〜プロローグ後編〜
「呼ばれた………この樹にか?」
「そうだ。お前は世界を愛し、心から愛されていた。時代の流れ故変えられなかったが、シンシニアはお前の死を望んではなかった。だからお前は肉体が消滅した後、魂だけとなりここに来た。間を置かず転生する為にな」
ベルゼアはその大樹を見た。
これがあの世界の意志だと言うのだろうか。今もまだ嬉しそうに高い澄んだ音を立てている。
「転生、か。今死んだばかりなのにな。できればもう少し死後の世界でゆっくりしたいのだが。あの世にも会いたい者は沢山いるのだぞ?」
「何、心配するな。いずれ嫌でも会える。ーーさて。本来なら転生するには何十年、何百年とかかるのが普通だが、今回は特別だ。ここを訪れるものはそう多くない。何か心残りがあればそこを軸に新しい命をくれてやる。どうだ? 思う存分自由に生きてみないか?」
ベルゼアはふと己の生を振り返った。魔王として生まれ魔王として生き魔王として死んだ。その事に悔いはないが、もっとベルゼアとして生きたかった部分もある。
もっと世界中を見て回りたかった。もっと己の力で無双を体験してみたかった。そして何よりも、友人(臣下)達と宴会なるものをしてみたかった。
魔王であった頃、その魔力の強さゆえに食事をする必要がなく、ほとんど食物を摂らなかった。食事を美味しいと思うこともなく、お酒を飲んでも全く酔えなかったのだ。
何かある度に宴会だと騒いでいた仲間達が羨ましくて仕方がなかった、その郷愁にも似た記憶が甦った。
「………居酒屋を経営してみたいな」
「……………………………………………………………………………は?」
「居酒屋だ、もしくは食堂などでもいい。旨い料理を作って食べてみたい。そしてみんなと酒を呑み交わして酔っぱらってみたいな」
「あー………。なるほどな、元魔王の料理人か、とんだチートだな。そんな事を言う奴は初めてだ、面白い。……くくく、シンシニアが気にいるはずだ。で、他には? 今なら大盤振る舞いでその他の要望も受け付けてやる」
「チートとはなんだ?」
「そこは聞き流してくれ。それよりも何か他に要望はあるか?」
ベルゼアの目の前の人物は、ない胸を張り楽しそうにこちらを見ている。
男にも見えて女にも見える。ベルゼアには性別がないので、色気なるものがよくわからないのだが、それでもこの目の前の人物には男女関係なく欲望が疼くのではないのだろうか、と思う。
「冒険者にもなってみたいな。未開の地を踏破し、思う存分暴れてみたいぞ。なんせ魔王であった頃は力を出しきれなかったからな」
「お前なんぞが全力を出したらシンシニアがかわいそうだ。だがまあ、気持ちもわからなくもないな。ふむ、そうだな……力を中途半端に奪うのは危険だしなぁ。それならばいっそ制御をつけるか。待てよ、それか戦隊モノのように変身することで力を解除できるようにするのも手だな。それとも………」
なにやら熱心に考えこみだした。
ベルゼアは改めてシンシニアの樹を見つめた。二百年生きたあの世界は、紛れもなく新たな局面を迎えていた。
逆らうことの出来ない時代の流れは、魔族ではなく人間を選んだはずだ。だからこそ、ベルゼアは死にここへ来たのだ。
それなのにシンシニアーー愛おしいあの世界は、魔族であるベルゼアを慕っているらしい。
「よし、こうしよう! お前は人に生まれ変わる。だが人の身でその膨大な魔力は危険なので、魔族としての身体も与えよう。しかも今よりもさらに頑丈に作り変えてやる。平常時は人として生きよ。だがいざ高魔力を必要とするなら魔族の身体を使うがいい。どうだ? 楽しそうだろう?」
ニコニコ楽しそうに同意を求められ、ベルゼアは苦笑を落とす。
「私は人に生まれ変わるなら、必要以上の魔力はいらないぞ? むしろ取り去ってくれ」
「それは出来ない。さっきも言っただろう? 普通は何十年、何百年と時間をかけて魂だけの状態に戻すと。魂に染み付いたものを落とすのは大変なんだ。逆なら簡単なんだがね」
「そんなものなのか?」
「そんなものさ。それよりも。人間に生まれ変わるのは異論はないな?」
「ああ。むしろこれからの時代、人のほうがやりやすいだろう」
「それは違いない。そこでだ。性別はどうする? 男になるか、女になるか。魔族に性差はあまりないが、人間となると力、権力、職業等で差が出てくる。どちらを選ぶ?」
聞かれてベルゼアはしばらく考え込んだ。男がいいか女がいいか。問われても正直どちらでも良かった。どちらであっても生きていく自信はある。
「どちらでも構わない。好きに決めてくれ」
「魔王は無性別だからな。どちらがいいかと問われてもわからんか。わかった、そこは産まれてからのお楽しみ、という事にしておこう。あと、こちらの諸事情で産まれて十年は記憶を封じておく。かまわないか?」
「ああ。記憶が無いのが普通だろ?」
「そうだな。あとは【腹】を探さねばならないか……。人であって魔王ベルゼアを知る者がいないかな……」
「……なあ、ひとつ聞いてもいいか」
「ん? ああ、構わない。何か質問でもあるのか?」
「いや、生まれ変わる事については全て任せた。ただ、ここまでしてもらって、名前のひとつも聞いてなかったと思ってな。お前の名を教えてほしい」
「名前か……名前はない。ただ『書記者』とだけ呼ばれていた。それが俺の仕事だからだ」
皮肉げな笑顔で書記者は答えた。それは名前では無いが、この者の本質なのだろう。笑顔の影には誇らしげな顔も見え隠れしている。
「細かい調整はこちらでしておこう。ところでベルゼアよ、俺からもひとついいだろうか」
「もちろん」
「お前は今から『生まれ変わる』。魔王とは違う生を歩むんだ。それを忘れないでほしい。魔王であった頃のしがらみが幾つも伸し掛かってくるだろうが、どうかその事を忘れないでほしい。忘れなければ何をしてもいい。勇者を倒すもいいし、魔族再興をやりたいならしてもいい。どうか自由に生きてくれ。それがシンシニアと俺の願いだ」
その真摯な言葉にベルゼアは微笑んだ。初めて会った者なのに、その心根が優しく嬉しかった。
「まあ、後は任せろ。お前の悪くないようにしてやる。俺はたくさんの世界のたくさんの物語や人間共を見て来た。けどなぁ、シンシニアの人間共は俺は好かん。魔族に勝つためには仕方が無いのかも知れんが……。だから、お前は飲まれるなよ? ――さて、お話もここまでだ。しばらく眠るがいい。まだ準備がかかるからな」
書記者はなんの断りもなくベルゼアの額に触れた。すると強烈な眠気が襲ってくる。
ベルゼアは慌てることもなく、書記者を呼んだ。次目覚めれば、きっとこの者はいない、懐かしい世界のはずだ。今、伝えておかなければならない事がある。
「ありがとう、感謝するよ………」
その言葉が確かに届いた事を確認してから、ベルゼアは意識を手放した。
まるで子供のようにワクワクしながら。