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第二十話

エルマ病

 ハジメはいまだ、無法地下街(マンホールシティ)にいる。

 優柔不断でハッキリしないハジメのオドオドとした言動に、納得いかない様子のルナがぶち切れて暴れまわる。


「そんな態度でどうすんの!!!!」

「……ご、ごめんなさい」


 そんなルナにハジメは、さながら失態を犯し上司に怒られる平社員のようにペコペコと頭を下げ、状況を打開するため悪戦苦闘していた。

 ハジメはルナの剣幕に怯え、『ごめんなさい、すみません』と謝罪する。

 それがまた、ルナの逆鱗に触れてしまう。


「何で謝んの!! いいの!! 謝んなくて!!」


 ルナの言っている事はもっともな言い分であった。

 だがしかし、怯えて萎縮してしまった人間"にもっともな話は通用しないのが世の常と言うものである。

 だから、ハジメがまた謝る。


「ごめんなさい……」


 ルナは不条理な世界で過酷で理不尽な目に合いながら、懸命に前を向き生きてきた。だから生きる事の厳しさを知っている。だからこそハジメの間抜けな態度が許せない。


「世の中そんなに甘くないよ!! ハジメちゃん!!!!」


 ごめんなさいしか言わないハジメへ次々と飛び出すルナからの叱咤激励。 


「何で謝んだよぉ!! 謝ったって何にもならないよ!! 下ばっかり見てたら人生で苦労しちゃうよ!!!!」


 ハジメは教師に説教でもされているような気分に陥っていた。大嫌いだった教師の顔が頭に浮び、心が激しく乱れる。

 それは教師と言うものは聖職を利用した偽善者であり、上から見下し生徒を苛める事に優越感を求める小悪党――というハジメの偏見がそうさせる。

 ハジメの脳裏を過ぎったのは偽聖職者たちの悪義だった。前世で受けた教師達からの理不尽。『苛められているなら助けてやるから先生に言え』とそう言っておきながら教師たちは助けてくれなかった。

 ハジメも教師を見習い皮肉を込めて、振り切った怒りを理不尽にルナに向ける。


「うるさいな!!!! 大きなお世話だよ!!!!」


 ルナの言葉はハジメを想えばこそなのだが、その気持ちはバッサリ斬られる。

 ハジメの怒鳴り声でルナがビクッと体を震わせる。

 だが、ルナは足を一歩前に踏み出し、ハジメに向かって果敢に責めた。


「大きなお世話じゃないよ!! 小さな親切なの!!」

「自分で言うな!!!!」


 自分の想いを無碍にされた事で、ルナの怒りも頂点に達していた。全身を怒りで震わせ顔が真っ赤になると、右足で地面をドンと突き威嚇。

 一瞬だったがハジメがルナの威嚇に怯え身体を少し右足を一歩後ろに下げるが、これ以上引くにも引けず。

 そして続く二人の口論。


「自分で言うなって言うんなら!! 一体誰が言って上げればいいの!!」

「黙ってたらいいじゃないか!!」

「それじゃあ!! ハジメちゃんは一生下を向いて生きてくの!! そんな人生でいいの!?」

「いいよ!! そんな人生で!!」


 ハジメが自暴自棄になった事で気持ちが僅かに()され左足も一歩後ろへ引いてしまう。

 すると、ハジメの元へルナが一歩踏み込み。


「いいわけないよ!! そんな人生!! つまらないよ!!」

「ルナさんには関係ない!!」


 二人の水掛け論の様な口論の間にフレアがルナに顔を向けるととっても冷静に口を開いた。


「ルナ、ちょっと……口チャック!」


 ルナがグッと怒りを腹の底に(とど)め、ハジメに背を向ける。

 理不尽という暴力を振るっていた教師とルナを重ねてしまっていたハジメは、自分が悪いと分かっているが、我慢できなかった。

 別の言い方をするなら、理不尽な教師と重ねたルナに何もかもをぶつけ、身体の中で渦巻く、殺意に近いあの担任教師への不浄を十歳の女の子を使って、自分の鬱憤を晴らしたかったのだ。

 そんなことを知ってか知らずか、ルナはハジメに背を向けたまま。自分の怒りを消化しようとしている。

 鬱積を晴らしたい。それだけの為にハジメはルナに追い討ち討ちをかけようとした時。

 フレアから優しい口調で言葉がハジメへ贈られた。


「ハジメ君……大丈夫だから……落ち着いて……」


 笑顔で口を開いたフレアを見つめると、ハジメはまた"アレ"に襲われる。

 最初にフレアと出会ったときと同じ感情、初恋のパインを忘れて一目惚れしてしまった雷にでも打たれたかのような衝撃。

 その衝撃がハジメの心の芯の部分まで行き渡ると、欲望の制御が利かなくなった。


「うわぁあああ!!」


 辺りの、ルナの目を気にする素振りも見せず、ハジメはいきなりフレアに飛んで抱きついていた。


「キャッ!!!! ちょっとハジメ君止めて!!」


 ハジメの尋常ならざる行動に驚いたルナが怒りを一旦中断し、急いで駆け出し止めに入る。フレアの上半身に抱きついたのは、もはや"四歳の子供"ではなく"ハイエナを襲う獣"の様だった。

 フレアの白い翼に"ケダモノの如く"ガッチリと掴まり離れようとしないハジメを慌てたルナが、力いっぱい引っ張るが理性のタガが外れてしまっている。


「ハジメちゃん!! 何やってんの!!!!」


 フレアの体に引っ付き離れようとしないケダモノと化した四歳児を引きずり下ろそうと、ルナが精一杯の力を込めたが、力の制御さえままない様子の小さな体はビクともしない。ハジメもまた、何故自分がこんな行為に及んでしまっているのか理解できていなかった。

 と言うより、そんな事を考えられる状態ですらない。

 そこへ現れる一人の男。


「何をしているんですか!!」


 ルナとフレア、そして白い翼に抱きつくハジメのいる洞窟に入って来たのは、男か女か分からないようなビジュアル系の騎士。

 ケダモノと化したハジメをフレアの白い翼から引き剥がそうとするルナは、涙ぐみながらその男の名前を呼んだ。


「シャイト!! 助けて!!」

 

 ――【シャイト・グローリー】

 

 始祖龍武隊(ドラゴンナイツ)の二大騎士の一人である。

 二大騎士とは始祖龍武隊(ドラゴンナイツ)に存在する"知龍隊(エンシェンド)"と"飛龍隊(ワイバーン)"の隊長(マスター)の事。

 シャイト・グローリーは始祖龍武隊(ドラゴンナイツ)の指揮官も兼任しており、同時に知龍隊(エンシェンド)隊長(マスター)の座に着いている。

 

 シャイトは帝都十二騎士(ヴァルバンスナイト)の様な重厚感のある甲冑は着けておらず、ウロボロスのシンボルマークを背中に記した黒いマントを羽織い、剣を一本左手に携えているだけだった。女子受けしそうなビジュアル系の顔立ち、背も高く一八〇位はあるだろう。

 シャイトがフレアとハジメの元へ、そしてルナに。


「ルナ様……少しお退きください」


 安心しきったルナの様子からシャイトという男はかなりの信頼を得ているのだろう。

 ケダモノ四歳児に襲われ危機的状況にあるフレアから、ルナはすっと身を引き後ろに下がる。

 すかさずハジメに近づいたシャイトがケダモノの首根っこを掴むと、右手で軽々と持ち上げた。

 フレアから遠ざけられたハジメは我を忘れて、両手両足をブンブンと振るい暴れて絶叫する。


「は、離せぇえええ!!!!」


 その異常とも取れるハジメの様子を見たルナが、その場から更に大きく距離を取る。

 シャイトがフレアを一瞥すると、穏やかな表情で少しキツめに注意を促した。


「フレア様……あなたが"エルマ病"の"感染拡散者"である事をお忘れですか?」


 ハジメの凶行から逃れることが出来たフレアが、シャイトからの注意を拒むかのように、らしくもなく――


「シャイト!! 何度言えば分かるの!! 私は"エルマ病"じゃないの!! その話は止めてよ!! 命令!!!!」


 フレアの怒鳴り声。

 シャイトがフレアの言葉を聞くと、ハジメを掴んだまま深々と一礼。


「……失礼致しました」


 シャイトが深々と頭を下げた。そのまま捕んだ右手で目を据わらせ暴れるハジメを誰にも気づかれない様、ギュッと締め付け黙らせた。

 シャイトが気を失ったハジメをスッと右手から放し腰の辺りで器用に右腕で挟むと、そのままフレアの前で(ひざまず)いた。


「この子は少しフレア様から離しておきましょう……」


 跪いた状態でシャイトの口から出されたのはハジメの今後の処遇についてだった。提示された内容にフレアは、


「どうしてそんな事をする必要があるの!! ハジメ君が私のせいで"パクチーク感染し"たって言うの? シャイト!!」


 シャイトを問い詰めるようなフレア。それはエルマ病を自覚出来ない――正しくは自覚することが出来ないからこその怒りだった。

 ハジメを抱えたまま、シャイトは心乱すこともなければ、体勢を崩すことさえなかった。


「滅相もございません……ただこの少年がフレア様に危害を加えようとした事実があります」


 表情一つ変えずフレアに対応するシャイトの所作は騎士道に則っての事だろう。礼節を弁えるその姿はとても勇ましく見える。


「そう、だけど……」


 躊躇いながら言葉を発するフレアの声を聞き、シャイトが頭を上げるとニコッと笑い、優しい口調で話を続けた。


「しばらくの間。私がこの子の管理をするだけですので、フレア様、どうかご安心を……」


 ハジメから大きく離れていた筈のルナがフレアの元へと歩き出す。それは気持ちを落ち着かせようと思ったからだった。

 ファサファサと翼を揺らす背後ろから、ルナがポンっとフレアの肩に手を乗せた。


「シャイトに任せとけば大丈夫!! フレアは色々考えすぎだよ!!」


 シャイトは二人のやり取りをつぶさに観察すると、"大丈夫"と判断した。

 シャイトが立ち上がると、もう一度フレアとルナに頭を下げる。そしてハジメを連れて"隠れ家"の外に出ていった。

 下水道は石で出来た通路が両脇にある。その通路の中央には茶色く濁った下水が流れザーっと轟音が響き渡っている。

 グッタリと完全に気を失っているハジメを抱えながら、シャイトが静かに歩いていた。


「この辺でいいか……」


 シャイトが隠れ家から少し離れた下水道の曲がり角に辿り着くと、ハジメを石壁にもたれ掛けさせ頬を軽く叩いた。


「ハジメ君……起きてもらえませんか?」


 シャイトの妙に優しい言動で意識を取り戻したハジメは朦朧としていた。そのため何があったか、何を仕出かしていたのか。混乱し解っていなかった。

 下水のザーッという音に混じって聴こえる天井からポタッポタという雫の音がハジメとシャイトの耳に入る。そして無法地下街(マンホールシティ)の生臭い匂いが鼻を刺激し、湿気った空気が肌に触れ、汗のかいた肌を余計にべたつかせる。

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚を刺激されたことで、徐々にハジメの記憶が蘇ってきていた。

 全てを思い出すまではものの十秒。ハジメが"フレアにしてしまった"醜態が頭の中を駆け巡った。


 ――フレアを襲ったこと。

 ――優しくされたから何てそんな生温い理由じゃないこと。

 ――理由は自分の中にある黒い欲望であったこと。


(……な、なんて事を)


 ハジメは自分の仕出かしてしまった悪事を一気に思い出し、怯えて両腕を使い自分の体を自分で抱いて守った。身を守ったのは何も目の前にいるシャイトに危害を加えられると思ったからだけではない。自分の中にいる"ケダモノ"がとても恐ろしかったからだ。


「……はぁ。た、助、けて……」


 いとも容易く己が性欲に敗北し真っ黒に染まってしまう自分への"恐怖"と"後悔"と"懺悔の気持ち"と無法地下街(マンホールシティ)の生臭い匂いが交じり合ってハジメが吐き気を催した。

 いっそ吐いてしまおうと、ハジメが守りの姿勢を解き地面に両手を付いた。


「お、おえぇ~」


 パインが死んでから、ろくに食事を取ることが出来なかったハジメの胃袋には何も入っておらず、黄色い胃液だけがヒビの入った石の地面を伝い中央の下水に流れ落ちていく。


「大丈夫ですか? ハジメ君?」


 地面に両手を付いたままハジメの身体がビクッと反応し、


「すみません。ごめんなさい、フレアさんに酷い事をしました。信じてもらえないと思いますけど、そんな事をするつもりは無かったんです。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ハジメの混乱は激しく声が甲高い、それに早口になっていた。


「ふぅ~」


 真っ暗な天井に顔を向けため息をついたシャイトはカウンセラーの様にハジメの口調に合わせ、少し早く口を回して話をし、同時に訊いていく。


「分かってますよ。ハジメ君、あなたはフレア様の"エルマ病"に感染しただけですから」

「エ、エルマ……病?」


 と、シャイトの口から出された初めて聞く病名にハジメが当惑する。同時に閉口してしてしまう。

 前世で精神病院を何度か渡り歩かされた事がある。そしてハジメも自身の病気について調べた事があったが、それでも聞いた事のない病名だ。

 病気の種類など五万とある。知らない病気があって普通なのだが、ハジメは知らない事に驚いているわけではない。

 エルマ病という病気に感染し、女性を襲うという奇怪な病気が存在していることに対する驚愕だった。

 何より、フレアに様を付けて呼ぶこの男。

 明らかにフレアを自分より上の者として扱っている。

 そんなフレアを襲ったにも関わらず怒りの表情を見せず温和な表情を保つ、シャイトという男がハジメはとても恐ろしく感じていた。

 ハジメは恐怖心を少しでも和らげようと下唇を噛締め、どんな言葉を口にしようか考えた。

 まず、知らなくてはいけないのは、目の前にいるシャイトという男の名前。

 隠れ家でシャイトは自分の名前を名乗ったのだが、ハジメは錯乱していて訊いていなかった。

 目の前にいる男の名前を知らなければ話は先に進まない。

 伝わるかどうかは分からなかったが、ハジメは遠まわしにシャイトに尋ねた。


「あ、あの……僕は……ハジメって言うんですけど……エルマ病って何ですか?」


 シャイトという男は頭の回転も良いようで、ハジメの意図を察し自己紹介から始めた。


「……申し送れました…私は始祖龍武隊(ドラゴンナイツ)知龍隊(エッシェント)隊長の≪シャイト・グローリー≫と申します」


 清々しいほど丁寧な挨拶。ハジメの頭にシャイトという名前はインプットされると、次に出る不安は『本当に怒っていないのか』だった。

 名前が分かった途端、『暴力を振るわれるのではないか』ということだけがハジメの中を駆け巡っていた。


「シャイトさん……あの……」


 シャイトは恐る恐る訊いてくるハジメの表情を見た後。口調が先ほどよりもゆっくりになっているのを確認する。

 シャイトはまた、ハジメに合わせてゆっくりとした口調で優しく話をする。


「ハジメ君……あまり怯えないで下さい……これから話す事が頭に入りませんよ……」


 ハジメはシャイトが怒り心頭していると思っていた。

 だからシャイトの微笑む顔と緩やかな口調に意表を付かれ肩透かしを食らっている。

 本来ホッとするところなのだが、そもそもハジメは気が弱く疑り深い、シャイトの態度を裏目に取ってしまい、徹底した慎重さをみせ謝罪の言葉を考えた。

 だが、ハジメは激怒した人間には力の限りを尽くして謝る。これしか激怒した人間の怒りを静める方法を知らない。

 だからハジメは腹の底から声を出し、シャイトに土下座するしかなかった。


「す! すみません!!」


 土下座する四歳児にシャイトがすかさず。


「ハジメ君……頭を上げてください」


 ハジメはシャイトの操り人形の様に、言われるがまま頭を上げて座り込む。そして石壁に背をつけずピンと背筋を伸ばした状態から――


「ほ、本当に……すみませんでした……」 

 

 滑稽な謝罪をした。

 シャイトが困った顔をすると、半べそをかくハジメの両肩に手を置いた。


「ハジメ君……君がフレア様にした事……本来ならば許されることじゃない……」


 ハジメにそう言った後。シャイトの表情が一瞬冷たく変わる。冷たい目に気づき恐怖で溜まらず身体に力が入る。だが両肩を掴まれどうしようもない。

 ハジメはすぐ前にいるシャイトの目をジッと見つめ"精一杯話を訊く努力"をしてみせた。

 それを察したシャイトはわざわざハジメの話のテンポに合わせることなく、自分のテンポで話しをしていく。


「でも……仕方が無いんです……君の取った行動にはさっきも言った"エルマ病"という病気が関係している……」


 ハジメの肩にシャイトの力が僅かに篭もった。

 だが、先ほどと違い肩に痛みが走るほどの力ではなく。それにシャイトの表情は先ほど一瞬見せた冷たいモノではなく。悲痛をハジメは垣間見た気がしていた。

 ようやくハジメからの質問がシャイトに飛ぶ。


「あ、あのぉ~シャイトさん……エルマ病っていうのは?」


 機嫌を損ねないような喋り方のハジメの質問に即答するシャイト。


「エルマ病とは女性にしか掛からない病気です……」

「女性にしか掛からない?」


 女性にしか掛からないと聞いてハジメが一瞬。アホ中学生が思いつくようなエロいことを妄想する。

 と、すぐさま首を振り雑念を払う。

 前世の記憶を併せ持つハジメなら、女性経験の無い童貞のハジメなら、スケベな事が頭に浮ぶのも致し方ないといった所なのだが、フレアの件でトラウマになってしまっている。トラウマという強力な(ほうき)を使い雑念を払い終え思いついた、エルマ病とは何たるかをハジメがシャイトに言った。


「……女性にしかっていうと"おっぱい"とか"アソコ"みたいな……そういう……な、何ていうのかなぁ~」

「ハジメ君……そういうのではありません」


 真剣な顔でハジメがまじめに答えたら、シャイトがまじめな顔して、即答で真剣に否定されて――

 ハジメの顔が真っ赤になる。


「エルマ病というのは……そうですね……簡単に言うなら……"男性にモテる病気"とでも言うのが一番良いでしょうか」


(……男性にモテる病気?)


 ハジメは拍子抜けした。そのおかげか顔に集中していた血液が丹田辺りまで落ちた。


(馬鹿馬鹿しい病気)


 男性に"モテる"病気なんてどうって事ないじゃないか――と、ハジメはそう思った。

 そしてすぐ気づく。


(……この病気はかなり厄介で恐ろしい)


 ハジメは実際、初恋であるパインの事さえ忘れた挙句、人前でフレアを襲っている。

 フレアを欲情し襲った時のハジメの力は、指先を自分の顔の前に持っていけばその時の異常さが簡単に分かった。


(爪が剥がれて血が流れてる……)


 リミッターが外れた。別の言い方をするなら"火事場の馬鹿力"。あの場にはルナがいた。そしてシャイトがやって来た。何よりハジメはまだまだ力足らずで未熟な四歳児だった。

 

(四歳児であの力?)


 更にハジメがエルマ病の恐ろしさを考え、今度は血の気が引き徐々に顔が青くなる。


(もしあの場に誰もいなかったら? フレアさんのエルマ病に感染した男が成熟した大人だったら? 感染した男が一人ではなかったら? 助けに来る者がいなかったら? 結果は考えなくてもすぐ分かる)


「……ご理解いただけたようですね……ハジメ君……君は小さいのに頭が良くて助かります」


 シャイトは考え込んでいたハジメの表情から思考を読み取っていたようで。

 ハジメはエルマ病の危険性が判ったから、シャイトに尋ねた。


「エルマ病になる原因って何なんですか?」


 シャイトがハジメの肩から手を退け、


「……エルマ病になる原因は"過去のトラウマ"です」

「トラウマ?」

「エルマ病患者は"強姦にあった者"、"身内の者を殺害された者"、"自殺未遂をした者"…など様々ですが"強烈なトラウマ"となる出来事が発症の原因だと判っています」

「フレアさんも……トラウマがあるということですか?」

「……詳しくは話せませんが……そうですね」


 シャイトの答えに違和感を感じたハジメが疑問をぶつけた。


「じゃあ……その"原因"を取り除けば"エルマ病"っていう病気は簡単に治せるんじゃないですか?」


 ハジメがフレアの"エルマ病を治さないでいる疑問"をほのめかした途端に地下道で穏やかに漂っていた空気がどよめく。

 シャイトの体から魔力が発せられると、その力は中央部の下水を震わせ石壁にピキっピキと音を鳴らし石壁のあちこちにヒビを作りながら、怒りに満ちた静かな声で。


「……簡単に治せるのなら……当の昔に治している」


 ハジメを脅すつもりなどシャイトには全く無い。だが発せられる魔力は今まで出会った誰よりも強力で練磨され怒りが篭められていた。

 ハジメの迂闊な、不用意でもある発言だった。何故ならシャイトの言っている事は明らかに正しいからだ。


(そうだ……辛い病気なんて治せるものなら治してる……)


「ご……ごめん……なさ……い」


 また目を瞑り、怯えだすハジメを見てシャイトの体から発せられていた魔力がゆっくりと消えていく。

 少し間を置きため息を吐くと、シャイトの顔が優しくなる。すると、下水道のどよめきは収まり、茶色く濁った臭い水の震えも無くなり正常に流れる。ヒビもこれ以上大きくはならることはなかった。


「こちらこそ申し訳ございません……」

「い、いえ……僕が悪いです」


 ハジメは素直に謝った後、シャイトが尋ねる。


「……先ほどフレア様は"自分はエルマ病じゃない"と仰いました……覚えておられますか?」

「い……いえ……混乱してたんで……」

「そうですか……仕方ありません……では、お話しします……フレア様には強烈なトラウマをお持ちです……だからこそ向き合えない……自分は"エルマ病"だと認められないんです……"エルマ病"であると認めることは"自分のトラウマと浮きあうと言う事、自分の傷に自分で塩を塗るようなもの"……これが"エルマ病患者の特徴"でもあると同時に厄介な問題でもあるんです」


 シャイトが離した手で、もう一度ハジメの肩を掴むと懇願した。


「フレア様の為にも覚えておいて欲しい」

「……覚えて欲しい事ですか?」

「エルマ病に感染しない為の方法です……」


 シャイトの言葉にハジメが戸惑いをみせた。それは"フレアの為に覚えておく"その言葉の裏には、"無法地下街(マンホールシティ)から出して貰えない"という意味が含んであるように聞えてしまったから。

 だがハジメには懺悔と後悔の念がある。その二つの負念が≪ここから出たい≫願望を考えられなくする。

 そうなるとハジメがする事は一つ。それはシャイトの言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を傾ける事だ。


「エルマ病に感染しない方法とは……エルマ病の知識を得る事です」

「……ち、知識ですか?」

「そう知識です……事前に知識が頭に入っていれば"何に感染"したのかが判る……そして"感染の症状"が発症する前に精神統一することで感染発症を抑える事ができます」


 これだけ聞いたのでは何が何だか分からない。ハジメはシャイトをジッと見つめた。


「エルマ病の発現は北暦四〇九年に実際に存在した……≪パクチーク・エルマ≫という魔女の呪いが元凶だと言われています」


 そして続く――。

 シャイトが語る"パクチーク・エルマ"に関する知識。


「エルマは生れ落ちたその瞬間から恋人がいたとされています……始めはエルマを取り上げた医師"レニオ"父親でもある"ビルデ"、解離性人格障害だったといわれるエルマのもう一人の人格"リリィ"、当時世界的な人気を誇った"メアリー"、奴隷商人の"エンジ"、とある国の"独裁者であったルドルーフ"、そして最後は"悪魔ルシファー"を恋人にし地獄へと引きずり落とされたと言われています」

「……信じがたい話です」


 ハジメの口から思わず本音が出たが、すぐさまシャイトに返される。


「皆そういいます……ですが、後の歴史が証明しているんです……」

「歴史が……ですか?」


 ハジメが尋ねるとシャイトは困った顔をして答えた。


「エルマ病の感染には七つの種類があり……総称して≪パクチーク感染≫と呼びます」


 羨望欲求が顕著に現れる――≪レニオ感染≫

 性的欲求が増大する――≪ビルデ感染≫

 自己中心的な思考しか出来なくなる――≪リリィ感染≫

 三大欲求さえ抑圧してしまう――≪メアリー感染≫

 独占欲が強まり周りの人間に危害を加える――≪エンジ感染≫

 支配欲が強まりエルマ患者に危害を加える――≪ルドルーフ感染≫

 殺人欲求が現れエルマ患者を殺害する――≪シファー感染≫


「……こんなに」


 驚くハジメにシャイトから告げられる感染名。


「ハジメ君……恐らく君が感染したのは"ビルデ感染"でしょう」


 性的欲求が増大するビルデ感染。確かに当たっていたハジメがフレアを襲った際、僅か四歳の子供の頭にあったのは"ソレ"だけだった。

 感染したのがビルデ感染だったためか、恥ずかしさのあまりハジメは黙って俯いてしまう。


「歴史が証明しているとはこういうことです……エルマの恋人達に最も強く現れていた欲求が感染名になっているんです……それに加えてひとまず覚えていてもらいたい事がもう一つ……それはエルマが日記を残しているということです……エルマの日記は読んだだけで精神を狂わせてしまう程、狂気に満ちたものと聞いています……見ることは無いと思いますが一応頭には入れておいてください……」


 シャイトの真剣な眼差しに、否が応にも真剣になるハジメから瞬きの回数が減っていた。

 また同じ過ちを犯すわけにはいかない危機感、そして(あまね)く不安を表情に浮かべながらハジメが訊いた。


「見ることは無い……というと、エルマの日記は読めないんですか?」

「読めませんね……十七冊あるエルマの日記の内……十五冊はヴァルバンス王家が保管しています……それにエルマという魔女の存在を公言する事も"帝都ヴァルバンス"が出来て以来、禁止されているんです」


 感情を込めず淡々とエルマ病について説明するシャイトに向かって、ハジメが身を乗り出し、


「……何でですか?」


 と、だけ訊いたハジメに、シャイトは懇切丁寧に教えてくれた。

 

「理由は現在調査中ですが"エルマ病"は元々、"呪いの一種"として扱われていました……それが"帝都ヴァルバンス"が誕生して以来、医学の分野として扱われるようになったのですが、医学の分野として扱うようにしたのも"フォーレン・モールという呪い"の恐ろしさを知る国民を混乱させない為、呪いという恐怖から解き放つ為だと聞いておりますが、恐らくは嘘でしょう」


 シャイトの話を聞いたハジメは、『帝都ヴァルバンスの出した結論は正しく納得のいくものだ』と思った。

 それでもシャイトは嘘だと主張するからハジメに疑問が沸き起こる。

 ハジメの疑問は、また見透かされたようにシャイトに悟られ、そしてその答えを語られた。


「これらは始祖龍武隊(ドラゴンナイツ)が調べ上げたもの……ヴァルバンス貴族達に話されたないようです……彼らはこれだけ国民を納得させられるだけの理由を携えていながら公表していません……隠す意味が無いんです……」

「……た、確かにそうですね」

「納得させられるなら公表した方がいい……その方が国民の信頼を得る事ができるでしょう……それをしないと言うのはやはり怪しく思えてならないんです……それに――」

「――それに?」


 シャイトの視線が一点を見つめると、感慨深い表情になる。すると腕を組み首を傾げハジメに伝えるべきかを悩んだ。

 ハジメがシャイトに問う。


「ど、どうしたんですか?」

「……ハジメ君……ヴァルバンスの巨大城(ビックキャッスル)を知っていますか?」

巨大城(ビックキャッスル)……ロットン村からでも見える……アレですか?」

「そうです……そしてハジメ君は飛行機事件の後、ヴァルバンス地区で休養を取ったと聞いているのですが……」


 ハジメはこんな事まで調べ上げられている自分に驚いていた。目も当てられなかった前世とは違い。何だか有名人にでもなったかのようでこんな状況にも関わらず優越感に浸ってしまうが――すぐに恐怖する。


「その時……巨大城(ビックキャッスル)、つまり≪パクチーク城≫をご覧になりましたか?」


 シャイトの問いの後。ハジメは一瞬か二瞬の間を空け。


(あれ? 見てた覚えが無い……)


 ハジメはパクチーク城の大きさを調べた時に東京都と同じ大きさと知り、驚愕した記憶が確かにある。しかし、アレだけ巨大な城が立っている帝都ヴァルバンス地区に居ながら、見ていなければ、知っていたのに気にも留めなかった。


 『飛空挺(フリウス)事件の後、それ所ではなかったのは言う間でもない。だけど、空港からホテルに着くまで、あちこち景色を見たのを覚えているのに、超巨大なパクチーク城を見た覚えがない何て事があり得るのだろうか?』

 ハジメがそう思うと、異常すぎる出来事が起きていたことに戦慄する。

 だから、ハジメはシャイトにこう答えるしかなかった。


「覚えて無いです……二歳の時ですから……」

ご愛読ありがとうございました。

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