第十一話
ハジメの行く道。
時刻は午前の八時。
太陽が昇った青空の下。ピィーピィーと鳴く冬鳥の囀りで、ハジメは目を覚ました。
ぐっすりと眠りに落ちていたせいか、気持ちは昨晩と比べると大分落ち着いている。寝室からリビングへと歩くハジメの姿は、純粋な子ども以外の何者でもない、布団の中で渦巻いていた黒い感情はすっかり消え去っていた。
スカッと晴れやかいい気分とまではいかないが、ハジメの心は眠りにつく前よりはずいぶんマシになっている。
「ハジメ! ご飯よ!!」
リビングから聞こえる母の呼び声で、軽くなっていたハジメの体が、一気に緊張した。何故ならハレルヤの声が、明らかに不機嫌だったからだ。
夏休み終了後、学校に行く前のような沈鬱な気分になっていた。
ハジメは重い足取りで両親のいるリビングへと向かう。
カレジとハレルヤはテーブルの椅子に腰を下ろしたままハジメを見つめながら、昨日の事がまるで嘘の様にニコッと笑顔で挨拶する。
「やっとおきたかハジメ、おはよう」
「おはよう! ハジメ」
「おはよう……父さん、母さん」
ハジメが椅子に座ると、そこには三人分の朝食が用意されていた。テーブルの上に香ばしい匂いを漂わせるトースト、それにミルクティーが甘い香りを漂わせている。
ハジメはおいしそうな朝食を見ても、嬉しそうな顔をせず、何かを言いたそうな表情をしながら椅子に座ると、下を向いていた。
そんなハジメにカレジが訝しげな表情で尋ねた。
「……どうしたんだ? 朝食に嫌いなものでもあったか?」
ハジメは嫌いなものがあった訳ではない。
『勇者になりたい』と両親にもう一度打ち明けたかった。そして『ルーシン母子を助けに行きたい』と言いたかったのだが、言い出せるはずも無い。その言葉を口にしたところで、何にもならないどころか、また昨晩の様な惨事を引き起こしかねない。
今この家には、とても機嫌の悪いハレルヤがいる。絶対に反対されるとハジメには分かっていた。分かっていてわざわざ、惨劇の引き金を引く馬鹿はいない。
例えハレルヤがいなくても同じ事、父は口だけだということが"昨日の晩"でハジメには良く理解できてしまった。正確にはハレルヤに支配されてしまっていると明確に痛感した。
ハジメが何も"答えなかった"のは、答えなかったのではなく"答えられなかった"からである。答えられなかった息子にハレルヤが問い詰めていく。
「ん? ハジメ? 何かあったの?」
ハジメは足元を見つめながら椅子に座っている。そしてハレルヤの問いに返事をする事ができないでいた。
すると、黙ったまま親の言葉を無視する息子の態度に、ハレルヤの額に血管が浮出し、徐々に顔が赤みを帯びていった。
ハレルヤは机を両手で暴威の如く、ドンッ!! と、テーブルを叩きヒステリーを起こす。
「返事くらいちゃんとしなさい!!!!」
近所に迷惑を掛けてしまっているだろう大声で、家の中の空気がピンと張り詰める。
引き金を引いてしまったのなら自分が悪かったとハジメは納得が出来る。物の弾みでハレルヤのヒステリーを引き起こしてしまったのなら運が悪かったと諦めがつく。だが、何の弾みもなくこうして金切り声を上げられると、諦めはつかないし、当然納得も出来なかった。
別にハジメは無視したかったというわけではないのだから。
昨晩の両親は自分中心にしか考えていなかった。その二人が今朝になるとすっかり"元通り"になっていた。昨晩と今朝のカレジとハレルヤを見比べてしまいハジメは戸惑っていただけ。その二人がまた、昨晩の両親に戻ろうとしているのだから、混乱しない方が難しい。
それでもハジメはいつものことだ、と自分に言い聞かせ、そして諦めようとしたのだが、いくら諦めようと努めたところでこれは心の問題、そう易々とはいかない。だがしかし、カレジとハレルヤは(ハジメもだが)飛空挺の件でニルヴァーナの医者にPTSDであると診断されている。二人が情緒不安定なのは精神疾患の影響があるとハジメが解釈する。そして実際、カレジとハレルヤの様子があからさまにおかしくなったのは飛空挺事故の後からだった。
そのことを思い出したハジメは、両親は病気なんだ……と諦めることが出来た。
諦めのついたハジメに情緒不安定の両親が、自分達の所為で息子を精神的窮地に追いやってしまったことが我慢出来ないでいた。だからといって内面を支配されているカレジはハレルヤに当たることは不可である。また、夫を立てる素敵な奥さんでありたいハレルヤも表面上カレジに当たることは絶対に無い。
だからカレジとハレルヤの行き場を失った憤りが二人の口を止まらせなかった。
「ハジメ!! 父さんと母さんは返事も出来ないような子に育てた覚えは無いぞ!!」
「何でこんな風になってしまったの!!」
カレジとハレルヤがハジメに当たる。
そしてこの時のハレルヤの言葉を聞き、ハジメは背筋を凍らせてしまう。
その言葉とは『なんでこんな風になってしまったの!!』である。
この言葉は、前世で聞いた母の暴言と同じだった。
一番聞きたくなかった言葉が、ハレルヤの口から出されたことで、ハジメの心が毒されてしまいそうになる。もしかしたらもう毒されているのかもしれない。
すると、行き場の無い"負の感情"がハジメを襲う。
ハジメは両手をギュッと握り締め、全身に力が入りギュッと瞑った目にまで痛みが走った。
――『ハジメは今、自分達が言い放ってしまった言葉で苦しんでいる』
と、両親が二人揃ってそう思う。
両親は自分達の"暴言"に、ハジメが必死になって耐えていると気が付いてしまった。そうなるとカレジは、また我慢が出来ず――
「言いたい事があるなら言いなさい!!」
また怒鳴るのは、無責任に出してしまった言葉は暴力だという事を"理解出来てしまった"からだ。
ハレルヤも同様だった。自分自身に我慢が出来ず、また怒鳴る。
「ハジメ!! どうしてこんな簡単な事を答えられないの!!」
「「ハッキリ言いなさい!!!!」」
理解できてしまうからこそ、カレジとハレルヤは我慢が出来ない。
それは何故か、答えは簡単だ。二人がハジメのために我慢して何も言わないでいれば、カレジとハレルヤが想い描く≪親は子の教育者であり模範者であり先導者でなければならない≫という"立派な親としての理想像"が崩れてしまうからだ。こうしてハジメを怒鳴り続けていれば自分達に非は無いと錯覚できる。怒る側と怒られる側、悪いのはどっち? そう訊かれて出る答えは十中八九《怒られている側》だろう。
理想の親になりきるために、次々とハジメに発せられる両親からの言葉。
――『ハジメが悪いのは"多分"私達のせい』
――『ハジメにきちんと教えてあげなかった俺達"も"悪いんだ』
――『ハジメは"きっと"悪くない』
こうした言葉をハジメに言うことで、両親二人は親としての理想像を崩さず、そして保つことが出来ていた。
前世の記憶を引き継いでいるハジメは知っている、"こういう時"の対処法。
「……ごめんなさい」
(結局は昨日の晩と同じ事をすればいいんだ、頭を下げて謝ればいい。両親を理想の親に仕立て上げ、気持ち良くさせてあげればいいだけのこと。それで全て解決する)
と、ハジメの頭に自然と浮んだ。
そして、案の定張り詰めた空気は平穏に変わる。まるで、何も無かったように。
「はっはっは、ハジメ別に謝る事はないんだぞ!」
(――嘘)
「そうよ……悪いのは"全部"父さんと母さんなんだから……」
(――これも嘘)
笑顔で弁明する両親の表情は喜びに満ちていた。当たり前だとハジメが思う。
カレジとハレルヤは"息子の非を受け入れ寛大に許す立派な両親"になれたのだから。
「さぁ! 朝ごはんを食べましょう」
「そうだな! ハジメ! 家族揃っての飯はうまいぞ!!」
「う、うん」
本当に何事もなかった。
そんな感じだ。
それがハジメの中に途轍もない不快感を生む。それが高じて、ハジメに食事を拒ませのどを通してくれない。
ハジメがずっと素敵だと思ってきた、今生の両親のメッキが剥がれだしていた。一度、綻んだだけで、目を見張る速さで剥がれてしまっている。
ハジメの落ち込んだ表情を見たカレジが"父親らしく息子"に尋ねた。
「どうした? 悩みがあるなら言ってみろ!」
カレジが"父親らしく"そう言った時だった。
タッタッタッタっと駆け足の音を響かせながらハジメ家に近づいてくる。
足音が止まると家の扉はノックされることなく開かれた。すると、白髭を蓄えた老人が扉の奥から顔を覗かせる。
いきなり現れた白ひげを蓄えた老人にカレジが尋ねた。
「ランドン村長どうしたんですか?」
ランドン村長は血相を変えてハジメの両親に話した。
「カレジ、ハレルヤ……喜べ!!!」
「ランドンさん……落ち着いて……」
「ハレルヤ! カレジ! ハジメ! ルーシンとパインが帰ってきたぞ!!」
村長の口から出た朗報を聞いてもハジメに喜びの感情が湧いてくることはなく、ただ呆然としていた。
ハジメ嬉しくなかったわけでは、決してない。それ位驚いただけ。
休養中との名目で、実は監禁され命の危機に瀕しているのではと、ハジメは思っていた。そのルーシンとパインの二人があまりにあっさりとロットン村に帰ってきた。
驚かない。そんな器用なことはハジメに出来る訳もない。
ハジメがランドンに尋ねる。
「それで? ルーシンさんとパインちゃんはどこにいるんですか?」
「今自宅に戻っておるぞ!!」
ランドンの表情はとても嬉しそうで、ロットン村を愛している事が伺える。
ハジメ親子は食事を途中で切り上げ家を出た。そして、ランドンと共にルーシン母子の元へと向かうのだった。
「父さん!! 母さん!! 急いで!!」
少し走ると村中の人々がごった返したように、興味本位でルーシンたちの家へ向かっている途中。興味本位だとハジメが思ったのは村人のほとんどが歩いていたからだった。
本当に心配しているのなら走るのが普通だ。
「ハジメ……そんなに急がなくてもルーシンさん達は逃げないぞ……ハッハッハッハ」
「そうよ……おかしい子ね……」
カレジがハジメに言うと、次いでハレルヤも暢気な表情で口を開いていた。
確かに、ルーシン母子は帰ってきたのだろう。そうでなければ、年老いたランドンが、息を切らしてまでハジメの家までわざわざやってくることはない。だが、帰ってきたからこそ、心配しなくてはいけないのだ。ハジメの予想通り勇者連合に拉致されている状態だったなら、一刻も早くルーシン母子の事態を確認しなくてはならない。精神的なことは、専門知識があるわけではないので、深く関ることはできないが、拉致されていたにも関わらずロットン村に返された理由を知らなければならない。相手が相手なだけに、ハジメに精神的な看護が出来るとは言えないが、何も出来ないということもない。勇者反対同盟との関わりが無いと明示出来れば晴れて無罪放免とすることも出来る。ルーシンとパインが勇者反対同盟の一員である可能性はゼロではないのだから。
もし、本当に勇者憲兵団の二人が言っていたように、重度の精神的な障害があったとしたのなら、帰ってきた理由はおおよその治療を終えたからだろう。しかし、重度の精神障害なら完治したとはとてもじゃないが言い切れない、そんな二人に必要なのは心の共有だ。自分達の心の状態を話すことはすぐには出来ないことは間違いないが、それでも、いつでも相談に乗れる相手が傍にいると示してあげられれば、精神的な負荷は大分軽くなる。
どちらの状況にせよ、今、ハジメ達に課せられているのは一刻も早くルーシン母子に会うことである。
しかし、両親は興味本位の村人達と同じく笑顔で歩いていた。
「カレジ、ハレルヤ、ハジメ、急いげ!! ルーシン達が待っておる!!」
ルーシン母子と最も仲の良いハジメ一家を気遣うランドン村長の一言が烏合の衆の中から聞こえた。
ランドンの声が耳に入ると両親は歩くことから"走る"を始めた。
カレジが両腕を振りハジメを追い抜く。それに続いてハレルヤもハジメを追い抜き、両親と興味本位の群集の間には五十メートルほどだが距離が出来た。
三歳になるハジメは、その中間にいる。それから群集から大分遅れてランドンがぜぇぜぇと息を切らしていた、その様子は走っているのか歩いているのか判別できない。
走り出した両親は走るのに夢中。カレジもハレルヤもハジメの手を引く事すら忘れている。だから先頭を行くのだがチラチラと走りながら後ろを拝見していた。
ハジメの手を引くことすら忘れている両親が、何故後ろを振り返るのだろうか、それは二人の視線を見ればすぐに分かった。カレジとハレルヤが見ているのは息子の姿ではなく、その後ろを走る群集だった。
更に言うなら両親が見たいのは、群集の壁のもっと後ろにいるランドン村長である。
ランドン・ポポクリフはロットン村の村長であると同時にこの村一番の権力者でにあった。とかく権力やら地位やらに滅法弱く、世間体が何より大事な両親にとってしてみれば気になって仕方がない、一度注意もされている。
世間体に権力に地位と、これらを気にすることはとても大事だ、意識しないでいられる人間はいない。しかし、意識しすぎて大前提を二の次にしてしまうケースも多々見受けられることも事実。
その事実が、今ハジメの目の前を走る両親だった。少なくとも息子の目にはそう映っていた。
父と母はルーシンとパインを本気で心配しているのか? それとも心配している演技なのかと。
ルーシン母子の家はそう遠くにあるわけではないが、近くに在る訳でもない。
空は真っ青な晴天だというのに、冬風が強くハジメの顔がヒリヒリと痛んだ。
五分、十分と走り続けると両親に離されまい、ようやく身体がポカポカと温まりだした時、カレジとハレルヤの急ぐ足が緩やかになり、終に止まった。
カレジとハレルヤがルーシンの家の前で、息を切らしながら扉を見つめている。
ルーシンとパインの家。つまり"シャーロッテ家"の外観はハジメの家より二周りほど小さい。
ハジメも何度か訪れたことはあるが、身長が一八〇センチあるカレジは扉を潜る際腰を屈まねば家の中に入れないし、中に這入ったら入ったで八畳ほどの部屋に左側に調理場と真ん中にテーブルがあるだけ、寝る時はテーブルを右側の壁に掛け、そこへゴザを敷き、いつも薄い毛布一枚被り母と娘が抱き合って眠る。
ハジメがシャーロッテ家の内観を思い浮かべていると、まだ家の中に入ろうとしない両親も元へと到着した。
「ハジメ!?」
と、ハレルヤがアッ! という顔をする、その横で カレジが小さくに呟いた。
「あぁ、ハジメ――か?」
カレジの顔から察するに本当に息子の存在を忘れて去っていたようだ。一時的な忘却ではない、走るのに夢中でハジメをほったらかしにしてしまっていたのなら、ハレルヤのように大きなリアクションをする。
静かな声で淡白な表情が、息子の存在そのものが完全に頭から消え去っていたのだと、ハジメに理解させた。
飛空挺の一件以来、ずっと両親の様子がおかしかったのはいうまでもないが、『息子の存在って忘れることが出来てしまうものなの?』意外と冷静にハジメが思うと更に『母さんより父さんの方が精神的に危ない』と感じた。
前世の両親は息子であるハジメに憎しみの感情を抱いていたが、それは愛情があればこそ。産まれ変わる前のハジメの両親は異常だったが、それでも息子の存在を忘れてしまうということは無かった。
それを考えると、今カレジに起こってしまっている息子の忘却は、異常を通り越している。
ハジメはカレジに起きた事実を現象と捉え心の中に"何かしらの原因"があると、推測していた。
何故か? ――それはファントムというひし形をした青い花が持つ、花言葉に起因することになる。
ファントムの花言葉は《忘却》。
そんな花がシャーロッテ家の周りに咲いていた。だから、ハジメはカレジが自分を忘却してしまったのだと、連想してしまっていたのだ。
と、カレジがハジメを見て――
「どうした? 家に入るぞ」
何事も無かったように話した。
推測が外れた、いや、外れた方がいい。人に、それも自分の親から忘れ去られた何て気分の良いモノじゃない。そう思ったハジメがカレジを見つめて――
「うん」
と、一言だけ。
そしてハレルヤがルーシン母子の自宅の扉をバタンと開く。
家の中にはルーシンがただ一人いるだけだった。テーブルの右側に敷いたゴザ布団の上で生気を失ったように横になり、天井を見つめている。
そんなルーシンに対し、ハレルヤが名前を叫び、カレジが気遣う。
「ルーシンさん!!」
「大丈夫ですか?」
カレジとハレルヤの一連を見たハジメの感想を述べるなら――希薄。原因は両親の心の篭もっていない口調だった。あまりにぎこちなくて、上辺だけのやり取りをしているようにハジメには見えた。
ルーシン一家に対し自分も、希薄な感情しか抱いていなかったのかもしれないと思い込んだハジメがボソっと挨拶。
「……お、おはようございます」
思い込んだことで、申し訳無さそうな顔になるハジメは、自分で自分を責めていた。
ルーシンはそんなハジメ一家の様子を伺いながら、床に敷いたゴザ布団の上で横になっている。そして、ゆっくりと上半身を起こし三人に顔を向けると、弱々しく口を開く。
「あ、ハレルヤさん、カレジさん……ハジメ君も……いらっしゃい……」
ルーシンの声は明らかに"大丈夫ではない"ではなかった。
パインの姿がないのは、どこかで休んでいるのだろうかとハジメが一瞬だけ思う。
だが、パインが家にいないことはすぐに分かった。この家は八畳しかない、家の中を見渡して見つからないなら、ここには居ないということだ。
ハジメは目の前で突っ立っている両親を、両手で押しのけルーシンに尋ねた。
「パインちゃんは?」
ハジメの質問に疲れきったルーシンが答える。
「パインは散歩してくるって……」
「だ、大丈夫なんですか?」
ハジメの質問に抜け殻の様なルーシンが答える。
「大丈夫……よ……多分……ね……」
多分という言葉とルーシンの光宿らぬ瞳を見て、ハジメの背筋に嫌な汗が流れ、何かあったんだと思わせる。
ハジメ一家とルーシンが取り留めの無い会話をしていると、ルーシンの家へ続々と集まる村人達。
村人達も両親同様、この村で久々に起こった一大イベントを満喫しようと、楽しそうに笑っている。
そんな村人達を尻目にハジメが両親に言った。
「ルーシンさん……疲れてるみたいだし今日は帰――」
ハジメの言葉に被さり、ルーシンに言葉をかける両親。
「ホントに大丈夫!! ルーシンさん!!」
「そうですよ!! 何かあったら俺達に言ってくれ!! 出来る事なら何でも協力する!!」
カレジもハレルヤもルーシンの心配はしているのだろう。
それでもルーシンに両親が駆け寄ったのは"誰の為なのか"を、ハジメは見抜いて落胆していた。
ハジメがしてあげたかったのは、"疲れているルーシンを休ませる事"と"疲れの原因であるパインを見つけ出す事"だった。
この村に戻ってくる間に、何かがあったのは明らかだ。そして今、大事な一人娘が自分の元にいないとなれば精神的疲労は生半可なものではない。
ハジメは両親に"対して"呟いた。
「僕……パインちゃん探してくるね……」
だが『うん』と、ハジメに返事してくれたのは両親ではなくルーシンだった。
ハジメがペコっとルーシンに一礼すると、すぐさまシャーロッテの家を出る。
その場を後にしたのは、ルーシンの衰弱を見ていられなかったから、それとパインの行方についての心配してのこと。そしてなにより"あの両親"から逃げ出すためである。
ハジメは今、感情に流され思考のほとんどを止めてしまっていた。
唯一動いている思考は『パインが何処にいるのか』という事だけ、それだけを何とか思考させ、ただ走った。
「はぁ、はぁ、はぁ、パインちゃん、はぁ、はぁ、どこ行っちゃったんだ……」
ハジメは風を切るように走っていたが、ほんの少し傾斜ができただけで段々と速度は落ちていく。坂道を登りきると立ち止まり、小さな肩を上下に揺らし、空を見上げて大きく叫ぶ。
「パインちゃーーーん!!!!」
が、パインからの返答はない。
ハジメの頭がグタっと下に落ちるともう一度空を見上げた。
効果があるかは分からないが、ハジメは口元に両手を当て拡声器代わりに、もう一度パインの名前を叫んだ。
「どこだよーーーパインちゃーーーーーん!!!!」
パインからの返事などあるはずもなかった。
一見すればここに居ないとすぐに分かること、周りには田んぼと茂みしかないのだから――ハジメに不安と恐怖が募りだす。
いつも優しく接してくれていたパインに何かあったら、もしもの事が起きていたら。
ルーシンの衰弱しきっていた様子を見たハジメは、パインがしてしまっているかもしれない"最悪の事態"を妄想させていた。
その時――。
「ハジメ君!!」
涙ぐんでいたハジメに元気良く声が掛かる。
ハジメが勢い良くその子へ向くと"居るはずのない"パインが両手を後ろで組み笑顔で立っていた。
「パインちゃん!!」
名を叫んだハジメの前に、パインは笑顔を絶やさないでいたが、無理をしているのはバレバレだった。
飛空挺事件が起きた時より随分と痩せ、トレードマークだったツインテールが出来ない程、髪が短くなっていた。
「どうしたの? 大声出して?」
「パインちゃんが帰ってきたって聞いて!! 家にいったら居なくって!! ルーシンさんは大変そうだし、パインちゃんにもしもの事があるんじゃないかと思っちゃって!!」
「心配してくれてたんだね……」
「心配するよ!! 僕はパインちゃんが好きだもん!!」
"好き"――思わず口にしてしまった自分の言葉にハジメの顔が徐々に赤くなっていく。
パインはそんなハジメの顔を静観すると、優しく微笑み頭を撫でてあげた。
「よし! よし!」
お姉さんの様なパインの言動にハジメが照れて、ついにやけ顔になるが。
次に出たパインの"声"でハジメの顔がまじめなものへと変わった。
「そっか、ごめんね……しん、ぱ、い、掛けて……」
「パ、パインちゃん……何かあったの?」
途切れ途切れになるパインの言葉。
すぐさまハジメは質問を返したが、パインはすぐに口を開かなかった。
一秒一秒がとても長く。ヒューっと吹く冷たい風がハジメの体温を奪う。
ようやくと言っていいほど長く感じた風の音が鳴り止むと、怯えてしまっているパインの口がゆっくりと開いた。
「み、みんな死んじゃった……」
そう言った途端、パインは涙を零し体全体を小刻みに揺らしながら、地面に崩れて顔を両手で隠す。
「死んじゃった……」
ハジメが唯一口にできたのは平凡なまでのオウム返しだった。
「あの飛空挺に乗ってた……みんなが死んじゃった……」
パインが≪知ってるはずのない≫質問をハジメがする。
「し、死んじゃった……って? 誰が?」
「"勇者反対同盟"のみんなが……」
パインの言葉がハジメの推測にかすった。
"みんな"という"仲間同士であるかのような言葉"を聞き、ハジメの内側で鳴り響く嫌な予感が痛みとして全身を駆けまわると、右手で胃を押さえ顔が苦痛に歪んだ。
沈黙の中、知りたくもない真実を知る人物がハジメの前で座り込んで居る。
そして、座り込むパインがハジメを見上げ、口から出した言葉で嫌な予感が確かな絶望に変わる。
「みんな殺されたんだよ!! 次はきっと"私達"が殺される!!」
この言葉を訊いたハジメはパインが"勇者反対同盟"の一員だったと、確信してしまった。
確認にいたってもまだ、ハジメはパインの言葉を受け入れられずにいた。
そんなハジメの想いを踏みにじっるのは、周りの茂みだ。
茂みがハジメを否定する。
辺りを一見した時、ハジメの周りには誰もいなかった。そんな場所に、突如現れたパイン。
――突如現れる事が出来たのは何故? それは茂みに隠れていたから。では隠れる必要は何だろう。
と、ハジメのマイナス思考が極端に働いていく。
(パインちゃんが隠れていたのは、プリメラ絵画の積まれていたあの飛空挺に乗り合わせていた自分を殺すためかもしれない)
――≪最悪の妄想≫
(どうして僕を殺す必要がある? ハジメという人間を殺す事に一体何の意味があるんだ? あの飛空挺に乗っていたからなのだろうか?)
ただ一つハジメが感じた事があった。
それは"あの飛空挺事件"には何か大きな陰謀が隠されている――ということだ。
パインは十歳も歳が離れた子供のハジメにしがみ付き訴えた。
「ハジメ君!! 死にたくないよ!!」
ハジメが自分より大きな体のパインを精一杯抱きしめる。
「パインちゃん……僕が守ってあげるよ……だから、心配しないで……」
「……ほんと?」
「本当だよ!! 僕は勇―――勇敢な男になるんだから!!」
ハジメが勇者と言おうとしたが一旦止めて言い直したのは何故だろう。
飛空挺事件以来、勇者と言う存在に失望してしてしまっていたからか、それとも、勇者と言う名を軽々しく出したくなかったからだろうか。いや、違う――それはきっと、パインを狙い、勇者反対同盟の者達を殺害したのが勇者達だとハジメが思ったからだ。
パインは両膝を地面に着け、ハジメの小さな体に身を委ね。
「ありがとう……」
と、安心し捧げるようにお礼の言葉を口にした。
よほど疲れていたのだろう。パインはハジメにしがみ付いたまま、静かに眠りについた。
そして、ハジメは今言い知れぬ感覚に心酔していた。誰かに頼られる事を知らなかった男が"生まれて"初めて味わう快感に。
自分は強い人間だという実感を、心に宿しながらハジメは何物にも勝る優越感に浸っていた。
ご愛読ありがとうございました。




