~魔術訓練・前編~
双子が転移の魔方陣で連れてこられたのは、薄暗い森の中だった。湿った空気が緑の臭いを濃くし、様々な鳥の声が耳を打つ。見たこともない木に聞いたこともない鳥の声。二人にはここがどこなのか、見当もつかなかった。
「ここは………」
「訓練に入る前にあなたたちの今の実力を知りたいの。だから申し訳ないけど、ちょっと荒っぽいことをさせてもらうわ。さあ、一人ずつこの鞄を持ってちょうだい。その鞄の中には飲み水に食料品、ナイフにロープ、傷薬なんかが入ってるわ。それを持って今日の夕方までこの森を探索しててほしいの。あと、この森にも魔獣が出るわ。知能の低い弱っちいのしか出ないから、あなたたちの魔術で対処してちょうだい」
話終えると、双子の反応はそれぞれに違っていた。
ティナは少し驚いてはいるが淡々と、ノスはキラキラとやる気に満ちた目で、ミレディを見詰めていた。
さっきまで少し不安そうにしていたのが嘘のようだ。
「今なら止めることは出来るけど、どうする?」
「やるに決まってるじゃん!」
元気に答えるノスとは違ってティナは無言で俯いた。
「ティナもやるだろ?」
ノスの言葉にもティナは答えない。
「なんだよ! やらないのかよ。つまんないヤツ」
「こら、ノス。妹をいじめるなんて最低よ? ティナ、やりたくなければやらなくてもいいのよ。あなたはお家に帰って待ってる?」
「……私でも、戦えるかな?」
ティナのポツリと洩らした言葉に、ミレディはふんわりと微笑んだ。
「大丈夫よ、不安?」
「うん。ティナ……私はノスみたいに剣も使えないし、魔力もそんなに強くないもん」
「ティナが戦えなくても、俺が守るからさ! だから行こうぜ、ティナ。俺達は双子なんだから、いつも一緒だろ?!」
「……うん! ティ…あ、私も行く。ノスが守ってくれるんだよね」
「あったりまえだ!!」
双子の様子を大人しく見守っていたミレディもホッと息をついた。仲の良さか微笑ましい。
正直なところ、ティナには剣も魔術もあまり見込みが無いように、ミレディには感じられた。なので今回はティナを守らせることで、ノスの魔力を出来るだけ引き出してみよう、そう考えていたのだ。
万が一の事も考えて遠視を使って見張るつもりだ。
「さて、じゃあ夕方までには迎えに来るから、冒険者にでもなったつもりで楽しんでて。あ、鞄の中に魔石が入っているから、何かあればそれに話しかけて。使い方わかるよね?」
二人はコクコク頷く。
「あとあなたたちの目印にもなってるから、必ず肌身離さず持ってること。わかったかしら? ーーーそれじゃ、私は行くわね。頑張って~」
ミレディが消えた後、二人はしばらくその場に固まっていた。いざ子供だけで残されると心細さで身動きがとれなくなる。
ノスが勇気を奮い起こそうとする横で、ティナは鞄を下ろすと中身を広げ始めた。
「…ティナ?」
「動き始める前に荷物を確かめた方がいいと思うよ。どれだけ水や食べ物があるかわからないでしょ? それを見て、どう動くか決めよう?」
鞄の中にはそれぞれ一日分の飲み水とお昼ご飯用のサンドイッチ、 おやつのクッキーが入っており、後は個別に違うアイテムが入っていた。
ノスの鞄にはロープにナイフ、簡易カンテラ、グローブが入っていた。
ティナの鞄には着替えに薬類、タオルなど、比較的軽いものが入っていた。
「よし、これだけあれば、夕方まで余裕だな。ティナ、俺の後ろを離れるなよ!」
「うん、後ろは任せて。あ、ノス。魔物が出ても火系の魔術は使っちゃ駄目だからね」
「は、何で?」
「森が燃えたら困るでしょ」
「あ、そっか。りょーかい」
まるでピクニックのような軽やかさで、二人きりの冒険は幕を開けた。
最初に森の中で出会ったのは野生の鹿だった。立派な角を持つ雄鹿は、小さな二人の侵入者に特別注意を向ける事もなく、そのまま見て見ぬふりで立ち去ってくれた。
それからちょくちょくと魔獣に遭遇するも、全てノスの魔術で一撃必殺だった。
「もうちょっと、手応えのあるやつ出てこないかなぁ」
途中で見つけた長い枝を振り回しながら、ノスはつまらなさそうに言った。その後ろ姿を観ながら密やかなため息をつく。
(ノスは凄いな……。双子なのに、なんでこんなに違うんだろ……)
物心ついた時から二人の間には歴然とした差があった。男女の性差を別にしても、あまりにもノスは強いのだ。魔力にしろ剣術にしろ。おそらく、人間の子供にしたら規格外の強さのはずだ。
一緒に産まれたのに。不公平だと、少女は思う。
聖騎士になると言う夢も、そんなに難しいものではないはずだ。
比べてティナは、全てが年相応で平均的だ。兄のように強くなりたい願望もあるが、とうに諦めてしまった。
少女の将来の夢は母のお店を継ぐことである。そのために魔力や剣術は必要ではないので、つとめて気にしないようにしている。
それでもこういった時には自分の無力さが悲しくなるのだ。
「あー、腹減ったなぁ。そろそろお昼ご飯にしようぜ!」
小さな陽の当たる草原に出た。二人はそこで鞄の中を探ると水筒とお昼ご飯を取りだした。
「「いただきます!」」
空腹のままにサンドイッチを頬張る。食堂を営むだけあって、母の料理は絶品だ。二人は口いっぱいに頬張ったまま、お互いを見ると満面の笑みを浮かべた。
「「おいしー!」」
美味しいご飯は警戒心を取り去ってしまう。しかも二人はまだ7歳の子供なのだ。だから気付かなかった。
背後から忍び寄る大きな黒い影に。
気付いたのはティナだった。二つ目のサンドイッチを取ろうと横にある箱に手を伸ばした時、その生き物は大きな己の影を先陣に襲いかかって来たのだ。
ガッ!
声をかけるよりも先に、鈍い音をたててノスが吹き飛んだ。一瞬の出来事だったが、少女の目にはっきりと兄の姿が映った。
まるで物のように飛んでいくその姿に、強い衝撃を受けた。
「ノスッッッ!!」
慌てて駆け寄ろうとするが、相手がそれを許さなかった。ティナの前に立ちはだかると、獣はその偉容を見せしめた。
闇色の大きな狼。目は紅くその体長は普通の狼より倍以上はある。
それはティナが初めて見る魔獣だった。
「う、うぅ……ティナ、逃げ…ろ」
「ノス!!」
魔獣の向こう側でノスが立ち上がるのが見えた。驚くべき頑丈さである。
ティナは魅入られたように紅い色から目が離せない。彼女の短い人生でこんなにも鮮烈で美しい紅を見たことがなかった。子供心にもそこに強い力を感じたのだ。
(死んじゃうのかな……)
不思議と恐怖はない。
魔獣が一足飛びで間を詰めると、ティナの頭を噛み砕こうと大きく口を開けた。
「止めろおおおぉぉぉお!!」
「ギャンッッ!!!!」
呆然と立ち竦むティナの前に、青い影が飛び出した。それは蒼い炎を纏ったノスであった。と同時に魔獣は何かに弾かれるように悲鳴を上げて飛び上がった。どうやらノスのパンチが炸裂したようである。
「ノス!! 大丈夫?!」
「ああ! ティナこそ大丈夫か?!」
兄の背に庇われながら不思議な蒼い炎を見ていた。肩に置いた手にも炎は纏わりつくが、全く熱さは感じない。むしろひんやりと冷たい気がする。
(あれ………? なんだろう……)
不意に感情が乱れた。その蒼い炎を見て触れた瞬間、魂が大きく揺れ動いたのだ。それはまるでティナの人格を崩壊させるほどの衝動だった。
「はーい、そこまでよ。炎狼ちゃん。うちの子達を虐めないでくれるかな?」
そこでやっと、ミレディがやって来た。