第二十二話
真実と事実。
ハジメは今、顔を埋めているフレアを見られない。この場の空気はそれほどまでに悪くなってしまっていた。
原因はやはり、ハジメに全否定されてしまった事だろう。
酷い目に遭わされ、それでもずっと考え両親の元へと皆に反論してたのに、ハジメに冷たくあしらわれる。
落ち込んでしまうのは至極当然であり、ごく自然な流れ――ハジメは何も出来ずにいた。
襲い掛かった件もある。何のフォローも入れないわけにはいかない、ハジメが意を決してフレアの元へ歩み寄ろうとした。
その時、ルナが笑顔で言う。
「ハジメちゃん! ラピィオ列車の話をしよ!」
フレアの事など気にも留めていないのか、ルナは明るく言葉を発した。
泣いているフレアの横で、のん気な顔で立っていたルナがハジメの後ろをテクテクと軽い足取りで通り自分の席に着く。
左からフレア、ハジメ、ルナの順で座りなおす。
三人が元の位置に戻ったことをハジメの対面に座っているシャイトが確認をするとゴホンッと一つ咳払いをし話し出した。
「話す内容はラピィオ列車の真相。パイン・ティアマトとルーシンがどう関与したのか……ということですね」
ラピィオ列車にパインが関わっていた事はもう分かっていた。リキッドが言った"あの言葉"でハジメは確信に至っている。
『お前が犯人みたいだよな』
ラピィオ列車の犯人。つまり乗車した二二二名の"勇者反対同盟"の者達をパインが殺害した事。何故、ラピィオ列車の事件と関係の無い始祖龍武隊が知っているのか、ハジメが推測したところで推測の域を出ない。
だから考えるのを一旦中止する。
と、思考によって止められていた。パインが関与するラピィオ列車事件の真相を知らなければならない恐怖がハジメの精神を支配した。まぶたを瞬く回数が極端に減り、目が乾き赤くなる。
正面に座るシャイトに目が向けられない。右側を見るとルナが静かに座り、左側を振り向けばフレアが顔を埋めて泣いている。
挙動不審に陥るハジメに向かってシャイトが知らなければならない事について話し出した。
「ラピィオ列車で二二二名の命を奪ったのはパイン・ティアマトです」
単刀直入すぎるシャイトの第一声にハジメの呼吸が止まり、心臓までも止まりそうになる。
シャイトの言葉がハジメにはやたらと遅く感じた。
瞬き一つ完全に把握出来てしまいそうなほど、感覚が研ぎ澄まされ、両隣のルナとフレアの動きさえもスーパースローの映像を見ている。
このような感覚に陥った原因は間違いなく完全拒絶。
絶対に受け入れたくない。
言い換えるとハジメには受け入れられないから、視覚以外の聴覚、嗅覚、触覚、味覚の四つを麻痺させ、普段使われる事のない第六感を異常なまでに高めハジメの時間感覚を極端に狂わせていた。
「嘘だ!!!」
怒鳴ってしまうハジメを見て、ルナが立ち上がり。
「ハジメちゃん!! ……現実から目を背けてちゃダメ!」
ハジメは真実から逃げるのに必死になると、聴覚が息を吹き返した。
(聞きたくない)
だから耳を塞ぎ、目を瞑り。
「背けてません!!」
自分の耳を覆うハジメの両手を、ルナが無理矢理引き剥がそうとする。
ハジメも耳を塞ぐ両手を振り解こうとするルナに必死で抵抗したが、四歳という制限がある。とてもじゃないが敵わなかった。
手を解かれて尚、受け入れようとしないハジメに構わず、温厚だったルナが表情をキツくし檄を飛ばした。
「ハジメ君!! 受け止めなければ何も解らないままだよ!! 真実を知って前に進む事を覚えなよ!! 逃げっぱなしの……下向きの人生で良いの!!!!」
さっきと同じルナの言葉。
――下向きの人生でいいの。
ハジメはルナに見下され。直視する事すらままならず、言い返す事もせず、出来る事といえば、視線を足元に向けることくらい。
ハジメは知っている。
(パインちゃんは……初恋の女の子は人を思いやる心を持つ、とても優しい女の子)
ハジメはパインの事がずっと好きだった。好きだったからこそずっと考えてきた。そのせいで、皮肉にもラピィオ列車の犯人であるという真実に辿り着いてしまった。
こうなってしまってはどう足掻いても逃げられない。
チェックメイト。
ハジメは逃げ場を失い、反論するしか逃げ道が無い。
ハジメが立ち上がると、ルナを見上げ、口から出したのは――
「事実を知ったってどうにもなんないよ!!」
こんな弱々しい言葉だった。
「あの子のした事はとんでもない悪事だよ!! でも、真実だけは受け止めないといけないんだよ!! ここまで言ってもハジメ君は逃げるの!!」
ハジメに強い言葉で返したルナの強い意志をみせる。
フレアが、今まで泣いていた目から涙を止め、顔を上げると充血した強い瞳でシャイトに懇願する。
「ねぇ、ヒクッ、ハジメ君、ヒクッ、ちゃんと、聞こうよ、私もちゃんとするから……」
フレアがハジメの為にと、投げかけた言葉だが反応は薄い。
聞く耳はあるのかといった表情でシャイトはハジメとルナの二人を椅子に座らせる。
自分に勝利し涙を止めたフレアと交代するように、自分に敗北したハジメが涙を流しだした。
ハジメに真剣な眼差しを向けるとシャイトが語り始める。
「……パイン・ティアマトが凶行に走ったのは"悪義の教団"の者達が"天命"と呼ぶ"フォーレン・モール"の声――つまり奴らが神と呼ぶ魔女の命令です……ルーシン・シャーロッテはその天命に従い"ラピィオ列車"を襲うようパイン・ティアマトに指示を出したのでしょう」
ハジメが涙を拭きながら体を少し前に倒す。そうでもしなければシャイトの話の内容を聞くのは耐え難かった。
シャイトの話を簡潔に言うなら、母親が娘に対し『人を殺せ』と命令したという事。そんな命令をパインは受け入れたという事になる。
人として一線を越えてしまったおぞましい人間の話をされ、ハジメは分からなくなった。
だから、誰かに訊いた。
「それを聞いて何になるんですか……」
ハジメの言葉にフレアが答える。
「……ヒクッ、前に進むんだよ、ヒクッ、みんな辛い想いをして、ヒクッ、頑張ってるんだから」
シャイトが涙が止まらないフレアを見つめる。
ひとまずフレアの気持ちが落ち着くまで、シャイトが時間を置いた。
フレアが落ち着きを取り戻すまで十五分掛かった。
十五分後、シャイトが神妙な面持ちで話し出す。
「あのラピィオ列車には南世界への救援物資を積んでいました。いわば敵に塩を送ったという事ですね。そこに"ヴァルバンス"は救援物資の見張り役として、罪を犯した"勇者反対同盟"の罪人を乗せたんですよ……刑罰としてね」
ハジメは耳を傾け聞き入っているとシャイトが表情険しく、
「――だからこそ襲われた」
「……な……なんで?」
「北世界から送られる物資を北の者に阻止されれば、南は激高するでしょう。それに北は北で騒乱する。そうなれば最終戦争の最激戦区、中心大陸双子姉妹区での戦いは更に激化の一途を辿る。"悪義の教団"の狙いは恐らく、それ……"戦争の悪化"です」
シャイトは一度目を瞑り、深呼吸をし気持ちをと整えハジメに最も伝えたかった事を伝える。
「北と南の憎悪は半端なものではない。それでも敵に塩を送ったのは南世界で貧困に苦しむ地域に物資を渡し南に恩を売ることにあります、南もそれは理解してるでしょう。ですが、事が貧困である以上、南は北の恩を素直に受け入れざるを得なかった。物資を受け取らねば死んでしまいますからね……しかし、それをよく思わない南の連中もいるんです。そんな連中が"とある計画"を練っていたとの情報が入りました」
「……情報が入った?」
シャイトの言葉に疑問を抱き、首を傾げてしまったのは南の情報とヴァルバンスの情報を仕入れているという発言を聞いたことで、始祖龍武隊という組織は、ハジメが思っていた以上に巨大にして強大な力を誇っていると実感したからであった。
そして続くシャイトの説明。
「とある計画とは、北世界最大の勇者産出の村であるロットンに住む有望な人材を抹殺するという計画です……」
ハジメがずっと平和だと思っていた村に、そんな危機が迫っていたとはまるで知らなかった。しかし、驚くこともなかった。それは実際、"リキッド・フーライヴォ"と"ライム・マシュンマロ"の手によって村人殺人は実行されてしまっているからだ。そんな計画を平然と立て実行できる人間がいる、あっさりと成せてしまう人間がいる事が何より恐ろしくなり体の芯から震えがきた。
シャイトが続ける――。
「――いつ終るとも知れない最終戦争、南世界からしてみれば北世界に有望な人材が一人でもいない方がいい。恐らくは英雄会も『ロットン村を南の人間が襲う』という情報を知っていたのでしょう。だからこそ七華隊にロットン村の殺害を命じたんだと思います。南の人間にロットンの村人が殺されてしまえばヴァルバンス王家の没落計画に大きな遅れが出てしまいます」
シャイトの説明する内容に、ハジメは正直怯えていた。それは情の欠片さえ見出せないでいられることが薄気味悪かったから。
ハジメは震えそうになる左腕を右手で押さえながらシャイトに訊いた。
「ロ、ロットン村の人たちを殺害する事が何故?」
「英雄会が欲しいのは村人の殺害ではありません。ロットンの村人が"勇者連合によって殺されたという事実"です。英雄会も"ヴァルバンス"の存在が邪魔なんでしょう」
「……な、何で邪魔なんですか?」
表情を強張らせたルナがその質問に答えた。
「昔、私達の……ティアマト一族が滅ぼされたのと同じ理由だよ……」
(お、同じ理由って……まさか?)
「――自分達に意見できる存在だから? ……そんな理由で?」
黙ったままルナが頷いたハジメに、いや、普通の人間にとってしてみれば信じがたい話だが、事実ティアマト一族は"そんな理由"で滅ぼされている。
ルナとハジメが押し黙ってしまうとフレアが違う疑問をシャイトにぶつける。
「南がロットンの村を襲おうとしていたんなら、どうして"英雄会"は"ライム・マシュンマロ"に村人殺害の命令を出したの?」
フレアの疑問にルナとハジメの頭の中にも疑問符が浮ぶ。
南が列車を襲いロットンの村を襲撃するという計画があったのなら、それを知っていたのなら、わざわざ労力を削り村人を殺害しなければならなかった理由が三人共々、解らなかった。
だが、答えはシャイトの口から答えは簡単に出た。
「先ほども言いましたが、英雄会の目的はヴァルバンスの崩壊です。"ライム・マシュンマロ"は七華隊。七華隊は英雄会直轄の指令を受けます。……となれば当然七華隊に出された村人殺害命令は"勇者連合"まで届かない"勇者連合"の知らない指令を"勇者連合のリキッド・フーライヴォ"が実行する。それを英雄会が世間に明かす事によって"リキッド・フーライヴォ"が犯したロットン村の大量殺人の罪が"勇者連合"に降りかかるでしょう。そうなれば、その上の座する"ヴァルバンス王家"もタダでは済まない、ロットン村の殺人はヴァルバンス王家没落を狙ったもの、南に襲われてはこの計画は水の泡です。だからこそ"英雄会"は"ライム・マシュンマロ"に村人殺害命令を出さざるを得なかったという訳です」
シャイトが無表情のまま続ける。
「ヴァルバンスがわざわざ南に塩を送るような真似をしたのも、突き詰めて考えれば北世界での信用回復が目的です。成功すればヴァルバンスの信頼は上がるでしょう。南の襲撃が失敗したところで同じ事です」
シャイトの説明にまた疑問符が浮ぶ三人。
ルナが代表し訊く。
「どうして失敗したのに同じ事になんの? 南の人間に物資を奪われれば、物資を送ることを一任されている"勇者連合"や"ヴァルバンス王家"が責任を取らざるを得ない状況になるんじゃないの? そうなれば王家の没落へ繋がる、英雄会からすれば、万々歳じゃん……」
確かに南の人間に物資を奪われれば"ヴァルバンス"は責任を負わねばならないのは事実だが、今の三人は未熟なためか大事な事を見落としている。
シャイトは僅かにため息を漏らしながらも、期待を込めて三人の頭の中に存在しない情報を叩き入れた。
「そうはなりません。今回の物資の運輸は北と南が結んだ条約です。南に襲われ物資の輸送が失敗すれば"ヴァルバンス王家"は責任を取らなければならなくなるでしょうが、王家没落までは難しいでしょう。むしろ、南に襲われたことで南世界に対抗しようと、ヴァルバンス王家を支持する者が出る可能性の方が高くなります……」
キッチリ説明するも今一つ分かっていない三人の為に、少し呆れてシャイトが分かり易く、
「表向きだけでいうなら"ヴァルバンス王家"は"勇者連合"の悪事に対する処置も行なっています。支持する者は未だ大勢いる。それに北と南の確執は痛いほど知っているでしょう。南の者に被害を被られれば"ヴァルバンス王家"に同情し味方になってあげたいと思う人間が沢山いるということです」
シャイトが説明を終えると、フレアが小首を傾げて訊いた。
「……ちょっと引っかかる事があるの? シャイト……いいかな?」
「何ですか?」
「北と南の条約の事、条約なら、その条約を破ってまで――」
会話の途中でフレアが"ある事実"に気が付き呼吸を止める。するとその会話を補助するようにシャイトが話を繋いだ。
「条約を破ってまでロットンを襲おうなどと考える連中は間違いなくフォーレン・モール教の信者です」
フォーレン・モール教。
その名前が出ただけで隠れ家の空気がズッシリと重く圧し掛かり、三人に自然と負の感情が芽生え、胸の鼓動がドクンドクンと異常に高鳴る。
「条約を破ってまでロットンを襲おうなどと考える連中は間違いなく」
「…………」
「条約を破って凶行を行えば、北と南、両方の勢力を敵に回しかねないこの状況で悪義の教団の目的である"戦争悪化のため"と南世界の目的である"ヴァルバンス王家没落のため"、フォーレン・モール教と南世界両方と組み、これら二つを成すのに最も適した連中"に心当たりはありませんか? ……フレア様?」
フレアは天井を見つめ大きく息を吸い、
「最も適した連中?」
オウム返しで訊き返しすフレアに対し、ルナが気を使うように無言で頷く。
「もしかして、シャイトのいう連中ってのは――」
ルナが言葉を途中で止めるとシャイトが口を閉じ黙っていたことで、フレアの脳裏に"その連中"が浮かび上がっていた。
そのことで、隠れ家の空気が更に耐え難い重圧に変わった。
その意味は"その連中"が関わるという事は自分が思っていた以上の深刻さを孕んでいるとハジメに実感させるには十分だった。
恐る恐るフレアが口を開く。
「遥か昔、南世界に向かった古神種八百万族……のこと?」
「恐らくそうでしょう。私はルーシン、パインの二人を裏で利用し操り、暗躍したのは八百万族であり、ラピィオ列車の黒幕だと推測しています。元々南世界の最高権力でもあり、ヴァルバンス王家に対抗する為、≪ヘイムダル王家≫を創り上げ、今では"ヘイムダル王家"を追われ魔族と呼ばれる。古神種八百万族」
大人しく座っていたハジメの椅子をガタッと、大きく揺れた。
それは"ヴァルバンス"に"ルナ"と"フレア"と共に絵本に書かれていた名前であり、新しく出来上がっていた設定でもある。
≪ヘイムダル王家≫
ヘイムダル王家と言う名前が出たせいもあり、ハジメはより一層シャイトとフレア、ルナの話に耳を傾け目をやった。
「≪神と名の付く種≫――古神種八百万族が、ラピィオ列車を襲ったとなればその責任は"勇者連合"ではなく北世界で最高権力を持つ"英雄会"が重大な責任を問われることになるでしょう……」
シャイトの話の内容はまともなモノではなかった。人が人を思いやらないなんて、甘っちょろい精神を遥かに上回っている。まるで虫以下、生き物とすら思わないなんてレベルすら越えている。ハジメは悪魔の所業のように感じこの世界には『本物の悪魔』が存在しているのだと思った。
「そうなってしまえば、英雄会はロットンの村人殺害の罪を"ヴァルバンス王家"に着せるどころの話では無くなります」
平然と話すシャイトの表情から僅かに悲痛の表情を垣間見れた事で、ハジメの心が少しだけ和らいだ。シャイトは人の心までは捨てていないと、そう思ったからだ。それと同じくして鳥肌が立った。なぜなら本来捨てられるものではない、心を平然と古神種八百万族は捨てている。
ハジメの心に刻み込まれる真実。これが夢一杯の絵本世界だ。
「古神種八百万族が村を襲撃する前に"勇者連合"の七華隊のライム・マシュンマロに殺害を命じ"ヴァルバンス"の崩壊を目論んだのは、八百万族が暴挙に出るより前に村人を殺し"ヴァルバンス王家"に罪を着せてしまえということなんでしょう……」
血の気を引かせてハジメがポツリと、
「……死人に口無し」
「そういうことです。英雄会が欲しいのは北と南だけじゃない"この星の全て"が欲しいんです……」
恐ろしく残忍な話で精神が蝕まれそうになるハジメに幸か不幸か、パインに関する話が巻き起った。
「……パイン・ティアマトはそのこと、つまりロットン襲撃の計画を知っていたようです……ハジメ君はそのロットンの村で"神童"と呼ばれていたと聞いていますが?」
あんな話を聞いた後にも関わらず、ハジメの横でルナとフレアがジッと"神童と呼ばれる少年"の行く末を見据えている。
「いかにロットン村が勇者産出の村とはいえ、村に住むのは未熟な者ばかりです。南の騎士に襲われれば一溜まりも無い、パイン・ティアマトがラピィオ列車を襲い南の凶行を止めなければ―――」
ハジメはシャイトの説明を遮り、
「シャイトさん。言いたいことは解りました。パインちゃんがラピィオ列車を襲っていなければ、僕は死んでいたんですね……」
一言、一言、ハジメは心を込めてパインに感謝を伝える気持ちで丁寧に答えるが、シャイトにバッサリと切り捨てられる。
「死んでいた、ではありません。死んでいたかもです。ハジメ君」
即答された否定に、ハジメは溜まらずシャイトに睨みを利かせ言葉を返した。
「どういうことですか?」
「例えパイン・ティアマトがラピィオ列車を襲わなくとも助かる手立てはいくらでも合ったということです。"勇者に反対する北の精鋭たち"がロットン村を守ってくれたでしょう……」
シャイトの言う『北の精鋭たちが守ってくれる』というのも推測でしかない、守ってくれるかどうかなど"そう"なってみなければ分からない、ロットン村の人間達でさえ、フォーレン・モールの呪いによって助け合う精神を失い、自分の事しか考えられない状況だった。
それは"飛空挺事件"で出会った"勇者に反対する勇者反対同盟"の連中を思い起こせばすぐに分かる事である。
無神経。
そう捕らえたハジメがシャイトに噛み付いた。
「何で、何でそんな事が言えるんですか!!!!」
「……ハジメ君。このラピィオ列車事件は北世界の命運が掛かっていました。敵対する組織であろうと、この危機から脱出する為には一時的に協力するのが普通、馬鹿でも解ける問題です……」
シャイトが言い終えた後、ハジメが背を向け距離を取ろうと歩き出す中。聞えてくる追い討ちの言葉。
「ですから決してパイン・ティアマトに同情してはいけません。あの子が悪党である事に変わりは無いんですよ……」
シャイトが言葉を綴るたび、ハジメの顔に怒り。それ以上のモノが宿っていった。
そして、か?
それともついにか?
ハジメの体から淡い緑色の光が放たれていた。
ドンッ! と。
突如鳴り響く音――"魔導回路"完成の証。
魔法修行第二段階を無意識に終了させたハジメから発せられる魔力は皮肉にもパインを守る為ではなく、人を殺す殺気の篭もった禍々しい悲痛の力。
ハジメの魔力が隠れ家全体に漂う。するとルナとフレアの足が震えさせ呼吸を乱し汗を噴出させた。
ハジメの悲しみはそれほどまでに大なものだった。
次に出たシャイトの言葉で――
「……ハジメ君、あなたの元へ勇者憲兵団を名乗る者達が現れませんでしたか?」
ハジメが振り返る。
シャイトのいつもの様に優しい口調が、ハジメの心をより乱していた。
ハジメは一切の感情を表に出さず、淡い緑色の光を纏いながらシャイトを睨みつけ質問に答えた。
「はい、赤髪の男とスキンヘッドの男です」
「それが勇者憲兵団ではなく、南世界の人間である事はご存知だったでしょうか?」
簡単に、余りにもあっさりと出されたシャイトの告白で固まるハジメに向かってシャイトが丁寧に説明していく。
「また単刀直入で申し訳ありませんが、私たちは南世界の人間と繋がっています……」
ハジメの思考が完全に停止する。そして搾り出したかのような声をポツリと漏らした。
「……南」
「南世界の事はどの位、知っていますか?」
シャイトが穏やかに話すから、ハジメの精神が更に大きく揺さぶられ目を血走らせ血が滴るほど両手を強く握ってしまう。
両の手からポタポタと赤い雫が落ちる中、
「北世界と対立する世界だということ位なら知ってます……」
衝撃と驚きを連続させるシャイトの会話がハジメの緑色の魔力に包まれながら更に力を高めていった。
シャイトが僅かに笑う。
ハジメは質問に返答するのが精一杯な状態にさせられる。そして何故か頭に"紅色の剣"が浮ぶ。
ハジメの両脇に居るルナとフレアは何を仕出かすか分からない四歳児におののき椅子から立ち上がり身構えていたが、シャイトは構わず話を続けていく。
「……それだけ知っているなら"今ところは十分"です。勇者憲兵団としてハジメ君の家に出向いた男二人は"ラピオという男"と"ロームと言う男"です」
この言葉でハジメの推測があっさりと覆った。
"プリメラ絵画"を欲していたのは十六勇師団の上層に当たる"勇者連合"だと思っていたが、あの二人が南世界の人間という事は"プリメラ絵画"の秘密を暴かれたくないのは"勇者連合"、突き詰めれば"ヴァルバンス王家"という事になる。
「……我々……始祖龍武隊のもう一つ知龍隊という部隊があります……そしてその別称は世間でこう呼ばれています」
≪聖痕騎士団≫
「ラファエ、ラピオ、ロームの三名も一応……始祖龍武隊の一員と言う事になりますね……」
ハジメの目の色が変わったその瞬間。纏っていた緑色の光が体の中に吸い込まれるように消えていった。
(あの三人が始祖龍武隊の仲間?)
そう思った瞬間、ハジメがキレた。
聖痕騎士団の隊長、シャイトへ跳びかかると共にハジメの口から怒りに満ちた声が浴びせかけられた。
「パインちゃんを殺したのは――」
ハジメの足元に魔力が溜められバシュ!! っと砂の地面を弾くと机を飛び越えシャイトの胸倉にまで大きく跳んだ。
「お前らかぁあああ!!!!!!」
ハジメはシャイトに届くより前に右手で喉元を掴まれ、力任せにグッと上に掲げられた。
首を締め上げられ呼吸が出来なくなったまま、ハジメはシャイトの頭上まで持ち上げられている。
ハジメは視線を下に落としシャイトを力の限りを尽くして睨みつけ、口撃。
「お、お前ら……やっぱり最低だ!!」
今の今まで穏やかな表情を見せていたシャイトの表情がまたも一変する。
「何も知らないガキが……」
シャイトの顔はラファエが見せた"ソレ"さえも上回る。
だが、首を絞められながらもハジメは引かなかった。
「ホ、ホントの、こと、だ……」
僅かに感じる時間だったが、呼吸が出来くなって一分以上が経っている。ハジメの意識が消え行きそうになるには十分すぎる時間が経過していた。
シャイトは掲げた位置からパッと手を離し小さな身体を地面に落すと、ハジメは自分の首を両手で押さえ、顔面蒼白で咳き込んだ。
「げっほ! げほ! げほ! はぁ~はぁ~」
咳き込み苦しむハジメを見つめるシャイトの顔は一変したまま変化が無い。
「いいか、クソガキ、よく聞け、パイン・ティアマトを殺したのは俺達じゃない、勝手に勘違いするな」
いまだ呼吸の整わないハジメがシャイトに怒鳴り、問う。
「じゃ、じゃあ……だ、誰が、パイ、ンちゃんを……こ、殺したって言うんだ。げほっげほ――八百万族って奴らか!!」
「いいや……実際に殺したのは"フォーレン・モール教"の誰かだろうな。パイン・ティアマトの母、ルーシン・シャーロッテは"悪義の教団"に在籍していた」
「……なっ! う、嘘だ!!」
静まり返った隠れ家という名の洞窟の中で響き渡るハジメの声。
四つんばいになったまま、ハジメは真上にあるシャイトの顔を見上げて睨みつけ敵意を露わにする。
冷酷と言って良いほどの表情をするシャイトが、ゆっくりと片膝を地面に付けるとハジメの顔を見ながら語り始めた。
「……ルーシン・シャーロッテが"悪義の教団"にいたことは間違いない。ここで一つルーシンの居場所を教えてやる」
隠れ家の中に緊張が走り、静かになった隠れ家に轟いてくる下水の音。ソレをかき消す小さな声がハジメの口から流れ出る。
「ル、ルーシンさん、の、居場所?」
ハジメは呼吸を整えながら少し安心した。何故なら、ルーシンも殺されてしまっているのではと、ずっと考え不安でいたからである。
パインに次いで、第二の母とまで慕っていたルーシンの安否が生であると確認できた事でハジメの口元が緩む。
「お前が創り出した"フォーレン・モール"の住む"ニヴルヘイム"にいる。あそこには"悪義の教団"の本拠地があるからな」
急に穏やかにになるシャイトの口調は冷徹な表情と釣り合っていない。
「……じゃあ!! 僕がフォーレン・モールを創ったから、こんな事になったのも、全ての元凶は僕だって、そう言いたいのかよ!!」
「いいや、お前を元凶などとは思っていない。"悪義の教団"が生まれたのは時代の流れ、元凶と言うなら全世界の人間に罪がある……」
シャイトの見事なまでの大人の正論が、ハジメには綺麗事に聞える。その理由を挙げるなら正論は身を守る盾、そして相手を追い殺す武器になり得るという事実をハジメはよく知っていた。
だからハジメの頭に一層、血が昇り冷静でいられなくなる。
「嘘付くな!! お前の目が僕を元凶だと言ってる!! 僕のせいだってハッキリ言えよ!!」
シャイトはルナとフレアを一旦、見ると二人は顔を見合わせ構えを解き、ハジメの元へと歩いていく。
二人がハジメの元へと、辿り着く僅かな時間を使って更にシャイトが語る。
「もし元凶がいるとするなら、ラピィオ列車の黒幕と推測した"八百万族"でも、"ヴァルバンス王家"でも無い。この"二つ"も利用されているに過ぎない。そいつ等は全世界を牛耳っているとまで噂され、その実態も活動内容もよく分かっていない、大勇者"ヴァン"の仲間達で結成された。"英雄会"だ」
「……勇者の仲間が?」
釈然としない。そんな顔をするハジメの横でシャイトが落ち着いた表情。
呼吸の整わないまま、四つんばいだったハジメが一度地面に体を落とした後、ブルブルと震える腕で体を起こし憮然とした態度であぐらを掻いた。
悪態をつくようなハジメとは対象的にシャイトは、先ほどまでの冷徹な顔を忘れたように微笑み、言った。
「ハジメ君は純粋ですね。でも、純粋さが命取りになります。勇者の仲間だったからと言って正義とは限らない、まして今の英雄会は結成から百年以上の年月を経て"フォーレン・モール"と戦った"希望の戦士"は英雄会に一人も残っていない。皆とうの昔に死んでいるんです……」
ハジメの心に刻まれた前世からの想いが溢れ出た。勇者は強くてカッコいい、誰にも負けず皆に勇気と希望を与えてくれる正義の味方。
ハジメが憧れた勇者の幻想が崩れ落ちた瞬間だったのと同時に、幻想は幻想でしかないという現実を確立した瞬間でもあった。
もしかすると、ハジメがずっとしがみ付いてきた幻想を破壊する事がシャイトの目的だったのかもしれない、と勝手に思った。
シャイトを見つめハジメが心の内を明かした。
「シャイトさん。何だか、正しい事と悪い事の区別がつきません」
ハジメの言葉を聞くとシャイトは笑って言葉を返した。
「――みんなそうですよ。ハジメ君」
段々と落ち着きを取り戻し、地面に座り込むハジメの横にシャイトが座り込む。
その間、ルナとフレアがハジメ達の元へと辿り着く。
ハジメを見つめ心配そうなフレアと、シャイトを見つめ、何やら話を催促するように見つめるルナ。
ハジメがほんの少し"正しい事について"考えたが、すぐ止めた。気力が無い。
ルナとフレアがその場に座ると、
「ラピィオ列車の真相、ラファエたちの事、パインちゃんは誰に殺されたのか、ルーシンさんは何処へ行ったのか、ロットン村の村人殺害事件の真相は大まかに分かりました。でも、納得のいかない事があります」
ハジメは奥歯を噛締め沈鬱な表情で考え込む、精神が乱れ頭が真っ白でなかなか言葉に出来ない。
ようやく。
というには短すぎる時間だが、それでもぼんやりとしか浮ばなかった納得いかない事が言葉として構築された。
それは、『パインがどうやって人を殺したのか』ということである。
『僕はパインちゃんが魔法を使ったところを見た事がない、戦う術を持っていないことも知っている。でなければ『今度は私達が殺される』と泣き付いたりはしない。もし、アレが演技だとしても"勇者連合"を潰そうとまで画策した"勇者反対同盟"の者達、二二二名もの人数を相手に出来るだろうか?』
ハジメがそう推理した後、シャイトに訊いた。
「パインちゃんに人が殺せたんでしょうか?」
「――どういう意味ですか? ハジメ君」
ハジメの質問にシャイトが質問で返すが、その表情は何かを悟っているようで、不快に感じた。
「どうしました? ハジメ君……」
「い、いえ……」
決定的に抜けている"勇者反対同盟"の事実に気付くことの出来ていないハジメが、今度は神妙な面持ちでシャイトを見つめる。
すると。今までの冷い態度が"この為"のフリであるかの如く、ルナが明るい表情に早代わり、勢いよく手を上げると大きな声で、
「はい!!」
と、返事をして立ち上がる。
「パインちゃんに訊いてみよ!! ハジメちゃん!!」
ハジメからルナへの言葉は無く、神妙な面持ちから怪訝な面持ちへと変化するのみだった。
パインは死んでしまっているのに、話しようが無いのは世界中の誰もが知っている常識だ。
先ほどハジメが言ったことだ『死人に口無し』だと。
そんな事も知らないのか、それともふざけているのかとハジメが思うと憤慨の表情にまた変わる。
だとしたら、ルナのしている事は悪ふざけを通り越した死者への冒涜、例えパインが人殺しであったとしても冒涜していることに変わりは無い、死んでしまった人間に発言する事は出来ない。誰かが代返でもしない限り。
(ん!?)
ハジメがフッと気付くのはルナと出会ってすぐの出来事『ロットン村の人に聞いた』とそう言って全てを言い当てた。
(ルナさんは死人と話が出来る?)
「訊けるんですか? ルナさん」
「もちろん……」
そして、ルナの口から語られる"六つ目"の知っておかなければならない事。
「パインちゃんが"あの世界"に逝っちゃう前にちゃんと話しとこ!」
「あの世界?」
フォーレン・モールの話のときにも出てきた"あの世界"、そこはハジメが"前世"、もしくは"現世"と認識していた世界である。
ルナが語る"あの世界"とは、ハジメには想像だに出来なかった世界であり、生きている者なら誰しもが恐れる世界でもある。
「――"あの世界"っていうのはね! "あの世"のこと……つまり、死後の世界だよぉ!」
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