~家族旅行・それぞれの思惑~
男が駆け付けたときには全てが終わった後だった。
抉れた山肌に焼け焦げた大地、その様を上空から確認し、その場に立つ三人の元へと降りた。背後に控えていた少女も後に続く。
「これはどういうことですか、ミレディ」
その声に三人が振り向く。
何やら揉めていたらしいミレディとエリーシャエルに、それを傍観していた元勇者のアリシアネ。
養い親の姿にミレディは明らかにホッとしたようだ。
「マキタス様! この様な所まで御足労いただき、申し訳ございません。シリル、あなたも御苦労様。今被害の確認をしてもらっているから、怪我人の手当てをお願いできる?」
その一目で異様と判断できる状況に、それでもシリルは何も言わずに己の仕事をするために、離れた場所にある天幕へと向かう。
「それで、なぜここにエリーと魔王殿がいるのか、そしてこの『跡』がなんなのか、説明してくれますか? ミレディ」
『魔王殿』と呼ぶマキタスの声音にこれといった感情は窺い知れなかった。その眼差しもエリーに向けるそれと違いはない。
こんな時、自分はやはり人間なのだな、とミレディは思う。
ベルゼアを殺したこの女を許すことは出来ないし、ましてや『魔王』などと呼ぶのは不可能だ。
己の心情を圧し殺し、ミレディは口を開く。
「はい。実は魔封穴から暗黒竜アズィルラディが出現しようとしていたところ、何とか食い止めて魔封穴の消滅を確認した所です」
簡潔過ぎる報告に、マキタスは静かに柳眉を寄せた。
「暗黒竜、ですか? それを貴方達が倒したと?」
「いえ、それは……。倒したのはアリシアネ殿ですが……」
珍しく言葉を濁す養い子の様子に、マキタスは剥げた山肌を凝視する。
そこに感じ取れる魔力の痕跡は非常に懐かしいものだった。淡い笑みが口許に浮かぶ。
「ベルゼアが居たのか……」
それは疑問でも確認でもなく、確信だった。
「わかるのですか? 私も正直どう説明すればいいか、わからなくて……」
「あれの魂が冥界に降りていないことは知っていましたからね。命あるものは全て例外なく冥界を通り、輪廻の環の中に還るんですよ。それが冥界の管理者に聞いてみても、ベルゼアが来た気配がないと言われましてね。どこをさ迷っているのかと思っていたんですが……」
そこまで言ってからマキタスは一端言葉を切る。
「お二人はなぜここに?」
「つれないわね。私達がここに居ちゃいけない? 暗黒竜の気配をアリィが感じ取って、倒すために来たんじゃない。マキは相変わらずね」
淫魔族の長であるエリーシャエルの色気は凄まじく、ミレディでも真っ直ぐに彼女を見ることができない。ネリアなどはなるべく関わらないようにしていたものだ。
そんなエリーシャエルに対しても、マキタスの氷の美貌は揺るぐことなく、しっかりと目を見て話す。
「そうか。光の魔術師であるアリシアネ殿なら倒せると思われた…と」
その言葉に、アリシアネが肩を竦めた。波打つ金髪が一房肩から零れ落ちた。
「そう、倒せると思ったんだがね。考えが甘かったようだ。止めを刺しあぐねていた所を謎の少年が仕上げてくれた。彼の少年がベルゼア様なのか?」
アリシアネの言葉にミレディが首を傾げた。
「少年? …あの、少女ではなく?」
「あら、男だったわよん? 確かにこの手で確かめたもの。ふふ」
意味あり気にエリーの手が空をさ迷う。そして恍惚とした表情で溜め息を落とした。
「久し振りよ、あんなに興奮したのは。あの濃密で淫靡な魔力の持ち主はこの世に一人しかいないもの。だから、ねえ、ミレディ? さっきの子は何処に行ったのかしら? いいかげんに教えなさいな。あんまり強情をはるようなら体に聞くわよ?」
ミレディは素早くマキタスの背後に隠れた。なにやらやりあう養い子とかつての同僚を横目に、マキタスはアリシアネを見た。
「暗黒竜の動きを止めてくれたことは感謝しましょう。だがここは貴女の領土ではない。速やかにエリーの城へ戻っていただけませんか」
「ああ、もちろんわかっている。エリー、戻ろう。ベルゼア様とはいずれ何処かで会うこともあるだろう」
「えー! 嫌よ、いやいや! せっかくまたお会いできたのに。せめてキスの一つでも奪わないことには……」
「それでは失礼する。エリー、転移魔術を頼む」
諦めきれないのか、まだぶつぶつ文句を言うエリーに蹴りを入れる現魔王。仕方なしに、それでも散々恨めしげな視線を向けながら、二人は瞬く間に転移魔術で姿を消した。
「ーーーとりあえず、場所を移しましょう。ミレディ、『彼ら』の場所へ案内してください」
そうして二人もすぐに転移魔術を使うと、ベルティナの元へと跳んだ。
「君は一体何者なんだ?」
問われて少年は首を傾げた。
「えっと…何者か、と問われるのなら、ベルティナとしか答えようがありません」
申し訳なさそうに頭をかく少年は、困惑仕切ったライルを見て少し笑う。
三人はレーゼの街の宿屋へと戻っていた。まだ目の覚めない母をベッドに寝かせ、二人は卓を間に飲み物を飲んでいた。
ベルティナは考える。
短い間だが、ライルと接していて彼からは人の善さと誠意しか感じなかった。信用できる人間だと断言できる。
ただ全てを話すことに少し躊躇いを覚えるのは、おそらく殆んどの人が信じないだろうと予想できるからだ。
下手をすれば、ベルティナが可哀想な人扱いされてしまう。
それでもここまで巻き込んでおいて、何も話さないという選択肢はないのだが。
「…正直、信じる信じないは別にして、とりあえず話を最後まで聞いてください」
そう前置いて、ベルティナは話し出した。自分のかつての生。そしてベルティナとしての人生。そして今の姿。順を追って話していく。
最初は何か言いたそうにしていたが、ベルティナの目配せに口を挟むことはなく、最後の方は静かに目を閉じて聞いていた。
全てを話終えると、ライルは詰めていた息を大きく吐き出した。
話していた時間はほんの十分に満たないのに、聞いた内容が内容なので酷く頭が重苦しく感じられた。
「……君が魔王ベルゼア様の生まれ変わりだって?」
「はい」
「……しかも今は男だと…」
「はい。何故かは聞かないでください、私にもわからないので」
魔族化すると性別が変わるーーーこれはベルティナもついさっき知った事実だ。
最初は戸惑いを覚えたが、すぐに気にならなくなった。若干めんどくさいなぁと思っただけで、男の自分も受け入れる事が出来た。
ティナの本質はやはり、無性であった頃のベルゼアなのだろう。
気が付けば頭を抱え込んだライルが居た。まあ普通の人間なら受け入れがたい話で混乱するはずだ。
最後まで話を聞いてくれた、それだけでも良くできた男だと思う。
「………俺はかつて騎士だと話したね? 今は妹を探すために騎士を止めてここへ来たと」
ぽつぽつと話しながら自分の考えを纏めているのだろう。ベルティナは静かに男の言葉を聞く。
「最初に言った通り、俺は妹が生きているとは考えたこともなかった。俺が育った国でも、親のない子供は人買いに売られるか路上で飢えるかしかなかった。だから魔族の領地へ迷い込んだ子供が生きられるとは到底思えなかったんだ。だけど数年前にこの街の噂を聞いた。聞いて俺は衝撃を受けたんだ。この噂が真実なら……俺は、俺達はなんて恩知らずの恥さらしなんだろうと。力の弱い同族を捨てた人間達、かたや魔族の王が弱いが敵である人間を拾い上げ保護した。そう思うと居てもたってもいられなくなってね。真実を確かめようと、国を出ることを決めたんだ。なんとか後任の騎士を育て上げて国を出るのに二年もかかったけどね」
彼の話を聞いていると、何となく察する事の出来る部分もあった。
騎士で簡単には抜けることの出来ない役職……。そして血の滲む努力で手に入れたであろうその地位を、惜しむ事もなく投げ出したそれまでの葛藤……。想像でしかないが彼が捨てたであろうモノを思うと、ベルティナはその決意の深さを思わずにはいられなかった。
「国を出てしばらくは冒険者として情報を集めて回った。そして俺は自分の視野の狭さを思い知ったと同時に焦がれるような感情を覚えた。今さらでどうしようもない感情だ」
ライルは顔を上げて目の前の少年を見た。その目は真っ直ぐでそして真摯だった。
ベルティナもまた真剣に男の言葉を受け止める。
「俺はーーー」
その時、ノックの音が響き渡った。
「はい、開いてますよ」
誰何もせずにベルティナは招き入れる。彼には誰が来たのかわかっていたのだ。
「失礼するわ。ティナ…ネリアの様子はどう?」
他にも言いたいことはあるだろうが、ミレディはとりあえず友の様子を尋ねた。
「母ならまだ寝てます。どうぞ、入ってください。ーーー後ろの人もどうぞ」
ミレディはすぐにネリアの枕元に向かった。その後に続いて入ってきた人を見て、ライルは息を飲んだ。
温くなったハーブティーを飲み干して、ベルティナは深い笑みを浮かべた。
十五年経っても色褪せない美貌は、まるで名工が作り上げた人形のようだ。息をしていることが逆に信じられないくらい、全てが完璧で美しい。
長く伸びた金糸の髪も海の底のような深い青を映した瞳も。白磁の肌も。
あまりの美しさにライルは圧倒されていた。
「ーーーどこで迷子になってるのかと思えば。とっとと転生していたとはね。……お久し振りです、我が王よ」
「今は王ではないですよ。私の名前はベルティナ=ハーフネット。ネリアの娘……いや息子? ですよ」
自分で言ってウケたらしい。ベルティナは肩を震わせながら「息子って……」と言いながら笑いを堪えていた。
「ベルティナ……。確か双子の兄はゼアノスでしたね。ふむ……二人合わせて『ベルゼア』ですか。なんだか痛々しいですね……」
誰もが思っていても口にしなかった感想だ。やはり魔族は容赦がない。
「その姿でもベルティナなのですか? どう見ても魔族の少年に見えますが」
「そうなんですよね。でも今日初めてこの姿になったので、名前も何も気にしてなかったんです。うーん、まさか魔族化すると男になるとはなぁ。名前、何か考えた方がいいかな」
最後は独り言である。確かにベルティナや愛称のティナは完全な女名だ。
現在のベルティナは銀色の肌が眩い、細いが筋肉質の美少年なのだ。
考え込むベルティナをしばし眺めてから、マキタスは口を開いた。
「………またこうして話すことが出来て嬉しいですよ。我が友よ」
顔を上げて見れば、蕩けるような甘い笑みが向けられていた。
「私もです、マキタスさん。今世でも友だと思ってもいいんですか? ベルティナを友人と呼んでくれますか?」
気負いのない問にマキタスはクスリと笑った。
「もちろん。まあまた臣下でもよいですけど」
「それは嫌です。私は自由に生きたいので」
「残念。フラれましたか」
「それに今の私は『魔王核』を保持してませんから、王にはなれないでしょう?」
「無ければ無いで誰も気にしません。貴方が居てくれる、それが我々魔族の希望ですから」
その晴れやかな笑みが胸に突き刺さる。魔王であった頃の記憶はベルティナとして生きた時間よりも遥かに長く濃いのだ。皆に愛され守られ、そして愛し守り抜いた日々。その時間がどれ程満たされ幸せだったのか、今のマキタスの言葉が教えてくれた。
「ありがとう……。でも私は決めてるんです。ベルティナは人間として生きる、と。…この姿ではあまり説得力に欠けるかもしれませんが」
「それが貴方の望みだと言うなら否定はしません。私達はただ見守るだけです。かつての貴方がそうしてくれたように」
ありがとうーーーもう一度礼を言うと、ベルティナは口調を変えた。少し困ったように戸惑いながら口を開いた開く。
「あー、ところでマキタスさん。つかぬことをお聞きしたいのですが」
「なんでしょうか、改まって」
「この魔族化状態を解除する方法とか、知ってたりしないですか?」
変身したのはいいが元に戻れないベルティナであった。