~魔術訓練・後編~
ミレディの放った氷結魔術は、容赦なく炎狼を凍りつかせた。
ピキピキピキィィ、と高い音をたててあっという間に魔獣を氷付けにしてしまう。
出来上がった氷の彫刻の表面を撫でながら、ミレディは双子の兄へ声をかけた。
「ノス、あなたのその蒼い炎を拳に集めることできる?」
「拳に、か?」
「ええ、そう。それはあなたの魔力が視覚化した状態なの。ティナの危機に反応して、潜在的なものが一気に噴出したのね。今は見えているからやり易いはずよ。さあ、右手に炎を集めなさい」
甘えのない口調にノスは頷くと、言われた通りに意識を集中する。
徐々に右手に集まり始めた蒼い炎に少年は魔力の流れを感じた。
右手の炎が大きくなり、そこに力が集中しているのがよくわかる。まるで拳が心臓のように脈打っていた。
「とても上手じゃない。さすがはネリィの子ね。その拳を思いっきりこいつに叩きつけてやりなさい」
グッと拳を握り込み、ノスは全体重と力を炎狼に叩き付けた。重い音が響くと同時に炎狼は呆気なく砕け散った。
「お見事。さすがね、いいセンスしてるわ。ところで二人とも、怪我はない?」
見た感じでは怪我はなさそうだ。炎狼の前足に吹き飛ばされたノスも、外見の傷は見当たらない。ティナは言わずもがなだ。
「とりあえず一度家に戻りましょう。続きはまた明日にでも」
「嫌だ!」
拒絶を示したのはノスだった。蒼い炎はまだ彼の身を包んでいる。少年の感情に呼応しているのか、炎の揺らめきが強くなったり弱くなったりしている。
ミレディはチラリと妹の方を見た。明らかにズーッンと凹んでいる。
苦笑しながら彼女は出来たばかりの弟子をたしなめた。
「ノス、あなたはそれでいいかも知れないけれどね。見た目に怪我がなくても万が一内臓に異常があっては大変よ。今日は家に戻って安静にして、何もなければ明日から本格的な訓練をするわ。これは決定よ、異議は受け付けません」
不満そうに足元の雑草を蹴る。なにやら口の中で文句を言っているようだが、はっきりとは言わない。
その仕草も態度も年相応だ。
ティナはそっと兄の腕に触れて、小さく呟いた。
「ごめんね……」
「なんだよ、ティナがなんで謝るだよ。謝るなよ」
「ティナがもう少し強かったら、ノスの足手まといにならなかったのに。ティナはやっぱり来ちゃいけなかったね」
「違う! 泣くなよ! ティナは悪くない、ティナはそれでいいんだよ。悪いのは…俺だよ。俺は強くならなきゃいけないのに……一人でイライラしてさ……」
「………二人とも、その辺にして此方へいらっしゃい。訓練は明日からでも出来るわ」
項垂れたまま、双子は転移で家まで戻った。
「ーーーねえ、ネリィ」
家に帰ると、ネリアはホットケーキを焼いて三人を待っていた。
子供とは現金なもので、母親の笑顔と美味しそうなホットケーキを目にした瞬間、コロッと上機嫌になっていた。
食べ終わった二人が部屋に戻ると、ミレディが口を開いた。
「どうしてノスはあんなにティナを守ろうとするの? なんだか度を越してる気がするんだけど」
「さあな。昔からあいつはそうなんだ。必死でティナを守ろうとする。物心ついた時からな」
愛しいむようなその目に、見えない過去を映しているのだろうか。
遠くを見つめるかつての戦友を、ミレディは羨望の眼差しで見る。
「ノスは自分の役割をわかっているんだろう。自分が産まれた意味も生きていく理由も。だから迷いなく強くなろうとする。そして強くなるだろうな」
その言葉にミレディはほぅ、と息を吐く。そして自嘲するように笑った。その輝く美貌ゆえに、より歪に見える。
「羨ましいわ。あなたやノスが。生きる希望や未来がある。ーーーねぇ、どうすれば朝起きる度に溜め息を吐かないようになるかしら?」
「ミレディ……」
「馬鹿なことを言ってるわよね。幸せな友を羨むなんて。あまつさえ妬むなんてね…」
泣きそうに笑う。
「ーーー私は恵まれていた。子供の時親に捨てられたが、それすらも今は感謝している。なんせベルゼア様に拾われたのだからな。それから一心不乱にただひたすらに陛下の為に生きてきた。それはーー昔も今も変わらない」
ネリアの言葉にミレディは顔を背けた。今ネリアが語った言葉は、彼女達が育った街の人間達の思いそのものだ。
魔族の領域に人間が暮らす街がある。レーゼの街という。今から約百五十年前に魔王ベルゼアが作った街だ。
ベルゼアより前の代の魔王達は、魔族領に迷い混んだ人間は子供であろうと大人であろうと処分していた。魔族の領域に迷い混んだ者は生きて帰ることはないと言われていたのだ。
それを理解していても、口減らしの為に山に子供を捨てる親は絶えることはなかった。
それを変えたのが魔王ベルゼアである。今までは殺されていた子供や老人を保護し続けたのだ。その数は増え続けて大きな街にまでなった。
その中で家庭を持ち子供を産む。中には魔族と恋に落ちる者もいた。
捨てられた者達はこうして魔族と共に生きる事となり、魔王ベルゼアに全幅の信頼と忠誠を誓ったのだ。
その証としてレーゼの人間達は皆両手の人差し指の爪を青く染めている。『ウユイの青』と呼ばれるもので、これがある限り魔王ベルゼアに忠誠を誓い、レーゼの街の住人と認められるのである。
ミレディの人差し指も青い色をしている。この色がある限り、彼女は魔王の、魔族の同士なのである。
己の爪を見詰めながら、ミレディは呟く。
「ベルゼア様と共に魔王核が喪失してしまい、これから先何百年も魔王が誕生することはないわ。私達以上に魔族は絶望している。それでもあの方達は頑張っている。私はそのお手伝いをすることしか、生きる意味を見出だせないの…。情けないわ。それでも、生きていくしかないんだけどね」
弱々しく笑う友の肩をネリアは叩く。
「ミレディ。お願いがある。これから暇な時だけでいいから、ゼアノスとベルティナを導いてやってくれないか。子育ては一人きりでは難しい。よき師として教えてやってほしい。そしてたまにでいいから、私と一緒にこうやって飲んでほしい」
ネリアはグッと身を寄せてミレディの目を覗きこんだ。
「我が友よーーー」
「ーーーあなたって人は。本当に人たらしね。嫌んなるわ」
「ベルゼア様には負けるがな」
「それは、確かに」
ふふふ、と笑う友に、安堵の笑顔がこぼれた。
「やっぱりミレディは笑ってる方が可愛いよ」
「だから止めなさいって」
「ーーーなぁ、ミレディ。もしもベルゼア様に会えるとしたら嬉しいか?」
キョトン、とミレディが虚をつかれた顔をしている。そしてその顔のまま頷く。
「当たり前じゃない。会えるって言うんなら、地獄にだって追いかけていくわ」
「そうか…。なあ?」
「ん?」
「早く結婚するか、子供でも産め」
大きな物音に驚いて部屋から出てきた双子が見たのは、本気で喧嘩をしている母親とその友人の姿だった。