第二話
産まれ変わりました。
一が目を開くと辺りは漆黒の闇。
死んでしまったのだろうか? これが真っ先に思う。
一は赤い光に包まれたところまでは覚えていた。
物置で起きた赤い光の現象はとても不思議だったが、あの程度で人が死んでしまうとはとてもじゃないが思っていない。
それでもおかしな現象が起こったすぐ後だ、目を開いて辺りが漆黒なら『死んでしまったのでは?』と考えてしまっていても仕方がないだろう。
だが、一はこうしてしっかりと思考する事ができている、ということは脳がある。つまり意識があるということ、それは体があるということであり、差し当たって死んでいるわけではない。
『まだ生きている』と、今更ながら気が付いた。すると真っ暗闇の中、次に一の頭に浮ぶのは――ここは何処なんだ? と、いう事だ。
一は今うまく身動きが取れないでいる。
手足でさえも自分の意思で支配出来ないのだ。本当なら恐ろしいと感じるところなのだが、ここにいるとぬるま湯が全身を包んでいるようで、ポカポカと気持ちが良かった。
一はここで心身委ねて安らいでいた。
周囲から聴こえるドクンッドクンッという音は、音楽のようで不思議と心地良い。この音を聴いていると身体の中にあった邪気が払われ、癒されていくように感じてた。
すると、突然やってくる。
白い光。
物置の絵本から放たれた不気味な赤い光とは違う。
美しい光だ。
強烈な光で一の目がズッキン! と、痛みが走り溜まらず目を瞑ったのだが、その光がまぶたをすり抜け目に注がれた。
一は急に恐くなった。心細くなった。逃げたくなった。
溜まらず――助けて!! と、言葉を発したはずだったのだが、
「おぎゃぁあああ」
……あれ? と一は疑問に思った。
一は確かに『助けて』と叫んだはずなのに、口から出たのは赤ん坊の産声だった。
一は思わず目を開く。
目を開いた先に待っていたのは、赤茶けたレンガで造られた真四角の小さな病室。
左側(西側)に入口がある。
その対面(東側)に吹きさらしの窓、その窓に付けられているのはボロボロのカーテン。入口から見て右側(南側)には木材で作られたベットが設置され、ベットの足元にはお産の際に使った手ぬぐいと、水の入った桶がポツンと置いてある。
現代医学ではありえない、虫が這い周るとても不衛生な環境だった。
「……あぁ~この子が俺達の子供かぁ~」
何処かで聞き覚えがあるのぶとい声が耳に入り、一が声の主の方へと振り向いた。
そこには感無量と言った具合に、目頭を熱くさせる若い男性。
自分の目線の位置からして一は『かなり高いところにいるんだ』とそれだけは判った。そして右上をチラッと見ると看護師らしき女性に抱きかかえられているのを確認。
高い位置にいるのは看護師に抱えられていたからだった。
一を"抱きかかえている看護師"が静かにベットへ近づいていくと、看護師は若い女性の横にソッと置いた。
若い女性はジッと赤ん坊を見つめたすぐ後、とても小さな一の頭と体を優しく撫でる。
「……やっと産まれてきてくれた」
若い女性の顔色は真っ青で呼吸は荒く疲労困憊した様子だった。それでも、何故だかとても嬉しそうに微笑んでいる。
感無量の男性と、微笑む女性を見た瞬間から一は激しく動揺していた。
それもそのはず、男性と女性は紛れも無いと言っていいほど、あの両親とそっくりだったのだ。その姿は前世で見る両親よりも遥かに若いが、確かに一の両親であった。
白髪頭で太っていた父の髪は黒く筋肉質で逞しい。
皺が目立って骨と皮だけだった母の体は肉付きが良く、顔立ちが整っており、とても綺麗だった。
二人ともまだ若く、ハジメの目には二十代くらいに見えた。
意味不明な状況のせいか。はたまた、二人の年齢が若いせいか一は自分の両親である確信を持てない。
それを確かめる為、一が二人に向かって『父さん!!』『母さん!!』と大声で叫ぶのだが。
「おぎゃぁあ。おぎゃぁあ」
と、言いたい事を二人に伝えようと頑張ってみたものの、どうしても赤ん坊言葉になってしまう。
一は"困っています"のアピールをするため、顔をしかめようとするが、何せ筋肉が未発達でうまく表情が作れない。
力の限りを尽くして挙げた小さい自分の右手が一の視界に入る。
この時、自分は赤ん坊なんだと何となく一は理解した。
さっき一を抱きかかえていた女性看護師が産まれ立ての瞳に映る。
女性看護師といってもおばあさん。二重顎で三段腹の汚らしい風貌、口から放たれる吐息は生ゴミのようで鼻がもげそうになる。
訳の分からない状況も手伝ってか、一は女性看護師にイラついてしまう。
「お父さん、お母さんって呼んでるんですよ……きっと」
女性看護師の言葉に間違いは無い。
間違いが無いから一はムカッ腹を立てた。
加えて赤ん坊言葉しか出ないし、全然伝わらない。
その事が一をよりイライラさせていた。
とりあえず、視線を横にずらすと母の疲弊しきった笑顔が一の目に入った。
声を出すのも辛そうな母がポツリと囁く。
「幸せ……」
一の横で"笑顔を絶やせない母"、そんな女房を幸せそうに見つめ『大丈夫?』と気遣いをする父の様子を眺めていると、イライラが自然と消えていく。
父と母の仲睦まじい空気を読んだ女性看護師が、ペコッと頭を下げ無言のまま病室から外へと立ち去っていったが、両親は立ち去っていく女性看護師に目を向ける事はなかった。
自分達の子供に夢中で、女性看護師は眼中に無い。
「……あなたこの子にどんな名前を付けるの?」
一じゃないの? と、一が何となくそう思った後。
自分自身に付けられていた"名前"について一が想いを巡らせ考えてみた。
『産むんじゃなかった』――こんな暴言を言い放つ両親に貰った"一"という名前に一は愛着を持っていない。
むしろ"ヨコボーというあだ名"を幼稚園の頃に付けられ、からかわれた嫌な思い出を持つ名前。
だが、いざ自分の名が違うものになってしまうと思うと抵抗が出た。
一が目線だけで母をチラッと確認する。
母は横たわったまま一の顔を笑顔で見つめていた。
そして、一の小さな手を握る。
暖かい母の手の温もりを感じていると、父が横から一の名前について語り出した。
「う~ん、名前なんだけどな。ずっと考えていたのがあるんだ……」
「……何?」
「この子には立派になって欲しいと思うんだ」
「……そうね……心からそう願うわ」
「だから"ハジメ"って名前にしようと思う」
同じ名前を付けられたのは偶然なのだろうか。
一がそう思うと、父が一を見つめてチョンと人差し指で頬に触れる。
すると一は赤ん坊言葉でオギャーオギャーと驚きの声を上げた。
「おぉ、喜んでる、いい名前だろぉ?」
厳格だった父からは想像も出来ない甘えた声で、産まれて間もない息子に訊いていた。
一が軽く引いてしまい思わず、口を閉じる。
「あなた……ハジメが泣き止んだわ」
「そうか。この名前を気に入ってくれたのか? なぁ~"ハジメ"」
ハジメは父の気色悪い言動に引いただけなのだが、両親がそう思っているのならそれでいいと、赤ん坊ながらに気を使い笑って、魅せる。
「……気に入ったみたい……ほら……こんなに笑ってるもの」
「そうか……そぅか……そぅ……」
父は涙ぐみ最後まで言葉を綴れない。
「何泣いてるの? ハジメの前でみっともない……父親なんだからしっかりしてよね……」
母は声を震わせながらもこれから"父親になる夫"に対し、親として自覚を持たせようと、涙を堪え凛とした態度で接していた。
一は自分自身が生まれて来たことが父さんと母さんを喜ばせてることに感激している。そして久しく味わっていなかった両親の"愛"をハジメは、今存分に堪能していた。
赤ん坊の身体では受け止めきれない大きな愛情に胸がはちきれそうになり、ハジメは思わず泣いていた。
「ほら……あなたがしっかりしないからハジメが泣いちゃったじゃない……」
「す、すまん……ハジメ! 父さん……これからお前の見本になれるよう頑張るぞ。命懸けで」
命懸けとは随分大きく出たもんだ、と思うハジメであったが、父の目はマジだった。
ここで、母が父に尋ねた。
「ねぇ、あなた。この子の名前、どうして"ハジメ"にしたの?」
母の質問を聞きながら、いまだ泣き止めないハジメを両手で抱きかかえ天高く掲げた父が。
「どんなに挫けても……どんなに転んでも何度でも立ち上がって一からやり直す……そんな勇気のある子になって欲しい……そんな願いを込めた……」
ハジメは素直に仰天した。
赤い光に包まれる前の世界で母から教えられた名前の由来と全く同じ、ハジメの中で半信半疑だったモノが確信に変わる。
この二人は本物の両親だと。
父と母の会話にハジメが耳を傾け聞き入っていると、自然と涙が止まっていた。
「……そうね……私達の故郷に"どんなに転んでも立ち上がれ"なんて言葉があったわね」
「そうさ……"この国"にちなんだ名前にしようと思ったけど、やっぱり俺達は"和の国"の人間だ……」
「いつか、ハジメを連れて行ってあげたいわね……私達の故郷に……」
一変して悲しげな表情をする母に、俯き感傷に浸る父が。
「そう……だな」
と、間を開け流れを途絶えさせるように言葉を発し、哀愁を漂わせた。
掲げられながら両親の会話を聞き、父の様子を見ていたハジメの頭の中は疑問符で一杯だった。
疑問が出れば答えが欲しくなるのが人の心情というもの。
ハジメは頭の中で今ある疑問を一通り並べた。
――さっきまでいた世界とは違うのか。
――昔書いた絵本の中なのか。
――絵本の中ならどんな"理屈"でここへ来たんだ。
――この世界は何処にあるんだ。
――両親は何で若いのか。
――両親は何も覚えていないのか。
――どうして佐藤一は赤ん坊になっている?
そして次に父の口から出る言葉で、ハジメの頭の中に疑問符が一つ増える。
「連れて行けるさ……"ラグナロク"なんていつまでも続かない」
父から口から出されたラグナロクという言葉に、ハジメが頭を悩ませた。
極端におかしな事が起きるとパニックに陥ったりしないらしいとハジメがじかく。しかし、自分が冷静である事を自覚し出すとパニックに陥ってしまった。
ハジメが今にも泣いてしまいそうになる。
両親も息子がパニック状態であることに気が付き。
「あなた!! ハジメが不安がってるわ。降ろしてあげて」
とても不安そうな母の顔は怒りに近い。
父が恐る恐る振り向くと母に言った。
「わ、悪い……」
「私に謝るんじゃないでしょ」
母に怒られた父が、ハジメの顔を見つめて謝罪する。
「……すまん。ハジメ」
あたふたする父の言動は"ハジメのパニック"より、"父親の動揺"の方が遥かに大きいという事を、明確に分からせてくれた。
ゆっくりと母の元へと戻されるハジメは手足をバタつかせながら、キャッキャと笑う。
それは、おかしな事だらけな今の状況よりも、慌てふためく父の姿の方がよほど可笑しく見えたからだ。
「また笑ってるわ。あんな高いところまで上げられたのに……凄いわ」
親バカ振りを炸裂させる母。
「この子はきっと大物になるぞ」
産まれたばかりの赤ん坊を父が褒めちぎる。
そして、次に父が放つ言葉でハジメの心がときめいた。
「将来は魔女を倒す"勇者"かもな」
魔女を倒す勇者。
男なら誰でも一度は憧れるのが"勇者"というものである。そして、誰より憧れてきたのが"佐藤一"という男だった。
ワクワクとハジメの心臓が高鳴る中、母から口から出される言葉が産まれたての赤ん坊の頭に最後の疑問符を創り出させた。
「勇者なんて絶対にダメ。自分の子を悪党にしたいの」
険しい表情で怒鳴りつける母。空気が凍りつき険悪なムードが穏やかだった病室に漂うと、ハジメも父も固まってしまう。
ハジメが最後の疑問符を心の中で唱えた。
(勇者が悪党ってどういうこと)
ご愛読ありがとうございます。