第十五話
ロンギヌスの槍。
遥か遠い昔……。
世界は大きく二つに分断された。
赤道を区切りとするこの二つの世界は全く違う歴史を歩んできた。
北世界――≪アヴァロン≫
南世界――≪エルドラド≫
* * * * * * *
シーンと静まり返り"死の村"と化したロットンで起きる異常事態。
ロットン村の村人はみな殺された。
そして今この村にいるのはハジメ、カレジ、ハレルヤ、ルーシン、パインとライム、リキッド、そして謎の男ラファエの八名。
カレジの振り下ろした剣を謎の男ラファエが槍で抑え、パインを守っている。背に記されている不不滅鎖の紋章がハジメの目に映り謎の男の正体が明らかになる。
――≪聖痕騎士団≫
ラファエの不不滅鎖を見つめるハジメを他所に、カレジは怒りに支配され完全に我を忘れている。
ハジメとパインを守るようにラファエが二人の前に立ち、自身の左肩にまで迫っているカレジの剣を片手で軽々と槍で抑えビクともしない。
見習い以下であるハジメでも、ハッキリ分かった。
(実力が違いすぎる……)
ライムとリキッドが顔を見合わせる事無く、コクッと頷くとラファエが二人の無言無動のコンタクトに気づく。
すると、"抑えていた槍"で"力に任せ上から押す剣"をグッと持ち上げ、よろけるカレジの剣がラファエの槍でなぎ払い、ライムとリキッドの横まで吹き飛ばした。
「ぐわぁ!!」
ハジメは吹き飛ばされたカレジを一度だけ視線に入れると、すぐにルーシンとパインに近づき声をかける。
「大丈夫!!」
パインは床にへたり込みまた"人形状態"に戻ってしまい、ルーシンは娘に駆け寄る力すら残っておらず、へたり込んだまま、ただ一点を見つめるだけで動く気配すらない。
「パイン……パイン……パイン……」
と、真正面を向きながら、涙を流し娘の名前をただ呟くだけだった。
ハジメがパインを見て肩膝を付いた――瞬間に響く。
地面を魔力の篭もった足で蹴り飛ばす音――バシュ!!!
ラファエは後ろを向いたまま一足飛びで外へと飛び出しながら、ライムとラフェア絵を警戒――それを追う二人。
三人は一瞬の内にハジメ家の前に広がる雪化粧された畑へ辿り着いて、間も無く――ドガッン!!!!
爆弾が爆発したような音が家をガタガタ振動させる。
そしてハジメの口から静かに声が漏れる。
「な、何だ?」
揺れる家の中で、ハジメは状況を理解できず、ルーシンは恐怖を増大させ蹲ってしまう。
カレジの暴走を心配したハジメが、父へと振り向き様子を伺う。
カレジは自分のした事への罪悪感でもあるのか、呆けたようにゆらゆらと椅子に向かい倒れた椅子を元に戻し、座り込むと両手で頭を抱えた。
ハレルヤも夫を心配し、カレジに寄り添うと力の限り抱擁する。
「あ、あなた……」
状況が良くなったとは言えない、むしろ悪化していると言った方がいいこの現状で、それでもハジメはホッと胸に手を当て安心する。
だが。
キーーーン!! と、今度は耳を切り裂くような金属音が外から家の中にまで響き渡った。
ハジメはこの死の村で"何が起きているのか理解が出来ず"困惑の声。
「……ど、どうすればいいんだよ?」
ハジメ言葉は誰も聞いていないし、聞かせるつもりも無い。それでも口から漏れてしまったのは、小さな精神の器に注がれた重圧が一杯一杯にまで溢れ、これ以上溜め込んでおくことが出来なかったからである。
パイン、ルーシン、カレジにハレルヤ、そしてハジメ。
家の中に居る全ての者が一人では抱えきれない問題を抱えていた。
ハジメの中で湧く焦燥感が心臓の音を耳まで届かせるほど大きなものにする。
鼓動する心音と同調しハジメの呼吸が荒くなる。
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」
膨れ上がった焦りと激しい心臓の音が巨大な不安を生む。
轟音がなった外の様子が気になったハジメは居ても立ってもいられず両親とルーシン、パインを家の中に残して玄関方へ足を向け走りだした。
ハジメが外に出た瞬間、驚きと疑問を混じらせ声を出す。
「……な、何で三人がここにいるんだ!?」
ハジメが動揺する。たった今、ラファエ、ライム、リキッドの三名が家の中からいなくなっていたことにようやく、外で気が付いた。
僅かに見えた三人の戦いは"嫌いな人"と喧嘩をしている様な生易しいものではなく"憎い敵"の息の根を止める殺し合いだった。
ハジメが出てきた事で、ラファエ、ライムとリキッドが一旦戦いを止め対峙し、互いを睨み合っている。
そこへハジメが叫ぶ。
「何やってんだよ!! こんな時に!!!!」
けん制し合っていた三人はハジメの声が合図となり、殺し合いを再戦させる。
ドゴォオオオン!! というけたたましい音場響く。再び始まった殺し合いは先ほどよりも激しさが増していた。
三人の死闘は、ハジメの目で捉えることは難しく。近寄る事は不可能であり立ち尽くすしかない。
轟音が聞こえ振り向けば、地面を足で弾く衝撃で巻き上がる土煙。
金属音が聞こえるほうを向けば刃を交えた空気の振動。
それらがハジメに届き、
「うわっ!!」
ハジメの体が吹き飛ばされそうになる。顔の前に両腕で盾を作り踏ん張った。
そんな中、三人の声"だけ"がハジメの耳に入る。
「この一〇〇年……南世界が北世界に何をしたか分かっているのか!!」
憎しみを抑えきれない様子でラファエに怒りをぶつけるリキッド。
ラファエは軽く笑うと涼しげな声で挑発する。
「何をしたか? それはお互い様でしょ!」
「あなた達のせいで私の家族も恋人も友達もみんな死んでしまったわ!!!!」
「だぁ~かぁ~ら!!」
余裕を見せていたラファエの眼が暗く冷たく、深く沈んでいく。
「それは北世界も一緒だろうが!!」
未熟なハジメの目には写ることすらなかった三人の殺し合いが、段々とハジメの目に映りだした。
ラファエが握る槍先の片刃がキュイーン!! と、音を鳴らし朱色く光る。
それに合わせリキッド、ライムの刀が同じように音を響かせ蒼く光らせた。
これは刃に集めた魔力を斬撃として飛ばす"中距離型鉄姫技法"。
通称――≪斬閃≫
斬閃を放とうとする三人の光が混じり辺りが紫に包まれる。
ハジメの脳が紫色と認識するより速く、ラファエはカレジの懲りない"その光景"を見つけた。
三人の殺し合いに釘付けだったハジメは、家の中で何が起きているのか気付いていない。
ハジメの元へ跳ぼうとしたラファエを、ライムとリキッドが眼前に刃を突きつけ止める。
「何処へ行くんだ? 南世界」
異常な事態はハジメのすぐ後ろに"ある"のだが、まるで気づくことが出来ない。
一方ラファエもリキッド、ライムの二つ刃に拒まれ前へと進めない。
ラファエがハジメに吼える。
「少年!! 後ろを見ろ!!!!」
ハジメはラファエの言葉を聞き硬直した体を無理矢理動かし、後ろを覗く。
この時、ラファエもリキッドもライムも速度を緩めたりはしていなかったのだが、ハジメは誰に習うこともなく、自覚こそ無かったが三人の速さについていくことが出来ていた。
(っは!?)
懲りない異常事態を冷静に対処する為、ハジメが腹の底から溢れ出した感情をまた、腹の底に沈める。
その訳は終わった事とハジメが勝手に自己完結していたこと。それがすぐ後ろで繰り返されている。
それはパインが――逃げ出した後の出来事。
それはパインが――泣き喚いた後の出来事。
それはパインが――助けを求めた後の出来事。
それはパインが――"転んだ後の出来事"。
それはパインが――"殺される前の出来事"。
呆れ返るその出来事は――、
憎しみに任せパインを殺害しようとするカレジの凶行。剣を掲げ殺そうとしていた。パインは腰を砕かせ、床に尻を着き両手を使い後ずさり、逃げ出そうと必死になっている。
ジリジリとパインに詰め寄るカレジを恐れ、救いを求めた。
「ハジメ……く……ん……」
絶望交じりの声に向かって、ハジメが覆いかぶさる様にパインの上へ一瞬で飛び込んでいた。
同時にカレジ剣がハジメの背中に振り下ろされる。
ザシュ!!!
「うぅうわぁあああああ!!!!!!」
神経に触れる激痛、そして嫌な音と、ハジメの叫び声が重なった。途端に背中から生暖かい"澄んだ血"が噴出していた。
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……ティ、ティアマト……」
我に返れずにいるカレジへ最愛の息子が言葉を送る。
「と、父さん……や、止めて……よ……」
ハジメの言葉を聞き目を血走らせていたカレジの顔から血の気が引いた。
カレジの顔からみるみるうちに血の気が引くと、握っていた剣を地面に落としカランっと音を立てた。
「……ハ、ハジメ……な、なん……で……お前が??」
混乱するカレジのすぐ横で、ハレルヤの痛烈な悲鳴。
「ハ、ハジメぇえええええ!!!!!!」
カレジの"異常"を見ていたハレルヤが絶叫したのを最後に、ハジメの意識が薄れていく中、澄んだ血を浴びたパインが泣き叫ぶ。
「ハジメ君!! ハジメ君!! ハジメ君!!」
ライムとリキッドが行く手を阻んでいたラファエに、二人は唇を噛締め道を譲る。
「少年!!」
ラファエがパインに覆いかぶさったまま動かないハジメに近寄り、次いで泣きながらハレルヤが駆け寄り、最後にカレジが力ない足取りで寄って来た。
ラファエがハジメに、
「少年!! 大丈夫か? すぐ手当てをしてやる!!」
ラファエがパインに、
「しっかりしろ!!」
カレジとハレルヤがパインに、
「き、きさ……ま……が……貴様が悪いんだ!!!!」
「そ、そ、そうよ!!!! 全部あんたのせいよ!!!! 私のハジメに……何て酷い事を……」
パインが誰かに、
「ごめんなさぃ……ごめんなさぃ……ごめんなさぃ……」
すると、カレジとハレルヤがパインに、
「知るか!! このクズ!!」
「とっとと死んで頂戴!!」
ハジメは途切れそうになる意識の中。
パインの体を庇いながら両親を見上げると、息子だけを心配するハレルヤとカレジが。
「ハジメ……動くいちゃダメよ!!!!」
「そうだ!!!! 父さんがお前の下にいる怪物を退治してやる!!!!」
この世界に産まれ落ち、誰にも言わなかった真実を両親であるハレルヤとカレジに息子であるハジメが静かに語った。
「『知るか……このクズ』、『とっとと死んで頂戴……』僕は、これを前世で父さんと母さんに言われた……ことが……あるんだ」
「……前世? ……ハジメ……何を言っているの?」
「そうだ……おかしな事を言っていないで早く治療するんだ!!」
あたふたと真っ青な顔でハジメの心配をするハレルヤとカレジ、ここで大声を出せばハジメは、ショックで死んでしまうかもしれない。
それほどハジメの背中に付けられた傷は深かった。
立ち上がり激痛に苛まれる事も、一生背中の傷と共に生きる事も、この場で死ぬ事さえも承知の上。
命を懸けたことで"生まれて初めて"両親に本気で反論することが出来た。
「自分自身の価値を他人に……身勝手に奪われる事が……どれだけ相手を傷つけるか……あんた達はちっとも分かってない!!!!」
ハジメの言葉に一瞬怯んだカレジとハレルヤだった。
だが、傷つく息子に両親はこう切り替えした。
「「親に向かってその口の聞き方は何だ!!!!」」
この言葉でハジメの心は砕け、そして思う。
『僕を心配してくれていると思っていた両親。でも違った。ずっと思ってきた事だった。前世から感じていたこと』
――この人達は何て弱いんだろう……。
『自分たちの事で精一杯。それはとても辛い事だろう。周りの事を考えれば、苦しくなるから考えない。だから――僕は二の次』
そう確信して尚、心の最も深い処から出てきたハジメの本音はこう語る。
――『大好きな父さんに認めてもらいたい』
そう確信して尚、心の最も深い処から出てきたハジメの本音はこう語る。
――『母さんを笑顔にしてあげたい』
死の間際でも尚、心の最も深い処から出てきたハジメの本音はこう語る。
――『生まれ変わっても……父さんと母さんの息子に生まれたい』
「少年……背中を向けてくれ……」
突然ラファエからの頼み、ハジメは倒れこみ背中を見せた。
ラファエがハジメの両親をチラッと一瞥し、カレジから殺気が抜けていないのを見抜き警戒を解かずにいる。
ハジメは横目で畑をチラッと見ると、ライムとリキッドの姿が無くなっていた。
ラファエはハジメの心を見透かしたかのように、
「彼らの目的はもう済んでる……俺が現れたことで少々予定が狂ったようだがな……」
ラファエはライムとリキッドがここに居る理由も、その目的も知っているようだった。
そしてその顔は、先ほどの殺人鬼とは違い優しいものになっている。
ラファエの優しい顔を見て、ハジメの顔が綻び思わず言葉を発する。
「な、何それ……」
「しゃべるな、今手当てすれば命に別状は無い……"ティアマト"の命も俺が保障する」
ラファエがハジメの背中に手をかざす。
するとキラキラと粉雪の様な≪極小の花形の結晶≫が掌から傷の上に降り注がれる。
そしてハジメの傷に結晶が触れると、みるみるうちに痛みが傷が消えていった。
「俺の系統は治療系だ……この程度すぐ治せる」
放っておけば三十分も持たず、死んでしまったであろうハジメが負った深い切り傷は痕も残さず綺麗に消える。そして気持ちに余裕が出た"せい"で、不安要素が浮かび上がる。
それはラファエが言ったあの言葉――『ルーシンを殺しに来た』
ラファエの掌から出された白い雪の様な結晶で傷は完治。早速立ち上がるとハジメはお礼も述べず、パインに手を差し伸べた。
「パインちゃん!!」
パインは仰向けのまま覆いかぶさるハジメから一度目を逸らし、もう一度見つめる。
「……いいの?」
パインの表情はハジメを傷つけた罪悪感と、カレジに対する不安が入り混じっている。
「ハジメ!! そんなのモノに触れるんじゃない!!」
「そうよ!! その子がハジメにどんなことをしたと思ってるの!!」
ハジメが父と母の言葉を聞くと、天井を見つめたパインをそのままに、癒えた身体を起こし両親の元までゆっくりと歩き。そして拳を握り、血管を浮かせ今にも、カレジとハレルヤを殴りかかりそうな少年の前にラファエが立つ。
「お父さんとお母さん……この女の子は何もしてないですよ……少年に怪我さしたのはお父さんでしょ?」
「ふざけるな!!!! ティアマトさえ居なければこんな事にはならなかったんだ!!!!」
「あなた何なの!!!! 私達の事情も知らないで!!!!」
「あんた達の事情じゃなくてさ……我が子の事情を考えたらどうすっか?」
「な、何だと――」
カレジがラファエの胸倉を掴もうと勢い良く右手を出した。
が、前に――。
ラファエがカレジの額に目掛け指先をかざした。そして、ハレルヤにも、
ドサッ!! ドサッ!! と二人は気を失い、重力に身を任せ床へと倒れてしまった。
倒れこんだハレルヤとカレジの様子をラファエが確認すると、おもむろにパインを見つめる。
パインの命は保障すると言っていたが、ハジメはラファエを信用していない。
ラファエは聖痕騎士団は犯罪集団。
犯罪者の言葉など信用するには足りない。
ハジメが叫ぶ。
「パインちゃん!! ルーシンさんを連れて逃げて!!」
パインが戸惑いながら身体を起こし、母の元へと脚を踏み出そうと一歩踏み出す。
その間、ラファエが寝室の入口付近に立っているルーシン目掛けて突進していた。
パインが母ヘ手を伸ばし。
「や、止めて!!」
パインの力で母へ突進するラファエを止めることは不可能。だってルーシンのすぐ近くにまで槍の先が突き立てられていたのだから。
「死ね!!」
そう言い放ちラファエの矛先が貫いたのは――、
「お、おの……れ……南世界のゴミめ……」
いつの間にか影のように、ルーシンの背後へと忍び寄っていたリキッドとライムだった。
リキッドはいつの間にかザックリ斬られた首筋から血を噴出させ、
バタッ!! とハジメの家の床に倒れて息絶えた。
「ホント……南世界の人間はクズね……人の命を簡単に奪って……」
心臓を突き刺されたライムは口から血を垂らしながらラファエを呪う様に吐き捨て、リキッドと同じくバタッ!! と音を響かせる。
ライムの口がパクパクと何か言いたげだった。
だが、黄泉路へ向かうライムの言葉を聞くにはもう遅い。
ライムの死に逝く姿を見取る事もせず、ラファエは矛先に付着した血を丁寧に拭き取っていた。
ライムの口が固まり、息が途絶える。すると二つの死体に向かってラファエが語る。
「だから……お互い様だって言ってんだろ?」
ラファエに救われ安堵の表情を見せていたハジメとパインだったが、その表情は長くは続かない。
すぐに一変し目の前で起きた"殺人事件"に震え上がった。
ハジメが震える足を何度も叩き、パインの傍らでラファエを問いただす。
「ルーシンさんを殺すって本当か?」
ハジメの言葉にパインの目が泳ぐ。
「安心しろ……とある容疑が掛かっていてな……連れて行く……」
「……殺すって言ってたじゃないか?」
「場合によったらそうなるって意味で言ったんだが……」
人を殺した後とは思えないほど、ラファエの口調は穏やかだった。
ハジメがルーシンを一瞥すると、ラファエに聞いた。
「ルーシンさんが何をしたって言うんだ……」
「とっても悪い事さ……」
(人殺しが言う……とっても悪い事とはどれほどの悪事なのだろうか?)
ハジメには見当もつかない――だから訊いた。
「わ、悪い事ってなんだよ?」
「あぁ……それはな――」
ラファエが≪ルーシンのしたとても悪いこと≫を、言いかけた時だった。
「お母さん!!」
殺人事件に凍り付いていたパインが母の元へと近づいていく。だが、ルーシンはパインを見捨てるように娘を通り過ぎ精根尽き果てたような足取りで、ラファエの下へ。
「……連れて行って下さい」
「連れて行ってくれってことは、自首ってことか?」
「はい……」
ルーシンの言っている事がハジメには分からなかった。
「ルーシンさん……何を言ってんの?」
「ハジメ君……それはこの人に連れて行かれた所で全て話すから……」
ラファエの場所から、ルーシンがパインをじっくりと見つめる。
今まで大切に育てきた想いがある。ルーシンは娘に対する思い出や愛情、ありとあらゆる感情が入り乱れ、目を真っ赤にして大粒の涙を流した。
「パインごめんね。"天命"の為に娘を利用した……ダメなお母さんでごめんね……」
パインもまた涙を流し、ラファエと共にいるルーシンの元へ走る。そして母に抱きつき離れようとしない。
「嫌だよ!! お母さんと一緒にいる!!」
「ごめんね……」
ハジメは二人の様子を黙って見ることすら出来ず、ラファエの顔だけを見つめた。
ラファエはハジメに見つめられ、頭を掻きながら『ふぅ~』とため息をつくと。
「ここに居てもまた命を狙われるかもしれん……ティア――この子も連れて行く」
「パインちゃんも?」
「あぁこの子も連れて行く。ルーシンがどういう結末を迎えるかは分からんがな……」
ラファエの言うどういう結末になるか分からない。
(パインちゃんにはその意味が分かってるのかな。全て承知の上で最後までルーシンさんの側にいるということなのかな)
例え、どんなにひどい母親でも、お母さんはお母さん。母親にとって子供が何より大事であるのと同じように、子供にとっても母は何より大事。
それはハジメにも良く分かる。パインの気持ちが痛いほど伝わってきた。
「じゃあ、準備してきます……」
こうなる事を常々覚悟し続けてきたのか、あまりにもあっさりとパインはルーシンを残し自宅へ戻った。
いきなり決まってしまったパインとの別れ。釈然としない寂しい別れだった。
ハジメの心ははち切れそうなほど苦しかった。
だが"このまま別れられたならどれほど良かっただろう"と思う出来事がもうすぐ起こる。
寂しい別れではない。酷すぎる、惨すぎる、悲しすぎる別れがこれから――。
今のハジメにラファエにルーシンに……パインにこれから起こる"それ"を知る術は無い。
両親が倒れ、血を流した死体が二つ、真っ赤に染まった床の上でハジメがラファエに話しかけた。
「あのさ……ラファエさん?」
「あぁ……ラファエで良いよ……少年」
「だったら、僕の事もハジメって呼んでよ」
「分かった……これからはそう呼ぶよ……ハジメ」
どうでもいい会話が進む。
「で? ハジメ……何が訊きたい?」
「人を殺すってどんな気持ちなの?」
普段のハジメなら訊く事の出来ない質問。
(――何でこんな事聞いてんだろ?)
それはきっと、目の前で人が殺され、殺した人間がハジメの前に立っているから。
そんな理由だ。
ハジメが放った過激な質問に案の定、冷たい空気が流れる。
こんな空気になるのもハジメは重々承知。
「……何だか……本当に子供じゃないみたいだな……あっ! そうか……前世がどうのって言ってたな、ハジメ……ホントはいくつなんだ?」
「……よ、よ、四歳だよ!! いいから質問に答えてよ!!」
「殺す理由か? 分かんねぇーなぁ」
「分かんないのに人を殺すの?」
「そうだな……たくさん殺してきた……でも、いつも迷う……どんな悪事を犯したヤツでも死ぬ事は無いんじゃないか……生きて生きて生き抜いて一生掛けて償い無い切れない罪を償わなくちゃいけない……そう思ってんだ……」
あっけらかんと話すラファエの態度が不愉快でハジメの声が大きくなる。
「答えになってないよ!! ……そう思うんなら殺さなければいいじゃないか!!」
「う~ん……やっぱりガキなのか? "悪人がいるせい"で"意味も無く苦しむ連中が沢山いる"……常識だろ?」
重たい答えを簡単に、軽々しく答えるラファエにハジメが少しゾッとする。
「死刑になるヤツなんてそうだろ? ……死ぬ事でしか罪を償え無い連中がいる……死んで喜ばれる人間がいる……結論、殺されても仕方ない人間は存在してんだろ?」
(間違ってる)
ハジメはそう言いたかったが言えなかった。
ラファエの言う事は"善"でなくとも"正論"だと思ったからだ。
「そいつらを裁く……殺すのが俺達"聖痕騎士団"なんだよ」
ハジメが言い返せなくなる。
だから――こう言った。
「さっきと言ってる事が違うよ……」
「だから……いつも迷うって言っただろ?」
即答されたラファエの答えを最後に、ハジメの口からこれ以上何も出る事は無かった。
静まり返り鉄臭い血の匂いが立ち込めるハジメの家の遠くから、タッタッタと響く足音。
ハジメが玄関へ振り向くと不安一杯の表情をしたパインが戻ってきた。
「お、お待たせしました……」
ハジメに別れの挨拶をする暇も与えずラファエがパインへ。
「行くぞ……」
下を向いたままのルーシンに代わり、パインがラファエにペコっと頭を下げた。
ラファエを先頭にルーシン。
そしてハジメを気遣って、ルーシンとラファエから大分離れてパインが後に続いていた。
すると、パインが振り向きハジメを見つめる。
その顔がパインからハジメへの別れの挨拶だった。
――元気でね……さようなら……。
零れそうになる涙を隠そうとハジメが空を見上げる。
キラッ!! と、天空に一瞬何かが光る。それはハジメの目にしっかり映っていた。
そして、口に出す。
「何だろう? アレ?」
キラッと光った"何か"に気を取られ上を向いていたハジメが、パインに視線を戻した。
最後の別れ。手を振ることを止めないパインにハジメも手を振り返す。
「……またね」
とだけ、パインがハジメに"届かぬ約束"を呟いた時。
ズシャ!! 途轍もないほど鈍く嫌な音。
この音は一生忘れられないだろうとハジメが感じた。
パインが自分に起きた異常事態を把握しようと胸元を探る。
「えっ!?」
それでも理解できない。
パインを見たルーシン、ラファエ、そしてハジメ達の時間が止まる。
ルーシンはパインに起きた異常事態を、受け入れられず気を失い倒れてしまった。
ラファエが倒れゆくルーシンを左手だけで抱え、名前を呼ぶ。
「おい!! ルーシン!!」
ハジメはパインを助けようと声を張り上げ走り出した。
「パインちゃーーーん!!!!!!」
ハジメはパインの元へと向かう中。
聖痕騎士団の裁きを思い出していた。
そして聖痕騎士団が裁きを行うようになってから、何と言って大人達が子供を躾けてきたのかも。
空にキラッと光ったモノ。
それは槍。
天高くから十三数の槍が降り注いできたのだ。
ほとんどが茶色い地面に突き刺さってはいるものの、その内の一本が確実にパインの心臓を貫いていた。
そして貫かれた穂先からはぽたぽたと"僅かに濁った血"が流れ地面を綺麗な紅色に染める。
パインが左胸に刺さった槍を必死になって抜こうとする姿をハジメは見て、神様に訊いた。
(嘘だよね……)
何度も人形になっていたパインが、生きる為に必死になっている。
パインは痛みさえ感じていない様で、上に下にと力を入れるが一向に自分の体から槍が抜ける気配は無かった。
「あ……あ、あれ……あれ? ぬ……抜け……ない……」
その言葉を最後に両腕をダランと垂らす。
と、心臓に刺さった槍を支えにしてパインはそのまま動かなくなった。
「嘘だ……嘘だ嘘だ……嘘だ……うそだぁぁぁあああああ!!!!!!」
――さっき言葉を交わした。
――今の今まで生きていた。
――この世からいなくなってしまった。
ハジメの脳裏に浮ぶ"この世界"で子供を"躾け"る言葉。
――――≪悪い事をするとロンギヌスの槍が降ってくるよ≫
ご愛読ありがとうございました。




