第十四話
パイン。
――お母さんも殺すの?
パインの口から放たれた"この言葉の意味"をハジメは知らない。
ハジメから、立ち尽くしているパインへ質問を飛ばす。
「パインちゃん! それってどういう――」
ゾッ!! ハジメの全身に凍りつくような感覚が駆け巡り、堪らずラファエに振り向くと、全身を凍てつかせたその原因が、瞳に写った。
冷徹な緑色の瞳から発せられる――ラファエの狂気。
「どうした? 少年……」
ラファエの冷たい顔が一瞬で笑顔に変わると、簡単に変化すした。
ハジメにとって"これ"が、途轍もない恐怖だった。
足がすくんでしまうハジメに、ラファエがそっと近づいてくる。
「……逃げるなよ」
ラファエの冷然とした声を聞きハジメが『危険だ』とすぐに察知し、すぐ後ろのパインに顔を向け――
「パインちゃん!!」
と、叫び。
ハジメがパインに視線を絡ませ合図を送る
――『この男は危険』だと。
ハジメが視線をラファエに戻すともう目の前にいる。
ラファエの右手が動くことの出来ないでいる、ハジメの左肩の上を通り抜け、パインにゆっくりゆっくり伸びていく。
混乱してしまってどうしていいのか分からない。しかし、ここで動かずにいるわけにもいかない。
自分の左肩の上にあるラファエの右肘をハジメが両手で払うと、パインを手を強く握ると強引に引っ張り、自宅へ向かって走り出すと、バサッ!! と不吉を伝えるかのように何やら響く。
ソレはパインの手から離れ堕とした"六枚羽の風車"が地面に触れた音。だったのだが、気にしていられる余裕は無かった。
全速力でラファエから逃げたいハジメの思いとは裏腹に、パインの足がおぼつかず、走るスピードが上がらない。
「パインちゃん!! 急いで!!」
三百メートルほど走り、ハジメが一度後ろを確認したが、ラファエが追ってくる様子は無かった。
ハジメは後ろを見ながら胸を撫で下ろしたが、前を向くとすぐに慌ててしまう--前を見れば後ろが見れない、見れないからこそ"最悪の妄想"が浮ぶ。
――ラファエが殺意を持って追いかけてくる。
頭にこびりついた"コレ"が焦りを生む。
不安と恐怖の二つが交わり"慌てる"ハジメに対して、パインは"それ"すら出来ていない。
まるで人形のように、ハジメに手を引かれただ前に進んでいる状態だった。
アドレナリンがハジメの脳内に噴出し、更に走る速度を加速させると、パインの腕が抜けそうになるのを感じた。
それでも、パインは『痛い』の一言も発してくれなかった。
ハジメの足にほのかな痛みが生じて身体に響く。
ガチャン! 逃げ道の途中に置いてあった水の入ったバケツを、ハジメが蹴り飛ばしひっくり返していた。パインの足にひっくり返したバケツの水が掛かる。
冬場に置いてあった、今にも凍りそうな冷たい水が一瞬パインを反応させた。人間へ回帰させる"ハジメがすかさず"そこ"を突き必死の形相で励ました。
「もうすぐ家に着くよ!! パインちゃん頑張って!!」
"この言葉"に回帰状態だったパインが頭を上げ、ハジメの顔を一瞥――完全に元に戻る。
ラファエのいた場所から一キロほど離れたが、それでも"追って来る"という恐怖が二人の足を止めない。
二キロの距離を全力疾走しハジメ達が自宅へと辿り着く。
最初はパインを探す為、息を切らして走った二キロという距離。逃げる時は火事場の馬鹿力というヤツなのだろうか、疲れも見せず走り抜ける事が出来た。
バタンと戸を開き、パインの手を離すと押し込むように自宅へ入れながら。
「パインちゃん……もう大丈夫だから……」
パインに優しく声をかけると続いてハジメが中へ入った。
すぐさま自宅の戸を閉め鍵をすると、ハジメは両親に助けを求めて声を張り上げた。
「父さん!! 母さん!!」
懸命の叫びはハジメが人生で一回だけ使える"一生に一度のお願い"だったのだが、家の中のおかしな光景が"一生に一度のお願い"を帳消しにする。
ハジメのお願いを帳消しにさせたのはハレルヤが頭を抱えながら、涙を零し泣いていたということ。
「うぅ……うっ……うぅぅぅ」
ハレルヤは泣きながらハジメを"見つけ"椅子から立ち上がり、息子の元に向かった。
耳障りな金切り声でハレルヤが我が子の名前を叫ぶ。
「ハジメぇえええ!!!!!!」
息子に駆け寄り抱きしめようとするときに見たハレルヤの顔は、涙で表情さえうまく作れておらず、ハジメの目にはとても汚く写っていた。
ハジメがハレルヤに抱きしめられながら。
「か、母さん……どうしたの?」
明らかにおかしい自宅の様子、本来どんな所よりも安らげる場所が大災害で緊迫した避難所の様になっていた。家を出る前とは、明らかに家の雰囲気が変。
その疑問がハジメをより焦らせ、辺りを見渡す原因になる。
ハレルヤに抱きしめられながら辺りを見渡すと明確な変化を見つけた。
それは意外な人物が二人いたこと。
「な、何んで……ここに?」
この二人を見つけるなら詮索するほどしなくていい、しかし、見渡すくらいの事をしなければ見つからない。
それほど気配を消して、家の隅っこで"その二人"は何かを監視するように立っていた。
居るはずの無い二人がいる。
それにはきっと理由があるはず、普段接点の無い二人がハジメの自宅にやって来る訳が。
二人は土精種だから"カレジの農業指導にでもやってきたのか"とハジメは思った。だが、家の中へ入った時に感じた明らかにおかしい自宅の違和感は"この理由"でないことは、明白だった。
ハレルヤが息子の名前を取り乱しながら叫んだ事実と結びつかない。
それが知りたいハジメは二人に尋ねた。
「リキッドさんにライムさん……」
「ハジメ君……大丈夫?」
「怪我してねーか? ハジメ……?」
気配を消していたかと思えば、ハジメに声を掛けられるなり気配を露わにし、近寄り意味不明な心配をするリキッドとライム。
ハジメが状況を飲み込めないでいる。
――何故この二人が自分の家に居るのか?
――大丈夫と心配されているのは何故か?
――怪我をしていないとはどういう意味なのか?
誰一人、口を開かない無音の部屋が耳の感覚を研ぎ澄まし。
誰一人、動こうとしない光景が目から感覚を奪っていく。
正月の為にと、テーブルの上に飾り付けた"ファントムの青い花"から発せられる酸っぱい匂いだけが自宅の中で際立っていた。
ファントム花は精神を安定させるこうかがある。ハジメの体内で蠢く焦燥を忘れさせていく。
そのおかげで、ハジメは落ち着きを取り戻すことが出来ていた。
冷静になりハジメは"自分達の置かれた状況"が分からないと理解する。
ハジメは自分に抱きつくハレルヤに向けて話した。
「僕は大丈夫だよ……怪我もしてない……そんな事よりパインちゃんが……」
パインの名前を口に出した途端、奥の椅子で座ったまま青ざめていたルーシンが立ち上がり、パイン目掛けて駆け寄ると力強く抱きしめた。
ルーシンはパインの耳元で何やら呟く。
「パイン……大丈夫よ……頑張ったんだもの……神のご加護がきっとあるわ……」
抱きしめられるパインの横に立っていたハジメでも、聞き取れないほど小さなルーシンの声。
聞き取れたところでハジメにルーシンの"言葉の意味"は分からないだろう。
ルーシンの"言葉の意味"を知っているパインに、母親の声は届いたはずなのだが全く反応がなく"人形状態"に戻っていた。
カレジも椅子に座ったまま、テーブルの上で手を組み、祈るような姿でジッとしている。
不自然なこの場に自然体で立つ土精種の二人組みリキッドとライム、不自然な状況で平静を保つから、ハジメの目には余計不自然に見えた。
パインの事もある慌ててこれ以上状況を悪くしてはいけないと、ハジメは平気な顔をしてみるが、理由も無く平気な顔をして立つリキッドとライムに苛立ちを覚える。
「何で二人ともそんな平気な――」
何の前触れも無くガタっと椅子からカレジが立ち上がると、声を震わるハレルヤがハジメに巻きつくようにしがみ付いていた身体を離して、床にペタッっとへたり両足で八の字を作り、涙を拭くと甘えたような声で喋りだした。
「ハ、ハジメ……あ、あ、あの……あのね……」
ハレルヤの口から出た口調は、まるで恋人に話しかけるようで、ハジメの全身に鳥肌が経ち、産毛でさえも逆立ってしまう。
(気色悪い)
と、母に嫌悪感を抱いた。
カレジは妻の"異常な言動"を"何らかの危機に瀕していた息子が無事だと分かり、安心したが故の言動"だと取っていた。
ハレルヤの元へと近づき肩に手を乗せ、
「……ハレルヤ……俺が話す」
カレジがハジメに顔を向ける。そして今この村に起きている"事の顛末"を話し出した。
「ハジメ……落ち着いて聞いてくれ」
「……何があったの? 父さん」
ハジメはカレジの元へ足を一歩踏み出し、立ち上がった父の顔を見上げる。
事の顛末は衝撃の事実である、衝撃の事実でありながら、衝撃の事実であるからこそカレジが簡略して話す。
「この村から人がいなくなった……最悪の事態だ」
いきなり言われ意味不明だった。
お正月だから村人みんな揃って、ハジメ一家とルーシン一家、土精種の二人を置き去りにし、旅行にでも行ったのかと、そんな解釈しか出来ない。
だがその程度、驚嘆には値しないのだが、ドッキリにしてはリアリティーがありすぎる。
神隠しにでもあったというならば、最悪の事態であることに違いない。他人事でも決してないのは間違いない。
だから、ハジメはカレジに訊いてみた。
「人がいないって、どう言う事?」
「……もう、この世にいない……そう言う意味だ……ハジメ」
この世にいないというのは"遠まわしなようで直球"な言い方。それでも、どういう意味なのかハジメは理解できなかった。
ただ、不安だけがハジメを襲う。
「な、な、何言ってるの? 父さん?」
事の顛末の意味をハジメが理解できていないとカレジが感じたのだろう。
今度は"正真正銘の直球"で村で起きた信じがたい、神隠し以上である衝撃の事実を叫んだ。
「村人が全員……殺された!!!!」
カレジの言葉の意味ではなく、大声がパインに驚いた表情を作らせた。人形に生気を吹き込むチャンス。
一言、たった一言、母親であるルーシンの口から『もう安心よ』と言う言葉がパインの心に注ぎ込まれれば、安らぎが生まれ拠り所が生まれる。
のだが――無かった……ルーシンはパインを抱き締めたまま、泣いて動かない。
この状況の中、リキッドとライムは心の動揺すら見せず、体さえ揺す事は無かった。
ハジメが両親、次にルーシンとパイン、そしてリキッドにライムの順で顔を見渡し、誰かに問う。
「こ、殺されたってどういう事?」
ハレルヤは普段の状態を保っていない、カレジは状況を完全に把握できていない。ルーシンはそれどころではないし、パインはハッキリ言って論外。
だが、ハジメの問いはカレジに届いていた。
「ハジメ……本当なんだ……みんな殺されているらしい……」
思った通り状況を把握出来ていないカレジの答えはハッキリとしていない。
ハジメが思う――らしい? ……それは"確たる証"が見つかっていないということか? と。
それでも、ここに居る全員が"こんな馬鹿な話"を信じている。
(――何でだろう?)
すると、ライムがハジメに向かって話し出した。
「私達が何故……この村に来たか分かる?」
「……農業の手伝いでしょ?」
「それもあるんだけどね……」
"平静を保ちながら話すライム"はクリスマス・イヴの日に、ハジメが遭った"清楚なライム"とは少し違っていた。
"おしとやかな女子"から"気の強い女"に豹変している。
そして--"豹変したライム"の口から、今回の"村人殺害事件"に繋がる"別の真実"が露わになっていく。
「……私達の本来の目的は田畑の指導じゃなく"ラピィオ列車事件"について調べる事なのよ」
――"ラピィオ列車事件"
その言葉が出た瞬間だった。
ルーシンから汗が噴出していたかと思えば、娘のパインに脅えてしがみ付く。
ハジメは自分の横にいるルーシンとパインの様子をチラッと伺うと、初耳でもある"ラピィオ列車事件"について質問した。
「ラピィオ列車事件って何ですか?」
「去年の十一月十一日に"勇者反対同盟"の同志……二二二名が殺されたわ……」
「二二二人も?」
「そう、大量殺人でしょ? だから私達警察の上層部"獣人隊"は聖痕騎士団ではないかと判断したの、ある女性の証言によってね……」
淡々と話すライムの言葉が、ハジメの心を乱していた。
それは飛空挺事件に乗っていた"勇者反対同盟"が殺されたということ。
ハジメがほんの僅かに視線をずらし、パインと娘を覆うようにしがみ付いているルーシンを見た。
「だったら何でこんな所にいるのさ!!」
思わず大声が出たのは"勇者反対同盟"とルーシン、パインは"無関係じゃないと推測"していたハジメに、二人が"ラピィオ列車に乗っていたという高い可能性"が強く出てしまったからだった。
パインを覆いながら震えるルーシンをライムが、見下すように睨みつけていた。
冷たい目は変わらないものの睨みを消したライムが"ハジメ達だけ"に顔を覗かせ、話しを続ける。
「……聖痕騎士団と"内通していた者"がこの村にいる可能性があるの……私達がこの村へやって来たもう一つの理由よ」
「じゃあ!! そいつが犯人なんでしょ!! 僕ら村人をこんな目に合わせたヤツがいるんでしょ!! 警察なら早く捕まえてよ!!」
最悪の結論へと結びつけてしまい、余計な動揺でハジメの思考が乱れる。
余計な動揺をさせたのは、
――ルーシンとパインが"ラピィオ列車"に"乗っていたであろうこと。
――ルーシンとパインが存命であるということ。
――ルーシンを睨み付けたライムの言動。
の、三つ。
この三つが揃ってしまえばルーシンとパインが真犯人であるという、最も有り得て欲しくない"最悪のシナリオ"を作り上げることが出来てしまう。
ハジメが思わず拳を握り締め『犯人逮捕』と叫び声を上げ催促したのは、パインを"最悪のシナリオ"を作らせない為には、これが"最善の一手"であると思ったからでもあった。
聖痕騎士団と内通し、警察をロットン村に送り込まれる程の事態なら"内通者"が村人殺しの犯人で間違いないと、ハジメが推理していた。
――『村人全員が殺された状況の中で、自分達をこんな目に合わせた犯人を捕まえてくれ』
そう言ってしまえば、この言葉の中には"ここに犯人はいない"と言う意味が込められる。
だがこんなものは"最善の一手"ではなく、"浅はかな一手"でしかなかった。
浅はかな一手を打った後、すぐにハジメは後悔した。
ライムとリキッドは犯人の目星をつけたのではなく確信している、勇者とはそんな不確定な事で動く連中じゃない、この世界の誰もが知っていること。だから、ライムとリキッドが今ここにいる。
ライムが表情を曇らせワザと沈黙を作ると、
「震えてねーで、何とか言ってくれねーか?」
その沈黙をかき消すリキッドの強めの言葉が、より緊迫感を生み出していた。
リキッドがルーシンにきっちり顔を向ける。ライムと同じく見下し、作り出した緊迫感を利用して追い込みをかける。
「ルーシンさん……あんた"ラピィオ列車事件"をどう思ってる?」
「……な、なんで……ルーシンさんに聞くんだよ」
「ハジメ……少し黙ってろ」
鋭い眼光でリキッドに睨みつけられ、空気の圧に押し潰されるような感覚がこの家に居る全員を襲う。
言い返そうと覚悟を決めた筈だったハジメが、圧に屈して何も言えなくなる。
行動に移す事が敵わず、考える事も難しい、ハジメが感覚に身をやつす。
それは、ハジメの中に飛行機事件からずっと"もやもやとした感情"。
"最悪のシナリオ"の種でもある。
――ルーシンは何かを隠している。
このことについてハジメなりに何度も考えてきた。
それでも途中で思考が止まってしまう。
考えれば考えるほど、ルーシンは"隠し事をしている"からルーシンは"重大な事件に関わっている"に姿を変えてしまうからだった。
ルーシンが何か重大な事件に関わっているなら、動いている組織も大きなものになる。
この世界の警察とその上――"勇者連合"。
事件が事件、パインはタダでは済まない。
――嘘でもいいから否定してくれ。
それがようやく思考する事ができたハジメが一番最初に頭に浮んだ願い。
だが、その願いを踏みにじったのは――。
「お母さん……もう止めよう……」
パインだった。何かを決意したのか、いつの間にか人形ではなくなっている。
そんなパインを見たハジメが思いを廻らせる。
『確信に至る事は何度もあった。それでも否定し続けてきた。否定する事がパインを守る事になる。知っていても知らぬ振りをし続ける事が正しい。騙されたままでいることが正解』
それが--ハジメの出した結論。
――≪そのせいで自身がどんな不幸に見舞われても構わない≫
そんな結論と覚悟が出来たのも全ては――パインが大好きだったから。
その"結論"も"覚悟"も"感情"さえも、パインの一言で幻のように消え去ろうとしている。
ハジメ個人がリキッドとライムに"反論してもいい理由"なら山の様にある。
「パインちゃん! 何言ってんだよ!! パインちゃんは何もしてないだろ!!!!」
ルーシンの腕に包まれたパインがハジメの顔を見ると優しく微笑み。
「ごめんね……ハジメ君……」
「謝ったりしないでよ!!! それじゃまるで――」
「――お前が犯人みたいだよなぁ~……パイン・ティアマト」
(……何? ……それ??)
予想だにしなかった、いや、予想すら出来なかった"その名"を出されハジメの表情が凍りついてしまう。
「ぇ!?」
目を丸くし立ち尽くすだけのハジメがリキッドを見つめながら、その名前が口から落ちる。
「ティ……アマト?」
本で読んだことのある――名前。
カレジに聞いたことのある――名前。
新聞で見たことのある――名前。
"千年王族"――≪ティアマト≫
そのティアマトの血を引くのがパイン。
ティアマトの血筋に何の意味があるのかハジメには判らない。
リキッドがこの場で千年王族の名前を出した以上、今回の事件に何らかの結びつきがあるのだろうが、ハジメにとって今たいした意味を成さない。
今のハジメに重要なのは守りたいと思った初恋の子がラピィオ列車の殺人犯であるという"高い可能性"が"確定"になってしまった事だ。
「……コイツはティアマト一族の血を引いている……まぁ……ルーシンの方は売春婦だったらしいが……それにしても"千年王族"が売春婦に手を出したとなると、ティアマトも落ちるところまで落ちたってことか…」
微動だに出来ないでいたハジメが、リキッドの暴言を聞き顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「そんな事どうだって良いだろ!!」
「ハジメ、てめぇはガキだから何も知らねぇんだろうが、ティアマトは世界中の嫌われ者なんだよ!!」
ルーシン母子に代わりハジメがリキッドに反論する。
「だから何だって言うんだ!!」
「今回のラピィオ列車事故は、ルーシン、パイン、こいつらの仕業と"決定"している」
まるで決め付けるようなリキッドの言葉にハジメが唖然としてしまう。
「……け、決定?」
そして"警察"から"勇者"から"世界"からティアマトに対する暴言を、リキッドが代表するかのようにパイン・ティアマトを狙い無情に放つ。
「世界を混沌に陥れたゴミにも劣る"クソ一族"……諸悪の根源……悪魔の血を引くお前がこの世界に産まれてきちゃダメだろ?」
リキッドの言葉にハジメの気が動転する。前世でこんな暴言は何度も言われたことがある、だから知っている。
人が人に対して言っていい言葉ではないことだと。
人格の否定さえ越えた、存在の拒絶、これを言われてしまえば苦しいなんてモノじゃない。
生きる意味さえ、容易く見失ってしまう"殺人言語"。
ハジメが怒り、そして狂ったように
「な、何て事言うんだぁあああ!!!!!!」
ハジメが激高しているすぐ傍で、パインの目から光が消えた。
頭をフル回転させ、ハジメは確定してしまった事実をひっくり返そうと躍起になる。
躍起になるのも全ては"パインを助けたい"という想い。
その一心で、リキッドを言い負かそうと反論した。
「犯人だって決定していたなら、何ですぐに逮捕しなかったんだ!!」
こんな事を言ったところで事実が変わるわけではない、確定しているのだから。だからこそ、リキッドは動じる事無く冷静にハジメの言葉を受け入れ、平然と返すことが出来た。
「勇者が今、悪党と呼ばれていることは知ってんだろ? ハジメ……」
「そうだよ!! 勇者は悪党だ!!」
「その悪党達が、獣人隊の調査報告を使って、ラピィオ列車事件の犯人は……こいつらだと"決めた"んだよ」
リキッドはルーシンとパインの命を物のように扱って、挑発して見せた。
その事でハジメの感情は大きく揺さぶられ、リキッドの作戦通り我を失ってしまう。
「何で勝手に決めるんだ!!!!」
「俺に言うなよ……上の連中が"決めた"んだ……だからすぐには捕まえない」
ハジメの憤怒に対しあっけらかんとした口調に針穴を通すようなタイミング、一瞬で解読するには難しい言い回し、勢いを殺され劣勢になる。
「すぐに捕まえない? い、意味分かんないよ?」
小鳥が鳴いたようなハジメの小さな声。
そんなハジメの息の根をとめるため、ライムが二人の間に割って入ると、リキッドと交互に話し始めた。
「ルーシンさんとライムちゃんを犯人と"決めた"のは政をする、とても偉い方々の判断よ……」
「そのお偉方が欲しいのは"こいつ等"でも、"こいつ等を捕まえたということ"でもない……"法律に基づき丁重な捜査を行った上で悪党を人道的に逮捕する"という事実が欲しいんだ」
「"勇者は正しい"……それを世界の人たちに分かってもらわなくちゃいけない……今回の事件はその第一歩ってことね……」
「まだ……証拠は無かったがさっきの"クズガキの謝罪で確定"した、まぁ……吐かなくとも、こいつ等が犯人ってのは"決定事項"だ……どうにも何ねーよ」
「ハジメ君……悪い事は言わない……これ以上首を突っ込むのは止めなさい……」
ルーシンとパインが悪事を行った事は明らかになった。
ハジメもそんな事くらい理解できている。
ラピィオ列車の殺人が事実である以上、二二二名の尊き命がルーシンとパインの、"そうしなくてはならない勝手な都合"で奪われたのは間違いない。
――何か訳がある。
――嵌められたんだ。
――二人とも被害者だ。
――パインちゃんに罪は無い。
――いつも優しいパインがちゃんが、罪を犯したのならそれ相応の理由がある。
いつもの様にハジメの中で正当化が終わり、今度は見苦しい言い訳が始まる。
「せ、正当防衛だ!!」
息を呑み放ったハジメの怒声を、リキッドは『ふぁ~』と、アクビをし意にも介していないかった。
"バカを通り越すような屁理屈"、相手にしていては切が無くなる。
ハジメに無視を決め込んだリキッドが、パインを見下しながら更に続けた。
「"ヴァルバンス"を筆頭に"勇者連合"果ては"非勇者"まで、"世界の全て"から蔑視されて、疎まれている……さぞ怨み辛みが募っているんだろ? ……なぁ? ティアマト……」
ルーシンはリキッドの顔を見ることが出来ずパインを抱きしめ震えている。
パインもルーシンと同様、母の胸に顔を埋めて涙を堪えていた。
ギリっと歯軋りをさせたハジメがリキッドへ怒りを込めて言葉を発する。
「何が言いたいんだ!!」
「ハジメ……お前の言葉は聞く価値が無い…」
ハジメの言葉を即答する。そしてリキッドが冷たくあしらう。
パイン達に追い討ちをかけるよう為、リキッドがまた語る。
「二年前の飛空挺事件……あれもお前らの仕業じゃないのか?」
突如、持ち出された二年前の事件を語られ、床に顔を向けていたルーシンがリキッドを見上げ反論する。
「ち、違います!! "アレは"私達じゃない!!」
「アレは? ……か? じゃあ……どれがお前達の仕業なんだ?」
ルーシンの青ざめた顔が一気に諦めの表情に変わると、落胆し蹲る。
そこへライムが蹲るルーシンとパインの元で腰を落とすと、優しく問いかけた。
「ルーシンさん……自分達がしてしまった事……全て話してください……今なら背負わなくていい罪もありますよ……」
リキッドとライムの人心を掌握する会話術はアメとムチだった。
リキッドが責めれば、ライムが優しく今後の明るい道を提示する。
ライムのアメでルーシンが心の鍵を解いてしまう。
「は……はい……全部……話します」
今までルーシンの闇をしまい込み、硬く閉ざしていた心の扉が音を立てて開いてしまった。
リキッドとライムの人心掌握術は手引書で見たような、ごく有り触れた簡単なモノであったのだが、極度に追い込まれた人間は必ず"最も楽くになれる道"を選択する。
リキッドもライムもそのことを知っているのだろう。
ルーシンはあっさりと二人の話術に掛かり、パインから手を退けると、娘を遠ざけるため、立ち上がりる。
ルーシンにあわせるようにライムも立ち上がると二人は視線を絡めた。
そして、ルーシンの口からラピィオ列車事件を語りだした。
「私達は飛空挺事故の後、"ヴァルバンス"ではなく"イスニール"と言う街へ移送されました」
「……それは知っています」
「そこで"天命"が下りました……」
ルーシンが"天命"と口にした瞬間、何かを悟ったような様子でライムの眼光が鋭くなる。
ライムの瞳は血の気が引くほど恐ろしく、ハジメの目には憎悪を含んだように写った。
そしてライムが呟く。
「"天命"……ね……」
ルーシンは自分を睨むライムの前で、両手を床に付けると土下座し汚れたタイルに額を擦り付けて懇願した。
「そうです……全ては私が受けた"天命"の為!! その為にパインを利用したんです……この子は被害者です!! 何も悪く無いんです!!」
「何も悪くないというならパインちゃんが"仕出かした悪くない事"を教えてください……」
「パインは……悪くありません……悪くありません……悪くありません……」
"悪くない"を最後に、ルーシンはそれ以上を語ろうとしなかった。
一瞬だったが、家の中が静まり返る。
静寂に包まれた家の中で叫び声を響かせたのはハジメの父――カレジ。
「悪くないわけが無いだろ!!!!」
カレジはバンっ!! と、両手でテーブルを叩くと、その勢いで座っていた椅子がガタンと音をたて倒れた。
ハレルヤが夫の暴走を止めようとカレジの前に立つのだが、
「あ、あなた!!」
「どけ!! ハレルヤ!!!!」
「きゃぁあ!!」
「母さん!!」
――ハジメに戦慄が走る。
それは……ハジメの父カレジが、いつも怯えているハレルヤの制止を押しのけ、女房を壁に突き飛ばしていたからだ。
――ハジメに戦慄が走る。
それは……ハジメの父カレジの右手に剣が握られていたからだ。
――ハジメに戦慄が走る。
それは……ハジメのカレジが前世最後の日、パソコンの前で生中継をしていた一の元へとやって来た時と同じ様に目が血走り鬼の形相になっていたからだ。
ハジメに戦慄を走らせたカレジが憎しみ一杯の低い声でパインを脅すように、言葉をぶつけた。
「貴様……ティアマトだったのか!!!」
パインに向かって怒鳴るカレジの姿は"鬼"としか言いようが無い。
「この怪物がぁあああ!!!!」
切れてしまうと思ってしまうほど浮き上がった血管。カレジは憤怒を抑え切れず右手に柄を持ち左手でゆっくりと鞘を抜きながら――
「この怪物めがぁあああ!!!!」
呪いの言葉を吐き捨て鞘を抜き、パインの目の前へ立ったカレジが剣を高く振り上げる。
「俺の故郷を返せぇえええ!!!!」
パイン目掛けて振り下ろされる剣の前に、最愛の息子ハジメが立ちはだかった。
「父さん!!」
パインに覆いかぶさるハジメがカレジの目に入った。
が――もう遅い。
剣術のいろはを知らぬカレジに、振り下ろした剣を途中で止めるといった高等技術はない。
剣の腕は、からきしのカレジには不可能な芸当だった。
ハジメが目を閉じたまま"今まで"を振り返る。
――死んでしまう。
――父親に殺される……前世と変わらぬ惨めな人生。
――それでも、好きな人を守って死ねたなら赤点は免れたかな?
死に行く間際のハジメが、前世から今までを走馬灯の様に思い出していた。
ハジメの背中に向かって振り下ろされた剣の痛みが感じない。
死ぬ時って痛みなんて感じない。こんなもんなのかと、のん気に考えている。
そんな間際に聞えてきたのは、ついさっき体に恐怖を刻み込んだ、あの男の声。
「おい……少年?」
目を開きハジメが声の主を探す。
「……えっ?」
パインもルーシンもハジメも傷一つ無い。
ハジメは見上げると、その男の言葉を訊く。
「まさか……自分が死んだなんて思ってないだろうな?」
ハジメの目の前には背中に"不不滅鎖"の紋様が描かれた黒衣を羽織った男。
「……ラファエさ……ん?」
ラファエがカレジの剣を槍で受け止めながらハジメに話しかけた。
「名前を覚えててくれたのか……」
「なんだ!! 貴様は!!」
「お父さん……子供に刃物向けちゃダメでしょ……」
ラファエはやれやれと首を振り、カレジをなだめる。
カレジの暴走を止めようともしなかったライムとリキッドは、二人の会話を聞きながら、手に魔力が篭めると口を揃えラファエに向かって声を張り上げた。
「「南世界の人間が北世界へ何をしに来た!!!!」」
ご愛読ありがとうございました。




