~足音~
魔王ベルゼアが魔王核とともに消滅して10年。その間何度も魔族討伐の為の遠征が行われたが、いずれも目立った戦果は上げられずにいた。
最初は誰もが思っていたことだった。魔王さえ居なければ魔族同士の繋がりなど脆くて弱い、それ故に残党狩りなど簡単な事だと。
しかし現実は違った。魔王を失った悲しみ核をなくした絶望を乗り越えて、魔族は六玉将の下、意外な結束力を見せたのだ。
そうなると弱いのは人間側である。魔王を倒したあの勢いは何処にいったのか。聖剣も魔剣も作り出すことに成功したのに、何故魔族は滅びないのか。なぜ人の暮らしは豊かにならない? 何故戦えば戦うほど人が苦しむのか。
そのやり場のない苛立ちは遠くの敵よりも近くの他人へと矛先が向かう。特に貴族王族と呼ばれる特権階級は、その変心が顕著だった。
他人が自分より豊かなのが許せない人種だ。魔族から何も奪えないのなら隣から奪えばいい。魔王討伐という誰もなし得なかった偉業を成した今こそ、世界統一を成し遂げるのだーーー。
人の欲は止まることを知らない。
そしてさらに月日は流れ13年目の今日。
世界はさらなる混乱に包まれた。あろうことか、新たな魔王を名乗る者が現れたのだ。人間に向けて発した声明は苛烈なものだった。
「愚かなる人間どもよ。我が声を聞け、我が前にひれ伏せよ。汝らの愚行にはほとほと呆れ果てた。魔族の王を刈るだけではなく、人間同士でも醜い争いを続けるその醜態、見るに耐え難い。天の審判の前に我が汝らの罪を暴き、正しき罰を与えてやろう。特に教会の者共よ………。新たな魔王を産み出したその責を、世界に対して露にし許しを請うがいい。
我は新たなる魔王。人間でありながら人間を裁く者なり。
人間どもよ。とくと聞け、我が名はアリシアネーーーかつて魔王ベルゼア様をこの手にかけた、勇者である」
そうして世界は恐慌の渦中に墜ちていく。
少女は今、自分が夢の中に居るのだと理解している。そう、いつもの夢だ。懐かしくて愛おしく、何よりも暖かい宝物のような夢だ。
今日はどんな夢だろうか…。少しワクワクする。
彼女は夢の中では王だった。たくさんの仲間に囲まれて皆を愛し、皆から必要とされていた。
今彼女はいつもよりはるかに高い視界で、広場に集まる友を見下ろしていた。
彼らはそれぞれに戦う準備を終えて、王の声を待っている。
その勇ましい姿と自分の立ち位置に僅かな不安と戸惑いを覚える。
(これはなんだろう…。いつもの感じじゃない)
いつも馬鹿な事をやって、時に悪巧みをしたり時に競ったり、しょっちゅう喧嘩ばかりをするあの六人とは思えない。
畏まって彼女の前に膝を付く彼らに、王は低くよく通る声で出陣を告げた。
それに声を揃えて答える六人。
玉座の上から六色のマントが翻り、去っていく背中を見守る。
それからしばらく後ーーー。気配の途絶えた城の最上階に王は居た。
これが最後の大戦になると、王は理解している。
そしてこれが彼らを見送る最後になるであろうことも。
王は待つ。
少女の心に満ちているのは、全てを受け入れた者の静寂。これからこの身に起きることを王は予感し、少女は知っていた。
(恐いですか?)
その静かな横顔に問いかけるが、反応はなかった。だが、答える声が聞こえた。
(恐くはなかった。すべき事は全てした。打てる手は全て打った。その上でこの現状だ。後悔もなければ恐怖もなかった)
いつの間にか、王の側には少女ともう一人の王が居て、その横顔を見つめていた。
(誰かを待っているのですか?)
(ああ…。この無益な戦いを終わらせる為の、もう一人の駒をな)
(駒……)
(そう、人の業と時代の流れに選ばれた《駒》ーーー勇者、を待っているのだ、己の役割を果たすために)
(己の役割ーーー、果たすーーー。私の役割とは何なのでしょうか?)
自分の横顔を眺めていた王の目が、少女の艶やかな瑠璃色の瞳を捉えた。初めてはっきりと顔を見たーーーお互いがそう思っている事が手に取るようにわかり、同時にクスリと笑う。
慈愛の含んだ深い目をして、王は自分よりはるかに背の低い少女の頭を撫でた。
(ーーーこうやって昔はよくお前の母の頭を撫でた。あの娘は私に対して必要以上に忠義であろうとして、常に強さを求め続けていた。どんなに私がもっと自由に生きろと説いても、聞く耳持たずでだ。そしてその努力に見合うだけの強さを手に入れたが、それでも私は勇者に討たれた)
(! それは……それを言ってしまっては、母が哀れです)
(うん、勘違いするな? 私は別に責めたいわけでも馬鹿にしているわけでもない。ただ、あの娘の生き方を勿体ないとずっと思っていた。力ばかりを身に付けて精神はいつも私に依存していたからな。もっと己に正直に信頼すれば、見える世界も変わってくるのにと)
遠くから高い靴音が響いてくる。その足音はゆったりとした歩幅で、こちらへと向かっていた。
(勇者が来たな。いいか、ティナよ。己の役割とは、己を信じ己を幸せにすることだ。そこに付随して王だの勇者だのと荷物を乗せられることはあっても、それはあくまでおまけだ。お前の役割は、幸せになることだよ、ベルティナ)
ゆっくりと扉が開かれた。
そこに居たのはその身に相応しくない鎧を着こんだ、絶世の美女だった。
「待たせたな、魔王」
「ああ、待ちくたびれたぞ、勇者よ。早速始めるとしよう。聖剣を取るがいい」
こうして最後の戦いは始まったのだった。
瞼を開くとそこは自分の部屋だった。
10歳になった日から、ティナとノスの部屋は別々になっていた。一人きりのベッドの上で、今見た夢を反芻する。
夢の最後は魔王の消滅で終わった。ティナはその最期を見届けた。そして目が覚めたのだ。
ベッドからそっと身を起こし、僅かな膨らみを主張し始めた自分の胸に手を当てた。
そこを、聖剣タンデュローダが貫いていた。
すると、何故か涙が一筋頬を伝った。それは悲しみなのか怒りなのか、それとも喜びなのか。よくわからない感情を飲み下し、ティナは目覚めたばかりの自分を抱き締めた。
「大丈夫……。今度こそ私は、自由に生きるんだから」
魔王ベルゼアが不幸だったわけではない。ましてや拘束されてたわけでも監禁されていたわけでもない。けれども、魔王という立場は人のそれよりもはるかに重いものだった。
厭うわけではないが、無いなら無いで有難いものだ。
「よし、まずはネリアにーーー母さんに『ありがとう』て言わなきゃね」
母のビックリ顔を思い浮かべ楽しくなる。ふふふ、と笑うと今日着る服を選ぶため、ベッドから立ち上がった。シンプルな水色のワンピースを着ると、カーテンと窓を開けた。
見事な晴天。
今日も一日、善い日になりそうな予感に、ティナの頬は自然と緩むのだった。