~家族旅行・朝焼けの希望~
魔王ベルゼアが死して後、魔王城の玉座は空いたままだった。その代わりに六玉将のうち、第一位であるアルガン=ジェイドと第二位であるマキタス=サファイアが交代で魔王城に詰め、魔族をまとめる為に日々奮闘していた。
本来魔族とはその魔力を至上のものとし、何者にも縛られない自由な気質を持つ。よく言えば個性的で独立心が強く、悪く言えば他者を顧みる事なく我が儘だ。
魔王核とはそんな魔族をまとめる王を選抜する、蒼い色の宝玉だ。魔族の総意と言ってもいいものであり、心の支えでも在るものだ。
しかし、その魔王核もベルゼアと共に消失した。聖剣タンデュローダに刺し貫かれて。
そう誰もが思い込んでいた。魔王核は希望は失われた、と。
だが真実はそうではないと知る者が、この世に一人居た。人間と魔族の双身を持つたぐいまれなる存在。
かつて保持者であったベルティナ
だけが、その居場所を正しく把握していたのだった。
東から昇る朝日は、それが魔族が治める土地であろうとも、等しくその恩恵をもたらす。
魔族とはけして邪悪な存在ではない。闇に潜み悪を性分とする存在は他に居るが、あれらは別次元に存在し時折魔封穴という次元の綻びを介してやってくる。
魔王城のバルコニーから、マキタス=サファイアは朝日を眺めていた。
城に詰めて今日で3日目になる。
基本疲れを覚えにくい魔族の体だが、さすがに3日も城に籠っていると自由に外へ飛び出したくなる。
朝焼けに染まる雲を眺めながら、彼の脳裏には懐かしい面影が浮かんでいた。
親友であり至高の主であった魔王の姿だ。いつもこの魔王城に在り続けたベルゼアは、よくマキタスやアルガンのことを羨ましいとぼやいていたものだ。六玉将という立場にはあるものの比較的自由気ままに過ごせる臣下とは違い、ベルゼアはほとんど魔王城から出ることはなかった。
今ならば当時の親友の気持ちがよくわかる。羨ましいと言われる度に笑い飛ばしていたのが少々申し訳ない。
そのせいかどうかはわからないが、今は立場が逆転してしまった。彼の人の魂は新たな肉体を得て、この空の下を自由に生きている。
「ーー美しい朝ですね、マキタス様」
馴染み深い声が彼の耳をくすぐった。僅かな笑みが口許に浮かぶ。
「ミレディ。戻っていたのですか。暫くは此方に寄らないだろうと思っていましたよ」
「意地悪を仰らないで下さい。いくらなんでも仕事を放棄したりはしませんわ」
養父の発言に僅かに頬を膨らませる。その子供っぽい仕草に、他の男ならば明らかに頬を染めただろう。
けれどマキタスにとっては可愛い娘の戯れに過ぎない。
普段ミレディはマキタスの補佐として、人間国との外交を受け持っている。魔王が滅したとはいえ、人間側の魔族に対する警戒心はいまだに根強い。そのため、魔族の国に在りながら人間であるミレディに、その役目が回ってきたのだ。
10年以上に及ぶ彼女達の努力のかいがあって、今ではネリア達が定食屋をしていたマイスール王国とは、表面上は友好関係を築けている。
「ネリアの様子はどうですか? あの娘の事だからもう右手一本で素振りでもしているのでは?」
「……さすがはマキタス様。当たってます……」
「母は強し、というところですか。守るべき存在がある限り、ネリアの心はけして折れないでしょうね」
ネリアもまた、幼い頃からその成長を見守ってきた子供だ。彼女の芯の強さも真っ直ぐな心根もとても好ましいのだった。
「それよりも、此方に来たのは何か用があったのでは? ただ世間話をしに来ただけですか」
「まさか。……ご報告を申し上げます。レーゼの街やその周辺の村にはさらなる強化結界を施しておきました。まだベルゼア様の結界が活きているとはいえ、僅かに綻びを感じましたので。後、魔封穴の調査ですが、一時間前に確認できただけでも、魔王領に五ヵ所存在しているようです。しかもいずれも直径1メートル近いものばかりで、とりあえず妖魔族の者に見張らせております」
「そうですか。今のところは妖魔族の一兵士にも対応できているのですね?」
「はい。今のところは下の者の対応で間に合っているようです。……魔王領以外ではどうなのでしょうか? 我が妖魔族の領地ではあまり報告はされていませんが、アルガン様やエリーシャエル様の領地でもやはり増えているのでしょうか……」
「さあ? どうでしょうね」
「……調査いたしますか?」
「放っておきなさい、何かあれば向こうから助けを求めてくるでしょう。エリーには元勇者殿も居ることですし、下手を打つことはないはずです。エリーだけでは少々不安でしたけどね。よい『保護者』が付いてくれたようです」
朝日に照らされる横顔はうっすらと笑みを浮かべているようだ。
ミレディですら見惚れるその美貌をしばし見詰め、それから意を決したように彼女は口を開いた。
「マキタス様……。なぜ六玉将の皆さんは元勇者のあの女を許せるのですか? ベルゼア様の仇なのに、なぜ普通に接することができるのか、私にはわかりません……」
「仇、ですか。確かにそうですね、ベルゼアはあの女に殺されました。ですが、それは裏を返せばただベルゼアが負けたと言うことなんですよ。私達魔族は魔王の死を嘆き悲しみますが、仇を討ちたいとかは考えませんね。これが罠に嵌められたとかなら少しは違ったかもしれませんが……。それに何よりもそうすることがベルゼアの遺志でしたからね」
「遺志、ですか? あの女勇者を許すことが?」
どうやらミレディの琴線に触れたらしい。その気配に怒りの色が混じる。
「そう、遺志ですよ。あの瞬間確かに私達は陛下の声を聞きました。その遺志を聞いたのならそれに添うのが臣下と言うものでしょう? それが気にくわなければ臣下を辞めて仇をとればいい。ミレディ、貴女にとって大切なのは己の感情ですか?」
意地の悪い言い方をしている自覚がマキタスにはあった。
義娘の悪いクセが出ていた。僻み根性というか、執念深い性格をミレディはしているのだ。かつて親に捨てられたトラウマがいまだに影を落としている。同じ境遇でもネリアの方がずっと割り切っている。実年齢は3倍近い差があるのに、ネリアの方が精神年齢はずっと大人なのかも知れない。
「……そういえば、ミレディ。あの話はどうなりましたか?」
義娘の感情に付き合うのもめんどくさいので、マキタスは話を変えた。
「…………話はついております。明日の昼頃に責任者が来ますので、その時にでも詰めた話をしようと」
「責任者? 誰ですか?」
「ルイエン=ハッケス殿です。マイスール王国のギルド総長を勤めておられる方です」
「なるほど、マイスール王国ですか。総本部の連中は出てこないのですね」
「はい、申し訳ございません。私の力が足りずに協力を取り付けることが出来ませんでした」
頭を下げるミレディ。その声にも僅かな悔いが滲んでいるが、マキタスにしてみれば予測していたことだった。
ギルド総本部があるのはダイラール帝国で、この国は宗教国家であるティルタニアとの結び付きが強い国だ。ティルタニア神教を国教とし、多くの勇者を輩出していることからも、魔族になびくとは到底思えない。
「上々ですよ、ミレディ。別にギルドと馴れ合うつもりはないですからね。協力体制さえ取れていれば問題はありません。ーーーそういえば。ネリアは今後どうするつもりか聞きましたか? 片腕では定食屋を続けるのは不可能でしょう?」
「はい。定食屋は畳むと言っていました。明日一度整理しに街に戻ると。それこそノスもティナもあの街の騎士団にはとてもお世話になっていたそうですし、挨拶に回らなければならない所がたくさんあると言っていましたから。全て片付けたらまたここに戻ってくると言ってました」
「そうですか。ならば彼女にも働いてもらいましょうか。おそらくギルドを設立したとして、ギルド長は組織の人間がやるでしょうが、副長辺りはこちら側の人間をたてる事になるでしょうし」
そこまでミレディがやっていては仕事のし過ぎである。いい人材は喉から手が出る程欲しいのだ。それが気心の知れたかつての同僚なら尚更だ。
「それはとてもいい案ですね。ネリアにも早速打診しておきましょう」
「あとシリルの兄が居ましたね。彼は確か実家とは縁切りされたと言っていたはず。ならば彼にも手伝ってもらいましょう。あれだけの素材、活かさなければもったいない」
少しずつ成そうとしていることの輪郭が見えてくると、それだけで僅かながらも肩が軽くなった気がする。
「……これで少しはベルゼアの夢へ近付けしたかね」
人間と魔族の共存ーーーそれがかつての魔王が望んだ未来だった。相容れないところはそのままで、手を取れるところがあるなら協力しあう。そうでなければいつまで経っても時代は先へと進まない。その事を誰よりも痛感していたのは魔王自身だった。
不幸なことにそれを成す前に時代の流れは、魔王に次代への礎となることを強いたのだが。
「そうか、元はと言えばあれの夢でしたね。入れ込む余り忘れてましたよ。そうであるなら今のあの子にも協力してもらいましょう。そしていずれは世界に名を轟かす冒険者にでもなるでしょうね」
真っ直ぐ前を見る養父の横顔はどこか遠い。ミレディは静かに一礼だけしてその場を離れた。
夢を実現させる為の時間はいくらあっても足りないのだ。それに宝物をひとつひとつ手に取り愛でるような、そんな過去の思い出に浸る養父の邪魔をしたくなかった。
(年寄りは感傷的になりやすいしね)
自分の事は棚上げしてそう結論付けるミレディである。
邪竜を倒して3日目の朝。未だにベルティナの魔族化は解けることなく、少年の姿のままルディとして過ごしていた。
「母さん、本当に私も行かなくて大丈夫?」
頑丈な麻袋を手渡しながらも、未だに諦め悪く聞いてくる我が子にネリアは苦笑を洩らす。右手で袋を受け取ると、もう何度目になるかわからない言葉を返した。
「大丈夫だと言ってるだろ。大概ルディもしつこいな。少しは母さんを信用しろ」
「もちろん信用してるよ? ただまだ片腕に慣れてないでしょ? 不測の事態が起きた時対処できるか、心配なだけだよ」
「そもそも行きも帰りもミレディが転移の魔術で送ってくれるんだ、不測の事態なんぞそうそう起こらん」
ぽんぽんっ、とルディの頭を叩く。
確かティナの時はもう少し背が低かったはずだ。今見る限りではノスとそう大差ないように見える。
(ルディを見たら、ノスの奴泣くな)
「それじゃ行ってくる。遅くても明日中には帰るから、大人しく留守番してるんだぞ。あと、ライルの言うことをよく聞くこと。わかったな?」
「それこそ母さんしつこい。私の事なら心配いらないから。ましてやライルさんに迷惑はかけないよ」
これも何度目かになる母の言葉に呆れた顔のルディ。似た者親子である。
「ネリア殿はもう行ったようだね。おはよう、ルディ。今日は気持ちのいい朝だ」
母をミレディに託した後、一人で宿屋の食堂でお茶を飲んで居た。しばらくするとライルが降りてきた。
「おはようございます、ライルさん。体調はどうですか?」
銀髪銀目の色男は不思議そうにルディを見た。
「ん? ああ、今日も絶好調だが。どうしてそんなことを聞くのかな」
「この街にきて、もう一週間くらいなりますよね?」
「そうだね、それくらいになるか……」
「……魔力の弱い普通の人なら5日くらいで体に異常を感じるんですが。やはり『聖騎士』だけあって、魔力への順応が高いみたいですね」
なんとも言えない顔でライルが笑う。どう反応したらいいのか迷っているようだが、しっかりと訂正するのは忘れなかった。
「元、だよ。元聖騎士だ。今は家も仕事も貯金もないしがない冒険者だよ」
「……なんだか、切なくなりますね」
哀れみの籠った少年の眼差しに、ライルの心にすきま風が吹く。
「そんなことより。普通の人なら異常を感じるとはどういう事だい? この街には呪いでもかけられているのか?」
「……ライルさん、ウユイの青って知ってますか? 呪いではないんですが、魔族の地に根を張る人間達はみんな両手の中指の爪を染めているんです。それはウユイという植物の花の汁で染めてるんですよ。ウユイは魔力の強い場に生息しますが、その花には魔力を中和する効果があります。その花の汁で染めることで魔力酔いを防ぐんです。この地の魔力は只人には強すぎるので、主に子供や年寄りに使用しますね」
その名残で今ではレーゼの街の住人はみんな中指の爪が青いのだ。それが住人の証のようになっている。
「まあ元々魔力を使う人ならそこまできつくはないんですが、ライルさんのような体力勝負の戦闘職の人は体調を崩しやすいんですよ。なので聞いてみた次第です、はい」
そんな話をしている間に、ライルの前に朝食が運ばれてきた。
ちなみにルディはもう朝食を母と共に済ませている。
手早く朝食を食べながら、ライルがルディに尋ねた。
「今日は何をして過ごすつもりだい?」
「そうですね……。少し気になることがあるので、街の外に出るつもりです。ライルさんはどうします?」
「そうか。なら俺も付き合おう。ところで街の外とは具体的に何処へ行くつもりだい?」
ライルの問いかけに、少年はニッコリと笑顔で言った。
「魔王城へ行こうかと」