第二十一話
廻り出す物語。
帝都ヴァルバンス二十一区は、旧名を≪アルテミス≫と呼ぶ。
ティアマトの一族によって治められ栄華を極めた時代。
当時ティアマト国の首都であったアルテミスは現在の帝都ヴァルバンスの様に二十一に区分けをされていなかった。故にティアマト国家最大都市と呼ばれていた。
アルテミスの東にはティアマト一族が住んでいた"ロザリア城"が聳えていたのだがフォーレン・モールの誕生により衰退の一途を辿り、ヴァン・ヴァルバンスが悪い魔女を倒した後、アルテミスは帝都ヴァルバンスと名を変えると共に二十一の区に分けられ、今に至っている。
帝都ヴァルバンスはアルテミスの象徴であった"ロザリア城"を取り壊すと、その場所に新しい城を建てた。
巨大城――≪パクチーク城≫
この巨大城の名の由来は、この絵本世界で幸運を意味する"パクチーク"と呼ばれる白い花の名前からとられたと言われているが、全く別の説を唱えるものがいた。
エルマ病発祥の原因となった歴史上最も謎多き人物であり、悪魔さえも魅了したとされる妖艶魔女。
――≪パクチーク・エルマ≫
現在"パクチーク城"は"帝都ヴァルバンス"にしっかりと聳え立っているというのに、誰一人その建設方法もいつ建設されたのかさえも一切――判っていない。
* * * * * * *
帝都ヴァルバンスに宿泊した際。必ず見えるはずの巨大城。
正式名称――パクチーク城。
東京都がまるごと入ってしまう程、巨大な城を見たこと自体を忘れいたというのならまだ分かる。飛空挺事件の直後、気が動転していたのだから。
だが、見た覚えがないとなれば話は別だ。
飛空挺事件が起き、ヴァルバンス地区に到着してから帰るまでの間、ずっと巨大城の存在を忘れ続けていたということになる。
そんな事がありえるのだろうか? と、パクチーク城について考えれば考えるほどハジメは恐怖で顔を引き攣らせる。
顔を引き攣らせながらシャイトに連れられ隠れ家へと戻ってきたが、隠れ家の中へ入ってもハジメは力ない、どうしていいか分からずに目を泳がせ挙動がおかしく、まるで不審者のようだった。
≪パクチーク城≫について話を振ってきたシャイトも、話をしてから何も訊いて来ない。何となく質問攻めに合うと思っていたハジメにとっては楽でいいのだが、何も訊かれなかったら、訊かれなかったで気になって仕方がなかった。
『今はまだ話すべき事ではないが、一応訊いてみた』という事なんだろう。
と、ハジメが勝手に結論付ける。
パクチーク城の事で悩むのを止めたのは、考えたところで意味が無い、答えが出ようハズもないと、ハジメがそう思ったからだ。
そうなると、どうでも良いことが頭に浮ぶ。
(……ボロい椅子だなぁ~)
本当にどうでもいいことが頭に浮んだおかげで、緊張と恐怖の糸が切れハジメの顔に笑みが作られた。
ハジメは中央に置いてある大きな長テーブル。その右側の椅子のド真ん中に座り込むと、パクチーク城の気味の悪い現象とフレアに対する愚行が合い間って、薄気味悪い罪悪感に苛まれた。
天井を見上げることもしなければ、いつものようにうな垂れる事もせず、特に意味もなく真正面を向いていたハジメが五センチほど頭を下げた。目線を下に落とすと不安に反応したのだろう。激しく貧乏ゆすりをしている自分に気付いた。
ツカツカと足音を立てながらウロウロしているルナがハジメの座っている右側の椅子の後ろで立ち止まり、隠れ家の入口付近に座っているフレアへ振り向き一瞥する。
ハジメの後ろに立つルナの大きな声がフレアに向かう。
「フレア! こっちに来なよ!!」
ルナなりの気遣い。このままハジメとフレアがギクシャクした状態が続くのは耐えられないのだ。
手を振りながらハジメの元へ招くとフレアは平然とした表情で立ち上がる。そして先ほど自分の身に起きた愚行は、何も無かったかのように落ち着いた様子で歩いてくる。
ハジメが少し不安になる。フレアが自分に襲われた事を気にしていないはずが無い。
だが、先ほどの愚行を気にする様子は一切見せず凛とした態度で、フレアがハジメに接していた。
だから、このままやり過ごせるとハジメは思っていた。
中央テーブルの左通路側の椅子には、フレアに次いでやって来たシャイトがドシッと座る。
ハジメの右隣の席にルナが移動し座ると、左隣の席でフレアが止まる。
シャイトの対面にハジメ、右側には笑顔のルナ。左側の椅子の横に立つフレアは感慨深げな顔をして肩を狭めてると翼を体に巻きつけ、フレアが椅子に座った。
完全にフレアを襲った事件が無かったことになっている。それでも、帳消しには出来ない自分の馬鹿な行動にハジメの気持ちが晴れる事は当然無い。むしろ、晴れてしまってはいけないことだ。
それはハジメも分かってはいるのだが、シーンと静まり返り何も起きないこの空間に安堵の表情を浮べていた。
先ほど言ったようにハジメはこのまま何事も無かったこととして、やり過ごせると思い、期待していたからだった。
が、その時。
「ハジメ君……」
フレアから漏れ聞こえる小さな声がハジメの心音を大きくする。
突然だった。ハジメは自分の名前を呼ばれ思わずフレアの座る左側を向くが、すぐさま目を背けてルナの方へと視線を外し黙った。
「さ、さっきの事なんだけど……」
フレアはハジメの視線の反対側にいる。それでもハッキリ姿が見えていた。いくら視線を外そうとも、意識だけは外せない。
フレアの姿がハッキリ映ってたように思うのはハジメの勘違いなのだが、罪悪感が純白の翼を持つ少女が自分に怯える表情が脳裏に浮ぶ。
怯えた表情と不安を掻き立てる震えた声に、ハジメの体が硬直し、ロープでがんじがらめにされたかのように身動きを取ることさえままならない。
次第にハジメの意識が遠のきそうになる。
脳みそがグルグル回る感覚に襲われながらも何とか保った意識が、ハジメの本心と共鳴――『終った』と警鐘を鳴らしていた。
そもそもフレアを襲うなどという愚行にでたのは、シャイトに聞かされた"エルマ病"という奇病のせいらしいが、そんな言い訳が襲われた被害者には関係ない。
(絶対に怒っている……絶対に軽蔑されている……)
ハジメがそう思い込み涙を浮かべて、ゆっくり声の方へ振り向くと、涙目になったフレアの顔。
不安一杯の声で、
「……さ、さ、さっきの事って?」
フレアも涙目になりながらハジメに訊いた。
「シャイトに訊かなかった? 私がエルマ病だって……」
「え、えっと……あの~ぅ」
ハジメの背筋に悪寒が走ると噴出しそうだった汗が完全に引いていた。
それは、フレアを襲ってしまった愚行をいきなり責めないこと。
(許して貰えないことなのに……許してくれようとしているのではないか?)
やり過ごせれば"無かった事だ"と処理できるが、許されれば背負うべき罪の重さを意識し、その重圧に負けてしまう。
卑怯者が考えるようなハジメの思考が瞳孔を開かせ、天井から吊り下げられた電球がやたら眩しく感じさせる。
目を細めて何かを言いた気なフレアの顔を見て、ハジメの顔が強張った。
ハジメはシャイトに助けを求めようと右側をチラッと一瞥するが、ルナと談笑させられていた。
ルナは身振り手振りをしながら大声で話をしていたのだが、動転具合はよほどだったのだろう。ハジメは隣に居る二人の談笑に気が付かなかった。
椅子に座りながら身体を縮こめ萎縮するハジメにフレアが真剣な表情で問う。
「ねぇ、シャイトに何て言われたの? ハジメ君?」
本来のハジメなら素直に訊いたと答えている。抱え込む問題を吐き出してしまえば、自身に圧し掛かる罪はいくらか軽減させる事が出来るからだ。
だが、この時今にも涙が零れ落ちそうなフレアの目を凝視しながら、ハジメはシャイトの言葉を思い出し"卑怯者のハジメらしからぬ事"を考えていた。
『フレア様には強烈なトラウマをお持ちです。だからこそ向き合えない、自分は"エルマ病"だと認められないんです。"エルマ病"であると認めることは"自分のトラウマと浮きあうと言う事、自分の傷に自分で塩を塗るようなもの"』
涙ぐむフレアの瞳を見れた事で向き合うべきところに焦点が定まると、ハジメの意識がほんの少しだけ変わり真剣な表情になった。
(どんな理由があろうとフレアさんにした事の罪はしっかり背負わなくちゃいけない……)
ハジメがほんの少し成長する。それは昔を通り越した"前世の一"から比較し大きく成長している事を意味しているのだが、その実感はまだなかった。
頭の中でハジメが考えるのは、フレアの心に図々しく住み着いているトラウマに触れる事無く、どうやって最も適した答えを出すか……それだけだった。
フレアの言葉から数秒経っているのだが。ハジメは答えられないでいた。怖かったからだ。
ハジメはパインの時に最も適した回答をしようとして一度失敗している、しかし、いつまでも答えないわけにもいかない。
短い時間で必死に出したハジメの答えは、
「……エルマ病なんて知らないよ、シャイトさんにきちんとフレアさんに謝るようにって言われただけ」
そういい終えた直後、ハジメは椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。
「フレアさん。ごめんなさい、とても……とても酷い事をしました」
許して貰えると期待せず、誠心誠意を持って謝罪する。それがハジメの出した答えだった。
これを聞いたフレアは頭を下げるハジメに身体を座視したままだが、身体を向けて微笑み、
「別にいいよ……何も聞いてないって言ってくれたし……」
言葉を口から出している間だけフレアは笑顔になっていた。
言葉が終ると、先ほどと同じ辛苦の表情を作り、机の上に両腕を枕代わりに置き、そこに顔を埋めてしまった。
顔を埋めてしまった理由は、エルマ病の原因を作ったトラウマにフレア自身が触れてしまったことと、ハジメを感染させ自分襲われてしまった罪悪と恐怖、誠意の篭もった謝罪という癒しが三つ重なったから。
ハジメのしたことは、パインの時と比べれば誠意あるものであったが、結果フレアを苦しめただけだった。
沈痛な面持ちでハジメが静かに思う。
(言ってくれた……か……)
シャイトからハジメに"エルマ病"という奇病に関する話をされたこと、フレアには知っていた。『謝罪しろ』と言ったのなら隠れ家の外へ出る必要はない、聞かれたくないことがあるから離れた場所に出向いた。
そんなことに気付けないフレアではないし、またそこに気づくことができないほどハジメは鈍感ではない。
だからこそハジメはフレアに心の底から感謝し尊敬の念を抱いた。
机の上で顔を埋めるフレアに軽い会釈をする。
自然と視線をシャイトと談笑するルナに向けた後。ハジメはゆっくりと自分の座っていた椅子に腰を下ろした。
ハジメとフレアの会話が終わるとシャイトがルナとの談笑を切り上げる。
シャイトが微笑みながら顔を埋めるフレアへ顔を向けた。
「フレア様……お顔を上げてください、何も責められることなどしていないのですから……」
フレアにはシャイトの言葉を聞えているはず。二人の間にあるテーブルが距離を作っていても声が届かぬほどではない。
フレアがそれでも顔を上げることがないのは、ただ単純に言葉が足らないからだ。
そのことを、加えてフレアをよく分かっているルナがここぞとばかりに立ち上がる。そして泣き崩れている親友の元へ足を運ぶと右肩にポンと手を乗せ、
「ファイトだよぉ~フレア!!」
気の抜けてしまいそうな間抜けた応援であったが、ルナの想いはフレアに届いていた。
フレアに必要だったのは、同情や謝罪の言葉ではなく、深く傷ついて誰も理解してくれない自分の苦しみを、理解しようとしてくれる人だった。
フレアの耳元にまで顔を寄せたルナの声は静かだった。それに『ファイト』という言葉には『辛いよね、苦しいんだね』という意味が含まれている。
ルナの言葉を聞いて、フレアが顔をソッと上げた。
「シャイト……ルナ……ハジメ君……どうもありがとう……」
腕の中で埋もれていた顔はいつもの大人びた表情ではなく、どこにでも居るようなただの女の子だった。
本来そうでなくてはいけない。ルナもフレアもどこにでもいる女の子でなくてはならないと、二人の睦まじい関係を見ながらハジメは思っていた。
過酷な人生を歩んできた二人、ルナもフレアもあっという間にいつもの顔へ。 その場の雰囲気を元に戻していた。
三人の様子を第三者として観察するように見つめていたシャイトが突如。両手でパンッと手を鳴らす。するとハジメが動揺、フレアも驚き、ルナに至っては驚きのあまりひっくり返っていた。
「な、何ですか急に……」
「お、驚かさないでよ……シャイト」
「こ、こ、腰が抜けたぁ!!」
三人の顔を見渡したシャイトが笑顔で話を切り替え語りだす。
「それでは、ハジメ君のこれからについて話をしましょう……」
唖然とするハジメ、ルナもフレアも聞く耳持たず三人がただこう思う。
(((――これから?)))
ハジメは内心、安心していた、この無法地下街から出して貰えると期待した。そのためか気が緩み、顔の筋肉も緩んだ。だがしかし、シャイトから意外な言葉が返ってきた。
「ハジメ君には始祖龍武隊に入隊していただきます」
ルナがシャイトを見つめた。そしてフレアの右腕の裾を掴んで立ち上がる。
フレアもまた、シャイトの勝手とも取れる言葉に声を張る。
「そんな話し訊いてないよ!! シャイト!! ハジメ君を連れてきたのはフォーレン・モールについての話を訊くだけだったんじゃないの!!!!」
「フレア様。場合によって事の成り行きは変わっていきます。ハジメ君は帰すべきではありません……」
フレアの目には"抵抗の意思"が宿っていた。しかし、立ち上がって上げてすぐのルナの目に動揺の色は無くハジメの入隊を了承している。
ルナが立ち上がったのはフレアと違い『ハジメの始祖龍武隊入隊に賛成した』からだった。
だが、フレアはルナの意向を全く知らなかった。今まさに心を通わせた二人の間にほんの僅かな歪みが生じた。
頭に血を昇らせたフレアがキョトンとするルナに問う。
「ルナ! ルナだってハジメ君はちゃんと両親の元に帰すって言ってたじゃない!!!!」
「う……うん」
威勢よく反対の意を示すフレアに対し、歯切れが悪く小さく頷いただけでルナは自分の意見を言わなかった。
フレアがハジメに振り向くと、
「ハジメ君だって……両親の元に帰りたいでしょ!!」
フレアの問いに黙るハジメ。
「何とか言ってよ!! ハジメ君!!」
もちろんハジメに言いたい事は山の様にある。勝手に連れてこられて《フォーレン・モールを生んだ原因》と言わた。挙句の果てには始祖龍武隊に入れとくれば、もはやシャイトの勝手は度を超しており、不条理なイジメを受けている気分に陥っていた。
ハジメの一番の願いは当然の事ながら。『帰りたい』なのだが、言ったところで簡単に……いや、絶対に帰してくれない。
話の流れに身を任せ地蔵のように動かないハジメを、両親の元へ返そうと懸命になっているフレアの意思を切り捨てるように、諦めを含めた言葉を口にする。
「シャイトさん……僕はこれからどうしたらいいんですか?」
身を乗り出しシャイトに反論していたフレアが、ハッ! という驚きの表情をすると一瞬固まる。
「えっ!?」
それが解けるとハジメに顔を向け。
「ハジメ君!! 何言ってるの!? お父さんとお母さんの所に帰りたくないの!!!!」
自国から追放されるという人一倍の理不尽を知るフレアだからこその言葉だった。だがそれは横にいるルナとて同じ事、シャイトは平静を保ち落ち着いている。
真剣な眼差しをフレアに向け、ハジメは静かに。
「帰りたいです。でも、それが叶わないのはフレアさんになら分かるでしょ?」
この言葉を聞くとフレアは声を発さなかった。
ハジメに辛苦の道を歩かせようとするシャイトの意図を知り、フレアの無意識から顕在意識へ昇り露わとなっていく"抵抗の意志"。それを黙ったまま苦悶の表情を浮べたまま心の中へと必死に圧し止め、椅子に座った。
抵抗する意思――すなわち『ハジメを両親の元へ返してあげたい』という感情は間違いなく本心から出た言葉だった。それを完全却下する行為はハジメがフレアを全否定した事と同義である。
苦悶の表情が悲痛の表情に変わるとフレアが半べそを掻く。声こそ出さなかったが、涙をボロボロ零し号泣してしまう。
こんなこと『ここ』では当たり前にある。そうハジメに思わせたのはルナとシャイトのフレアに対する態度であった。
ルナもシャイトもジッとしたまま泣きじゃくるフレアに寄り添うことも励ましの言葉も掛けることもない。二の次だった。
友達として苦しんでいるのならルナはすかさずフレアに声をかけただろう。
しかし、戦う立場にある人間として同じ立場にいる戦友に同情は無用。先ほどのルナがフレアを励ました態度と今の態度の差異をこうも冷静に分析しているあたり、ハジメの心も冷め始めているのかもしれない。
証拠にハジメがフレアを見つめても心配してる素振りは余り見せなかった。
その間、ルナが一呼吸置くと人が変わったように。
「シャイト。話の続き……」
「ハジメ君。君が知らなければならないのは、まず……」
――ラピィオ列車の真相。
――ラファエたちは何者なのか?
――ロットン村の村人殺害事件の真相。
――パインを殺したのは誰か。
――ルーシンの居場所。
――そして最後にハジメが前世と呼んでいた"あの世界"について。
シャイトのいう知っておかなければならない六つを訊くと、ハジメに動揺の色が現れる。
表情を曇らせる事も無く、精神を揺らす事さえないシャイトに、明るく元気な印象しかなかったルナの冷徹に見える態度がハジメの精神に寒気を誘う中。フレアの声無き悲鳴が空気を乱していた。
ご愛読ありがとうございました。




