第十三話
ハジメが四歳になった日。
我らは≪勇者連合≫である。
勇気を持って正義を成し"フォーレン・モール"と戦う者。
我ら勇者から世界へ向けて平和を発信する。
勇者よ――劣化種を殲滅せよ。
勇者よ――亜人を誅殺しろ。
勇者よ――逆らう非勇者へ死罰を与えよ。
勇者よ――狂いを滅ぼせ。
勇者よ――フォーレン・モールを覆滅させよ。
――"勇者の敵"は"世界の敵"である。
この世界に仇なす者を許すべからず。
――悪の蔓延る世界に天罰を……。
――穢れた亜人共へ正義の鉄槌を……。
――終わりの見えぬ"最終戦争"に終止符を……。
ファーレン・モールの呪いも、それに連なる狂いさえ、いとも容易く消し去ってみせましょう。
全ての元凶を我ら"勇者"が焼き払う。
罪無き非勇者の屍を幾万と踏み越えようと……。
必ずやこの世界に平和を捧げてご覧にいれましょう。
最後に悪に怯える力なき人々へ。
勇気の言葉を送ります。
――世界が平和でありますように……。
* * * * * * *
"北歴"≪一九〇二年 一月一日 七時三十分≫
ハジメの四歳の誕生日であると同時に、年に一度の元旦をハジメの家で過ごしているルーシン一家。
ルーシン、パインと共に新しい年を向かえ皆が、オレンジジュースの入ったコップを持ち、気持ちよく新年の挨拶をしている時に、たまたまつけた。
というより、つけてしまったラジオから聴こえてきた不愉快な勇者連合からの言葉を聴き、ハレルヤが顔をしかめた。
「何だか……嫌なラジオでしたね……」
ルーシンもハレルヤの顔を見て、苦い顔になる。
「ハジメ君の誕生日も兼ねていたのに……」
「まぁ、ルーシンさん……ハジメの事ならお気になさらず……ねぇ……あなた?」
「そうですよ……ハジメの誕生日は後から盛大に祝いますので……」
まるで社交辞令のような会話をする両親とルーシンの姿を、右手にコップを持ったままハジメはただ二人を見つめている。
そんなハジメにパインからお祝いの言葉が贈られた。
「ハジメ君! 誕生日おめでとう!!」
笑顔一杯のパインの表情を見てハジメは"驚き三"の"喜び七"――差し詰め、凄く照れ臭そうな表情で返答する。
「あ、ありがとう……パインちゃん」
「ハジメ君……髪伸ばしてるんだね! 格好良いよ!」
祝辞の後に出されたパインからの髪形を褒められ、ハジメはドキドキと心臓を高鳴らせている。
ハジメはずっと丸坊主だった頭の髪を伸ばし、少しばかり格好付けるようになっていた。
その理由はもちろん目の前にいるパイン。
パインは現在"十三歳"、短くなっていた髪の毛も伸び、トレードマークでもあるツインテールが出来るまでになっていた。前から大人びていていたスタイルに磨きが掛かって、それでも童顔で可愛らしいまま。
ハジメに言わせれば、見てるだけで目の保養になる。男として格好付けたくなるのも当然。
今も目の保養として楽しんでいるハジメであった。だが、やはり気になることがある。
遡る事、十一ヶ月前――。
――『殺される』
と、言って泣いていたのが嘘だったかの様にパインは元気になっていた。それはとても嬉しいことではあったのだが、あれから何も起きていないことがハジメの心に二つの感情が生まれた。
一つはハジメはパインを"守ってあげたい"という想い。
二つ目はその成果を発揮する場面にまだ出くわしていないということ。
"修行の成果をパインの前で披露したい自分"と"このまま何も起こらずパインに一生平穏で居て欲しい自分"の二つが心の中で葛藤していた。
「パインちゃん?」
「何? ハジメ君?」
「い、いやぁ……あ、あのぉ~」
――『何か命の危険を感じた事はない?』
と、ハジメはパインに訊きたかった。
のだが、パインに即答され言葉に詰まりハジメは"ソレ"を言えなかった。直接言う訳にもいかない。
ハジメは頭の中で口にする文章を整理し、言葉を一つ一つ吟味して選んだ最善と思われるセリフをパインに伝えた。
「最近……何か変な事なかった?」
ハジメの言葉にまたパインが即答する。
「何で……そんな事訊くの?」
明らかな拒絶を示したパインはハジメから目線を完全に外し、後ろを向いてしまう。
ハジメには吟味した言葉のつもりだった。
しかし、全く思慮が足りていなかったようで、あっさりと意図を悟られる。
パインは、何も言わずテーブルの上にコップを置き、そそくさと家の外へ出て行ってしまった。
「パインちゃん!!」
大声を上げるハジメの前にハレルヤが立ちはだかり。
「ハジメ! パインちゃんに何を言ったの!」
「最近何があったか訊いただけだよ……」
と、つい正直にハレルヤに話してしまうハジメ。
次はカレジがハジメの後ろから。
「無神経だぞ!! ハジメ!」
「ご、ごめんなさい」
ハレルヤとカレジに向かって頭を下げ、ハジメが本気で謝罪する。
カレジがネチネチと説教をし、ハレルヤが隙間を付いて更に説教。
ハジメは両親に挟まれ息が詰まりそうになる――時だった。
正月早々に巻き起こる"ハジメ一家のお説教タイム"を見るに見かねたルーシンが、息子を叱る両親の間に割って入りしゃがみ込んだ。
ルーシンがハジメに目線を合わせ、
「ハジメ君はパインを心配してくれたのよね……」
と、ルーシンは笑顔で俯くハジメを庇う。
すると、ハレルヤはルーシンに顔を向けて頭を下げる。
「すみません……ルーシンさん……すぐパインちゃんに謝らせますので……」
ルーシンはしゃがみ込んだまま、ハレルヤを見上げ言葉を返した。
「謝るだなんて……別に……」
カレジは椅子に腰掛けるとハジメを怒鳴りつけた。
「ハジメ! パインちゃんに謝って来なさい!!」
ハジメはイラつきムスッと無言のまま外へ向かって歩いた。
いつもなら"無視をした"と怒鳴られるところだが、"子供のわがままを許してやる寛大で立派な親"であることをルーシンの前で見せたい二人は、怒らない――ハジメの解釈。
ハジメは外に出て行ってしまったパインを追いかける。自宅から離れる事が出来るのは、都合が良かった。
パインを探すに次いで修行もある、ハジメは夜まで帰るつもりは無かったからだ。
夜になる頃には"ハジメの無視"など、両親はすっかり忘れてしまっているだろう……から。
外に出たハジメがキョロキョロと辺りを見渡すといつも通りの殺風景。田畑があってポツリポツリと点在するレンガの家の前を通る砂利の道。
お正月――みんな家で飲んだくれているのだろう、とハジメが思う。
そして辺りを見渡すとパインどころか村人の気配すら無かった。
「……パインちゃん、何処行っちゃったんだろ?」
パインの顔がハジメの頭に浮ぶ、カレジの言う通り自分の言動は無神経だったと歩きながらハジメが反省。立ち止まり……そしてまた走り出す。
言葉を選んだつもりではいたのだが、元々ハジメはコミュニケーション能力が低い。
最良の言葉を選びパインに悟られる事なく"パイン自身に迫る危機の情報のみ"を訊き出そうと思ったことがそもそも間違いだ。
お正月らしい粉雪交じりの冷たい風が吹きひゅーっと音を鳴らした。
「さ、さむ!!」
ハジメは切るような寒さに震えると、二の腕を擦り、自分の体を温める。
真冬の風がハジメをますます不安にさせた。
立ち止まり辺りをキョロキョロと見渡し――。
「パインちゃん……何処行っちゃったんだ……」
ロットンという村は、辺鄙という言葉が良く似合う田舎。
なのだが、辺鄙な村特有の近所同士で助け合うといった習慣が今では完全に消えてしまい。村人同士が会話をするのは社交辞令的で、隣近所の村人にさえ関心を持たない者が多い。
ここ数日は村の外に出ても人影すら見ていない、そんな事が珍しくないのだ。
多分、パインが凍えていても助けてあげようと考える村人はいないだろう。
寒さに凍えパインに"何か起きてしまった"としても村人達は――
――『分からなかった』
――『気づかなかった』
――『知らなかった』
で、済ましてしまう。
自分達の事で精一杯な村人達は近隣に住むもの同士で支えあったりなどといった精神を持ち合わせていない。
持ち合わせる余裕が無いと言ったほうが正解かもしれない。
その原因は"貧困"という言葉に尽きる。
"絵本世界"の"この時代"はそれほどまでに"フォーレン・モールの呪い"に侵食され人々の心は荒れている。
「急がなくちゃ……」
立ち止まってしまったその場から、もう一度走り出したハジメはロットン村の西側にへと走った。
西側へと走ったのはロットン村の"唯一の出入口"が西側に存在してるからだ。
ロットン村の西側にしか出入り口のない、
その理由は田畑で出来た作物を主な収入源としている。そのため、田畑を荒らす猪や猿やetcの侵入を防ぐ高さ五メートル程の電流鉄線が半径十キロ程の面積を持つロットン村を"守る為"に敷かれている。
ハジメが西側にある出入口へ向かった理由は、パインが村の外へと出てしまったのではないかという心配があったからだ。キーっと頭に血が昇った女は何をするか分からない。
母であるハレルヤを見ていてきたハジメの、女性に対する偏見がそうさせていた。
ハジメの家はロットン村の出入口から三キロ程度の場所にある。
走って辿り着けない距離ではないのだが、五〇〇メートルも走れば真冬の寒さにやられ、ハジメの顔に痛みが襲い、手先の感覚が無くなった。
「寒い……寒い……寒い……」
白くなる息を口から吐き出しながらハジメは必死に腕を振り走るが、四歳になったばかりの体では限界がある。
一キロも走ればギブアップだった。
"魔法習得の第一段階"をクリアし"体力の代わりに精神力を消耗させる技術"を身に付けたとはいえ、四歳児の精神力などすぐに底を尽き、ハジメの肉体と精神が悲鳴を上げる。
これは"魔法使い"になると出来上がる。もしくは出来上がるから"魔法使い"になれる"魔導回路が未完成という証明"でもあった。
つまり、ハジメはまだまだ未熟。そう実感し、走りながら見渡したロットン村の風景は飽きが来るほど変わり映えがない。
二キロ地点を過ぎた頃、ハジメの足が止まってしまう。
「くっ!! はぁ……はぁ……はぁ……パ、パインちゃん……」
ハジメは下を向きながら、わき腹を押さえ苦悶の表情を浮かべている。時だった。
「おい! 少年!!」
誰かの声がハジメの耳に届く。
体力の限界値を越えてしまったハジメは顔を上げることすら難しく、両手を両膝に置きながら息を切らして地面を見つめていた。
その声の主の顔を確認することは出来なかったが、その低い声と口調からパインでない事はすぐに分かった。
息を整え頭を上げる僅かな間にハジメの脳に色々な疑問符が浮ぶ。
――この村の人?
――知り合いじゃないな?
――一体誰だ?
ハジメの目の前にいたのは蒼い髪に緑色の瞳が特徴の風精種――"精霊人類"の一類。
蒼い髪を逆立てたホストの様なイケメン男性が黒いコートを羽織っている。
イケメン男性にハジメが下を向いたまま。
「村の人じゃないですよね?」
イケメン男から出された質問の解答になっていないハジメの第一声。
少年、と声をかけられたのだから――『何ですか?』
と、答えるのが普通なのだろうが、ハジメの頭にはパインの事しかなかった。
だから遠まわしに『邪魔だ』と言ったつもりだったのだが、イケメン男にハジメの伝えたかった"邪魔"という意味は伝わらなかった。
それどころか――
「これを見てくれ!!」
そういうとイケメン男は一冊の本をハジメに差し出し、ハジメが顔を上げ受け取る。
イケメン男が胸の前で腕を組む中、少年が自分の顔前に本を持っていくのを見てニコっと笑う。
差し出された本の中身を確認してハジメがポツリと。
「しゃ、写真集……」
写真集のテーマは"肉体美"というやつだった。
目の前にいるイケメン男がブーメランパンツを履き、これ見よがしなポーズをとっている。
ハジメが思う。
(突如現れ、見知らぬ少年に筋肉隆々の写真集を渡すような男とは一体どんな人物なのだろう――有名人か変態?)
――多分変態ではないだろう。
――変態ならば写真集など出せるはずもない。
――だとすると有名人だ。
(……有名人が辺ぴな村にやって来て民家に泊めてもらう"アレ"かな?)
と、ハジメが予想する。
結論は……ハズレだ。"カメラの気配は無いし、スタッフもいない"とハジメは素人ながらにまた予想。
遠くを見つめて予想するハジメにすかさずイケメン男が問いかける。
「嬉しいか?」
イケメン男に尋ねられ、ハジメが振り向き。
「い、いや……」
思わず、口から出てしまったのは、ハジメの本音。筋肉自慢の男性写真集を貰って喜ぶ男などそうそういない。
ハジメは"オタク"の気はあっても"おカマちゃん"では無いのだ。
「まっ! ガキんちょに大人の男の魅力は分からねぇ~からな!」
リキッドとは別の意味で嫌いなタイプだった。
ハジメがこのおかしくなった空気を切り替えようと、イケメン男に話を振った。
「あの?」
「何だい? 少年?」
さわやかな笑顔で優しく聞き返すイケメン男に、ハジメは手振りを交えて本題を投げかけた。
「この辺で金髪でツインテールをした女の子を見かけませんでしたか?」
「う~ん……」
イケメン男は目を瞑り、また腕を組むと顔を上げ真剣に考えてくれている様子。
「わりぃな! 分かんねぇ~」
「そうですか……」
ガックリと肩を落とすハジメに今度はイケメン男が自己紹介をした。
「俺は≪ラファエ≫ってんだ! よろしくな!」
「……よ、よろしく」
こんなところで自己紹介などしている場合じゃない。
それはハジメが一番、判っている。
そんなハジメの心の内などお構い無しに、ラファエが話を続けた。
「少年……次は俺の質問に答えてくれないか?」
ラファエが言葉を発した瞬間、ゾッとさせる張り詰めた空気がハジメの全身から汗を噴出させた。
ハジメが素振りをしていた時と同様の、空気が振動する現象が起きていた。
だが、一つ違うのはハジメとは比較にならない魔力を放ち、周りに居た小動物や鳥達が一瞬にして怯え、一斉に飛び立ち、逃げ去っていったこと。
「……ぅ!?」
ラファエの表情と姿を見て、今度はハジメの本能が"逃げろ"と警鐘を鳴らす。
ハジメの全身が固まり、精神までも凍る。
さっきまでの"さわやかで優しそうだった"ラファエの笑顔は消え去っている。
ハジメにはラファエが別人に見えていた。
無機質な表情に冷徹な緑色の瞳をした姿は"殺人鬼"という単語をハジメの頭に想起させる。
そして――ラファエが信じられない言葉を口にすた。
「……ルーシンって女を殺しに来たんだが……知らないか?」
(……えっ!?)
ハジメは耳を疑った。
『ルーシンを殺す』――そんな物騒な事を平然と言ってのけるラファエの言葉に体の芯から恐怖が湧き出した。
ハジメは言葉を発する事も、その場から逃げ出す事さえも叶わない。蛇に睨まれた蛙のように。
睨みを利かせる蛇が、不気味にハジメを微笑み見つめると、硬直する四歳児のすぐ後ろで砂を蹴るザッ!!! という――誰かの足音。
その音目掛けて、ハジメが反射的に振り返り――愕然とする。
「――い、いつ……の……間に?」
そこには一目見ただけで簡単に理解できてしまうほど、怯えているパインの姿があった。
「パイン……ちゃん……」
ハジメはラファエの放った異常な魔力で気が動転していたのか、今の今までパインの気配に気が付かなかった。
パインの様子は『死にたくない』と現れた"あの時"と違った脅え方のように感じられた。
混乱し停止してしまいそうになる思考を、ハジメは唇を噛締め身体に痛みを走らせることで、何とか回転させる。
「何処行ってたんだよ!! パインちゃん!!」
ハジメからの懸命な問いであったが、パインは答えてくれなかった。
パインの顔面は蒼白し、絶句して、立ち尽くしてしまっている。
命を狙われていると"自分で言っていた"パインにとって、このラファエという男の言葉は真実味を帯びて聞こえていた。
刹那の静寂。
パインの左手に握られている物がハジメの視界に入る。
(アレ……何だ?)
それはハジメの家から出て行った時には持っていなかった物――≪風車≫
パインの左手には"六枚羽の風車"が握られていた。
どこから持ってきたのか、それが何なのか、ハジメには分からなかったが、何故か――とても気持ちが悪い。
ひゅーっと吹いた左側からの風に当てられた左手の風車は正しく右に回らず、クルクルっと逆に回転する。
おかしな回り方をする"六枚羽の風車"を見て、ハジメは気持ち悪さを通り越し、吐き気を催し口元を押さえた。
吐き気のせいもあり、呼吸が荒いハジメの横で、両者が対峙する様に向き合う――"パイン"と"ラファエ"。
ラファエは口を開かず、ただパインを見下している。
血の気を引かせ完全に停止していた"パイン"が"ラファエ"に向かって静かに問う。
「――お母さん"も"殺す……の?」
(――も?)
たった一文字。
このたった一文字が。一体どんな意味を含んでいるのか、この時のハジメには知る由も無かった。
パインの身に何か起き、自分自身の修行の成果を見せ付けたいと、そう思っていた時――起きた事件の引き金。
このまま何も起こらずパインが平穏に過ごせればと、そう思っていた時――起きた出来事。
"不吉"を内包する"この一文字"を生んでしまったのは"ハジメの無神経が起こした偶然"ではなく"六枚羽の風車が引き寄せた必然"である。
ラファエの口から放たれた意味深な一文字が引き起こすのは――≪最悪≫である。
ご愛読ありがとうございます。




