〜訪問者〜
閉店後の店内で、ネリアは一人で売り上げを計算していた。パチパチと算盤を弾く音だけが響く。
子供達は2階の寝室で夢の中にいるはずだ。
店も終わり子供達も眠っているこの時間が、ネリアにとって唯一息の抜ける一時だ。
「何か作っていただけますか?」
その安息の時を、不意の訪問者が破った。店の扉を開けて入ってくる人物を見て、ネリアは内心舌打ちをする。鍵をかけるのをすっかり忘れていたのだ。けれどもそんな様子を微塵も見せずにニッコリと笑った。
「すみません、お客様。もう閉店時間を過ぎてますので、何もお出しすることがーーー」
「確かあなたの得意料理は鶏肉と根菜類の煮込みでしたよね? あれを食べさせてくださいな」
そう言いながら、訪問者は外套のフードをおろした。
ネリアの居る厨房からはホールは暗く、その姿をハッキリと目にすることは出来なかった。けれど外套の前釦を外したと同時に、一房の銀髪が見えた。その輝きを目にした途端、強烈な既視感に目眩を感じた。
(まさかーーー!)
動けない彼女のかわりに、その訪問者はゆっくりと近付いてきた。
薄い紫の瞳に銀の髪。同じ人間どころか、魔族ですらも魅了したその美貌。最後に顔を見てから10年近くなるのに、その容貌にしわ一筋の異変もないようだ。
笑顔が引きっつってしまったのは仕方のない事だといえよう。
「久し振りね、ネリア。こんな所で再会できるとは夢にも思わなかったわ」
対して相手は心からの笑みでネリアを見詰めてくる。若干涙が浮かんで見えるのは、気のせいではないのだろう。その涙を見て、ネリアの笑みも深くなる。
かつての仲間が自分との再会を喜んでくれたことが、何よりも彼女を安堵させていた。
「久し振りだね、ミレディ。会えて嬉しいよ」
その言葉を証明するように、ネリアはミレディを抱き締めた。昔と同じ、爽やかでほんのりと甘いカモミールの香りがする。
ポンポンと背中を叩き、ミレディは身を離してネリアを見上げた。
「実はね、たまたまこの街を通ったんだけど、宿屋であなたの名前を何度も聞いたの。まさかとは思ったんだけど、一応確認しようと思って。ーー確認しておいてよかったわ。まさか子供を産んでるとは思いもしなかったけど。明日は店休日なんでしょ? 昔みたいに朝までたくさん喋りたいわ」
快くその提案を受け入れて、ネリアはミレディを2階へと上げた。
2人は寝ている子供達に配慮しながらも、心ゆくまでお喋りを堪能し旧交を深めたのだった。
「……………」
「うわぁ、お姉さん、すっごい美人だね。女神様みたい」
「あら。うふふ、ありがとう。ベルティナちゃんもとおぉてもカワイイわ。お姉さん、とってもタイプよ」
「ティナでいいよー。でね、こっちが一応兄さんで、ゼアノスって言うの。みんなノスって呼んでるよ」
「ティナちゃんとノス君ね。わかったわ。お姉さんの事はミレディと呼んでね」
「わかった! ミレディちゃんだね」
「いやん! やめて! お姉さんを骨抜きにしてどうするの!」
身悶えするミレディに、天然か計算か区別のつかないティナ、そして終始ミレディの美貌に圧倒されて無言のノス、というおかしな図を見ながら、ネリアは朝食を準備していた。
ネリアは昔から料理が得意だった。仲間内からは料理番と呼ばれており、戦争等で野営する時は何時も料理担当で、それ以外の雑務を免除されていたほどだ。
料理が上手なのには理由がある。昔養い親が洩らした一言が原因だ。
「どうしてベルゼア様はお食事をされないんですか?」
彼女が10歳くらいの時、王城で戦功を労う宴を催された時の会話だ。
美味しそうな料理の数々に幼いネリアは生唾を飲んだものだが、ベルゼアはどれも一口食べて二口目が進まないのだ。不思議に思って聞いてみたのだ。
するとベルゼアはちょっと困った様に笑うと、ネリアの頭を優しく撫でた。
「私の体は食事を必要としないのだよ。食べようと思えば食べられるが……。正直、また食べたいと思う程食事に魅力を感じないんだよ」
当時10歳だった彼女には非常に衝撃的な発言だった。剣術や魔術などの訓練に明け暮れていたネリアにとって、ご飯は一番の楽しみだったからだ。
それ以来なんとか食べてほしくて、ネリアも料理をするようになったのだ。
「ご飯出来たぞー、ノス、ティナ食器出して」
今日の朝御飯は鶏肉と根菜の煮込みと自家製イチゴジャム付きのパンである。
それらを美味しそうに頬張る二人を見ていると、心から幸せを感じるのだ。
「うん、やっぱり美味しいわ。料理人はあなたの天職ね」
ミレディにも大変満足してもらえたようである。
「ミレディさんは何時までここにいるんですか?」
固い声でノスが聞いた。何か思い詰めているようだ。
こてん、とミレディは首を傾げて宙を見た。
「そうねぇ、別に急ぎの用事もないし、しばらくお世話になろうかと思うんだけど。いいわよね、ネリア?」
「ん? 別に構わんが、ただ飯を食わせてやるつもりはないぞ?」
「わかってます、お店のお手伝いくらいはするわよ」
「いや、店の手伝いはいらん。代わりにノスとティナに魔術を教えてやってくれんか?」
その言葉にノスは顔を輝かせた。それを横目に見て母は微笑する。
「母さん、いいの!?」
「ああ、習いたいんだろ? ミレディ、まあ薄々気付いているだろうけどな、ノスは魔術の潜在能力が高いようだ。基礎程度なら私でもなんとかなったんだが、出来れば稽古をつけてやってくれないか?」
「それは構わないわよー。そうね、確かにその外見から見るに、かなり魔力が強そうね」
ニヤニヤと嘯くミレディ。聞かないふりで、ネリアはそっぽを向く。
魔力と美貌の因果関係は昔から言われ続けていて、外見的に魅力的なほど魔力が強いと言われている。
ミレディ自身が良い例だ。
確かにノスは内面に合わず繊細な美貌の持ち主で、何度か誘拐されそうになったこともある。
だが、彼女の言いたいことはそれだけではないと、ネリアは充分にわかっていた。
その赤銅色の髪も緑の瞳も、なによりその美貌が父親譲りなのだ。
「将来有望な人材を育てるのも私の役目だからね。よし、じゃあ朝御飯食べたら早速行こう!」
こうして即席の魔術学校は始まったのだった。