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魔王転生  作者: 兎花
25/26

~ブルーガーデンの青い小鳥5~


 王都の空を薄闇が染めていく。


 空が暗くなるにつれ、今度は都が光を発するようになる。太陽ほどは明るくも熱くもないが、足下を照らすには十分な灯りを。


 街路灯に魔力を籠めて歩く役人の姿が消える頃、『青い箱庭(ブルーガーデン)』の店内は貴族や有力者の姿でごった返していた。


 中にはテーブルに着くことなく、壁際に立つ者までいる。本来の貴族の姿からは考えられない選択だろうに、まるで気にした様子もなく中央に据えられた舞台に視線を向けている。


 舞台では流れの詩人が竪琴を奏でながら古代の英雄譚を唄っている。勇ましくも迫力のある歌声に耳を傾ける価値はあるが、心までは奪われない。ただ一時の楽しみに聞き流すだけだ。


 詩人の唄が終わると、彼の元に店員がお金の乗った盆を持ってきた。いつもより量が多くさらに金色に輝く率が高いことに、詩人は内心では品悪くニヤリと笑っていた。


 詩人が掃けると間を置かずして観客の興奮が高まったのがわかった。それなのに場は水を打ったように静まりかえる。


 そしてふと店内の明かりが落とされた。いや、舞台の上の灯りだけ残して後は極限まで灯りが小さく絞られていた。


 息をすることさえ憚られるような緊張感の中、その少女は現れた。淡く化粧を施した顔は意識せずに見たら何の感慨も産まれないだろう。ただ少女が一人いるだけとしか認識できない者がほとんどだ。


 けれど意識して少女を見詰め直したとき、その魅力にあっと言う間に引き込まれてしまう。


 不思議な蒼い艶を放つ黒髪も。少し日に焼けてはいるもののキメ細やかな肌も。深い空の最奥を思わせる瑠璃色の瞳も。蕾のように薄く色付いた小さな唇も。


 絶世の美少女という訳でもないのに目が離せなくなる。


 少女と共に舞台に上がった男の方が造形上はよほど美人だと認識されるだろう。


 いつもなら逆に嫌みに感じるくらい隙のない男が、今は舞台上でわざと髪型を崩しシャツの釦を上3つも開けていた。遊び人の貴族の4男坊といった風体だ。


 少女が舞台に立つと男も少し後ろの椅子に座り、横笛を取り出した。銀色に輝く繊細な作りの笛は男の手には小さく見える。


 男の下唇に笛が当てられると澄んだ音色が響き渡った。それと同時に少女は口を開く。



  海の果てを 目指す船

  舳先が示す その先は

  親すら知らぬ 子の夢と

  未来を乗せて 進み行く


  帰ろう 帰ろう 母の胸に

  呼ぼうや 呼ぼう 父の(たま)

  遠く離れた故郷を

  慕いて見るは 最の果て


  見えるは小さな太陽ひかりのみ



 少女の――ティナの歌声が響いた瞬間、あれだけいた人の気配が消えた。誰の目にも耳にも彼女の姿と歌声しか感じられなくなった。


 あちこちから嗚咽の声が響くのは誰を思い出しているのか。陶然と見つめる男達の瞳には憧憬にも似た熱が宿る。


 ティナが唄うのは僅か4曲分だけだ。郷愁の歌と恋歌を唄って彼女の出番は終わりである。


 おそらく20分にも満たない時間で、観客は魂を揺さぶる歌声に膝まずくしかできなかった。




「いやぁ、今宵も素晴らしい歌声だったよ、私の小鳥さん。まさしく魂を奪われる悦びに恍惚とした。ほんの20分にも満たない時間なのに永遠にも感じられる、素晴らしい時間だったよ」


 控え室に戻り椅子に座る間もなく強襲してきた男の軽口に、ティナは呆れた表情を浮かべた。


「支配人、ノックをしたら返事があるまでドアを開けてはいけません、と教わりませんでしたか? 仮にも貴族向けのお店なんですからマナーは守ってください」

「いや、すまないね。この感動を少しでも早く伝えたくて。――おや、ライルはどこに言ったのかな?」

「ライルさんなら横笛を返しに行っただけなのですぐに戻ってきますよ」


 一見すると穏やかそうな人当たりのよい紳士だった。年の頃は30前後といった頃か。濃い茶髪を後ろに撫で付け固め、深い緑の瞳は柔和そうにティナを見詰めている。


 ティナの印象は油断のならない人、だ。優しそうに微笑んでいても目の奥は常に冷えている。一応貴族らしいがどちらかというと商人のようだな、と少女は思う。


 ちょうどその時、ティナの言葉通りにライルが戻ってきた。先に室内に入っていた支配人の姿を目にして男の眉間にしわが寄った。


「どうしてここにいるのです、支配人。俺のいない間に勝手に入らないでいただきたい」


 不愉快を全面に出したライルの態度にもめげることなく『青い箱庭』の支配人、エルリック・ド=レミンは快活に笑った。


「ははは、そんなに嫌そうな顔をしないでくれ、ライル。君と私の仲じゃないか。心配しなくても君の可愛い小鳥には手は出さないよ」


 ライルとエルリックは実は旧知の間柄らしい。正確にいうと、ライルの兄とエルリックが知り合いなのだという。


「それで、ご用は済みましたか? それならばさっさと退出願いたい。ティナを着替えさせたいので」

「おや、君が着替えさせるのかい? なかなかに高尚な趣味だねぇ」


 エルリックの軽い調子にティナは僅かに眉をひそめた。彼女からしてみればまたか、といった感じでいい加減鬱陶しくもなってきた。


 ティナとライルを見て、多くの人間が邪推する。レーゼの街では2人で歩いていてもそういった声をかけられたことはなかった。あの街の人間はみな過去持ちが多いため、詮索自体を好まないのもあったが、それよりも気持ちの大きい人間が多かったように思う。


(なんだろ、こちら側は魔素は薄い分空気が軽く感じるのに、人間たちには全く余裕が感じられない……)


 魔王ベルゼアを倒した後は人間がこの世界を支配するだろうと思っていた。


(勇者の言った通りになったな……)


 ぼんやりとかつて間近に見た美しい女の顔を思い出す。今思い返せば、無表情に見えた彼女の顔には諦めが浮かんでいた。


 彼女が懸念していたように、今の人間は向かう方向を見失った渡り鳥の群れのようだ。ある者は群れを離れ、ある者はさ迷い、ある者は混乱の果てに他者とぶつかり墜落した。


 平民の中に居ればそこまで顕著に感じることはなかった。けれど国同士の規模でみれば明らかに迷走を続けている。ここアイシール王国と隣国のマイスール王国は比較的落ち着いており、魔族との交流も問題なく出来ているのでまだましな方なのだろう。


「――ナ、ティナ。どうした? ぼんやりして。疲れたのかい?」


 自分を覗き込んでくる銀色の瞳に気付き、少女は思考の海に沈んでいた意識を慌てて引き上げた。


「いえ、すみません、ライルさん。少し考え事をしてました。それよりも支配人、ご用はなんでしょうか?」


 なんにしろ、この男には早く出ていってほしいな、と用件を訊く。


「いや、実はね。ライルに会いたいと、知人が訪ねてきているんだ。ここに通してもいいかな?」


 穏やかな表情ながらも目の奥は笑っていない。何か企んでいる目だと、少女の勘が告げていた。けれど悪い感じは受けないのでどうするかはライルに任せることにした。


「ライルさんが会いたいのならどうぞ。私は外しましょうか?」


 尋ねておきながらも意味のない質問だったなと思う。わざわざティナが着替える前に訪ねてきたということは、そういうことだろう。


 案の定、エルリックは胡散臭い(ティナ視点)笑みをさらに深めて、首を横に振った。


「いいや、向こうは君にも会いたいそうなんだ。悪い奴ではないから、会ってやってくれないか?」

「私はかまいませんよ。ライルさん、どうしますか?」

「……ティナは昼間仕事から帰って来てここに来ているんだ。悪いがこれ以上彼女に負担を強いるわけにはいかない。誰かは知らないが会うわけにはいかないな」


 あっさりとそう返事をされてエルリックは苦笑を浮かべた。


「会っておかないと後悔するぞ、いろんな意味で」

「どういう意味です?」

「知りたいか? ならば会いなさい、会えばわかるから。ティナ、かまわないかな? なに、すぐに済む話だ」


 ティナに拒否する気はない。少女が頷くとエルリックは身を翻して部屋を出ていった。


「……嫌な予感がする」

「そうですか? 私はなにも感じませんよ」


 軽くライルの不安を流すと、ティナは着替えるために部屋の奥にある衝立の中へと隠れた。その気配を察してライルは衝立に背を向けてドアを見る。


 着替えると言ってもドレスの下には細身のズボンを履いているし、上にはタンクトップを着ているので、脱いだ後にシャツを羽織るだけだ。


 1分もかからずに着替えを終えると、ちょうどエルリックが戻ってきた。またノックもせずに笑顔で入室すると、後から入ってきた人物の背を押して前に出した。


 少女から見た第一印象は、綺麗な人だけど生きにくそうだな、だった。黒い髪は短く肩の上で切り揃え、白と緑を混ぜた翡翠の瞳はきつくこちらを――ライルを見ている。薄い唇は真横に結んだままだ。


 対する睨まれたライルは彼女の姿を見た瞬間、ガタッと音を立てて椅子を倒す勢いで立ち上がり、驚きに目を見開いた。


「……モリーナ! モリーナじゃないか! 久し振りだな、元気にして――」


 モリーナと呼ばれたその彼女は踵を高く鳴らしてライルの元へ歩み寄ると、勢い良く右腕を下から突き上げた。


 もちろん、ライルは余裕で避けてしまう。


「なぜ殴ろうとする?!」

「黙れ、ライオール・ファッシム。黙って一発殴らせろ!」

「待て、モリーナ。久し振りに会う幼馴染みに対してこれはないだろう!?」

「ああ、そうだな、久し振りだな!! 貴様のような薄情な幼馴染みになんの遠慮がいる!!」


 モリーナは武道の心得があるようで、何度もライルに一撃をいれようとしているが全て阻止されている。5度目にモリーナの拳が顔面を狙ったのを見計らってその拳を左手で受け止めると、そのまま固定してしまう。


 モリーナが引こうが押そうが微動だにしない。涼しい顔でライルはモリーナの顔を覗き込んだ。


「――どうしたんだ、モリーナ。以前の君ならばこんながさつな真似はしなかっただろうに。それにこの髪――」


 ライルは眉をひそめて顔を近付けると、空いている右手で女の黒髪にそっと触れた。その距離の近さにモリーナは大きく息を呑んだ。


「あれだけ綺麗に伸ばしていたのに……もったいない」


 言いながら指の腹で毛先を撫でる。


 あまりの光景に、ティナは唖然として2人を見ていた。幼馴染みだと言っていたがそれにしても距離が近い気がする。


 もしかして……と予感めいたものが閃いた。


「もしかしてお二人って、恋人同士だったんですか?」


 その瞬間、場の空気が凍った。エルリックは年長者だけありすぐに復活すると軽く口笛を鳴らした。


「お、それを訊くんだ、私の小鳥さんは」


 ニヤニヤ笑いながら、いまだ距離の近い二人を眺める。


 先に反応を見せたのはモリーナだった。一気に耳まで真っ赤になるとライルの手を振りほどき居住まいを正す。


 ライルは呆れたようにティナを見て苦笑を浮かべた。


「恋人だったわけではないよ。元許嫁だ」


 ライルの発言にモリーナは真っ赤な顔で睨み付けた。その目は怒っているように見えて泣きそうにも見えた。


(本当にライルさんて女ったらしだよね)


「紹介しよう、こちらはモリーナ……いや、今はモルロか。モルロ・バルストフ子爵だ。隣国マイスール王国から遊びに来ているんだよ」

「仕事です、エルリック。――初めまして、青い小鳥さん。君の歌を聞いていたよ。とても素晴らしかった」


 なんとも気障な仕草でモリーナは微笑んだ。男装の麗人といったところか。


「ありがとうございます、モリーナさん」

「そこはモルロと呼んでほしいな」


 苦笑するモリーナはどこからどう見ても線は細いが優しげな好青年だ。まるでライルが二人居るようだとティナは思う。


「待て、モリーナ。なぜ君が子爵を名乗っている? お父上はどうした」

「……そのことで話したいことがある。少し時間をもらえないか」


 硬い表情でモリーナはそう提案した。


 


 あれからティナはライルとモリーナと共に宿屋に戻ってきた。そのライルとモリーナは、ティナが部屋に入るのを見届けると再び出ていってしまったが。


 店主から湯の張った桶を貰い、タオルを絞り体を清めると、残り湯は桶に頭を突っ込んでガシガシ素洗いする。汚れた湯は廊下に桶ごと出しておけば宿の人間が回収してくれる。簡素な服に着替えて、就寝のためにベッドに上がった。


 食事は『青い箱庭』で賄いを食べさせてもらっているので必要ない。


(……そういえば、全く一人って初めてかもしれない)


 ベッドの中で不意に寂しさを感じた。今までは必ずネリアノスがいた。家族と別行動をとるようになってからはまるで引っ付き虫のようにライルが側にいたのだ。


 ふぅ、と布団の中で溜め息を吐く。人の気配がしないのは思いの外寂しいものなんだな、とティナは掛け布団を頭まで被り目を閉じた。


 それからしばらくして。ティナが眠りの園へと向かおうとした頃。


 背筋を逆撫でされたような違和感にハッと目を覚ました。体を起こし暗い室内を睨み据える。


「――だれ?」


 少女の誰何の声に闇が動いた。部屋の中に突然青い火の玉が3つ現れると、それは室内を照らし同時に闇に溶け込んでいた者の姿まで露にした。


「夜分の訪問、御容赦ください。私の名はフラスタン、淫魔族の長エリーシャエル様より言付けを預かっております」


 方膝を付き深く頭を垂れたその姿に、ティナは古い記憶が浮き上がってくるのを感じた。


「フラスタン……」

 

 ベルゼアであった時に常にエリーシャエルの側に付き従っていた男だ。見える頭は完全な白髪だが、見た目はまだ若々しかったはず。

 

 ティナの呟きに男は顔を上げて少女を見た。


「主よりの伝言にございます。『しばらく帝国方面で遊ぶ(・・)つもりだからあまり近付かないように』とのことでございます」

「遊ぶ……。それは魔王陛下のご意志ですか?」


 物怖じしない少女をどう思っているのか、それとも何か聞いているのかはわからないが、表面上はその美貌がなにかしらの動揺を見せることはなかった。


「陛下の御意志にございます」

「そうですか……。わかりました、とエリーシャエルさんにお伝えください」


 深く一礼してフラスタンは立ち上がると、静かにティナの座るベッド脇へと歩み寄ってきた。その艶立つ紫紺の瞳に端整な美貌、匂い立つような男の色気にティナは妙に気分が落ち着かなく感じた。そわそわして少し息苦しく感じてなんだか切ない。


 意味のわからない感覚に逃げ出したくなる。


 実際少女の腰が僅かに浮いたのを見て、フラスタンは歩みを止めて柔らかく笑った。


「失礼いたしました。懐かしい気配に誘われてしまいました」


 やはり判る者には判るのだろう。ティナとベルゼアの見た目は親と子供ほどしか似ていない。髪と目の色は同じだが、人間と変わらない魔力量のティナではほとんどの魔族が同一人物だとは思わないだろう。


「再び御目にかかれて恐悦至極にございます。どうか御身の平安が長く、長く続きますよう、心より御祈り申し上げます」


 最後にそう言って男は消えた。


 ティナはポスンとベッド上に倒れた。その脳裏に浮かんだのは現魔王の顔だった。


(アリシアネは魔族を、この世界をどうするつもりなんだろう。それにどうして私に気を遣うのかな?)


 一度きちんと話すべきなのかもしれないな、と少女は考える。アリシアネがなにを望みなぜ魔王になったのか、ティナは知りたいと思ったのだ。


(ライルさん、まだ帰ってこないな。これは朝帰り確定かな)


 眠りが近いせいか、思考があちこちに移ろう。先程見たフラスタンの色気に当てられたのか、ティナの中でライルとモリーナの仲が急速に進んでいた。


(でも許嫁って言ってたしなぁ。もしかしたら結婚報告とかされるのかな)


 うとうととする中でライルの結婚を考えた時、クスッと笑いが洩れた。


(貴族なら結婚をしていてもおかしくない歳だけど。多分ライルさんは無理だろうな。あの人は、根っからの騎士だから……。きっと、命令しないと、結婚しない……)


 少女の意識は深い眠りの底へと落ちていった。


 

ティナが『青い箱庭』から出る時は目眩ましの魔術を使っています。また、母の店では本気で歌ってはいなかったので『歌の上手い子供』程度の認識でした。

ベルゼアの時代、歌は彼の宴会芸のようなものでした。

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