜ……」


 ロームによって突きつけられた確たる証拠を見せつけられクロノアは万事休すとなる。

 横たわるクロノアの前にラファエがしゃがみ込み目線を合わせ鋭い眼光と低い声で脅しをかけた。


「頼みがあるんだ……」

「――た、頼み?」


 クロノアが顔を上げ、瞳に映ったラファエは異常なまでの冷徹な表情。

 いつか見せた殺人鬼の表情と同じ。

 ラファエから放たれる冷たい殺気がクロノアに圧し掛かっていた。

 俯くだけで何も出来ないクロノアにラファエが続ける。


「こちらにいるカレジ、ハレルヤご夫婦に"プリメラ絵画"を公の場で公言してもらいたい……君なら"その権限"くらいあるだろ?」


 クロノアの表情が一変する。

 確かにクロノアにはプリメラ絵画を公表させるか、否かを判断し決断する権限を持つ。

 だがそれは大多数のうちの一人に過ぎず、たった一人での決断し実行させるという事は、上の権力者や周りの人間を無視した単独での判断をすることを意味していた。

 それを重々承知しているクロノアは呼吸が荒くなり体から流れる多量の汗が、カーテンをすり抜け窓ガラスを曇らせる。


「――実行は出来る……だがそんな事をしたら俺が……いや俺の家族も殺される……俺の……いや俺達の言い分も……」


 クロノアはもう冷静な判断が出来ない――そう判断したラファエが更に追い込みをかけるため、クロノアの話を聞く間も与えず話を続けた。


「じゃあ……"リキッド・フーライヴォ"と"ライム・マシュンマロ"の村人殺しを世界に向けて発表するだけだ……」

「そ、んな、はぁ、事も、はぁ、出来ない。はぁ、はぁ」


 クロノアが激しく呼吸を乱し、大声を発することが出来ない様子を見てラファエがすぐさま返答する。


「ダメ押しをしようか? ルーシン・シャーロッテはフォーレン・モール教の一員でその娘はティアマト……大勇者が生まれた村で(かくま)っていたんだろ?」


 このセリフの後ラファエはクロノアを追い込みをスムーズに進める為、呼吸が整えられるだけの時間を作った。


「――――総隊長さん……この件に関して言う事はあるか?」


 ラファエの策略に嵌まり"リキッド、ライムの無実を晴らそう"とクロノアは声を荒げた。


「違う!! あれは悪の根源ティアマトを匿い、染悪罪(そめいあくざい)に問われる村人を全て抹殺せよとのお達しが"ヴァルバンス"から下った……村人達には申し訳ないことをしたがロットンという由緒正しい名誉ある村を守る為……強いては北の為だったんだ」

「……ティアマトを匿っていたか……確かにそれは大罪だな」

「そうだ!! 全ての根源はティアマト……パインという娘に唆された為だ……ティアマトは北世界(アヴァロン)までも混沌に陥れようとしていた……殺すしかなかった……ティアマトもティアマトを匿った村人達も危険因子だと判断されたんだ!! リキッドとライムは"ヴァルバンス"の命令どおり忠実に従ったに過ぎない!!!」

「ヴァルバンスが命令を下したということは"勇者連合"も"英雄会(ブレイヴ)"もこの事件に関っているという事だな?」

「そうだ!!!!」


 ラファエの思惑通り、クロノアは事件の発端を徐々に熱くなりながら暴露していった。

 対象的にラファエは冷静にクロノアを分析をしていた。

 ラファエはクロノアにしゃがみ込み目線を合わせ、嘘がないか、情報に間違いは無いか一言一動を見極めている。

 先ほどのクロノアの説明は明らかに帝都十二騎士団(ヴァルバンスナイト)の総隊長としてではなく、部下を守る為の口実を盾に自分を守る為、あっさりと黒幕の名を口にしていた。

 ラファエが確信に至る。


(コイツはヴァルバンスに忠誠を誓っていない)


 そう思ったからこそパイン殺害、村人殺しについての確信を的確な間でクロノアに話した。それは更に追い詰め、もっと深い部分の情報を得る為。


「……証拠は何処にあるんだ?」

「証拠。だと?」


 ラファエに"村人殺害事件にかかっている(きり)"を突かれ、クロノアが言葉を上手く出せなくなった。

 ラファエはその瞬間を見逃さず、まるで尋問するかのように、深い霧の中にある疑問をクロノアに尋ねた。


「そう……証拠だ……ティアマトが世界を混沌に陥れようとした証拠、パイン・シャーロッテがティアマトであると村人達が知っていた証拠、知っていながらティアマトを匿り染悪罪(そめいあくざい)に問われていた証拠が一体何処にあるんだ?」


 クロノアはぐぅの音のも出ない。

 ヴァルバンスに聞かされたのはロットン村にティアマトが"いる"という事と、その真相を隠蔽する為リキッドとライムによって殺害したという事だけ。深い霧の部分はラファエの推測通り、クロノアには伝えられていなかった。

 クロノアにはパインがティアマトであった事も村人が染悪罪(そめいあくざい)に問われる事についても確たる証拠は提示できない、だから答えられない。

 汗も完全に引いてガクッとクロノアの体から力が抜けた。そうなってしまったのは証拠が提示できないだけで無く、部下を死なせてしまった失念と自分への無力感が湧き上がった事、そしてこの場所に"南最強の騎士である鬼女神(ティアヌス)"がいる事で"死"という概念を受け入れていたからである。

 そこへラファエが嫌味を込めてクロノアに伝えた。


「さっきの言葉そのままお前に返してやるよ……」

「さっきの……だと……?」

「……どうせお前は死ぬ……冥途の土産に教えてやるよってやつさ」

「何?」

「リキッド・フーライヴォとライム・マシュンマロに出された"村人殺害命令"も、お前ら"帝都十二騎士団(ヴァルバンスナイト)"に出された"パイン殺害命令"も全ては"英雄会(ブレイヴ)"から出されたフェイクだ」

「ブ、英雄会(ブレイヴ)からだと!! そんなはずがあるか!!」

「心当たりならあるだろ? お前達と同じ勇者連合の中に英雄会(ブレイヴ)と繋がり、活動内容を知らされていない連中が……」


 ラファエの言葉にクロノアが混乱するが、すぐに答えは出た。


「……な、七華(なのはな)隊?」

「これらを画策したのは"英雄会(ブレイヴ)"だが、実行しろと伝えたのは"ライム・マシュンマロ"そして、実行したのは"リキッド・フーライヴォ"だ、リキッドって男はヴァルバンスの管轄にある……つまりお前らと同じ"勇者連合"って事だろ?」


 ラファエが立ち上がるとクロノアを見下した。


「こんな事が世界にバレて見ろ……ヴァルバンスはティアマト一族と同様に弱体の一途を辿る…そうなれば北の勢力は弱まり"我ら南"が"最終戦争(ラグナロク)"に勝ち星を挙げられる」

「だったら、まどろっこしい真似をせず。そのフェイクを発表すればいい!!」


 『フェイクを発表すればいい』クロノアが放ったこの言葉の裏には南を弱体化させる為の罠があった。

 その昔現れたフォーレン・モールは北も南も関係なく"全世界に呪い"をかけている。

 フォーレンモールとの戦いで功績を上げ、少なくとも表向きは北も南も区別無く慈善活動に取り組んでいる"英雄会(ブレイヴ)"はこの絵本世界に於いてその名の通り英雄である。

 南世界(エルドラド)がフェイクと発表すれば、南世界(エルドラド)北世界(アヴァロン)からの侮辱と捕らえ、更に北の騎士達の士気が上がり、より強い覚悟で戦争に力を入れ南の討伐に乗り出すだろう。

 そして南世界(エルドラド)の士気は一気に下がってしまう。

 南はその昔、"神の国"と呼ばれ神々に対する信仰が深い世界。

 "大勇者ヴァン"と"フォーレン・モール"の戦いの後、四年間の平和を経て勃発した最終戦争(ラグナロク)以来、"英雄会(ブレイヴ)"からの支援を受けてきた。

 

 ――≪受けた恩には大恩で返せ……≫


 戦争勝利の為に"英雄会(ブレイヴ)"を平気で売ったとなれば、例えフェイクが真実であったとしても南世界(エルドラド)での内乱は必至である。

 クロノアの狙いはこの流れだった。だが、ラファエたちもバカではない。


「……ほう……まだまだ頭は回るようだな……流石は総隊長殿だ」


 クロノアも予想はしていたが、あっさりと真の意図に気付かれる。

 それでもクロノアには北世界(アヴァロン)の勝利を信じて疑う事は無かった。


「ヴァルバンスは不滅だ……ヴァルバンスが存在する限り、北に敗北はあり得ない……」


 クロノアは"ヴァルバンスに忠誠を誓っていない"そう確信しているからこそ、ラファエは攻めた。


「たかだか百年ちょっとの歴史しか持たないヴァルバンス……ティアマトの勢力に遥かに劣る連中が不滅か? 笑わせる」


 ラファエがクロノアに与えた"冥途の土産"は"絶望と無念に侮辱と屈辱"だった。


「き、き、貴様!!!! ヴァルバンスがその程度の事で滅びるというのか!!!!」


 激高するクロノアだったが、主導権はラファエが完全に握っていた。

 ラファエが完全に主導権を握ってもまだ事が思うように進まないだろう。

 そう感じさせるのはクロノアの目、光を失いもはや輝きは無いのだが、それでも南への深い憎しみがラファエを睨みつさせていたからだった。

 クロノアから魔法を解いたら『自分の命など投げ出してでも一矢報いよう考えている』と、ラファエが思う。

 次いで――『やはりコイツにヴァルバンスへの忠誠は無い、あるのは南世界(エルドラド)への恨みだけ。クロノアがヴァルバンスへの忠誠心だと思い込んでいるものは、南世界(エルドラド)への恨みである事に気づいていない』

 ラファエはクロノアが冷静な判断が出来ないうちに、目線と口調を合わせてると脅しをかけ"プリメラ絵画"を公表させるため、口を開く。


「現実的に考えろ……本当に滅びないのか? "ヴァルバンス"は"フォーレン・モール"から世界を救ったヴァンの子孫……"大勇者ヴァン"に恩義がある者は沢山居るがヴァンの子孫を崇拝する者はいないし、一切の恩は無い」

「何が言いたいんだ!! ハッキリ言え!!」

「北の連中はここまで頭が悪いのか……これが公になればヴァルバンスは世界中から非難を浴びる……」

「……ふざけるな!! 非難するのは南だけだ!!」

「そうかな? 勇者連合のしてきた事。この北世界(アヴァロン)の勇者の定義は悪党なんだろ? その勇者連合を創り上げそのトップに立つヴァルバンス王家に非難の声が上がらないなどと本気で思っているのか?」


 クロノアが抱いていた"栄光あるヴァルバンス"は、ラファエの一言一言で"嫌われ者のヴァルバンス"へと姿を変えた。


「くっ! クソぉおおお!!」


 クロノアが信じて疑っていなかったヴァルバンスへの忠誠は折れた。

 後は、クロノアに対しラファエがどのように対処するかだ。

 周りの者も少し離れた場所で二人を見守っている。


「ようやく理解したか? 北世界(アヴァロン)。お前ら北の選択肢は"プリメラ絵画"の"禁愛"を世界に公言するか、勇者の聖地ロットンの村人が勇者連合によって殺害された事を我々南に公表されるか……どちらか一つだ――」


 心が折れ、クロノアが混乱しているからこその問いだった。混乱していればまともな判断は出来なくなる。そこに二つの選択肢を出されれば、例えそれが敵の誘導であっても中々避けられるものではない。

 ラファエはそう考えての発言だったがクロノアも百戦錬磨、二つ選択肢を用意された事で逆に冷静さを取り戻していた。


「――"プリメラ絵画の禁愛"を北が公表したところで、お前ら南が村人殺害の証拠を公表しないとは限らない。ヴァルバンスの危機なら俺は総隊長としてどちらも選ぶつもりは無い」


 ラファエが軽く笑う勝負など鼻から決まっていた――切り札を出す。


「そうか。だがな、お前……ルーシン・シャーロッテを忘れていないか?」

「それがどうした」


 それがどうしたっとこの言葉を聞き、ラファエがまた確信する。クロノアはまだ、混乱から完全には抜け出せていない……と。

 そこで、ラファエがハッタリという名のムチを与える。


「あの愚母(ぐぼ)は"悪義の教団の幹部"……北と南が"唯一同じ敵"とする連中だ。教団幹部が北にいて"ラピィオ列車事件の犯人"に加え、娘はティアマト、そして"勇者反対同盟殺害の真犯人"、南の俺達がルーシンを捕らえている以上この情報が世界に伝わるのは確実だ」

「だからなんだ!!!!!!」


 ラファエのハッタリが利いたルーシンは捕らえていない逃げられている。そしてクロノアがその事実を知らないのは、当然のこと、連れ去ったのはヴァルバンスではない。

 ここまでは予定通り。

 ラファエのハッタリで混乱から抜け出せていなかったクロノアが激情したことで余計に混乱する。

 そこで、今度はアメを与えた。


「取引しよう、お前達にルーシンを引き渡す、ルーシンは"お前の憎む"南の人間だ、その代わりに"プリメラ絵画を公言"しろ。そしたら"村人殺しの証拠書類も証拠映像も全て"お前達に引き渡そう」

「……信用できん」


 南を(はな)から信用していないクロノアにとって当然の回答。

 アメとムチを与えることで冷静さを適度に回復させ、当然の回答をさせたのはある程度の判断能力を取り戻させ取引を成立させるため、当たり前の事だが冷静さの欠けた相手とではまともな取引は成立し得ない。

 ここでラファエのするべき事は、クロノアが完全に冷静さを取り戻してしまう前に"禁愛"の公言を取り付けてしまうこと。

 ラファエが無難にクロノアの不信感に答えた。


「なぜだ?」

「俺達北に有利すぎる……お前達に一体何の得がある?」


 当然の回答をさせたことで冷静さを取り戻しつつあるクロノアに対し、ラファエは真実であり、嘘でもある回答を出す。


「……南の歴史を知る為」

「南の歴史?」

「お前ら北も知っているだろう。南は元々神の世界と呼ばれていた、だが人類が南に辿り着いた時には、神の痕跡は残っていなかった。そして、いまだ明らかになっていない、だが南世界(エルドラド)で行なわれてきた長年の研究により辿り着いたのがプリメラ絵画だ。禁愛の秘密が暴かれヴァルバンスが衰退すれば戦争も有利に進められるしな……」


 ラファエ言った真実は、南の歴史を知るという事、神の痕跡を辿る事、戦争が有利に進められるという事の三つ。

 ラファエの言った嘘は、長年の研究で辿り着いたのが"プリメラ絵画の禁愛"である、この一つだけ。

 真実に僅かな嘘を混ぜる事で、ラファエの言葉は真実味を帯びた。


「それだけか?」


 見事に騙されたクロノアを見てラファエがここで大胆に嘘をついた。


「もっと理由が欲しいのか? 神の痕跡に辿り着けばヴァルバンスは崩壊するだろうフォーレン・モールも滅び何もかもが南のモノになる……」

「……そんな理由でか?」


 ラファエの虚言でヴァルバンスに不信感を抱き、南に恨みを持つクロノアに対して、最後の一手を打つ。

 

「公表した後は俺達、南が神の痕跡に辿り着く前に阻止すればいい。虐殺する理由は南の横暴な振る舞い、飛行機事件もラピィオ列車事件もロットン村人殺害事件も全て南のせいにすればいいだろ? そして、最終戦争(ラグナロク)に勝てばお前ら北世界(アヴァロン)に南の権限が渡るだろうしな、お前達、北世界(アヴァロン)の思い通りだろ? ……さぁどうする?」


 命の掛かった異常な空間と混乱、究極の選択をアメとムチ、真実と嘘を巧みに利用され、クロノアは総隊長としてあってはならない答えを出した。


「わ、分かった……公表しよう」


 この答えの後、ラファエがしばらく黙り、静寂を作るそのことでクロノアは自分が言ってしまった言葉の重要性を無意識で理解してしまう。

 無意識の中で起きる軋轢に耐えかね、クロノアはその場でグッタリと倒れこんでしまった。

 こうしておけばクロノア自身が言った言葉は潜在意識に強く押しとどめられ、顕在意識に上がってくる事はない。そして、睡眠に入り精神が回復すれば偽りでしかないヴァルバンスの忠誠も回復する。そうなればプリメラ絵画を公表する事が正しいと思い込むだろう。

 クロノアが倒れこんだ後は部屋の隅でひっそりと肩を寄せ合い震えているだけだったカレジと、ハレルヤにロームが伝えるだけ。


「ここからは……お二人に活躍し貰わにぁ~困りますぜ……」


 冷や汗も涙も流し終えたのだろう。脱水症状を起こしそうなほど憔悴しきっており、カレジもハレルヤもまともに会話さえ出来ない。

 鬼女神(ティアヌス)が二人を一度見つめると、ロームへ言った。


「……この二人を誰にも見つからない場所へ運んでください」

「分かりやしたぜ」


 ラピオが鬼女神(ティアヌス)に訊いた。


「プリメラ絵画の事は本当に発表できるのかなぁ~」

「……心配ありません……ヘイムダル王家のお達しです」


 鬼女神(ティアヌス)からの意外な言葉にラファエが困惑し僅かに精神が乱れる、そこで疑問をぶつけた。


「……"ヘイムダル王家"も始祖龍武隊(ドラゴンナイツ)に協力し、ヴァルバンスを潰そうって魂胆なんでしょうか?」

「いいえ……"ヘイムダル王家"の目的は会見で語られるであろうもう一つの真実……それをこの"二人"に語らせる事です」


 もう一つの真実――ラファエが思わず訊こうとしたが止めた。

 鬼女神(ティアヌス)が知っていて、自分達が知らないとなれば、この情報は最重要機密(トップシークレット)

 自分達が手を出してはいけない領分だとラファエが鬼女神(ティアヌス)の目を見てすぐに実感した。


「どちらにせよ……最終戦争(ラグナロク)の勝利は南世界(エルドラド)で決まりですね……」


 微笑む顔とは対象的な冷たい瞳――鬼女神(ティアヌス)は静かに言い放った。


「ラファエ……北世界(アヴァロン)を甘く見てはいけません……」


 鬼女神(ティアヌス)の言葉にラファエは硬直し、冷や汗を流した。

 鬼女神(ティアヌス)の最も恐るべきところは……強さだけではない――決して敵を見くびる事の無い思慮深さである。

ご愛読ありがとうございました。

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