~魔王城の主~
魔王城の地下に宝物庫がある。その存在を知る者はわずかで、城の維持の為に住み着く妖精族や小人族の一部の者しか知らない。
六玉将ですら、その内部に足を踏み入れたことはなかった。
ここはかつての魔王ベルゼアが唯一の趣味の為に使っていた部屋だ。今では宝物庫と呼ばれるのは魔王が遺した物たちのせいだ。
魔王が死した後、親友でもあり臣下でもあったアルガンとマキタスは、初めてこの部屋に入った時、一人は感嘆の息の吐きもう一人は重い溜め息を吐いたという。
その部屋の扉の前に、ルディとライルは居た。足元にまとわりつく小人族達を間違って蹴ってしまわないか、ライルは気が気ではない。かといって足元ばかりに気をとられていると、不意をついて妖精族がいたずらを仕掛けてくるのだ。
「やけに気に入られてますね」
悪戦苦闘するライルを面白そうに見やりながらルディは扉の前に立ち、その扉の鍵を開けた。
「参ったよ、こうも小さいと下手に動くことも出来ない。簡単に傷付いてしまいそうで、恐ろしい」
大の男が心底参ったと小さい者たちに根をあげている。それがわかっているからこそ、彼らも男にまとわりつくのだ。
これが妖精族や小人族など気にもしない相手なら、彼らは現れない。アルガンなどは蹴散らして行くだろうから寄り付きもしないだろう。
キイィィ……。僅かに軋んだ音を立てて扉は開く。
廊下の灯りが照らし出す範囲で見て取れるのは、部屋の中央に座する何かの作業台だ。
ルディに続いて部屋に一歩足を踏み入れる。
「明かりを」
少年の一言に、一斉に部屋のランプに火が灯る。
照らし出された室内の様子に、男は思わず息を飲んだ。先を行く少年の後を追おうと思うが、まるで蜜に吸い寄せられる蝶の様に足が壁際へと向かう。
「……凄い……」
壁に張り付くように並んだ陳列棚に飾られているのは、一目で名刀名品とわかるような武器の数々だった。しかも種類も豊富で、小さい物なら短剣から大剣、好事家なら目の色を変えるような逸品ばかりだ。
ライルがかじりつくように見ているのは長剣。長年騎士として慣れ親しんだ形の武器だ。
「なんだこの輝きは……。聖剣とよばれる物ですらここまでの輝きはないぞ」
曇りもくすみもない白銀の刀身から目が離せない。あの刀身に触れればひやりと冷たいだろう。先端部から鍔の部分まで、優しく刃に指を滑らせれば赤い血が鮮やかに噴き出すだろう。それでもあの白銀の輝きを曇らせる事はできない。例え何人の肉を切り裂いたとしても、その刃に染みひとつーーー。
「ライルさん」
ポンッと肩を叩かれ、体が跳ねた。
「ル、ルディ! ああ、驚いた……。俺はどうしたんだ?」
まるで夢から覚めたような気分に男は頭を軽く振った。そうしてもう一度長剣を眺める。
穢れのない白銀は堂々と明かりを受けて艶やかな光を返す。
ーーーああ、なんて美しい……。
また魅入られそうになるライルの肩を、今度は強めに叩いた。
「気を付けてくださいね、ここにあるのは『性悪』なのがほとんどですから。魅入られたらまともな人生にはなりませんよ」
まるで狐につままれたような顔の男の背を押して奥へ進む。ライルは背中を押されながらチラリと室内を見渡した。ちょうど部屋の中央にあるのはおそらく鍛冶場だろう。炉や鍛造の為の台に見覚えがあったのだ。
「もしかしてここにある剣や槍は、魔王陛下がお造りになられたのか?」
奥の部屋に続く扉の鍵を開けながらルディは答えた。
「ええ、そうです。ほんの手慰みにね。200年間も城にほぼ籠りきりになると、暇で暇で。人間の国王の様にそこまで忙しくはないですから、魔族の王は」
基本、暇なんですよ、魔族って。
笑いながらルディが言う。
200年も剣を打ち続けていればその腕も上がり続けて、造る物は全て聖剣魔剣ばかりになっていた。しかも魔王の魔力を込めて造るため、その能力は計り知れないものだ。
奥の部屋も武器の保管場所の様で、同じように棚や壁に立て掛けられていた。
「ここにある物達なら、触れても大丈夫ですよ。好きなものを手に取ってみてください」
「え、いいのかい?」
「はい、ここの子達はよく躾てありますから」
躾てある? 内心は疑問に思いながらも、刃の魅力には逆らえない。やはりすぐそばにあった長剣に手を伸ばした。柄の部分はとても地味だ。装飾と呼べるものは全く無く、持ち手を組紐で保護している。
同じ白銀の輝きなのに受ける印象が全く違った。先程の長剣が絡めとるような魅了だとすると、今ライルが手にした物は凛とした聖なる気配を感じる。穢れや邪なものは一斉受け付けない気高さを感じるのだ。
ライルが長剣を見ている間、ルディもまた武器を見繕っていた。少年が見ているのは槍が並んだ場所だ。母のために新しい槍を贈ろうと考えたのだ。
(ギルドに勤めるのなら武器の一つや二つ、持っとかないと舐められるだろうし。見るだけで威圧感を与えて尚且つ母さんと相性のいい子か……。『星砕く乙女』と対になる『真白の天女』がやっぱり一番いいか)
ルディが手に取るとその槍が鳴いたようだった。どこかでぶつかったのか高い金属音が鳴り渡る。
「お願いしてもいいかな? 天女。私の母を守ってほしい」
少年の呟きに答えるかのようにもう一度金属音が響いた。ひっそりと微笑み、ルディはもとの場所に天女を一旦戻した。
「少し待ってて。後で連れていくから」
次にルディが見ているのは弓と短剣の棚だ。
これらは自分が使う為に持っていくものだ。主にティナ仕様で。ルディならば武器は無くても莫大な魔力で戦えるが、元が人間のティナではそうはいかない。剣では重すぎるし、弓に関しては騎士団でも才能ありと認められていたので、この二つをメインにしばらくやっていくつもりだ。
自分の武器は適当に選ぶ。適当といっても全てベルゼアが作ったものなので、どれがどのような特性を持っているか理解した上でだが。
とりあえず見た目には可もなく不可もなく無難な物を選ぶ。
自分の武器をさっさと決め、ルディは連れの男を振り返った。ライルが手にしている剣を見て、柔らかな微笑が口の端に浮かぶ。
「やっぱりそれを選びますか。波長が合うんですね」
ライルが手に取っているのはやはり長剣だ。僅かに翠がかった刀身に黒鉄の鍔と柄。美しい金糸が柄の部分を硬く縛り、握り締める度に掌に馴染む。
軽く目の前で振ると翠が尾を引き軌跡を刻む。その美しさもさることながらまるで自分の腕を振っているかのような軽さと馴染みの良さ。そして何よりも魂が引き込まれたかのように、その剣から意識が離せないでいた。
「それの銘は『ジェラルディルタ』、気に入ったのなら最初に話した通り持っていってください」
「その話だが、本当にいいのかい? ここにある物たちは全て魔王ベルゼア様の物だ。ルディは良くても他の魔族の方達が納得しないのではないか? 特にマキタス殿やアルガン殿はおもしろくないのでは」
ベルゼアの死後、交替でこの城に詰めている二人にしてみれば、城の物を勝手に持ち出されるのは不愉快だろうとライルは思うのだ。
それを懸念して譲渡を躊躇ったのだがルディは肩を竦めた。ルディにしてみればその二人からここをなんとかするように言われているのだ。
なんせベルゼアが造っただけに下手に触ると飲まれてしまう。しかも厄介なことにここの武器達は持ち主を選ぶのだ。なのでライルが気に入ったのなら使ってほしい。なんなら後二、三本持って行ってくれるとなおありがたい。
ルディの必死の説明にライルはやっと納得する。
「それなら短剣も一本使わせてもらってもいいだろうか」
「どうぞどうぞ。それと対になる短剣が確かあったはずです。あれは何処にやったかな……」
ルディが記憶を探りながら奥へと進んだ時だった。ちょうど棚が途切れた所で少年の足が止まった。ルディは視線を下に落とすと、そこには薄汚れた布に包まれた『何か』があった。
棚と棚の間に、それは隠すように置かれていた。
「それは何だい? まるで隠しているようだが」
後ろから覗き込みながらライルが問う。
その問いには答えず、ルディはおもむろにその布を掴むと勢いよく払った。
その布の下から現れたものにライルは息を飲んだ。思わず少年の二の腕を掴み押し退けようと身を乗り出したが、掴んだ反対の手で止められた。
「……生きているの、か?」
薄汚れた布の下に隠されていたのは、歳は二桁にも満たない幼い少女であった。しかも己よりも大きな大剣を抱き締めて、膝を折って座っている。その表情は俯いていて見えないが、長い金髪は潤沢な艶を見せて輝いていた。
「これは生きてはいませんよ。人形ですから」
「人形? この少女がかい?」
「はい。正確に言うなら性別はないんですけどね。でも本人は乙女だと言ってたな……」
「本人?」
ルディは手を伸ばすとその人形の顎をクイッと上げた。その目を見て、ライルは納得する。肌も髪もまるで生きている人間そのものだが、目だけは違った。生気も感情もない硝子玉の瞳。
「それにしてもなんでこんな所に? マキタスさんの話では行方不明だと聞いてたんだけど」
ルディの視線が人形から大剣へと移る。
その大剣はこの部屋の中では珍しくとても華美で沢山の宝石類で飾り付けられていた。黄金の鞘に彫り込まれた模様はまるで蔦のようにまとわりついている。
少し躊躇った後、ルディは大剣の柄に手をかけて引き抜こうと力を込めた。
と、その瞬間。白い手が少年の手首を掴み、鞘走らせるのを押し止めたのだ。
「ーーーやめて。あなたにその資格はーーーあるじ?」
生気の宿ったその瞳は鮮やかな紅玉の色に染まっていた。目の前のルディを見て、驚きに目を見張っている。
先程まで確かに人形でしかなかったはずなのに、今は確かな意思をその双瞳に感じられた。
「あー、久しぶり?だね、ルイゼンダール。私がわかるかな?」
「ーーーちがう」
「ん? 何が違うの」
「ルイゼンダールじゃない。ルイゼナ。あなたはあるじ。わたしのただひとりの王。わたしの創造主。でもーーーあるじはわたしを置いていってしまわれた。ルイゼナは悲しくて哀しくて、ここに籠った」
そう語る少女の紅瞳から涙がこぼれ落ちた。表情は変えること無く、涙だけが壊れた蛇口の様に後から後から溢れだす。
「そっか……。ごめんね、ルイゼ…ナ」
「いい。あるじは帰ってきた。ルイゼナ、それがとても嬉しい」
よしよしと頭を撫でるルディの手のひらの下で、ルイゼナは恥ずかしそうに嬉しそうに淡く微笑む。
二人の姿を背後から見守りながらも、ライルは何とも言えない顔で呟いた。
「この子供も魔族の兵士なのか? 大剣を抱えているが、これ、振るうことが出来るのかい?」
「魔族を外見で判断しては駄目ですよ。子供だろうが老人だろうが魔族は魔族、強さの基準は魔力で決まります。それにそもそもさっきも言ったように『これ』は人形ですからね」
ルイゼナの頭をぽんぽん叩く、その感触を叩かれている本人が嬉しそうに味わっている。
「人形……、そうだ、確かにさっきは人形だったな。やはり魔族とは不思議な生き物だな」
「勘違いしてるみたいなので言っておきますが。ルイゼナの本体はこっちの大剣ですよ。人形の方はルイゼナの要望で造ったんです。ルイゼナを扱える者が私以外に居なくて。ですが魔王ベルゼアであった時は私は剣を扱う事がなかったので、ルイゼナの精神と同調出来るこの人形を造ったんです」
ベルゼアは高純度の魔力が一番の武器だったので、物質的な武器を持つ必要がなかったのだ。だが魔剣として誕生したルイゼナは己の存在意義をよく理解していた。剣は振るう相手があって初めて威力を発揮するということを。
長い年月を使い手探しに費やしたが、ベルゼアを主とし自尊心の強い彼女には、どうしても主以外の者に使われる事が我慢できなかった。
それを察したベルゼアが提案したのが、人形に憑依し自分で刀身を使うことである。
「今思えばそれが一番良い方法だったんですね。ルイゼナほどはっきり意思があると、使う方も遣りづらいですから。ちなみにルイゼナは六玉将の一人ですよ」
その言葉にライルは驚きを隠さなかった。まじまじとルイゼナを見る。
そして今気付いたとばかりにルイゼナの視線が男を捉えた。その紅瞳が暗く緊張をはらむ。
「人間ーーーあるじ、殺す?」
「いやいや、殺すのは駄目だから。この人間は私の連れだから覚えておくように」
「わかった。あるじの大切なひと?」
「そういうことだよ。私の相棒だ」
ルディとライルはしばらくの間冒険者としてチームを組むことを決めていた。その事もあり、今日は二人の新たな武器も見に来たのだ。
マキタスなどはライルのことも手駒にしたかったのであろうが、何かと過保護なネリアがそれを許さなかった。一人でベルティナが旅立つことを許可しなかったのだ。
「あるじの大切なら私にも大切。よろしく」
人形ゆえなのか、あまり表情のないルイゼナ。淡々と言葉を繋ぎライルに会釈する。
「こちらこそよろしく」
対してライルが温かな笑顔なのは、幼少期のせいでシスコン気味なせいだろう。男女問わず子供に弱い男であった。
「ルイゼナはまだここに籠る気? 私達はすぐにここを出ていくよ。もしここから出るならマキタスさんを手伝ってやってくれないかな」
「あるじに付いていってはだめ?」
「うーん、駄目かなぁ。これから私達は人間の領土へ行くからね。ルイゼナでは目立ち過ぎる」
ルイゼナの本体は大剣の方なので、人形と接触していないと繋がりが切れてしまう。その為、常に大剣を持っていないと駄目なのだ。
こんな少女が常に大剣を背負っているのは異常だろう。しかも人間離れした美貌は魔族を十分に連想させるものだ。
ルイゼナはしばらく黙り混むと、やがて諦めたように口を開いた。
「……わかった。わたし、ここであるじの帰りを待つ。寂しいけど、しかたない」
「そうしてくれると嬉しいな。待っててくれる人が居ると、また来なきゃって気になるからね」
ルイゼナは武器の一つ一つを魔力で識別しているらしく、『ジェラルディルタ』と対になる短剣『ジェラシェール』の場所を教えてくれた。
そして『真白の天女』を手に取り三人は地上へと戻った。