〜定食屋の天使達〜
「おや、ティナ。一人で何処に………て、もしかしてまたノスを探してるのかい?」
宿屋のおばさんの声に少女は足を止めた。艷やかな黒髪が陽の光を浴びて、しっとりとした蒼い光沢を放つ。瑠璃色の瞳は夏の空のように清々しい。
「おはようございます。おばさん、ノスを見なかった?」
小首をかしげる様がまた愛らしい。
やっぱり可愛いねぇ、なんて内心思いながらも、首を振って質問してみた。
「何時から居ないんだい?」
「朝ごはんを食べてすぐに居なくなったの。母さんが10時までには帰って来い、て言ってたのに。何処行ったのかな」
おばさんはチラリと後ろを振り返った。開け放たれた扉の向こうに、壁掛時計が見えた。
今の時刻は10時15分。
「ありゃあ、ネリアのやつ、カンカンだろう」
「うん、今日は店の手伝いをさせるって。ノス、何時も嫌がってたから。……自業自得、て言うんだよね」
そう言って、少女は歩き出した。探しているという割に、その歩みに迷いはない。
街の中央を通る国道を東に進む。その後ろ姿を眩しく見送り、宿屋のおばさんは一言呟いた。
「うちの馬鹿息子の嫁になってくれんかねぇ」
それ程歩かなくても、ティナは目的地に着いた。
彼女は防具屋の前に居た。しばしその建物を眺めてから
「うん、やっぱりここに居る」
と呟くと中に入っていった。
カランコロン、カラン……。
扉の内側に付けられたカウベルが乾いた音を立てた。
「おはようございます、ギジクさん。ノスは居ますか?」
「おや、おはようティナ。ノスなら上に居るよ。どうやらバジと何か作っているようだよ?」
穏和な雰囲気のギジクは何時見てもニコニコと笑みを浮かべている。
バジとはギジクの一人息子で、ティナやノスよりも3歳年上の10歳だ。
「上がってもいいですか?」
「もちろん。2階のバジの部屋に居るよ」
失礼します、とティナは声をかけて階段を上がった。どうやら2階が居住階のようだ。
その後ろ姿を見届けてから、ギジクは呟いた。
「バジの嫁には……来てくれんか」
いろいろと諦めの混じった声だった。
バジの部屋の前まで来ると、ティナは扉をノックした。誰何する声が返ってくると、ティナは何も言わずに扉を開けた。
「うわっ! 何勝手に入ってきてるんだよ、ティナ! 名前くらい言えよな!」
驚いた顔で。次いで真っ赤な顔で、バジは怒鳴った。
「おはよう、バジ。ノスと何を作ってるの?」
目的の人物はバジの机の上で何かに集中しているようだ。入ってきたティナに対して気付いた様子はない。
ギャーギャーと煩いバジを頭から無視して、ティナはノスの手元を覗きこんだ。と同時に、ノスが声をあげた。
「出来た!」
「何が出来たの? ノス兄さん」
「! うわっ、ティナ?! どうしてここにって…。え、もしかして……?」
恐る恐るこっちを見てくる顔は、全くティナとは似ていなかった。
髪は赤銅色で鈍い光が篭っており、瞳は春の草原の色だ。肌の色が濃いのはただ単に外で遊ぶせい。顔立ちも似ておらず、凛々しい顔付きのノスに比べて、ティナは若干タレ目気味なのがここ最近の悩み事である。
どちらが美形か、と問えば圧倒的にノスの方が支持を得るだろう。
この双子、驚くほどに似ていなかった。
「母さん、すっっっごい怒ってるから。覚悟した方がいいよ」
双子の兄の腕を引っ掴み、ティナは国道を北上する。
「痛いよ、ティナ。逃げないからさ、腕を放せよ」
「やだよ。ノス、すぐ私に押し付けて逃げるもん」
「逃げねーよ! 俺は将来聖騎士になるんだぜ!? そんな男が『てきぜんとうぼう』するわけないだろ」
「そう言って、この間もお店の掃除を私にやらせたでしょ。信用できないね」
ティナは急いでいた。もうすぐしたらお店の開店時間になる。きっと今頃は母親であり店主でもあるネリアが一人で頑張っているはずだ。
今日は昼のバイトが一人しか居ないから、双子が手伝わないと店が回らなくなる。
その事を歩きながらこんこんと言い聞かせると(昨日の夜にも同じ説明をしている)やっと自分の置かれている状況を理解したらしく、ティナの手を振り払い家まで走りだした。
「先行くからな!」
「あ、待ってよノス! ティナを置いて行くなんて卑怯だよ」
ティナもノスを追いかけて走りだした。
只今の時刻は10時45分。開店まで後15分である。
ネリアの店は昼は11時〜14時まで。夜は17時〜22時までで、夜18時以降は居酒屋も兼ねている。
家に着くなりノスは無言の鉄拳制裁をくらった。怒る時間も惜しいのだ。痛みに半ベソをかきながら、テーブルによく冷えた水挿しとコップを置いて回る。その間ティナは店の扉を開け放ち、今日の日替わりメニューを書いた看板を外に出した。
そのついでに、外で並んで待っているお客さんの数を見る。
(うわ、10人以上居る。今日も忙しそうだな)
齢7歳の女の子が武者震いをする。
まだまだ体は小さいので出来る事は少ないが、一生懸命頑張る母やバイトのお兄さんお姉さんのお手伝いが出来る事が嬉しくて仕方が無いのだ。
「おはよう、ティナ。今日も相変わらず可愛いねぇ」
そう声を掛けてきたのは、先頭に並ぶ常連さんだ。
「おはようございます、グラースさん。お待たせしました。開店しますので、順番にお入りください」
まだ拙さの残る口調でそんな事を言うもんだから、客のほとんどが内心萌え萌えな事にティナは気付いていない。
飯屋はここからが戦場である。ティナは気合を入れ直し、並んでいるお客さんを次々に捌いていった。
「で。あんたは何処で何をしてたんだい? ーーーああミリナ、もういいよ。後はやっておくからあがって。明日もよろしく!」
13時を過ぎれば客足は落ち着き、空席が目立つようになる。バイトのミリナを帰したあと、ネリアはお説教を始めた。もちろんオーダーストップした後にである。
「……バジの家に行ってた」
「バジ? 防具屋の息子か。何をしてたんだ? 母さんの言い付けを守れないほどの大事があったのか?」
ネリアは今年28歳になる。艷やかな黒髪に瑠璃色の瞳は子持ちとは思えない程若々しい。料理の腕はもちろん、その美貌もあって彼女の店は繁盛している。
「ごめんなさい…」
「違うだろ、ノス…ゼアノス。母さんは理由が知りたいんだ。何をしていて言い付けを守れなかったんだ?」
ティナはホールの様子を見ながら、母と兄の様子も見ていた。じっと黙りこみ貝になってしまった手のかかる兄にため息を落とす。
兄の代わりに裏口に回ると、そこに置いてあった紙袋を取り貝になったままの兄に渡した。
「はい、これ。自分で渡すんだよ」
「ティナ……」
「なんだい、これは。ああ、ちょっと待って下さいね。ーーーはい、お釣りです。確認してくださいね。ありがとうございました! で、これは?」
最後のお客さんが出て行くのを確認して、ティナは店の扉を閉めた。厨房から布巾を取ってくるとテーブルを拭いて回る。水挿しを回収して厨房へと戻った。
「それね、母さんへの誕生日プレゼントだって。バジの家の廃材を貰って自分で作ってたよ。多分、鍋掴みだと思うよ〜」
「なんだよ! 全部言うなよ! ベルティナの馬鹿ヤロー!」
いろいろな感情が爆発したようだ。叫びながらノスは2階へと駆け上がって行った。
残されたネリアは呆然と紙袋を見詰め、徐ろに中身を取り出した。
中から革製の頑丈な鍋掴みが出てきた。試しに両手に嵌めてみるが、一見すると鍋掴みというより、まるでグローブである。
「母さんの攻撃力をこれ以上あげてどうするんだ、あの子は」
母の照れ隠しにティナは小さく笑った。ちなみにティナは3日前の誕生日当日に、花束と手紙を渡している。
ティナの笑い声にポリポリと頭を掻いてネリアは立ち上がった。
「ちょっと行ってくるよ。すぐ降りてくるから」
そう言って、ネリアは2階へと上がって行った。
ネリアの店は、今日も平和で忙しかった。