~家族旅行・雨の中で~
ネリアが目覚めたのは翌日の昼過ぎだった。
強めの雨の音が彼女の覚醒を促す。
ぼんやりとした頭で天井を見詰めていると、馴染みのない声がかけられた。
「あれ、母さん。目が覚めたみたいだね。調子はどう? どっか痛いとことかない?」
どうやらこの声の主は彼女を母と呼んでいるようだ。彼女の息子のノスにしては少し声が低く感じる。
では誰なのか? 体を起こして確認しようとするも、何故か左側に体が傾いてしまいバランスがとれない。
「無理に動かない方がいいよ。左腕の再生までは出来なかったから、起き上がるのなら左に傾かないようにしないと。慣れるまでは手を貸すよ、ほら」
ネリアはマジマジと目の前の少年を見た。
何故だろう、その瞳の色に懐かしい人を思い出す。その髪の色も。鈍い銀色の肌を見れば魔族だというのはわかる。
「君は、いったい…」
誰なのか? と聞こうと思ったが声が掠れて咳き込んでしまう。
「下で水を貰ってくる。少し待ってて」
そう言うと謎の少年は部屋を出ていった。その背中を呆然と見送り、ネリアは記憶を探り出す。
(確か私は……そうだ、邪竜のブレスに呑まれて、それから………)
そっと左腕を上げてみた。長袖のシャツのちょうど肘から下がだらりと垂れ下がっている。その事実に僅かに息を飲み、瞼をきつく閉じたがすぐにまた目を開けた。
その僅かな儀式だけで彼女は現実を受け入れた。
(死んだと思ってたんだがな…。どうやら生き残ってしまったらしい)
我ながら運が良いのか悪いのか…そう考えて笑いがもれる。
どうやらさっきの少年の事もそうだが、邪竜がどうなったのか色々思うことはあるが今の彼女が考えたところで答えは出ないだろう。
それよりも現実問題考えなければならないことがひとつある。
(店、どうするかな…)
片腕で出来るほど生易しい仕事ではないのだ、定食屋は。
そう考えると今後の身の振り方を考えなければならないネリアだった。
「おまたせー、ついでに体を拭く布とお湯を貰ってきたよ」
先程の少年が帰って来た。その手には片手にお盆、もう片手に桶を乗せていた。
どうやって扉を開けたのかは謎である。
「あ、ああ…ありがとう。すまないが君の名前を伺ってもいいだろうか?」
「ん? あー名前ね。ルディ。この姿の時はルディって名乗ることにした」
ニコッと笑うととても人懐っこく感じられた。そんな笑顔が自分の子供と重なった。
「この姿の時は……てことは。それは本来の姿ではないと言うことか。そうか……。君はベルティナなのか?」
「お、やっぱりわかってくれたんだ。さっすが! 私の勘の良さは母さん譲りだね」
喜ぶ娘(息子?)の姿にネリアは乾いた笑いがもれた。どんな姿でも我が子は無条件に可愛いが。だが可愛い娘が立派な少年になってしまうのはかなりの衝撃である。
(可愛い服を着せたり、長い髪を編み込みしたり、もう出来ないんだろうか)
どこか遠い目になってしまうのは仕方がない。
「もう、元の姿にはなれないのか?」
「魔力が安定するまでは無理だろうって。マキタスさんが言ってた。それまではこの姿で過ごすから」
「そうか。それじゃ慣れないとな。そういえばあの邪竜はどうなった? もしかしてティ…ルディが倒したのか?」
「ああ、止めは私が刺した。無属性魔術でね」
話の合間に水を飲み、ルディが絞ったタオルで体を拭いてもらう。右手は動くのでその右手の届かない場所だけだ。
「母さん。私は母さんに謝らないといけないことがある。その左腕のことなんだけど」
あえて再生させなかったんだーーーと、ルディは申し訳なさそうに呟いた。
「ああ、そんな事かーーー。大丈夫、気にするな。戦場に立つ以上全ては自己責任。そうだろう? それよりもあの後のことを詳しく教えてくれないか?」
請われるままにルディは話していく。
「……そうか、暗黒竜の出現は昨日の事になるのか。そんなに眠ってしまっていたとはな」
「そう、だからお腹も空いてるでしょう? 何か作ってもらおうか? まあもう少しで晩御飯になるからそれまで待っててもいいけど」
外の雨は激しさを増しているようだ。話す声を張らないと雨の音にかき消されてしまう。
ルディは立ち上がると室内灯に火を入れて、窓を開けて雨戸を閉めた。続けて窓を閉めると、そこに見慣れない姿がぼんやりと映し出された。
しみじみと見詰める。ティナである時とは全く違う顔立ちだ。
この先言い寄ってくる魔族や人間はたくさん出てくるだろう。そういった未来が簡単に予測できてしまう顔だ。
「どうかしたのか、ルディ」
「いや、なんでもない。母さん、動けるようになるまでもう1日はかかると思うよ。私の魔力をかなり注ぎ込んだからね。なので、無理をして動かないように。いい?」
「……魔力酔いか。わかった、じっとしてよう。そういえばミレディは帰ったのか? それにライルの妹は見付かったのか?」
「……あー、その事で今下で話し合ってるんだ、ミレディさんとライル。ちょっと様子を見てくる」
「……何かややこしいことになってるのか?」
「うん、まぁちょっとね」
言葉を濁しながら部屋を出た。そのまま階下へ向かう。
突然に激しくなった雨のせいか、1階の食堂には沢山の人が訪れていた。
ガヤガヤと賑わう店内で、1ヵ所だけ妙に浮いているテーブルがある。座っているのはミレディとライル。二人とも美形なだけに元々目立ちまくりの席だが、今は重い空気が更なる違和感を醸し出している。
ルディは僅かに溜め息をつくと、二人の元へと近付いた。
ムスッとした顔でライルを睨んでいたミレディが少年に気付き笑顔を見せた。
「ルディ! こっちにいらっしゃい、お姉さんがジュースを奢ってあげる」
「まだ話し合いは終わってないんですか。ミレディさん……」
「な、何よ。こればっかりは例えベルゼア様でも」
「ルディです、今は」
「うっ…ルディでも私は納得しなくてよ。今更シリルに会いたいだなんて、いくらなんでも身勝手過ぎるわ。今まで探しにも来なかったくせに!」
声こそ大きくはないが、彼女の言葉は痛烈だった。そして痛切でもあった。
ルディには彼女の気持ちがよくわかる。前世で彼女を拾いずっと成長を見守ってきたのだ。
同族の人間からは強すぎる魔力ゆえに忌避されて捨てられ、拾われた魔族にもどんなに魔力が強かろうが所詮人間と侮られ、そしてレーゼの街のなかですら最初の頃は異端者扱いされていた。
ミレディはただひたすらに努力し人を思いやることでこの街に受け入れられたのだ。
まだ幼い義妹に感情移入してしまうのも無理はない。境遇が似ているだけに尚更だ。
「貴女の言うことは正しい。誰だって貴女と同じ様に思うはずです。それに俺はシリルディーンと兄妹の再会を果たしたいわけでも、ましてや兄貴面して連れて帰りたい訳でもない。そもそも連れて帰る家もないですが…。ただ、知っていて欲しいんです。みんながあの子を捨てた訳じゃないんだと。
間違っても自分が誰からも愛されてなかったとは思ってほしくないんです」
困惑しながらも必死にライルは食らい付いている。
「もちろんシリルディーンが不遇であったなら連れて帰ろうとは決めていました。けれど今のあの子が幸せなら、何もせずに立ち去ろうとも決めていました。俺達家族を忘れ幸せならば敢えて思い出させることもないと。
ですから一目会わせてください。あの子自身に家族の記憶があれば俺の事がわかるはずです」
「それはやっぱりその髪と目の色で?」
ルディの端的な質問に男は頷く。
「ああ、そうだよ。銀目に銀髪は一族の象徴らしい。シリルディーンも美しい銀色を纏っていた。だからあの子を一目見たときすぐにわかったんだ」
それは昨日の事。ネリアに付き添うミレディの元に、シリルが報告に訪れたのをライルが見ていたのだ。
年の頃は13歳くらいの銀髪銀目の少女。名前も幼い妹の愛称だとわかり確信したのだ。
「だからといって、シリルが覚えているかは怪しいんじゃ? 3歳くらいに離された家族の事を覚えているとは思えないな」
ルディの言葉に大きく何度も頷くミレディ。対照的にライルはどこか諦めを含んだ笑みで答えた。
「さっきも言ったが。それならそれでいいんだ。それなら大人しくこの街を去ろう。ーーー俺の兄は10年前、シリルディーンを探して樹海に入り、それきり帰ってこなかった。当時15歳の兄は騎士になったばかりの少年だったんだ。それでも妹を探しに単身森に入った。そんな兄の気持ちだけでも伝えたい」
ミレディは何も言わないが、その表情が微妙に揺れている。
重い無言の時間が続いた。ライルは言うべき事は言ったので、後は今のシリルの義姉であるミレディに判断を委ねていた。
言葉を発しようとしないミレディに、ルディはこれ見よがしに声付きの溜め息をつく。するとミレディの肩がビクッと揺れた。少年と目を合わせないように、必死にテーブルの木目を数えている。
「ーーーお姉様」
鈴を転がすようなーーーそんな形容詞がぴったりの高く可憐な声が、その場の空気を一変させた。
3人の視線が一斉に少女に注がれる。ルディはのほほんと、ライルは息を飲み、ミレディは慌てて少女の名を呼んだ。
「シリル! どうしてここに!?」
鮮烈な青いワンピースを来た美しい少女は、姉にニッコリと微笑みかけた。
「マキタス様に言われて来ました。此処に行けば私に会いたがっている方が居るって」
手に持っていた雨具を入り口のフックにかけると、シリルは躊躇いもなく歩いてきた。そのままライルの元へと進む。
そして彼の前でピタリと止まるとじぃ、とライルが怖じけずくほど見詰めた。そのまま数秒の時を数えた後、少女は躊躇いがちに口を開いた。
「……あにさま?」
「!!」
「ああ、そう、そうだわ。あに様よ、兄様。ふふ、おひさしぶりですわ、兄様」
少女の瞳がキラキラ輝いて見えるのは涙の膜のせいだろう。
まるで雷に打たれたかのようにライルは身を震わせた。対してミレディはまるでこの世の終わりのような顔をして二人を見ていた。
不謹慎ながら笑いがもれてしまう。何をそんなに恐れているのか。シリルが羨ましいのと可愛い義妹を失ってしまうかもしれない恐怖と。様々な感情が入り乱れて勝手に絶望してしまっている。
結局ミレディは信じきれていないのだ。自分自身の事も近しい人達の事も。
「ミレディさん、母のご飯に付き合ってあげてもらえませんか? 介助する人間が必要なので。私は少し買い物に行ってきます」
言外に「少し冷静になれ」と匂わせて、少年はミレディを意味ありげに見た。その視線に気付き、ミレディは恥ずかしさに頬を染める。
自分でも情けないと気付いたようだ。
何も言わず立ち上がると、彼女はそのまま階上へと消えた。最後にチラリとルディ達の方を見た顔は落ち着いた何時もの彼女だった。
ミレディが消えたのを確認すると、ルディは立ち上がってシリルを見た。そしてライルを見て口を開く。
「ちょっと買い物に行ってくるので、その間に積もる話をしてください。シリルーーー」
初めてちゃんと目が合った。けれどすぐに銀色の瞳は逸らされてしまう。恥ずかしそうに伏せられた目の周りが、ほんのりと色付いていることにルディは気づかない。
ただ、綺麗な色が伏せられてしまったことに、少し残念な気持ちがしていた。
「買い物が終わったら私も『城』に行くので、待ってて貰ってもいいかな?」
コクリと無言で頷くのを確認して、少年はライルを見た。男もまた了承したと頷く。
「それじゃそういう事で。行ってきますね」
ルディは宿屋の女将さんから傘を借りると雨の中に出ていった。