~家族旅行・主なき騎士~
レーゼの街に着いてその日の夜。
ティナは、心持ち沈んだ兄と共に部屋にいるのが煩わしく、食堂へと降りていた。母のネリアはずっと食堂に入り浸っている。
ティナはお酒の場が嫌いではない。母の店では夜にはお酒も出すので、お酒を飲む大人に抵抗がないのだ。もちろん、飲み過ぎて節度を無くすような者は論外である。
ぐるりと周囲を見渡した。
お酒を飲む母の回りには、彼女の帰省を聞き付けた隣人達が談笑の輪を広げている。
その光景を見ながら、ティナは深い笑みを浮かべて思う。人間に生まれ変わってよかったなぁ、と。
魔族の王としてなら、けして見ることの叶わなかった光景だ。街の人間達の忠誠も敬愛も疑ったことはないが、やはりそこにはどうしても越えられない壁があった。
ネリアの隣でしばらく談笑に加わっていたが、しだいに人の熱気に当てられて息苦しさを覚える。
一度外に出て頭を冷やそう立ち上がると、ふと他のテーブルにも目がいった。
(あれは……騎士?)
この魔族の領地で騎士を見るとは珍しい。腰に長剣を下げたその姿は軽い旅装ながらも姿勢や雰囲気等からただの傭兵ではないとわかる。佇まいに気品を感じるのだ。
年の頃は二十代前半と行ったところか。銀色の髪を麻紐で結び、長いまつげの下は月の雫を垂らしたような銀だった。
静かに黙々と食事をとる姿に、何故か気になって目が離せないのだ。
ティナは昔から魔力も体力も平均しかないが、唯一勘だけはよかった。探し物や人はすぐに見つかるし、悪意のある者や自分にとって良くないものを見抜くことが出来たのだ。
その勘が、目の前の人物について、何かあると告げていた。
(かといって、悪いものは感じないし。うーん、しばらく様子見ようかな)
視線を外し、母に外の空気を吸ってくると告げて外へ出た。
通りは夜だと言うのにまだまだ賑やかで、魔力灯の明かりが星をかき消すように地上の隅々までを照らしている。
その明かりに誘われるように、少女はフラフラと歩き出す。兄や母が居れば「不用心だ!」と怒ってくれたのだろうが、あいにく今彼女を止める人が側に居なかった。
かつて自分が王であった時からもう十五年以上経っていることを、少女は本当の意味で理解していなかったのだ。
突然、手首を強く引かれた。不意を突かれたので抵抗する間もなく裏路地へと連れ込まれる。
(え、え、え?)
大きくて強張った手に口を押さえ込まれ、また違う手が少女の腰を拐う。
壁に押さえ込まれる頃には嫌な汗が背中を伝っていた。
下卑た笑みを浮かべた三人の男がティナを押さえ付けていた。
「おいおい、こりゃまた上玉じゃねえか。お嬢ちゃん、こんな時間に独りでうろうろしてちゃ、いけないねぇ」
「そうそう、嬢ちゃんみたいな毛の生え揃ってない、きっつきつが好きだって大人もいるんだぜ?」
「そうそう、俺たちみたいなのがな!」
ティナは力いっぱい抵抗するも、拘束はビクともしない。
今まで味わったことのない恐怖に足が震えて涙が溢れた。
そして何よりも息苦しい。混乱しながらも、せめて口を塞ぐ手を退けたくて首を振り続けた。
「チッ、大人しくしてろ!」
拘束がさらにきつくなり、とうとう意識が飛びかけた、その時。
男の短い悲鳴と共に、大量の空気がいきなり肺に流れ込んだ。ティナは大きく呼吸を繰り返し、酸素を全身に送り込む。
さらに両手の拘束も体を撫で回していた手も無くなり、少女はその場に崩れ落ちた。
涙で視界が滲むなか、ティナは何が起きたのか確認するために、ノロノロと顔をあげる。
「大丈夫か?」
苦痛に顔を歪めて倒れ伏す男達を気にすることもなく、その人は少女の前に膝を付いた。
「立てるか? 宿まで送っていこう」
気遣わしげなその声に、ティナの緊張の糸がプツンと切れてしまった。
少女は、そのまま意識を失ってしまった。
意識が戻ったのは宿屋のベッドの上だった。ゆっくりと瞼を上げて周りを確認すると、すぐ脇に母の姿があった。
「目覚めたか? どこか痛いところとか、気持ち悪いとかないか?」
「うん…大丈夫。どうして私、ここにいるの?」
どこかまだぼんやりとした娘の様子に、ネリアは内心とは逆に微笑んで見せた。
「通りすがりの旅人が助けてくれたんだ。後でお礼を言いに行こうな」
「うん…。ねえ、母さん……」
「なんだ?」
「性別があるって、大変なんだね…。特に女の人は、男の人には力で敵わないから、恐いよね」
「………」
「もうちょっと配慮した方がよかったな」
ティナの脳裏に過っているのは魔王だった頃の記憶だ。
人間兵だったネリアは数少ない女性兵だった。ミレディもそうだ。この二人は規格外の強さなので、下手に手を出そうとする男は居なかっただろうが、それでも男社会ではやりずらいことも多かっただろうと思う。
さらに新人の女性兵士だと辛いことも多いに違いない。
「そう、だな。今も昔も女性と言うだけで見下す男は多いな。それはおそらくどこも同じだろう。むしろ人間社会の方が酷い。その証拠に、私はお前達を産んだ後の方が苦労したからな」
「そっか…。ねぇ、母さん」
「ん? なんだ」
「どうしてわざわざ人間の領土で定食屋を開いたの? ここに戻ってこようとは思わなかった?」
「思わなかったな。ティナは人間として産まれると聞いたし、それに居酒屋をやりたかったんだろう? それなら人間側の方が普通だと思ったんだ」
母の言葉に少女は遠い目をする。
「そう、そうなんだよ。居酒屋をね、やりたかったんだけどね…。母さんがせっかくお膳立てしてくれたのに、ごめんね」
「う、ん……そうだな、ティナはまだ若いからいくらでも道はある。気にするな」
さすがにこの年になってもオーブンを爆発させるという離れ業をやってのけたのだ。才能の有り無し以前の問題なのだろう。
「新しい夢を見つけるよ。幸い今の私は幾らでも夢を持つことが出来るからね」
娘の笑顔に母はホッと安堵する。そして自分よりは一回り小さな手を握りしめた。
「起きれそうか? それなら下に降りて助けてくれた人にお礼を言おう」
ティナは小さく頷くと母の手を借りて立ち上がった。
ティナを助けてくれたのはあの騎士の男だった。
食事を終え外に出るとフラフラと歩くティナを見かけたそうだ。食堂に居た彼女を覚えていたので、声をかけようと追いかけた瞬間、姿が見えなくなったらしい。慌てて探して助けてくれたという。
ティナは恥ずかしさに頬を染めながら、男に対して丁寧に礼を言った。
元はと言えば自分の迂闊さが招いた事態だ。助けてもらってさらに気まで失った状態のティナを保護してくれたのだ。
いくらお礼を言っても言い足りない。
「気にしなくていいよ。君を助けることが出来て、俺も嬉しいんだ。可愛い女の子が苦しむ姿なんかみたくないからね」
頭を下げるネリアとティナとノスに、男は穏やかな笑みを浮かべた。
男はライルと名乗った。年は二十二歳で、ここには人探しで来ていると言う。ティナが思った通り元は騎士だったと教えてくれた。
「何故騎士を辞めたんだ? かなりの腕前とみたが」
母が酌をしながら尋ねる。苦笑しながらもライルは酒を煽った。どうやら結構な酒豪のようで、先程からどんどん酒を注がれているが顔色が変わらない。
「ここは良い所ですね。みんな活き活きと毎日を生きている」
ネリアの問いには直接答えず、ライルはワンクッション置いたようだ。注がれた酒をグイッと飲み干すと、間髪入れずにネリアに注がれる。
「…ここには人を探しに来ました。そのために騎士を辞めたんです」
「ふむ。もしかして恋人か?」
「まさか。ーーー妹、ですよ。十年前に母に捨てられたんです、キアリス連峰にね」
ネリアの眉間に皺が寄った。一緒に聞いていたティナとノスも顔をしかめている。
その様子に気付く事もなく男は話を続ける。
「妹は三歳でした。生きてはいないだろうと、俺を含めたみんなが諦めてました。ところがここ二、三年の間に魔族との交流が頻繁に行われる様になり知ったんです。かつての魔王陛下が捨てられた者達を保護して作った街があると。それを知り、もしかしたらと思い探しに来たんです」
「………そうか。その様子ではまだ見付かってないんだな?」
「はい。この街にきてまだ三日ですが、全域を回れていなくて。しばらくは滞在してひたすら足で探そうかと」
「足で探すとなると、かなり時間がかかるぞ。それよりも役所に行けばいい。そこでなら住民の一括統制をやっているからすぐわかるだろう」
ネリアの助言に男はため息を落とした。
「実は初日に訪ねてみたんですが、門前払いされました。余所者に住民の情報は教えられないと」
「…ああ、まあ確かにそうだな。そうか……。それならば明日私も一緒に行こう。娘を助けてもらった礼をしたいし。今は住んでは居ないが、昔は私もここの人間だったんだ。知り合いがいるから話も通りやすいだろう」
ネリアからの提案をライルは素直に
受け入れた。明日の朝一に役所に行くことが決まったところで、ティナとノスは部屋へと戻された。
ここからは大人の時間と言うことらしい。まだ母とライルは飲むようだ。
「なんか今日は疲れたな」
ノスの呟きにティナも頷いた。
「明日も忙しくなりそうだね。……温泉、明日は入れるかな」
街の外れに温泉が沸いているらしく、それを楽しみにティナは来たのだ。
「…俺は、父親に会えるかな」
ティナは驚いて兄を見た。その表情からは何の感情も読み取れない。
「会いたいの?」
「ああ。ミレディ先生が言ってたんだ。本当に強くなりたいのなら、父親に教えてもらった方がいいと。今さら親父になんかに教わりたくないって、ずっと意地張ってたけど、そうもいかなくなってきたからさ。…俺は何があってもティナを守れるようになりたいんだ」
真摯な眼差しに喜びを覚える反面、同じくらい戸惑いも覚える。
なぜここまでノスはティナを守ろうとするのか。少女にはその理由が皆目見当もつかないのだ。
「ねぇ、ノスはどうしてそこまでするの?」
「……昔言われたんだ。ティナを守れって。それこそが俺の生きる意味だって」
「誰に?」
「………神様、かな?」
なんとも曖昧な返事に、ティナは呆れたようにため息をつく。
なんだかめんどくさくなってきたので、先に布団の中に潜り込んだ。するとすぐに眠りの中へと誘われていった。